2024年は、こちらにもアップします。

2021年12月27日月曜日

読了メモ「文鳥・夢十夜」夏目漱石、「漱石文明論集」三好行雄編




読了。

丁度、漱石先生絡みの本を続けて読み終えていたので
一緒にアップすることにしました。

まずは、短編集の「文鳥・夢十夜」。
実は、夢十夜を題材にした朗読鑑賞会が鎌倉であったので、
本書は、その予習のために手にとったものでした。
鑑賞会当日は、日の高いうちの屋外開催で大変暖かく、
ウッドベースの効果音もあったりで
大層気持ちのよいイベントでした。
ただ、夢十夜そのものは、どちらかというと
しんみりしたり、あるいは怖かったりする話があり
鑑賞会と読んだ印象とはまるで違ったものとなりました。

本書の中では、「文鳥」という作品が好きです。
縁側の陽当たりのよいところに鳥籠がおかれ
文鳥の可愛い足や嘴の細かい様子が繊細に描かれています。
一方で、小鳥は寒さに弱いことや、猫や烏に狙われやしないかと
余計な心配があたまをもたげ、少々じれったくもなりました。

他には、イギリス滞在中の霧のロンドンの話、
漱石先生といえば、胃腸が弱いことで知られていますが、
その病に伏せ苦しみながらもブツブツと不平不満を漏らす話が綴られています。
長編小説ではみられない、
私小説的な面白さが溢れる短編小説集でした。


もう一冊は、講演集です。
面白いのが、全編に渡り、講演の冒頭で
本当は講演を引き受ける気はなかっただの、
やむを得ずここまで来たなどと
まさに胃が痛いような口上を述べています。

多くの講演が収録されていますが、
大正三年の学習院での「私の個人主義」が秀逸でしょう。
教師という職業への疑問、ロンドンで自らの嚢(ふくろ)を
突き破る錐が見つからず、何のために書物を読むのかもわからない。
それで、どうしたかというと、文芸とは一歩離れて
「自己本位」という言葉を立証すべく、科学や哲学の思索に耽ったというのです。
漱石先生はこの自己本位という言葉を得て
大変強くなったと言っています。
霧のロンドンの中で道を見つけることができたと。
若い人に自らの道を積極的に追い求めるよう諭しています。

夏目漱石というと、「エゴ」というキーワードも
一緒に耳にすることがあります。
あまり聞き応えがよくないのですが、
この講演集を読むと、漱石先生の苦しみや
西洋文明に対して自己をいかにして確立したか、
講演ですからまさに肉声が聞こえそうで、
その考え方が手に取るようにわかります。


余談になりますが、漱石先生のお子さんは
茅ヶ崎に住んでおられ、
なんと自分の住まいの近くであったことがわかりました。
これも何かの縁かもしれません。

また、漱石作品を読みたいと思います。

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文鳥・夢十夜
夏目漱石
新潮社 2021年

漱石文明論集
三好行雄編
岩波書店 2019年



2021年12月21日火曜日

読了メモ「海と毒薬」遠藤周作




読了。

恐ろしい話です。
人の生命とは、命の尊厳とは。。。
戦争は本当になにもかも狂わしてしまうのでしょうか。

本書は小説でフィクションなのですが、背筋がぞっとします。
第二次世界大戦末期の日本人とは
どういう人間だったのか。異常者だったのでしょうか。

よく、日本の戦争映画を観たり戦争物を読むと
こんなフレーズを耳にしたことありませんか。

 「生きて虜囚の辱めを受けず」

日本軍人、あるいは民間人においても、
人命軽視の議論のもとにもなった一文。
立場が一転して、米国人捕虜に対して、
日本軍はどのような待遇を施していたのか。

ある病棟で医師は、懸命に一人の結核患者の命を助けようとする。
しかし、患者は助かる術もなく姿を消して行く。
あらゆる手をつくしてもどうにもならない悔しさ虚しさに
打ちひしがれているところへ
秘密裏に捕虜に対する「ある司令」の話がおりてくる。

病院内では安楽死について激しい議論が交わされてもいた。

 「死ぬことが決まっていても、殺す権利は誰にもありませんよ。
 神さまがこわくないのですか。あなたは神さまの罰を信じないのですか」(p113)

医師の複雑な心境を垣間見る描写もあった。

 「病室で誰かが死ぬ。親や兄妹が泣いている。
 ぼくは彼等の前で気の毒そうな表情をする。
 けれども一歩、廊下に出た時、その光景はもう心にはない」(p142)


ある大義名分の下に、多くの人命を救うために
この捕虜たちは「生かされる」として
手術室には、処置をする医師や看護婦長だけでなく、
将校たちが後ろから遠巻きに覗き込んでいたりする。
字面を追うだけで、むっとする場面だ。

もう勘弁してください。
でも、一度は読んでみてほしい。

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海と毒薬
遠藤周作
新潮社 2016年

※下記は講談社文庫でのご案内です。






2021年12月12日日曜日

読了メモ「国家(上・下)」プラトン





読了。

今年の初めにも、プラトンを読んだ。
年の瀬にも読んだということで
今年は、プラトンに始まり、プラトンに終わるか。

本書は、ソクラテスと弟子・友人たちによる
例によっての一問一答形式での弁論で、国家について語っている。

国家という大きな体制や仕組みという
マクロ的な視点は後半に少し出てくるが、
あくまで、市井の人々や、例えば農夫はどう考えるかという
常に目線は庶民の高さにある。

そして、全編を通じて問われているのは、

 「正義」とは何か。

ということ。
立場や職業が違えば、捉え方も違うかもしれない。
ちなみに、
 
 「正義」とは、それぞれのものの使用にあたっては無用、
 不要にあたっては有用なもの、ということになるわけだね(上p39)


と、これだけでは分かりにくい。
長くなるので、詳細は本書にゆずるが、
最初の結論としては、正義について何も我々は知らない
ということに落ち着くようだ。いわゆる「無知の知」であろうか。

最初のうち、友人はソクラテスの言い分や素行が気に入らなく、
反論や憎まれ口をたたくが、ソクラテスはそれを認めた上で
自分の行いや言論が道理にかなっていることを説く。
そして、議論が進むにつれて、相手は素直になり
ソクラテスの話に耳を傾け、真摯に認めて行くようになる。

国家の統治者にあたるのであろう「守護者」という表現が出てくる。
市民を守る人という意味合いが強いと思う。
その守護者になるためにはどうすればよいのか。
守護者は私有財産を一切所有してはならず、隠し住居や宝蔵ももってはならない。
暮らしの糧は、ちょうど一年間の暮らしに過不足のない分だけを受け取ること。

また、男と女は平等でかつ共同で事にあたり、
貧富の差がある子供の平等性についても説いています。
そして、法というものは、国の中の一部の種族だけが
特別に幸福になるということではなく、
また、すべての教育は平等に課せられることだと。
そして、音楽や文芸については、ちょっと長くなるが下記に引用する。

 音楽や文芸による教育は、決定的に重要なのではないか。
 なぜならば、リズムと調べというものは、
 何にもまして魂の内奥へと深くしみこんで行き、
 何にもまして力強く魂をつかむものなのであって、
 人が正しく育てられる場合には、
 気品ある優美さをもたらしてその人を気品ある人間に形づくり、
 そうでない場合には反対の人間にするのだから。(上p241)

