2024年は、こちらにもアップします。

2020年11月26日木曜日

読了メモ「新解さんの謎」 赤瀬川原平



読了。

前回に引き続き「辞書」にまつわる本で
前半は、ある辞書についての話。
後半は、「紙」についての赤瀬川さんのエッセイとなっています。

我が家には広辞苑や大辞林のような
間違えれば枕にも使えるような中判の辞書はありません。
長年、使い続けているのは、A6版で小型の
三省堂「新明解国語辞典」です。
それでも、最近はすっかり出番がなくなりました。

本書は、この新明解国語辞典の
言語の解釈や、特に用例の短文に焦点をあてて
その独特な切り口や、辞書をひくというより
辞書を読ませるような魅力について語っています。
ですから、電車の中で読むことはあまりお勧めしません。
ニヤニヤしちゃうからです。

語り合うのは、著者の赤瀬川さんと
たまたま偶然にSMというイニシャルを持つ女性。
彼女は実際に、この辞書を引くのではなく
電車の中で読んでいたそうです。

面白い事例は本書に譲りますが、
これが可笑しい。
いわゆる、ジワジワくるというやつで、
なんでそうくるのか!という奇想天外で
吹き出しそうになる用例がいろいろあるのです。

前回のメモでも書きましたが、
日本の国語辞書は、戦中までは、いろはにほへと順の見出しで
記述も文語体でした。広く国民が使えるには難しいものでした。
これを、あいうえおの五十音順にして
記述を口語体に改め、さらに小型化したのが、
この辞書の母体であった
三省堂から出た「明解国語辞典」だったのです。

それから版を重ねるたびに内容は充実していき、
第三版・第四版で、本辞書は解釈や用例に大きな飛躍を遂げ
国語辞典に新たな世界を拓いたということのようです。

印象的だったのは、
困った時、沈む夕日を見ながら、
「死んだ母親だったらどんなことを考えるだろうか」
というところを、このSM嬢は
「こんな時、新解さんはなんて言うかしら」
と結んでいるところです。

それほど、人間臭い辞書なんだと思います。


=======================
新解さんの謎
赤瀬川原平
文藝春秋 1996年




2020年11月15日日曜日

読了メモ「辞書の政治学」安田敏朗






読了。

タイトルと中身がちょっと違う。

読む前は、辞書という言葉の定義書や使用例を用いて
国民感情・教育をコントロールするような企みが
過去にあったのかなと思っていたのだけれど、
実際にはそんなハイレベルなことができるわけがなかった。

そもそも、日本では、戦中まで、
辞書は、いろはにほへと順で、
解釈や用例も全て文語体で書かれていたという。
こんなものでは、広く国民が使える訳が無い。
むしろ、辞書とは一部の階級だけのものといえるだろう。

また、権威主義のはびこる業界でもあり、
形式的に「誰」が書いたかが注目されたりしてきた。
無遠慮に名前だけを貸した国語学者もいた。

ならば、国が編纂すれば良かったのではという話も出てくるが
それすらも成し遂げることはできなかった。
民間の出版社が編纂した辞書を
ナショナリズムがたまたま利用しかけた程度が実態だ。

つまり、辞書は作る側と使う側には
辞書に対する意識に大きな隔たりがあるということ。
編纂する側は、文明国標準として、米英に負けじと
文化の程度を測るものとしての辞書を編纂しようとするが
使用する側はそんなことはどうでもよい。

もちろん辞書編纂は大変な労力のかかる地道な作業であり
それを生業とされる方への敬意はあまりあるものではある。
しかし、使う側にとっては、正直「字引き」が主目的で、
意味・用法・語釈を熟読するのは二の次ではなかろうか。

自分の場合も、小学校入学の際に
小学生低学年用の辞書が手元にあったかは記憶にないが
最初に買ってもらったのは、
ふんだんにイラストの入った見た目も明るい辞書だった覚えがある。
でも、残念ながら、国語辞書はあまり出番がなかった。
むしろ、読めない漢字を調べる漢和辞典の方が
必要性が高くなったことを覚えている。
そして、英語を学ぶようになって英和辞書へ。
英和辞書はページの見出しの部分が真っ黒になっている。

小学校の国語の授業の時、
ある語句を用いて短文を作成しないさいという
問題がよくあったけれど、
その際に辞書をひいて
意味をきちんと確かめていた記憶もあまりない。

はて、我々にとって、辞書とはいったいなんなのだろう。

みなさんはどんな辞書を使っていますか。
広辞苑? 大辞林? それともGoogle?

私は、次回のメモで紹介しようと思いますが
アレですよ。アレw

======================
辞書の政治学
安田敏朗
平凡社 2006年





2020年11月4日水曜日

読了メモ「バビル2世」1巻〜8巻 横山光輝




読了。

前回、前々回と少々重いテーマだったので
今回は、超能力少年が大活躍する漫画を読了しました。

横山先生の作品は、
2017年に「仮面の忍者赤影」のメモをアップしたけれど
今度はグッと時代感が変わって、
大昔から未来も見据えた「バビル2世」です。

TVで見ていた子どもの頃から
「バビルの塔」ではなく、本当は「バベルの塔」なのではないか。
という疑問を持っていました。
原作のコミックスを読むと
見事に「バベルの塔」となっていましたよ。
TV放映でも初回の放送は、
バベルの塔の建設シーンがありましたね。

先代のバビル1世は、地球に不時着した宇宙人です。
故郷の星と連絡をとりたくて、
バベルの塔を地球人に作らせたのですが失敗に終わり、
地球人として生活することに決めました。
バベルの塔に高性能のコンピュータを密かに作り込みつつ、
自分と同じ能力の素質を持った子孫が
生まれてくるのをコンピュータの頭脳の中で
ひたすら待っていたというわけです。

そしてストーリーは、
改造人間による世界征服を目論む
宿敵の超能力者ヨミとバビル2世との
戦いに次ぐ戦いが描かれ続けていきます。
ロプロス、ポセイドン、ロデム。
「しもべ」という封建チックな言葉もこの漫画で覚えました。
真っ赤な表皮のロプロスが、
爆風を受けて金属製のロボット仕様に変わる場面なども
わくわくして読んでしまいました。

そして、自分が覚えていないだけかもしれませんが、
ヨミの能力とバビル2世との関係には驚くべき発見もありました。


文庫版で全8巻でしたが、
最後の巻はなくてもよかったかなという感じです。
ショックな場面があったせいかしれません。
それでも、長い戦いが終わって静かにヨミを見送る
バビル2世の勇姿で完。


それでは、お約束のオープニンとエンディング
Youtubeでどうぞ。


==================
バビル2世 1巻〜8巻
横山光輝
秋田書店 1994年