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2020年11月15日日曜日

読了メモ「辞書の政治学」安田敏朗






読了。

タイトルと中身がちょっと違う。

読む前は、辞書という言葉の定義書や使用例を用いて
国民感情・教育をコントロールするような企みが
過去にあったのかなと思っていたのだけれど、
実際にはそんなハイレベルなことができるわけがなかった。

そもそも、日本では、戦中まで、
辞書は、いろはにほへと順で、
解釈や用例も全て文語体で書かれていたという。
こんなものでは、広く国民が使える訳が無い。
むしろ、辞書とは一部の階級だけのものといえるだろう。

また、権威主義のはびこる業界でもあり、
形式的に「誰」が書いたかが注目されたりしてきた。
無遠慮に名前だけを貸した国語学者もいた。

ならば、国が編纂すれば良かったのではという話も出てくるが
それすらも成し遂げることはできなかった。
民間の出版社が編纂した辞書を
ナショナリズムがたまたま利用しかけた程度が実態だ。

つまり、辞書は作る側と使う側には
辞書に対する意識に大きな隔たりがあるということ。
編纂する側は、文明国標準として、米英に負けじと
文化の程度を測るものとしての辞書を編纂しようとするが
使用する側はそんなことはどうでもよい。

もちろん辞書編纂は大変な労力のかかる地道な作業であり
それを生業とされる方への敬意はあまりあるものではある。
しかし、使う側にとっては、正直「字引き」が主目的で、
意味・用法・語釈を熟読するのは二の次ではなかろうか。

自分の場合も、小学校入学の際に
小学生低学年用の辞書が手元にあったかは記憶にないが
最初に買ってもらったのは、
ふんだんにイラストの入った見た目も明るい辞書だった覚えがある。
でも、残念ながら、国語辞書はあまり出番がなかった。
むしろ、読めない漢字を調べる漢和辞典の方が
必要性が高くなったことを覚えている。
そして、英語を学ぶようになって英和辞書へ。
英和辞書はページの見出しの部分が真っ黒になっている。

小学校の国語の授業の時、
ある語句を用いて短文を作成しないさいという
問題がよくあったけれど、
その際に辞書をひいて
意味をきちんと確かめていた記憶もあまりない。

はて、我々にとって、辞書とはいったいなんなのだろう。

みなさんはどんな辞書を使っていますか。
広辞苑? 大辞林? それともGoogle?

私は、次回のメモで紹介しようと思いますが
アレですよ。アレw

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辞書の政治学
安田敏朗
平凡社 2006年





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