最後に国家・国政は、時々刻々変化を遂げて行くが、
国家の病として最悪なものとして
「僭主独裁性」を批判しています。

 けっして、名誉や金銭や権力の誘惑によって
 さらにはまた、詩の誘惑によってそそのかされて、
 正義をはじめその他の徳性をなおざりにするようなことが
 あってはならないのだ。(下p379)

真の哲学者とは、真実を見ることを愛する人としながら
哲学の素質に値する国家は、残念ながら
ギリシア時代ではまだ存在しないという。
未来に期待を寄せているのだろうか。

ちなみにですが、守護者は酒は飲んでも
酔っ払ってはいけないそうです。

大丈夫ですか。現代の守護者のみなさま。
2400年も昔の人からこんなこと言われてますよ。

========================
国家(上・下)
プラトン 藤沢令夫訳
岩波書店 2019年



2021年12月4日土曜日

読了メモ「すべて真夜中の恋人たち」川上未映子




読了。

恋愛小説である。

が、御他聞に漏れずなかなか話が進まない。
というか焦ったい。

主人公は、出版社に務める校閲部の40歳手前の女性。
日々、右から左に流れてくる原稿をチェックする日々が続く。
彼女によれば、あらゆるジャンルの文章をチェックをするのだが、

 どんな場合であっても、
 その文章にのめりこんだり入りこんだりすることは、
 校閲者には禁じられているんです。
 〜中略〜
 ただ、そこに隠れてある間違いを探すことだけに、
 集中しなくちゃいけないんです。(p97)

とても難しい仕事だ。
と、思わず聞き手の男性と同じ質問を自分もしてしまった。
感情を動かしてはいけないということらしい。

主人公は、そんなペースの仕事の自分のままでいいのか、
これまでの生活や、進学、進路などの節目節目にあっても、
自分の気持ちを大きく取り乱すこともなく
コンベアーに乗って流れてきたものを
そのまま受け取ってきたような人生に疑問を感じてくる。

一方、同僚の女性社員は快活で、気分のボラティリティも激しく
そんな主人公を見ているといらいらしてくるようだ。

最後には。。。。。
ネタバレしちゃうので伏せますが、
何も選んでこなかった人生を振り返って
主人公が見上げたところに見つけたものはなんだったと思いますか。

切ない人生観ですが、
もしかしたら、ごくごく普通の人のことなんじゃないか
そんな静かなラブストーリーでした。

=======================
すべて真夜中の恋人たち
川上未映子
講談社 2011年

※下記は文庫本でのご案内です。
 

2021年11月21日日曜日

読了メモ「妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方」暦本純一



読了。

著者の暦本さんは、ソニーの研究者。
東京大学にも自分の研究室を持っていて
ユーザーインターフェイスの研究開発をしている。

皆さんはスマホで写真を拡大して観る際に
二本の指で広げるようにして写真を大きくするでしょう。
ピンチングというあの技術を研究開発した人です。
初代iPhoneが発売されるのが2007年。
この技術を暦本さんが発表したのは2001年とのこと。

スマホの登場を予測せずに、こんな技術を開発したのは
なんともすごいが、その源泉は「妄想」にあるのだという。

 アイデアの源泉は、いつも「自分」だ。
 誰に頼まれたわけでもなく、
 むりやり絞り出したわけでもなく、
 自分の中から勝手に生まれてくるのだ。
 そう、それは「妄想」である。(p5)

また、北大路魯山人の文章を例にあげて
料理と同じく研究開発にも素材が大事であり
具体的な実験や試作の作業に入る前に
論文のあらすじを書いてみて、素材の良し悪しを判断するそうだ。

 ・課題は何か? それは誰にとって必要なものか?
 ・その課題はなぜ難しいのか? あるいはなぜ面白いか?
 ・その課題をどう解決するのか? 〜中略〜
 ・その手法で解決できることをどう立証するか? どう決着をつけるか?
 ・その解決手法のもたらす効果、さらなる発展の可能性。(p73)

料理で言えばレシピみたいなものだろうと、
素材が良いと苦労せずに概要も書けるはずだと言っている。

その他にも、

 ブレストはワークしない。
 多数決ではジャッジできない。
 アイデアには孤独なプロセスが不可欠。
 一回やってみて失敗するくらいがいい。
 そもそも何をしたかったのか。

など、暦本さんの持論が展開される。
特に、失敗は
 
 自分が取り組んでいる課題の構造を明らかにするプロセス(p109)

と言ってその重要性を説いている。
そして

 大事なのはこの「発汗」だ。
 「このアイデアは面白そうだけど、本当にうまくいくだろうか」などと、
 じっと熟考するのではない。
 ダメ元ででもいいのでまず手を動かしてみる。(p116)

これは、エジソンの99%の努力と1%の閃きの裏返しとなっている。


このように、難しい技術用語は使わず、料理や普段の暮らしの一面を
例えにあげながら、わかりやすくアイデアの作り方を解説してくれている。

自分にとっては、暦本さんが学生時代に
よく読んだというSF小説の紹介の章などはわくわくしてしまった。
で、はたまた積読が増えてしまったわけだが。。。
ちなみに、暦本さんの研究室には、
漫画「ドラえもん」が全巻揃っているそうだ。
経理からこれは何?と聞かれて、
研究のための参考図書ですと胸をはって答えたとか。

一番最後にはしっかり警鐘を鳴らしている。
よく言われる「選択と集中」だけでは未来に対応できないと。


久しぶりに自己啓発書系を読んだけれども
しっかり啓発されたように思います。
技術系の方でなくともお勧めの本です。

======================
妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方
暦本純一
祥伝社 2021年


2021年11月13日土曜日

読了メモ「縦横無尽の文章レッスン」村田喜代子



読了。

文章を書くための大学生向け講義をまとめた勉強本です。

良い文章を書くためには、読むことも大切と言われていますが、
その比率はどのくらいでしょうか。
本書によれば、読むことが六、書くことが四だそうです。

まずは、小学生の作文を例にあげて解説していく。
大学生には、まずはこの小学生くらいには書けて欲しいという。
例にあがっているのは、海水浴の作文だが、
とてもシンプルであり、海水浴の楽しい情景が目に浮かんでくる。
が、はたもすると、何時に起きて、お弁当は何で、
どこを車で走って、何時に着いて、誰と会って、
ややもすると、海洋汚染とか海面上昇とか、地球を守らなきゃ。。。。
と頭の中がパンクしそうになってくる。

そう、小学生の作文には字数制限があるのが普通だ。
このブログのようにダラダラと書き連ねていくものではない。
何を書くかということは、何を書かないかということ。

次に学生たちに「二〇〇〇年間で最大の発明は何か」という問いで
作文を書かせる。字数は無制限だ。
提出された作文を一つ一つ取り上げて解説してくれる。
これが自分にとっても大変良い勉強になった。
学生のみなさんどうもありがとう。

例えば、日本人は物事を抽象的に考えるのが苦手のようです。
抽象的な話は理屈であり、
理屈は中身がない空虚なものと思ってしまうそうだ。
しかし、理屈は理論であって、理屈や理論なくしては
ものごとを結論に結びつけることはできない。
もっというと、ストーリーとして筋が通っているとか言うけれど
文章の筋を通すとは、論理的であるということなんです。
理屈っぽいっとか嫌われるけれど、
納得してもらうには大切なことなんです。

そして、文章を書く前には考察が必要。
「文章の作り方」=「物事の考え方」だそうである。
このことを、小説、エッセイ、ノンフィクションなど
さまざまな文章を取り上げて解説してくれている。
偏食があると健康に良くないが、文章を書くためにも
さまざまな分野の文章を読むことが大切だと
自分は背中を押されたようで大変嬉しかった。

