2024年は、こちらにもアップします。

2020年6月28日日曜日

読了メモ「横浜駅SF」柞刈湯葉



読了。

本書を原作にコミックが出されているというので
ご存知の方も多いのではあるまいか。

横浜駅。
自分も毎日のように通過し
乗降するよく使う駅だが、
確かに、工事が終わった姿を見たことがない。
最近、漸くJR YOKOHAMA TOWERとかができたらしいけれど
他の工事は未だに終わっていない。
話によると100年近く工事が続いているとか。


本書は、JR統合知性体という頭脳が開発されたことで
改築工事の続く横浜駅が自己増殖の暴走をはじめてしまい
陸続きの本州全てを横浜駅が覆い尽くしエキナカが占拠してしまう。
これに対し北海道と福岡のJR支局が横浜駅による侵食を
防ごうとする奇想天外なSF小説である。

ちなみに、本州の全てを横浜駅が覆い尽くすということは
線路がない、即ち鉄道がないということを意味する。
駅が一つしかないのだから当然だ。
全てがエキナカと動く歩道やエスカレータで構成されている。

そして、エキナカに入れない人たちも存在する。
横浜駅からの下りのエスカレータの出口しかない
海に近い痩せた土地に暮らす人々だ。
では、エキナカで生活するためにはどうすればよいか。
それは高額を支払って、
頭の中にSuika(本書ではSuicaではなくSuika)を埋め込んでもらう必要がある。
さもなければ、Suika不所持を発見されて、
自律歩行する自動改札幾が現れて
駅の外に強制的に放り出されてしまうことになる。

主人公による横浜駅増殖を止めるボタンを探して
Suikaではなく青春18切符で駅構内を移動するスリルと
超未来的で日本縦断のスケールが交錯して面白い。


横浜駅をご利用の方も多いと思いますが、
工事は本当にいつ終わるのでしょうかね。

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横浜駅SF
柞刈湯葉
KADOKAWA 2017年



2020年6月14日日曜日

読了メモ「倚りかからず」茨木のり子 「別冊太陽 日本のこころ 茨木のり子 自分の感受性くらい」





読了。

今年2回目かな。詩集を読んだ。
茨木のり子さんの詩集としては最後のものだそうで、
タイトルとなっている「倚りかからず」の他に15篇の詩が収められている。

今回は、下の写真にあるいわゆるムック本の「別冊太陽」を
一通り読んでから、本書に臨んだ。
彼女の生い立ちや生涯、時代背景、
異国の友人との交流などを理解した上で詩を読むと
心に入ってくる勢いが違う。
もちろん、別冊太陽の方にも
たくさんの詩が載っているので
茨木のり子ワールドにどっぷりと浸ることができた。

まっさらの状態で詩を読むのがいいのか
今回のように事前情報を蓄えてから読むのがいいか
意見は分かれると思う。
今回、彼女の詩の場合については、後者の方が
より作者の気持ちに寄り添えることができるようになると思った。

彼女は昭和元年生まれなので、まさに
日本が軍国主義に邁進していく時代に
思春期・青春時代を過ごしたことになる。
学生時代は全校生徒に号令をかける役目を負って
喉を潰してしまったりもした。
医師である父親の勧めもあって薬学部に進むが
その世界はどうにもなじめず、
自らの意思で文学の門をたたき
詩の世界に入る。

彼女の詩は、背筋が伸びるようなキリッとした作品が多い。
それは男勝りとか、そういう見方ではなく
読後に瞑想をし、人生の反省と期待が入り混じったような感覚。
静かに心を落ち着けてじっくり味わいたい。

「倚りかからず」には
「自分の感受性くらい」の詩は入っていない。
その意味でも、二冊を併読してとてもよかったと思っている。

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倚りかからず
茨木のり子
筑摩書房 1999年

別冊太陽 日本のこころ 茨木のり子 自分の感受性くらい
平凡社 2019年



2020年6月6日土曜日

読了メモ「ぼくの植え方 日本に育てられて」エドワード・レビンソン




読了。

アメリカ人で、写真家の著者が
日本に移住し、日本人女性と結婚し永住権を取得。
海も山もあるいわゆる田舎に移り住み、
農業を通じて、自然の中に聖地を
見出すというなんとも崇高なお話。

アメリカにいた頃からバックパッカーで、
ヒッチハイクをして移動していたが、
日本にきてからはなかなかそうはうまくいかない。

最初は、庭師の仕事に就く。
彼に言わせればガーデニングなのだが、
外国人が半纏を着て、庭の松の木の剪定をしている様子なんか
なかなか稀有な光景だろう。

次に農業をするため、田舎にいく。
田舎では、なんの躊躇いもなく相乗りをさせてくれる。
手を挙げずとも、軽トラのおじいさんから
声をかけてくれる。「どこまでいくの?」と。

逆に、著者がバンを運転していると
山道を歩くお婆さんには声をかけずにはいられない。
そして、優しい笑顔を返してくれる。
お礼にといって、ジャガイモや
タバコでも買ってねと現金を置いていこうとまでする。

田植えの時には、近隣の農家の人が手伝ってくれるばかりでなく、
買い物帰りの通りがかりのおばあちゃんが
見かねて、素足で田んぼの中に入ってきて
手慣れた所作で作業を終えてしまい、
買い物のお裾分けまでいただいてしまう。

著者はチェルノブイリ原発事故地近辺の
ベラルーシ共和国から少年数名を招聘し、
一緒に田舎暮らしをするなどの交流活動も試みる。


日本にきて30年以上経つそうだ。
本業の写真家としての活動は、モノクロやデジタルの他に
ピンホールカメラでも撮影を行い、
日本の原風景の撮影を続けている。
エッセイストで本書も翻訳された
奥さんの本には彼の写真が掲載されている。


本書の原稿はさすがに英語で書かれたが
思考は日本語で行ったとか。
各パラグラフの冒頭には、著者作の俳句が載っている。
日本語の俳句も味があって素晴らしいが、
英語も読むとリズム感があって心地よい。

著者の笑顔の写真がとてもいい。
日本という国の良さを感じる本です。

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ぼくの植え方 日本に育てられて
エドワード・レビンソン 鶴田 静 訳
岩波書店 2011年