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2024年5月17日金曜日

読了メモ「澁澤龍彦玉手匣」 澁澤龍彦 東 雅夫 編

読了。

澁澤龍彦さんの数あるエッセイから選び抜びぬかれたエッセンス集。

最初のうちは、何を言っているんだろうと追いつけないところもあったけれど
だんだん面白くなってきてあっという間に読み終えてしまった。

澁澤さんは幻想文学的なイメージがあったし、エッセイもその通りでした。
文章のなかにでてくる作家や芸術家の名前なども調べてみるとディープな人物ばかりでした。

また、言いたいことをストレートに表現していて痛快だった。

「缶詰の味しか知らないアメリカ人はともかく....」

「おもしろくもない小説を我慢して読むやつは、
    よほどのバカと考えねばならぬ」

「日本の戦後教育の大誤算の一つは、
    ルビをなくせば漢字学習の民主化が徹底されると考えて、
    あの便利なルビを極力一掃してしまったことであろう。
 じつに馬鹿げた発想というべきだ」

など。

また、澁澤さんは、あの澁澤榮一の血筋にあたっており、
幼少の頃は広大な敷地の邸宅に住んでいた。
ただ、その邸宅についても

「昼でも暗い大きな屋敷が、陰気くさくてやり切れなかった」

と言っているし、外からでは分からない秘密の小部屋があったり、
精神を病んだ伯父が療養した奥座敷があったという。
幼少時代の環境が澁澤さんの文学思考に影響があったと思われます。


以下はAmazonへのリンクです。

 澁澤龍彦
 東 雅夫 編

 河出書房新社 2017年


2024年4月15日月曜日

読了メモ「夫婦間における愛の適温」 向坂くじら

 


読了。

30歳前後で結婚2〜3年であろう夫婦のエッセイ。

書き手は、詩人で国語教室を主宰している奥様。


なんとも微笑ましい。

日々日常の些細な所作の一つ一つに二人は解釈を加え、

その度に二人の言い分は食い違う。

二人は全くの他人だから、今後のことを予測してもしようがない。

これまでがこの先も続くほうに覚悟を決めて賭けてみるという。

こうしてお互いの信頼が築かれていく。

とても仲の良い二人であることがよくわかる。


文章の表現や言葉の選び方が背伸びをせずに等身大で

素直に口を出てきた感じがして好感が持てる。

読んでいるとなぜかTARAKOさんの声が聞こえてきそうな感じがする。


エッセイの合間には、詩も挿入されており

これらの普通な空気感もとてもいい。

身近な感覚でどことなく懐かしい感覚さえおぼえたりするところもある。



「いちばんふつうの家のカレーが好きなんだよね」


では、食事に愛を込める云々という話と

料理にいろいろ工夫をこめて最高の味になった話の

微妙な感覚のズレが面白かったし、



「熱が出ると」


という詩などは、臨場感もあって

読んでる側の手が熱くなる感じを覚えるほど。


自分が同じ年齢だった頃はどうだったかな。。。

ふと思い出そうとしちゃいました。



以下はAmazonへのリンクです。

向坂くじら
百万年書房 2023年

2022年1月21日金曜日

読了メモ「堕落論」坂口安吾




読了。

昔、読みかけて放っておいた記憶がある。
是非とも読んでおきたいと思っていた。

角川文庫の本書は、堕落論の他に12の論文が収録されている。
論文というより、エッセイと解説されている。

堕落論は、太平洋戦争が終わって、
世間の風潮が大きく変わっていく様を追っていく。
まずは、天皇崇拝、靖国崇拝に対する持論の展開と
一方で、他の事柄については馬鹿げたことをやっていて
それに全く気づかない日本人の愚かさを嘆いている。
終戦直後の日本人は虚脱し放心しているとアメリカ人は言ったそうだが、
本論には、世情がはっきりと語られている。

 笑っているのは、常に十五六、十六七の娘達であった。
 彼女達の笑顔は爽やかだった。〜中略〜
 この年頃の娘達は未来の夢でいっぱいで
 現実などは苦にならないのであろうか。(p115)

終戦後の日本人の精神の変化を、
忠臣蔵の四十七士や武士道を批判的に引き合いに出しながら
論じているのは、痛快でもある。
そして、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要と説き、
それによって、自分自身を発見し、救わなければならないという。
政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物だと。