最後はこんな一文で講義を締め括っている。

 書いて、指摘を受け、そのたびごとに傷つくのはやめよう。
 文章は自分の充実のために書くもので、
 自分のもう一つの実現のために書くものである。(p219)


本書はずいぶんと以前に買って、
ずっと積読状態になっていた。
もっと早く読んでおけば良かったなと。

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縦横無尽の文章レッスン
村田喜代子
朝日新聞出版 2011年

※下記は文庫版でのご案内です。


2021年11月7日日曜日

読了メモ「僕のトルネード戦記」野茂英雄



読了。

彼より以前、メジャーリーグに
チャレンジした選手はもちろんいた。

しかし、実績、彼個人の応援歌ができるほどの人気、
そしてなんといっても、日本人選手の
メジャーリーグへの道の開拓者としての存在は大きい。

以前より読みたい本だったところ
やっとこさ見つけて読むことができた。

当初、日本野球界やマスコミとの葛藤や摩擦の
裏話が載っているのではと半ば期待してた。
でも、それは前書きの二行足らずで書き終えていた。
そんな野次馬妄想を抱いていた自分が恥ずかしくなった。
本書は、野茂英雄という野球選手の野球への熱い思いを綴った一冊でした。

 僕はひとりの野球人であり、
 野茂英雄という一人の人間に過ぎないんです。(p193)

日本プロ野球界の経験至上主義への反発。
世界の選手と試合ができなくなるとプロ入りを拒否したアマチュア選手の存在。
最初は、協定破り、永久追放とか言いながら、
手のひらを返して、野茂の活躍は日本人に勇気を与えたというマスコミ。
そして、チャレンジ精神を前向きに迎え入れてくれるアメリカの風土。

 スタジアムの視線をすべて独り占めするようなピッチングがしてみたい。
 攻めて攻めて、バッターを牛耳るようなピッチングを。
 クレメンスはそれを実践している。
 だから、見るものを引きずり込む魅力があるんです。(p29)

本書の中では朴訥とした言い方で、
自分の言いたいことをうまく言えないと
苦虫を潰している野茂英雄自身がいて、
読んでいてとても親近感も湧きました。

彼が本書で言いたかったことは、
観客を酔わせる、魅せるピッチャーになること。

 「今日は野茂が投げるから見に行きたい」
 とお客さんに思ってもらえたら、
 これほど嬉しいことはありません。(p197)

彼は、日本人野球選手のメジャーリーグへの道の開拓者と同時に
野球が好きであることと、マウンドで好投することの素晴らしさを
本当に大切にしている選手だったんだと思います。

好い本なので、チャンスがあれば是非。

=======================
僕のトルネード戦記
野茂英雄
集英社 1995年

※下記は文庫版でのご案内です。


2021年10月27日水曜日

読了メモ「希望が死んだ夜に」天祢 涼




読了。

本書は、書店でも平積みされてたし
本屋大賞の何かの賞を取ったので
ご存知の方も多いかな。

まぁ、読んでいて正直辛かったですね。
ミステリーなので、
闇や影がつきまとうのはいたしかたないですけれど
格差とか、貧困問題とか、世間体とか、見栄とか、
親が子に寄せる勝手な思いとかが
二人の女子中学生に絡まってきます。
その結果、一人が死に、一人は自分が殺した!と。

とにかく出てくる大人がみんな酷い。
こんな大人のいる国の子どもたちの未来はどうなるのかと
心が痛くなるほど。
自分も大人ですけどね。

ラストは、そっちに持っていくのかぁという感じ。
謎解きも早いテンポで進むので、ポカンとして読んでいると
アッという間に終わってしまいますよ。

著者は「天祢 涼」で「あまね りょう」と読みます。
珍しく最近のミステリー小説を読んだのですが、
流行りのミステリーやエンタメ系、往年のSF小説も積み始めてしまってます。
余命のあるうちに全部読了できるんだろうか。
できない時は、墓まで持っていこうと思っています。

==================
希望が死んだ夜に
天祢 涼
文藝春秋 2020年



2021年10月14日木曜日

読了メモ「フランケンシュタイン」メアリー・シェリー、「批評理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義」 廣野由美子




読了。

最初は、新書の方を読む予定だったのだが、
ならばいっそのこと、ネタになっている
原作本を読んでしまえと思ったら
見事にずぶっとはまってしまった。

フランケンシュタインは、ご存知の通り
人造人間を作った博士のことであり、怪物の名前ではない。
映画やアニメなどでは、四角い顔でノソノソと歩いてくる、
ものすごい怪力の持ち主ということになっている。

確かに、原作でも怪物は人間を手にかけ、
その事件に絡めて罪もない人が死に追いやられる。
がしかし、読んでいて怖くはないのだ。
ひたすら哀しいとしかいいようがない。
自分の望まざる意思でこの世に生を受け
死体を繋ぎ合わせた醜い巨体は、
怪物自身が見ても恐怖ではあるのだが、
怪物の心はいつも孤独だ。

感動するシーンは、怪物が小屋に隠れて、
板の壁の隙間から、母屋での人間家族の心温まる生活を垣間見たり
子どもたちが勉強をするところを見て、一緒に文学を学ぶところだ。
その結果、怪物はなんと言葉が話せるようにまでなってしまう。
盲目の老人を一人残して家族が出かけたところへ
怪物は降りてきて老人に話しかけ、老人とすっかり打ち解けるが
帰ってきた子どもたちに見つかり、めった打ちにされて追い出されてしまう。
そしてその家族は怪物の存在を恐れ、
あっという間に引っ越してしまうのだ。

このように怪物は常に寂しい気持ちに苛まれている。
そして、自分を愛してくれる友だちを作ってくれと
フランケンシュタイン博士に依頼する。
しかし、博士は。。。。

博士は常に怪物を罵倒し憎悪の念を剥き出しにする。
一方、怪物はなんとか博士にすがりつき自分の生活を
よきものにしたいと懇願するが、叶うことなく、
命をもてあそぶ博士に恨みの念を重ねることになる。

本作は、ロバート・デ・ニーロが怪物役で1994年に映画化もされている。
多少、端折ってはあるものの、原作に近い形ではないかと思う。
もちろん怪物の姿、形は、皆さんがイメージするものとは違う。

繰り返すがホラーではない。読後に切なさを残す物語。
フランケンシュタインの先入観をひっくり返すことになると思う。
一読をお勧めしたい作品である。

新書の方は、もちろん、後から読みました。
合わせて読むと、物語の構成や人称の考え方などの小説の技法や
様々な切り口からの小説の読み方を楽しむことができます。
原作を読んだ直後に、このような批評論を読んだことがなかったので
とても新鮮な感じを受けましたし、文章読解の参考になりました。

======================
フランケンシュタイン
メアリー・シェリー 芦沢 恵訳
新潮社 2020年

批評理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義
廣野由美子
中央公論新社 2020年



2021年10月6日水曜日

読了メモ「利己的な遺伝子」リチャード・ドーキンス




読了。

ちょっと前に話題になった本だよなと思いつつ
表紙や奥付けを見ると、40周年記念版とありました。
中身をみると、1976年が初版。
40周年どころか、もうすぐ50周年にならんとしている。

今年は、ダーウィンの本を読んだりと
勢いづいていたのか、500頁近い本書にもトライしてみました。


まず、序文から叩き込まれます。

 一つの種を他の種より上にみる客観的根拠などは存在しないのだ。(p30)

