読了。
前回に引き続き「辞書」にまつわる本で
前回に引き続き「辞書」にまつわる本で
前半は、ある辞書についての話。
後半は、「紙」についての赤瀬川さんのエッセイとなっています。
我が家には広辞苑や大辞林のような
間違えれば枕にも使えるような中判の辞書はありません。
長年、使い続けているのは、A6版で小型の
三省堂「新明解国語辞典」です。
それでも、最近はすっかり出番がなくなりました。
本書は、この新明解国語辞典の
言語の解釈や、特に用例の短文に焦点をあてて
その独特な切り口や、辞書をひくというより
辞書を読ませるような魅力について語っています。
ですから、電車の中で読むことはあまりお勧めしません。
ニヤニヤしちゃうからです。
語り合うのは、著者の赤瀬川さんと
たまたま偶然にSMというイニシャルを持つ女性。
彼女は実際に、この辞書を引くのではなく
電車の中で読んでいたそうです。
面白い事例は本書に譲りますが、
これが可笑しい。
いわゆる、ジワジワくるというやつで、
なんでそうくるのか!という奇想天外で
吹き出しそうになる用例がいろいろあるのです。
前回のメモでも書きましたが、
日本の国語辞書は、戦中までは、いろはにほへと順の見出しで
記述も文語体でした。広く国民が使えるには難しいものでした。
これを、あいうえおの五十音順にして
記述を口語体に改め、さらに小型化したのが、
この辞書の母体であった
三省堂から出た「明解国語辞典」だったのです。
それから版を重ねるたびに内容は充実していき、
第三版・第四版で、本辞書は解釈や用例に大きな飛躍を遂げ
国語辞典に新たな世界を拓いたということのようです。
印象的だったのは、
困った時、沈む夕日を見ながら、
「死んだ母親だったらどんなことを考えるだろうか」
というところを、このSM嬢は
「こんな時、新解さんはなんて言うかしら」
と結んでいるところです。
それほど、人間臭い辞書なんだと思います。
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新解さんの謎
赤瀬川原平
文藝春秋 1996年
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