これに続く、続堕落論でも
戦中の耐乏、忍苦の精神を否定し
 
 義理人情というニセの着物をぬぎさり、
 赤裸々な心になろう、
 この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが
 先ず人間の復活の第一条件だ。(p126)

当時ばかりでなく、今でも通ずる筋を感じてしまう。

こんな話以外にも、太宰治の自殺を扱うマスコミを
手に取る話など、なかなかに面白い話がもりだくさんである。
文化論、文学論、青春論、悪妻論などいろいろ楽しめる。

タイトルに惑わされずに、一読をお勧めしたい。

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堕落論
坂口安吾
KADOKAWA 2016年



2022年1月13日木曜日

読了メモ「図鑑少年」大竹昭子




読了。

二十四篇からなるショートストーリー&エッセイ集。
どれも、都市や街並み、近所の住人や
すれ違う人たちとの出会いや交流を描いている。

のだけれど、どれも切なく寂しくて、儚いイメージを抱くお話ばかり。
本書の途中途中に挟み込まれているモノクロの写真をみると
よけいにそんな気が増してきてしまう。

タイトルにもなっている「図鑑少年」というお話は、
館外貸出のできない図書館で調べ物をしていて
鉛筆同士がコツンとぶつかり合った音から思い出した子どもの頃の話。
小学生の頃、ツジ君という男の子がいて
その子の家に遊びに行ったことがあった。
洋間で待たされていると、植物、動物、昆虫、魚、鉄道、星座。。。
膨大な図鑑を自慢げに持ってきて見せてくれた。
仲の良い友だちだったが、いつのまにか疎遠となる。
二十年以上経った時、ツジ君が心臓発作で他界したことを知る。
焼香に行き、ツジ君の遺影を見るが
子どもの頃の顔をなかなか思い出せない。
洋間を見渡すと見覚えのある箱があり
中には短い鉛筆が入っていた。
箱を振った時の音が、
小さな骨のぶつかり合う音に聞こえてしかたがなかった。

こんなお話でした。

他には、どこにもない「五十円公園」を探す話や
カラスが多くて、放たれたミドリガメがいる池のある公園近くの自宅で、
門の柵につかまり立ちする飼いウサギを色々な人間が愛ていく「散歩者」。
などなど。

不思議でミステリアスな話が多かったけれど、
読んでいると、変に落ち着く感じのするお話ばかりでした。

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図鑑少年
大竹昭子
小学館 1999年

※下記は文庫本でのご案内です。


2021年5月2日日曜日

読了メモ「水の巡礼」田口ランディ 森 豊/写真


読了。

田口ランディさんの本は何冊か読んでますが、
本書は、どちらかというとスピリチュアルな分野のお話です。
森 豊さんの幻想的な写真を交えて、
水と魂のつながり、芸能と水の関係などが綴られます。

ランディさんの人生にとっての
ターニングポイントは屋久島でした。
以前、ランディさんが書かれた屋久島の本も読みました
屋久島に出会って作家になったと仰っているほどです。
屋久島はひと月に三十五日も雨が降る
と言われるくらい多量の水を抱える島です。
透明な水とエメラルドの苔。
空気を吸うと肺が浄化され、雨が降ると森が歌うんだそうです。

そして、その水と魂は似ているのだそうです。
ランディさんは広島に訪れた時、
市内ではなく、山に登ったそうです。
平和公園は暑くて、魂はいない、
神様を象徴するものが市内にはないそうです。
山にあるお寺のそばには清水や滝があって、
魂が休まるホッとするところのようです。

ハワイ原住民の伝説のサーファーによれば、
世界は海によって結ばれた水の中の島々なのですと。
水は世界をつなぐものでもあるようです。

お話は10個あって、その中では
 熊本 水と共鳴する魂
 鹿島神宮と要石の謎
の話が好きかな。

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水の巡礼
田口ランディ 森 豊/写真
角川書店 2006年