これは、人間とチンパンジーは進化の歴史を99.5%共有していることを
例に取り上げて諭しているメッセージ。
食物連鎖で底辺と頂点はあるけれど、
異種生命間では上下関係はない。

そして、すべての生物は、生き残って子孫を増やすために
利己的であり、時として利他的でもあるという。
利己的な例として、ペンギンは海に飛び込む際、
天敵のアザラシを恐れて最初に飛び込むことを嫌がるが
誰かが最初に飛び込まなければならない。
そこで、最初に飛び込む一羽を無理やり群れから押し出すのだ。
利他的な例としては、地上営巣性の鳥がそうだ。
キツネなどの天敵が近づいてきた時、親鳥は「擬傷」行為をする。
片方の翼が折れた仕草をして歩き、天敵を自分に引きつけ、
十分に巣から離れて、雛が安全と確認できたら飛び立つ。
明らかに親鳥は自分の命を危険に晒して、雛や卵を守っている。

本書は、このような例をあげて始まるが
面白いアプローチだなと思ったのは、
私たちは、自己複製子である遺伝子の「生存機械」なのであるという定義。
つまり、遺伝子が主人公であって、我々はその遺伝子に動かされている
という見方で話を進めているのが視点を変えていて話がわかりやすかった。
この見方は当初かなりの物議を醸した考え方だったようだ。
猿は樹上で遺伝子を維持する機械であり、
魚は水中で遺伝子を維持する機械であるということ。

ダーウィンは、自然淘汰論を説き、
外部環境の変化に適応できるものが生存できるという説を展開した。
ドーキンスは、進化的に安定な戦略を生物群がとることを説いている。
例えば、ハーレムやサル山などの群れでの順位制がそれで
同種内の社会組織ばかりでなく、
多くの異種からなる生態系やコミュニティにも当てはまる考え方だという。
つまり、遺伝子は、生物単体としての生存だけでなく、
生物群という機能を使ってでも生存競争にも勝ち抜くようになっているのだ。

果たして、人間が作る社会においてはどうか。
福祉国家。これは動物界に現れた利他的システムの最も偉大なものかもしれない。
しかし、残念ながら不安定だという。
それは利己的な個体に濫用されるからだ。

また、子どもは利己主義の塊であるとも。
したがって、我々は、子どもに利他主義を教えなければならない。
子どもの生物学的本性に、利他主義が最初から組み込まれてることを
期待するわけにはいかないからで、
純粋で、私欲のない本当の利他主義の能力を持てるのは
人間の優れた部分の一つとも言われている。
つまり、人間だけが、利己的で自己複製する遺伝子の
専制支配に反逆できるというのだ。


あとがきに、印象的な一文があったので最後に記しておきます。

 実は、本書「利己的な遺伝子」の中心的な主張を撤回する道はないものか
 と、模索しているのである。〜中略〜 抜本的な改訂が不可避なはずだと
 思われるのではないか。(p449)

生命神秘の探究の道は、まだまだ続きそうです。

===================
利己的な遺伝子 40周年記念版
リチャード・ドーキンス
日高俊隆/岸 由二/羽田節子/垂水雄二 訳
紀伊国屋書店 2020年

2021年9月28日火曜日

読了メモ「変身」カフカ



読了。

名作ですね。
主人公のグレーゴルが、ある朝起きてみると
大きな虫になっているというお話。

背中は硬い殻がついているようなので
甲虫なのかなと思うけど
イメージとしてはゴキブリかなぁと。
日本の家庭でよく見るゴキブリは羽があって飛びますが
海外には、羽がなくて背中が硬いゴキブリがいるんですよ。

最初はもちろん、本人も肝を潰すのですけど
実際のところ、焦ってはいるけど意外に平静。
いつも通りに仕事をしたいとか、
人間らしい生活を送りたいと考えているのが可笑しい。
母親や、心配して家までやってきた職場の上司は
グレーゴルを見て怯えているにもかかわらずだ。

その中でも逞しいのが妹のグレーテだった。
母親がグレーゴルの姿を見て気絶しても
兄に、なぜ母親の前に出てくるのかと叱責し、母親を看病する。
なんとも頼しい。
彼女は両親の期待を一身に受け麗しく育っていく。
兄は巨大な虫なのに。

まぁ、未読のイメージだと
なんやら陰湿な物語かと思うのですが
これがなんとも淡々としていて、コメディみたいな感じもする。
完全にメタファーなんですね。
本質的には、本人は何も変わっていないのです。

嫡男たる兄さんはしっかりしないといけないようですな。

ページ数も100頁強ですぐ読めます。
お時間のある時にぜひ。

==========================
変身
カフカ 高橋義孝訳
新潮社 2021年

2021年9月21日火曜日

読了メモ「あひる」 今村夏子



読了。

あひるが描かれている穏やかな装丁に
惑わされてはいけない。
本書は、ちょっと心が騒つく。
人によってはユーモアと感じるかもしれないけど
自分はゾクっと違和感を読後に感じた。

・あひる
・おばあちゃんの家(書き下ろし)
・森の兄妹(書き下ろし)

の三つの短編小説からなっている。

飼い始めたあひるの名前は「のりたま」だ。
たくさんの子どもが、のりたま目当てに庭に来て賑やかになる。
でも、のりたまは病気になって病院へ。
その間は、子どもも来ないので庭はとても静かになる。
のりたまが生まれ変わったようになって帰ってくると
また庭や家が賑やかになる。
しかし、ある日のりたまは死んでしまう。
庭にお墓を作って埋めてあげるのだが、
小さな女の子がきて、不思議なことを聞いてくる。。。。

おばあちゃんは「インキョ」と呼ばれる離れに居る。
そこに洗濯物やご飯を送り届けに行くのは、
みのりちゃんや弟の役目だ。
ある時、弟の診療のため、夜遅くまでおばあちゃんと
みのり二人でお留守番をすることになった。
みのりは、おばあちゃんに嘘をついて夜に出かけてしまうが
竹藪に迷い込み迷子になってしまう。
やっとのことで公衆電話を見つけて家に電話をかける。
電話に出てくれたのは。。。。

仲良し兄妹は、いつしか他人の敷地に入り込んでしまい、
大きなびわの木を見つけてびわを食べていた。
びわの木のそばには、小屋があり
おばあちゃんが住んでいるらしい。
「ぼくちゃん」と呼ばれてそばに行くと
飴やらお菓子やらを、小さな窓から
皺だらけの細い手を出してよこしてくれる。
が、おばあちゃんが誰かと話しているのを
家の人が知ったのか、大きな怒鳴り声で
おばあちゃんを叱る声に兄妹は驚いてしまう。。。。


と、こんな三つのお話です。
もちろん、エンディングはそれぞれまだ続くし、
細かい描写のジワジワくるところや
ハッピーエンドにも読める
読後の漂ってくる空気とかが妙な感じです。

もうお彼岸ですね。
秋になりますが、ちょっとゾワっとするお話もなかなかよいですよ。

====================
あひる
今村夏子
書肆侃侃房 2017年

※文庫本でのご案内です。


2021年9月13日月曜日

読了メモ「ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた」 青山 通



読了。

皆さんはウルトラセブンの最終回を覚えているだろうか。

ウルトラ警備隊のダン隊員が、アンヌ隊員に
自分がウルトラセブンであることを告げるシーンがある。
この場面で、画面は逆光に反転し、
BGMは、一転してクラシックの曲が流れ始める。

