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2022年2月28日月曜日

読了メモ「象は鼻が長い 日本文法入門」三上 章



読了。

以前も日本語文法の本を読んだことがありましたが、
これはなかなか面白かった。
こんな議論があるんだということとともに
日本語の難しさを痛感してしまう。
ちなみに、本書の初版は1960年です。

本書のタイトルにもなっている

「象は鼻が長い」

主語はなんだと思いますか。。。。
実は、この問いかけ自体が間違っていると本書は指摘しています。

中学校の英語の授業を思い出すと
主語はSubjectのS、述語はVerbのV、目的語はObjectのO
と習って、SVO構文とか、SVOC、SVOOとか習いました。
実は、日本語の文法も当初はこの英語の文法に当てはめていたようなんです。

ところが、この括りでは説明ができない文章がでてきてしまった。
それが、象は鼻が長い。です。

細かいところは本書に譲りますが、
日本語において、〜〜は、の「は」は、
非常に強力な力を持っているということのようです。
〜〜の、を代行する 〜〜は、の用例はかなりたくさんあります。
一方で、〜〜が〜〜が、とダブってしまうのは日本語として落ち着きません。
〜〜は、に、〜〜が、〜〜の、〜〜に、〜〜をの代行を認めているというのです。
混み入っている文章でも、〜〜は、を用いることで
すっきりとした文章になったりする事例もあります。

本書では、日本語の 〜〜は、には主述関係は成立しないということが説かれ、
主語という言葉の使用までを否定しています。

ちなみに、日本語には主語がないとか省略されているとかよく聞きますが
それと本書の文法論とは全く違う話です。

少々、論理的になる本ですが、日本語の奥深さを知ることができますので
ご興味のあるかたは、お手にとってみてください。

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象は鼻が長い
三上 章
くろしお出版 2011年

2022年2月18日金曜日

読了メモ「菊と刀」ルース・ベネディクト



読了。

といいつつ、だいぶ間が空いてしまって、
もう2月も後半です。今年も時の経つのは早そうです。

そんな久しぶりのメモは「菊と刀」
菊は天皇制を、刀は武士道を表していると解釈しています。

著者のベネディクトは、米国の文化人類学者で
太平洋戦争も末期に、情報局から
日本人の国民性、精神、思考、習性、慣習などの調査を命じられます。
なぜなら、米国人には日本人が全く理解できない民族だったから。

時はまだまだ戦時中。
とても日本人にヒアリングできる状況ではありません。
そこで、どんな手法をとったかというと、
日系2世や、かつて日本に住んでいたことのある
米国人に話を聞いてまとめ上げたのが、
本書の原稿となった「日本人の行動パターン」です。

これが、すごい。
見事に日本人のものの考え方、思考の仕組みを掘り出し、
日本が日本人の国であることを論じています。

例えば、

 空襲にさらされたからといって、
 日本人の力が衰えることはない。
 「なぜなら、日本人は心構えができているから」(p54)

つまり、

 「守勢に立たされているのではなく、
  積極的に敵をわが方に引っ張り込んでいると
  考えるべきである。」(p55)

背筋が凍るような発想ではないだろうか。

またこうもあった。

 B29爆撃機や戦闘機の、たとえば防弾鋼板のような安全装置ですら、
 「臆病風に吹かれている」と、日本人の罵声を浴びた。
 〜中略〜 生死にかかわる危険に身をゆだねてこそ潔い。(p68)

狂っているとしか言いようがない。

戦時中のことなので、百歩譲ったとしても
これら以外にも、日本人の日常生活における精神感などについて
見事にレポートしている。
例えば、「義理」。義務ではなく、義理である。
義理は、逃れようのない返済のしきたりで、
正義感を犠牲にし、守護者への謀反をせざるをえない場合もある。
義理に迫られてとか、義理を立てるために精一杯尽力するなどは
現在の我々の心情の深いところにも根ざしているのではないだろうか。

死んだと思って頑張る。や、
恥を排除することを目的として修練を積むなど
他にも極めて日本人的な言動について、鋭い考察がまとめられている。

外国人からみた日本人の姿。
時代こそ違うが、日本人は一読をして欲しい一冊です。

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菊と刀
ルース・ベネディクト 角田安正 訳
光文社 2013年