2021年4月25日日曜日

読了メモ「洋食屋から歩いて5分」片岡義男


読了。

書き下ろしもあれば、
雑誌掲載されていたものもある、
片岡義男さんのエッセイ集。
なので、長さもばらばら。
短いお話もあれば、十数ページになるものも。

特に、前半はコーヒーの話が多い。
冬のコーヒーの暖かさ、
一口目の時のコーヒーの香り、
小さな非日常体験をさせてくれるコーヒー、
神保町でのコーヒーのハシゴ。
いずれも、片岡さんの小説に少なからず
携わっているコーヒーたちのお話。

料理のお話も。
料理本のレシピの一行を並べてみると
詩ができると書いてあったけど本当かな。
幕内弁当の栗きんとんと蒲鉾の置かれ方の蘊蓄が、
小説のタイトルになったこともあったとか。
そして、居酒屋には、なぜにこうもメニューが多いのか。
そういえば不思議ですね。

子どもの頃に、初めて素麺や雲呑を食べた時の感動。
食すものの味のベースが全て醤油であるとの気づき。
廃業することになった行きつけの食堂から、
湯麺の店頭展示サンプルを値札ごともらった時の嬉しさ。
真夏、喉がカラカラの時に飲むコップ一杯の水。

どのお話も、街での喫茶店での思い出話や
美味しそうなメニュー、ちょっとした出来事のお話で
とても穏やかな時間を過ごすことができる一冊です。

お時間のある時にぜひ。

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洋食屋から歩いて5分
片岡義男
東京書籍 2012年

2021年3月15日月曜日

読了メモ「上を向いて話そう」 桝井論平




読了。

久米宏さんの動画サイトで紹介された本。
とは言っても初版は2016年なので、新刊というわけではない。

自分は残念ながら、論平さんの
パックインミュージックは、殆ど聴いたことがないのだけれど、
本書の中に、小島一慶、松宮一彦、
大澤悠里、生島ヒロシが並んでる写真を見ると、
昔、なんだかんだで、よくラジオを聞いてたなぁ
なんて思ってしまうのでした。

話術について書かれてる。
人とコミュニケーションをするにあたって
当たり前だけど、「話す」ということがいかに大切か。
どんどん話した方がいいよ。君の声が聞きたいよ。
とまで言ってくれて、まるでラジオを聞いているよう。

日本語の難しさについて、敬語はもちろん
鼻濁音や母音の無声化など、
ちょっと専門的な話も出てきますが、
論平さんの調子で
わかりやすく解説してくれています。
アクセントのくだりは、
思わず声を出して読んで、
違いを確認したりもしました。

後半には、既に終了してしまっている番組ですが、
TBSラジオで放送されていた
久米さんの「ラジオなんですけど」に
出演された際の、トークが掲載されたりしていて、
久米さんと論平さんとの軽妙なやりとりを
楽しむことができます。


本書と話は少しずれますが、
久米さんの動画サイトでは、時々、本が紹介されます。
面白そうな本ばかりなので、
チェックしておいて、また読んでみようと思います。

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上を向いて話そう
桝井論平
ほんの木 2016年



2021年2月16日火曜日

読了メモ「開口閉口 1 」開高 健





読了。

開高さんのエッセイを編纂したもので
ナンバリングがあるから、2巻目以降もあると思うのだが
とんと目につかない。

本書は1976年発行のもので、昔の本によくある
行間が狭く字が小さめに出来上がっている。
それだけで、自分は閉口なのだが
これが意外と読みやすかった。
開高さんの文章が読みやすく、わかりやすいのだ。

前半は、ヴェトナム戦争に特派員として
前線の兵士たちと同じ様な現地での生活をして
とてつもないヤツを口に入れる話がでてきたり、
後半は、好きな釣りやお酒の話になって、
アマゾン河での怪魚や日本の渓流での話でもりあがる。
開高さんは専らキャッチアンドリリースだそうで、
さまざまな擬似餌(ルアー)と魚との相性の話が面白い。
お酒については、世界各地で作られるお酒には、
ほとんど毒蛇が浸かっていることを指摘し
なぜ青大将ではいけないのかと首を捻る。

ヴェトナムの話で可笑しかったのは、
女房が怖くないやつは前へ出ろと隊長が命令したら
100人中たった一人が前にでたという。
その言い訳が、
 かねがねみんなの後について行ってはいけないと
 女房に言われつけているもんですから
というオチ。
こういう話は社会主義国でも自由主義国でも同じだねと笑ってました。
そんな滑稽な話があっても
戦争の話を聞きたかったら歩兵に聞け という名句が
戦争の引き起こす惨さ、非尋常な世界を彷彿とさせる。