本書は、この曲がなんという曲か、作曲者は誰か、
指揮者は誰か、ピアノは誰かを
著者が執拗に追求しつきとめていく物語である。

青山氏もウルトラセブンを観たのは幼少時代で、
子ども心ながら最終回のあのシーンは、
鮮烈な印象だったのでしょう。

ヒーローものは、特に最終回は、
なんとも切ないストーリー展開が常ですが、
ウルトラセブンは子ども向け番組とはいえ、
全話を通じて、大人も十分に楽しめる作品だったのではと思います。

前作のウルトラマンは、怪獣退治の専門家として
ベムラーという怪獣を追って地球にやってきて、
科学特捜隊のハヤタ隊員の体を借りて
幾多の怪獣を退治しました。
一方、ウルトラセブンは、はじめからモロボシ・ダンとして登場。
クール星人を撃退した功績を認められウルトラ警備隊に入隊します。

ウルトラマンと異なりウルトラセブンは、
地球を狙う宇宙人と戦う話が殆どでした。
そこには、宇宙人と地球人との共生というテーマがあった
とは、よく言われているところです。

最後は、皮肉にもダンは自らがM78星雲から来た
宇宙人ウルトラセブンであることを告白し
地球人アンヌのもとを去ることになります。

著者はこの運命的に出会ったクラシック曲を探すことを通じて
クラッシック鑑賞の面白さ、醍醐味を読者に伝えており、
また後半は、ストーリーも秀逸でBGMも効果的だった
ウルトラセブンのお勧め作品を紹介するという
ウルトラセブンへの愛に包まれた一冊となっています。

それでは、その最後のシーンはこちらから。

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ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた
青山 通
新潮社 2020年


2021年9月6日月曜日

読了メモ「リトル・ピープル ピクシー、ブラウニー、精霊たちとその他の妖精」 ポール・ジョンソン



読了。

リトル・ピープルというと、
村上春樹さんの「1Q84」を思い出してしまうのだけれど
こちらは、主にイギリス、アイルランドなどで
語り継がれている精霊や妖精たちのお話です。
なかには、魔女や人魚、グレムリンなども含まれています。

そもそも、妖精自体の存在がわからないのに
妖精を見通す力を持つ人間はある一定数存在し、
その人たちは、心が正しい人というお墨付きまでついてるようです。
ちなみに、妖精の姿を見るには、よい時間帯があるそうで、
1日のうち、日の出、正午、日の入り、真夜中の四つの時間だそうです。
特に、春分の日、夏至、秋分の日、冬至、はよく見られるそうです。

もうすぐ秋分の日ですね。探してみませんか。
日本だと「座敷童」あたりでしょうか。
座敷童がいる家は栄えると言われてますよ。

そんな妖精を家にとどめておくためのルールは、
暖炉を綺麗に保つことだそうです。
そうすることで、彼らは家周りの家事や雑用をよくしてくれるとか。
使わなくなった古い暖炉でも、閉じられた煙突の周りであっても
綺麗にしておかないと、彼らはその家に
とどまることができないのだそうです。
日本だと、囲炉裏とかストーブとかかな。

では、普通一般の市井の人々が
妖精をひとめ見たいと思ったらどうすればいいのでしょう。
それは、みなさんもよくご存知の
クローバーの葉っぱを探すのです。
四葉は、彼らの姿を見ること、
五葉は、彼らの存在についての知識や理解につながり、
六葉は、彼らの秘密を告げられること
を示しているそうです。
自分は、四葉までは見つけたことあるけど、姿は見たことがないなぁ。

ただ、妖精についての気づきは
現世の考え方の延長線上ではなく、全く異なる感情となって
もう一つの世界に気づくことなのだそうです。
想像もしていなかった
新しい世界が目の前に見えてくる。
なんか、夢があっていいですね。

そんな妖精に会ってみたいと思うこの頃です。

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リトル・ピープル ピクシー、ブラウニー、精霊たちとその他の妖精
ポール・ジョンソン 藤田優里子訳
創元社 2010年

2021年8月27日金曜日

読了メモ「ダイナソー・ブルース 恐竜絶滅の謎と科学者たちの戦い」 尾上哲治




読了。

題名からすると、ハリウッド映画のような
派手な展開をイメージしそうだが
地道なサイエンスノンフィクション。

今から6,600万年前の白亜紀末期に
恐竜の大量絶滅があったわけですが、
その原因は、巨大隕石が地球に激突したことに起因するという
天体衝突説が有名です。

だが、それに異議を唱える科学者もいます。
その理由として、白亜紀と次の新生代の境目の地層には
それまであった恐竜の化石が見つからないというのです。
天体衝突と恐竜絶滅は時間的にずれているのでないか
という説が浮上してくるわけです。

境目の地層には、地球上にはない「宇宙塵」が発見されたり
事実、180kmにもおよぶクレーターの後が
メキシコで発見されており、天体衝突があったのは確かなようです。

ただ、天体衝突だけでなく、それ以外の要因はなかったのか、
という科学者たちの論争が繰り広げられていきます。

有力候補にあがったのが、天体衝突と
相前後して起きたインドのデカン高原での
大規模火山噴火活動とそれに伴う気候変動。
硫酸雨が降ったと言われ、
カルシウムの殻を持つ生物のみならず
恐竜の卵なども死滅していったという説がでてきます。
その他にも、プランクトンから始まる食物連鎖が絶たれていく説、
二酸化炭素で地球が充満する説など
いろいろな説が検証されていきます。

恐竜を絶滅に追い込んだ犯人は誰なのかは、
最終的には依然としてはっきりしません。
しかしながら、自説の正しさを証明するべく
各々の科学者たちが執拗に突き詰めていく研究活動や
学会だけでなくサイエンス誌やネイチャー誌などを巻き込んだ
メディア上での駆け引きなどもあって、
面白く、エキサイティングな一冊でした。


地質学や古生物学は気の遠くなるような
ゆっくりとした時間軸上の話なので、
なかなかピンとこないかもしれません。
でも、我々、人類が繁栄しているこの時代も、
長い年月をかけて、いつかは終焉の時が来て、
次の新しい世界が始まるのだと思います。
ゆ〜っくりとその時に向けて
もう地球は動き出しているかもしれませんね。

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ダイナソー・ブルース 恐竜絶滅の謎と科学者たちの戦い
尾上哲治
閑人堂 2020年

2021年8月22日日曜日

読了メモ「罪と罰」ドストエフスキー



読了。

いやはや、読みきれるとは思ってなかった。
というか、そもそも一生のうちに読むんだろうか?
とまで思っていた作品。

ロシア文学は、ツルゲーネフの「初恋」や
トルストイの「イワンのバカ」くらいしか
読んだことがなくて、
いわんやドストエフスキーなんて。
と、今までかなり敬遠していたのですが、
新訳版も出ているし、いっちょトライしてみるかと思い立てば、
あれよあれよと、上・中・下と読み終えていました。

読破に大いに役立ったのは本書についてくる栞で、
栞の両面に主な登場人物と簡単な素性が書かれているのです。
ロシア人の名前は覚えづらいのが最大のネック。

タイトルが「罪と罰」なので当たり前なんですが
これは犯罪小説です。殺人事件がおきます。
でも、探偵とかは出てこなくて謎解きなどは特になく、
主人公や取り巻く人々の思惑、
周囲の視線のしたたかな矛先、
貧富の格差からの蔑み、諦め、偏見、
などが、えげつないくらいに描かれていて、
人ってこんな風になっちゃうんだぁとか
いったい何を狙ってそこまでするんだろうか
という人間の欲の深さを感じながら読んでいました。
それに、警察や検察、国家という権力の
市民への圧力なんかもボディブローで響いてきます。
そんな辛い世間を渡る中でも、
愛する人への想いの尊さに心救われるところもありました。

登場人物の名前が難しいのは、
先にも書いた栞の活用で解決できるし、
新訳版はやっぱり読みやすいと思います。

次は、「カラマーゾフの兄弟」かな。
こちらも、学生時代に何度挫折したことかw

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罪と罰
ドストエフスキー
亀山郁夫訳
光文社 2021年 



2021年8月11日水曜日

読了メモ「日本のいちばん長い日 決定版」 半藤一利



読了。

1945年8月6日に広島、8月9日に長崎へ原爆が投下された。
そして8月15日に終戦をむかえる。
本書は、8月15日正午の天皇陛下の国民に向けた
ポツダム宣言受諾通告放送までの
二十四時間を追い続けたノンフィクション。
1967年には映画になり、2015年にはリメイクもされている。
自分は映画を二作とも観ていたが、原作は今回初めて読んだ。
ちなみに、陸相役は、一作目は三船敏郎、リメイク版は役所広司が演じていた。

日本近現代史については、著者の半藤一利さんの作品が
とても判りやすく読んでいて面白いと思っている。
鬼気迫る状況に迫真するかと思うと、
柔らかい描写で読者にやさしく説いてくれる。
本書では、特に脚注の部分にそれがある。
半藤さんの「昭和史」(平凡社)などもお勧めしたい。

本書の構成は、前日の8月14日火曜日の正午から
一時間ごとに進んでいく形式。
まさに目の前の出来事のように没入して読み込んでしまった。
日本の敗戦は、もはや逃れようもない現実であること、
ポツダム宣言を受諾し無条件降伏しなければ、
更に国民を災禍に追いやること、
などは理解しながらも、これまで国民や多くの部下に
犠牲を強いてきた軍部、特に陸軍の反発は強く、
陸相の国体護持を思う気持ちは熱いほど伝わってくる。
しかし、もはやそれは過去のものなのだ。

皇居を守護すべき近衛部隊が、
籠城クーデターを蜂起するという青年将校の姿には
かつての二・二六事件を想起させるが
こちらもはじめから崩壊することは目に見えていた。

また、随所で天皇陛下自身が
国民や軍部士官に自らが直接語りかけることを望み、
反乱分子の前にさえも臨もうとする姿勢は
日本という国が大きく変わっていくんだという印象を抱く。


今でも、テレビなどで、8月15日正午の放送から
”堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ”
という天皇陛下の肉声を聞くことがあるが、
本書で、初めてその全文を目にすることもできた。

まさに歴史の転換点に接することができたと感動すら覚えた。
歴史書を読むことは、こういうダイナミズムに
接することができるから、人々を惹きつけるのだと思う。

そして、当たり前なことだが、
戦争は二度と繰り返してはならない。
これにつきることを改めて思う。

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日本のいちばん長い日 決定版
半藤一利
文藝春秋 2021年

2021年8月4日水曜日

読了メモ「ジェダイの哲学 フォースの導きで運命を全うせよ」ジャン=クー・ヤーガ

 

読了。

みなさんは、スターウォーズを全作観ましたか。

自分は、Epsode 4、5、6、1、2、3 と観て
そのあとも、観たには観ましたが
あまり印象に残っていません。
やっぱり、4、5、6が一番面白かったかな。

本書は、ちょうど4、5、6を観ていれば
ジェダイの騎士やフォースにまつわる
なるほどと頷く話や、蘊蓄、絵解きをしてくれます。
微妙に1、2、3を批判していたのも面白い。

まぁ、映画の宣伝ブックといえばそれまでですが
なかなかいいことも言ってますよ。
いくつかピックアップしてみます。

まず、一人前のジェダイになることについては、

    この現実は、きみが作り出したものなのだから。
    どんな意識がこの現実を作りだしたのか考えてみるがいい。(p76)

 大切なのは、くもりや偏見のない、真の自分を見つけられるか。 
    他者に刷り込まれた価値観を捨てる覚悟があるかどうかなんだ。(p89)

なかなか、響きますね。自分に自信を持てということか。
自分自身を見つめ直せということなのでしょう。

そして、

    「やる」か「やらぬ」かだ。「やってみるはない」(p96)

これは、Epsode5で、ヨーダが
フォースの修行をしているルークに説く名言ですね。
かなり強いメッセージとして受け止められます。
ナイキ風に言い換えれば、”Just do it !” でしょうか。
これも好きな言葉です。

また、ジェダイが戒めるダークサイドについては、

    きみが与えた喜びが、きみ自身に喜びをもたらすように、
    きみが抱いた恐れは現実の恐れとなってきみの前に現れるだろう。(p109)

    恐れることは恥ずかしいことじゃない。人は誰でも恐れる。
    その感情を否定せず、認めてあげるんだ。そうすれば恐れは解放される。(p135)

この部分は、「恐れ」を「不安」に置き換えてみると
もっと身近に感じることができると思います。
恐れをコントロールできれば、ダークサイドに陥ることはないと。
そのためには、恐れをそこにあるものと認める。
以前に「不安のメカニズム」という本を読みましたが、
その本にも同じような記述がありました。

最後に

    人間が本当に探しているのは、今、この瞬間を生きている実感なのだから(p267)

今を大切にというこですね。

以上、諸々ピックアップしてみましたが、
いかがでしたでしょうか。

もちろん、本書を読んだとしても、フォースを使って
Xウィング戦闘機を沼から引き上げるなんてことはできません。
でも、ちょっとだけなら、フォースの力を感じることは
できるんじゃないかな。

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ジェダイの哲学 フォースの導きで運命を全うせよ
ジャン=クー・ヤーガ
学研プラス 2018年

2021年7月30日金曜日

読了メモ「わたしはこうして執事になった」ロジーナ・ハリソン


読了。

執事の世界。
なんとも自分とは縁がない、遠くて高貴で品が良く、
別な見方では、窮屈な世界を想像します。

本書は、執事の世界を生き抜く五人が語る
それぞれの職業人生です。

読んでまず気がついたのは、
執事になるための敷居は意外と低いということ。
入門したては、最下層の下足人ですが、
本人のやる気と、良き先輩執事、
そして理解あるご主人様に恵まれると、
どんどん昇格していきます。
ある程度出世した執事の業界はとても狭く、
本書に登場する五人にも共通する執事仲間がいたり、
お仕えする貴族や大使館の裏話が飛び交います。

ご主人様が旅行などで屋敷を空けることがあると、
執事たちは、普段できない仕事をこなした後、
思い切り羽を伸ばし、夜遊びにも行くそうですが、
ご主人様がいないと、チップがもらえないというデメリットがあります。
執事を目指す人々は、貧困層から叩き上げでなる人が多く、
実入りについてはかなりシビア。
チップが渋いと、お仕え先を替えることもよくあるようです。

実際、執事の世界は人手不足のようで、
ご主人様の機嫌次第でクビになっても
大執事から目をかけてもらっていれば、
職場復帰は日常的にあったようです。
ヘッドハンティングも珍しくありませんし
お仕え先を替えていくのは立派なキャリアアップです。
一方、職を辞する時は、ご主人様、
特に奥様・ご夫人から給料アップを条件に
”君が必要だ”と慰留されたり、
また、もう高齢だからと引退を申し出ても
”年齢は気の持ちよう”、”きしむ門ほど長持ちする”
などと言われ引き止められることもあるそうです。