わが地元の茅ヶ崎には、開高健記念館といものがある。
開高さんは1979年に茅ヶ崎に越してきたそうだ。
開館日が金曜日・土曜日・日曜日と少ないが、
執筆していた机や、色とりどりのルアーや
ヴェトナム戦地での写真や貴重な原稿などが展示されている。
ご関心のある貴兄はぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

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開口閉口 1
開高 健
毎日新聞社 1976年





2020年7月5日日曜日

読了メモ「乱読のセレンディピティ」 外山滋比古




読了。

著者は「思考の整理学」で有名な
大正12年生まれの大御所である。

まず、セレンディピティとはなんぞや。

本書によれば、
「思いがけないことを発見する能力。
 特に科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときに使われる。
 おとぎ話(The Three Princes of Serendip)の主人公が
 この能力を持っていることから。
 イギリスの作家H・ウォルポールの造語。」
とある。

本の読み方には、アルファ読みとベータ読みの二通りあり、
アルファ読みは既知の情報について読むもの。
ベータ読みは未知の情報について読むもの。
だそうで、はるかにベータ読みの方が面白そうではあるが
アルファ読みでも新たな発見があったりするので
これもセレンディピティであったりする。

本の読み方にもアドバイスがあった。
「本は風のごとく読むのがよい」そうだ。
「やみくもに速いのはいけないが、熟読玩味はよろしい。
 のろのろしていては生きた意味を汲み取るのはおぼつかない。」
ということだ。

乱読についても
「専門バカがあらわれるのも、タコツボの中に入って
 同類のものばかり摂取しているからで、
 ツボからでて大海を遊泳すれば豊かな幸に
 めぐりあうことができる」
と爽快に勧めてくださっている。
さらに、乱読は気が若返る。
乱読のストレス解消力はアンチエイジングの
もっとも有効な方法ではないかと。

ここまで書かれてしまうと、乱読せずにはいられませんね。
乱読派の自分には、追い風を背中に感じて気持ち良い一冊でした。

ただ、注意点があるんです。
本は知識を増やしてはくれるが
思考力は別の方法で養わなければならないのです。

さて、その方法とはなんだと思いますか?

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乱読のセレンディピティ
外山滋比古
扶桑社 2014年


2020年6月6日土曜日

読了メモ「ぼくの植え方 日本に育てられて」エドワード・レビンソン




読了。

アメリカ人で、写真家の著者が
日本に移住し、日本人女性と結婚し永住権を取得。
海も山もあるいわゆる田舎に移り住み、
農業を通じて、自然の中に聖地を
見出すというなんとも崇高なお話。

アメリカにいた頃からバックパッカーで、
ヒッチハイクをして移動していたが、
日本にきてからはなかなかそうはうまくいかない。

最初は、庭師の仕事に就く。
彼に言わせればガーデニングなのだが、
外国人が半纏を着て、庭の松の木の剪定をしている様子なんか
なかなか稀有な光景だろう。

次に農業をするため、田舎にいく。
田舎では、なんの躊躇いもなく相乗りをさせてくれる。
手を挙げずとも、軽トラのおじいさんから
声をかけてくれる。「どこまでいくの?」と。

逆に、著者がバンを運転していると
山道を歩くお婆さんには声をかけずにはいられない。
そして、優しい笑顔を返してくれる。
お礼にといって、ジャガイモや
タバコでも買ってねと現金を置いていこうとまでする。

田植えの時には、近隣の農家の人が手伝ってくれるばかりでなく、
買い物帰りの通りがかりのおばあちゃんが
見かねて、素足で田んぼの中に入ってきて
手慣れた所作で作業を終えてしまい、
買い物のお裾分けまでいただいてしまう。

著者はチェルノブイリ原発事故地近辺の
ベラルーシ共和国から少年数名を招聘し、
一緒に田舎暮らしをするなどの交流活動も試みる。


日本にきて30年以上経つそうだ。
本業の写真家としての活動は、モノクロやデジタルの他に
ピンホールカメラでも撮影を行い、
日本の原風景の撮影を続けている。
エッセイストで本書も翻訳された
奥さんの本には彼の写真が掲載されている。