そんな執事たちも、自己主張すべき時はしました。
自分たちは奴隷ではない。
命令には従うが、使用人とご主人様たちとは
確立された行動規範に従って、
どちらもルールを破れば罰せられると。

最後に、ある執事がこぼした印象的な言葉がありました。
ちょっと長いですが引用します。
完璧な人間なんてどこにもいないことは、
自分の生き方を顧みるだけでわかる。
英雄も従僕の目にはただの人という言葉があって、
それは確かにその通りだが、
ずっと英雄に仕えつづけていたら退屈でやりきれないに違いない。
主人と使用人のあいだには、理解と信頼があればいいのだし、
分別のある人間ならそれ以上は求めないはずだ。(p290)

かつての大邸宅に仕える時代はもう過去のものになっています。
それでも、本書を読むとイギリス執事の誇り、
使用人人生への気概を感じることができました。

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わたしはこうして執事になった
ロジーナ・ハリソン
新井潤美監修、新井雅代訳
白水社 2016年



2021年7月23日金曜日

読了メモ「ハトはなぜ首を振って歩くのか」藤田祐樹


読了。

完全二足歩行をする動物とは?

もちろん、ヒトです。
ただ、地球上にはもう一種類います。
本書の主役となるトリです。
自分も、読んでそう言われるまで気がつきませんでした。
チンパンジーやカンガルーも二足歩行はしますが
前足を使って歩くことがありますので除外されます。

トリは翼を使って空を飛びますが、歩く時は後ろ足二本だけです。
ダチョウにいたっては、時速70キロ近いスピードで走ります。
街中にいるスズメはホッピングすることが多いですが、
カラスは見事に歩き回る姿をよく見ることができます。

さて、読み進めていくうちに核心部分が迫ってきます。
ハトはなぜ首を振って歩くのか。
実は、首を振って歩いているように見えるだけで
頭は静止しているというのです!!
ちなみに、田舎に帰った時や、小学校のニワトリ小屋で
ニワトリを捕まえた時、ニワトリを前後に動かすと
頭が止まっていたように見えたのを覚えていませんか。
以下、引用します。

 ハトが歩くと、体はおおむね一定の速度前進する。
 体が前進しているのに頭を静止させるためには、
 首を曲げて縮めなければならない。
 首をある程度まで縮めると、
 今度は首を一気に伸ばして頭を前進させる。
 この動作の繰り返しが、歩行時の首振りの実態だったのである。
 (P41)

次に、なぜハトは頭を静止させようとするのかという疑問です。
答えは、景色を目で追っているから。
ハトの目は顔の横についているので
流れる景色を見るためには、頭を一瞬でも静止させる必要があるのです。

本書の命題の主な解答は以上ですが
もちろんこれで、謎が全て解決したわけではありません。
首を動かす代わりに、ヒトと同じく
目玉をキョロキョロさせればよいではないか。
首振りのタイミングと歩行との関係は。
カモやカモメなどはなぜ首振りをしないのか。
足の長いフラミンゴやサギなどは首を振るのか。
トリの祖先である恐竜は首を振って歩いていたのか。
などなど。

ハトがなぜ首を振って歩くのか、
なんと些細で、気にも止めない事象かもしれませんが、
こんなところから科学って発展していくのでしょうね。

=================
ハトはなぜ首を振って歩くのか
藤田祐樹
岩波書店 2015年

2021年7月17日土曜日

読了メモ「ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか 新見南吉の小さな世界」畑中章宏


読了。

「ごん狐」は、小学校4年生くらいの
国語の時間で習ったお話かな。覚えていますか。
自分は、「ごん狐」より「手袋を買いに」の方が
印象に残っています。みなさんはいかがでしょうか。

本書のタイトルを見た時、撃ち殺される???
「はて?そうだったっけ。そもそもどんな話だったけ?」
てな状態でしたから。

ごん狐の著者の新見南吉氏は、「北の賢治、南の南吉」と
宮沢賢治氏と並んで称されることが多いそうで
若くして世を去り、その後に作品が評価されるなど
その生涯に似ている点はありますが、
氏の作風は、素朴さ、切なさが漂い、
ありきたりな村や町を舞台に純朴な主人公が登場します。
宇宙や鉱物を扱い、寓話的な宮沢賢治氏とは対象的です。

タイトルの「ごん狐」、元々は「権狐」だったそうです。
この「権」には、神仏が仮りの姿で現れるという
日本古来の宗教観念が含まれていて、
権狐という名前に信仰や思想の意味合いを持たせていたと
本書では述べられています。
でも、ごん狐はたった一匹で生きる孤独な子狐です。
神仏をオマージュしたとはいえ、寂しい感じは否めません。

また、お話の中では、葬列や念仏を
ごん狐は、お祭りかなと勘違いします。
これは楽しいお祭りを待ち望む
村人の心をごん狐が代弁していたのではないかとも。

そもそも、ごん狐は、普段は村人の目にも映らず、
影の薄い、力の弱い存在です。
でも、その小さくはあっても、その存在を教えたくて
火縄銃で「ズドン!」と撃たれたのではないか。
過去の悪戯や過ちを償うために、
栗や松茸を人間に運んできたことの現実を
命と引き換えにして現したかったのではないかと解説しています。

一方で、ごん狐を撃ち殺してしまった側の人間がいます。
撃った後で、ごん狐の正体に気づくのですが
これがなんとも哀れで、愚かで、浅はかで、
銃口から立ち登る煙が虚しくてなりません。

最期にごん狐は、人間の問いかけにうなずいて
息絶えることになっています。
だったら、もっと他のやり方があったのではないのかと
悔しい思いもするのでした。

===================
ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか
      新見南吉の小さな世界
畑中章宏
晶文社 2013年

2021年7月8日木曜日

読了メモ「東京奇譚集」村上春樹


読了。

村上さんの短編集です。
奇譚集ということは、不思議な話、ちょっと怪しい話というところでしょうか。
村上さんの長編小説は苦手という方も読みやすいと思います。

お話は五つ。
 1)偶然の旅人
 2)ハナレイ・ベイ
 3)どこであれそれが見つかりそうな場所で
 4)日々移動する腎臓のかたちをした石
 5)品川猿

1)は、書店のカフェで偶然出会った女性の運命と、
自分の姉の病気が重なる話。姉の命は助かるが、
カフェの女性の行方は不明。

2)は、サーフィン中に鮫に襲われて死亡した息子のため
ハワイに行く母親。自然の摂理と戦争の犠牲が対比される情景。
そして、謎の片足の日本人サーファー。

3)は、夫が突然蒸発。マンションの下の階に住む
義母のところへ行ったきり帰ってこない。
マンションの階段で住人と交わすも手がかりはなし。

4)は、主人公は小説家で女医の話を書いている。
彼女は腎臓の形をした石を見つけ文鎮がわりに使うが、
昨日に置いた場所とは違った場所に、次の日には石がある。

5)は、自分の名前を忘れてしまう女。学生時代の寮で一緒だった
下級生から預かった名札。自分の名札と一緒にずっと持ったいた。
ところが、それを盗んだ奴がいる。


とまぁ、こんな感じの話が入っています。
不思議なありえない話ばかりなのですが、
どこかで起きていそうな感じもしなくはない
妙な雰囲気が醸し出されています。

いくつものできごとが次々に発生してくるのは
いつもの村上流ですけれど、
ゆる〜く、主人公の感情と絡みついてくる感覚は
なんともいえませんね。

5)の 品川猿 は飛び抜けちゃってますが、
最後にくすっと笑える要素があって
本書の締めにはよい作品だったかな。

村上さんのファンである方も、そうでない方も是非。

=====================
東京奇譚集
村上春樹
新潮社 2005年

※文庫本でのご案内です。

2021年6月30日水曜日

読了メモ「蚕の城 明治近代産業の核」馬場明子



読了。

絹糸と言えば、日本の伝統的な産業の一つというイメージ。
富岡製糸場が世界遺産に登録されたのも記憶に新しいが
この産業の歴史を文字通り紐解いていくと
地道な努力の積み重ねで、
日本の絹産業が培われてきたことがわかる。
ポイントは、「顔」だ。