本書の原稿はさすがに英語で書かれたが
思考は日本語で行ったとか。
各パラグラフの冒頭には、著者作の俳句が載っている。
日本語の俳句も味があって素晴らしいが、
英語も読むとリズム感があって心地よい。

著者の笑顔の写真がとてもいい。
日本という国の良さを感じる本です。

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ぼくの植え方 日本に育てられて
エドワード・レビンソン 鶴田 静 訳
岩波書店 2011年



2020年4月25日土曜日

読了メモ「魯山人の食卓」北大路魯山人



読了。

陶芸家で画家でと様々な肩書きを持ち
そして美食家としても有名な著者の日本料理に関するエッセイ。

エッセイのメニューとしては
 寿司
 魚(鮪、初鰹、鮎、鰻、河豚)
 鍋料理と雑炊
 茶漬け
 日本料理の基礎観念
そして最後に、魯山人語録と続く。


全編を通して、自身たっぷりの言い切りっぷりが気持ちいい。
ここまで言い切られると本当に
厳選された質のよい材料で作られた料理を食べたくなる。
ただし、その世界に入るにはなかなか厳しそうだ。

貧しい者には貧しいなりの料理
富裕な者には富裕なりの料理があり
それぞれは相入れないものであるとか、
食器は料理の着物であり、相応しい器があってこそ
料理になるという。

また、鰻にしてもスッポンにしても
ただ太らせる養殖よりは、天然ものがよいのだが
養殖でも適切な餌を与えることによって
味が全く変わってくる。
しかしコストの関係でなかなかそうはいかない。

よだれが出そうになったのは雑炊のところで、
納豆雑炊なんてのも紹介されていた。
他のメニューは恐れ多いけれど、
これなら自分でも作ってみようか!なんて気にもなる。


商業料理は儲けが一義で、どうしても料理は二義になってしまうことを
憂えながら、魯山人語録の一番最後の言葉が染みる。

 家庭の料理、 〜 中略 〜、そこにはなんらの思惑がはさまれていない。
 ありのままの料理。それは素人の料理であるけれども、一家の和楽、団欒が
 それにかかわっているのだとすれば、精一杯の、まごころ料理になるのである。
 味噌汁であろうと、漬けものであろうと、なにもかもが美味い。


ところで、鰻の蒲焼ですけど、蒸す工程が途中に入る東京風と
直焼きの上方風のどちらがお好きですか。
魯山人先生は、断じて東京風だと言って譲りませんけど。

=======================
魯山人の食卓
北大路魯山人
角川春樹事務所 2004年


 

2020年3月15日日曜日

読了メモ「貧乏入門」 小池龍之介



読了。

著者はお坊さまである。
だからと言って、質素な生活を送れて当たり前だ
と思ってしまうのはやや早計。

本書のサブタイトルには

 あるいは
 幸福になるお金の
 使い方

とある。

お金のない貧乏人になりましょうなんて誰も思わないので
本のタイトルを副題と入れ替えた方がいいのではないだろうか。

物が豊に溢れる現代、
我々は余計な物を持ちすぎているという。
使っていない物は捨てるべし。
粗悪なものに安いからと飛びつくのではなく
本当に必要なものにお金を惜しまず出して
大切に使っていくべきだと問う。
それが貧乏臭くならないコツ。充実した貧乏の練習。

物がありすぎると心にノイズが発生して
幸福感を得られないとのこと。
精神的余裕があると心はお金から自由になれる。
お金があってもなくても幸せで分相応に行きていく。
そういう心持ちを持つことが大切だと。
つまり、欲望をコントロールしていくことがテーマ。

では、どうすればいいか。
そこは、お坊さまらしく、仏道的集中力を高めるということ。
集中により、五感を研ぎ澄まし心の幸福感をつかむこと。
快感を求めるあまりに、ドーパミンが出っ放しの
興奮状態ばかりでは疲労と錯覚だけが残り
邪悪な集中で幸福感は得られないという。

裏を返して、一言で言うと、
ケチることじゃないんですよ。

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貧乏入門
小池龍之介
ディスカヴァートゥエンティワン 2009年