皆さんは、蚕を見たことがあるだろうか。
自分は小学生の頃、栃木にある親戚の家で
桑の葉を食べる蚕と繭の団地、繭から糸を紡ぎ出す作業を見たことがある。
蚕の成虫は、もちろん蛾だが、飛ぶこともできず、
お腹がぼてっと大きく動きも鈍い。

野生ではどうやって生きているのだろうと思っていたら
蚕は人間が作り出した品種で、いわゆる家畜だと。
豚の猪にあたる虫が、クワコという蛾で
もちろん細身で飛べるし、幼虫も木の枝に擬態するなど逞しい。
クワコは日本にも野生で生息しているが、
日本の蚕の祖先は中国産のクワコらしい。

良質の蚕を作り出すには、メンデルの遺伝の法則に基づき
掛け合わせを続けて、改良種を作りあげていく様が本書では綴られている。
その功労者となった外山亀太郎氏は、蚕の一匹一匹の幼虫の顔を見分けたという。
驚くべき観察眼だが、現在の東大の研究所でも
蚕の幼虫の顔の区別はできますよとあっさりと言われている。
蚕の区別は顔でするのが当たり前なのだ。

そのほんのちょっとした違いを見つけ出し、
良種を掛け合わせて品質の良い蚕を作り出し続けることで
日本の絹産業が成り立ったということだ。

ちなみに、外山亀太郎氏は、我が国最高の学術功労者に贈られる
帝国学士院賞を大正四年に受賞しており、
同年には、野口英世も受賞している。

野口英世は現在の千円札の顔だが、次はもう決まっているので
その次は、外山亀太郎氏でもよいかも。

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蚕の城 明治近代産業の核
馬場明子
未知谷 2015年



2021年6月24日木曜日

読了メモ「若きウェルテルの悩み」ゲーテ


読了。

たまにはこんな古典も読んでおります。
恋愛小説です。

意外と言っては失礼なんですけど
読みやすかったですよ。

話には全て日付が記してあって、
最初、日記かと思ったのですが
どうやらこれは手紙(書簡)だったようです。

婚約者のいるシャルルロッテに恋をしてしまうウェルテル。
叶わぬ恋であることから最後にはピストルで自殺をしてしまいます。
ウェルテルの彼女にかける思いが強烈なのです。
ウェルテルの苦悩もさることながら、
シャルルロッテもウェルテルに好意を寄せつつ、
夫となるアルベルトと共に、大人な対応をするのですが
これがなかなか、ウェルテルとうまく噛み合わない。
ウェルテルの一人相撲だったような気がします。
ここまで、一人の女性に対して
心を寄せ思い慕うウェルテルが可哀想でなりません。
話の聞き役でもあるウィルヘルム君も
気が気ではなかったでしょう。

お話の構成としては、前半は、ウェルテルの書簡なのですが、
後半は、編者から読者へという形で、
第三者がウェルテルの悩みを解き明かし、
仔細を明らかにしてくれます。
こういう形式もあるんだなと面白い構成の小説でした。

古典とはいえ、自分にはとても新鮮。
まだの方は是非。
ページ数もそんなに多くないです。

============================
若きウェルテルの悩み
ゲーテ 高橋義孝訳
新潮社 2019年



2021年6月17日木曜日

読了メモ「人新世の『資本論』」斎藤幸平



読了。

珍しくこんな分野の本を読んでみた。
早々と2021年新書大賞1位を獲っている。

地球温暖化やオゾン層の破壊、環境問題などが言われて久しい。
そして格差社会、ここにきて世界規模の感染症の広まり。
人々が不安になるのもいたしかたない。

これらの地球規模的な危機に対して、
著者はマルクスの資本論を発展的に考察し、
人類が考えるべき経済思想を考察している。

ポイントは、結局、地球は一つしかないということ。
かつての南北問題をグローバルサウスという
ボーダーレスの言葉に置き換えて
外部不経済や環境負荷の転嫁はもはや限界だと。

二酸化炭素の排出についても
当事者である全人類が、
著者の言う帝国主義的生活様式を
根本的に変えていかなければ、
気候変動に立ち向かうことなどできないという。

では、どうするのか。
無限の経済成長を目指す資本主義から脱却するしかない。
供給過剰を是正するというのだ。
経済成長の限界を、民主主義の力で
自ら定めていかなければならないという。
「欲」があり「賢い」人類にとっては難しい命題だ。

人新世は、著者が作った造語である。
地質学的に現在は、新生代第四紀完新世にあたる。
著者は現代を人新世と定義し
地球規模で人類が採るべき道を示唆している。
著者がタイトルの地質年代の造語を付したのは
相当の時間がかかることを意味しているからなのだと思う。

はじめの一歩を踏み出さないと
コンフリクトとの対峙も、
目指すアクションも何も始まらないということか。

========================
人新世の「資本論」
斎藤幸平
集英社 2021年

2021年6月10日木曜日

読了メモ「JR上野駅公園口」柳 美里



読了。

本書は、2020年の全米図書賞(翻訳部門)を受賞しました。
東北弁の会話が、どういう風に訳されたのか気になるところ。

ホームレスの話です。
1963年、東京オリンピックの前年に
福島県、当時の相馬郡から東京に出稼ぎに出てきた森という苗字の男。
実家は貧乏で、税務署から差し押さえの札を家中に貼られるほど。
本書はその男の一生を表した作品です。

土木会社の寮に入った男は、畑を耕すのと同じだと言って
ツルハシとスコップで地面を掘り、リヤカーで土を運び出す。
オリンピック後も各地で開発が進み、
男は仙台支社に行くが、突然の訃報がまいこむ。
将来が楽しみだと嘱望された21歳になる息子が亡くなった。死因は不明。
息子は現在の天皇陛下と同じ日に生まれたので、
名前の一文字をもらって浩一という名前だった。

東京に戻って、日雇いの仕事を始めるが
既に誰かのために稼ぐという必要がなくなっていた。
自分の飲み食いのためだけに
働くほど日雇いの仕事は楽ではない。

結果、男は上野公園で寝食を過ごすホームレスとなり
いつのまにか、70歳近い年齢になってしまう。
天皇陛下が上野公園に来るというときには
「山狩り」といって、ホームレス一掃の特別清掃があり、
荒ぶる若者がホームレスを襲い半殺しにする事件も起きる。
ホームレスの仲間同士でも古雑誌の奪い合いもあれば
コツコツ集めた廃材で作った小屋に招いてくれる者もいたりする。
そして2011年3月11日。
男は帰る場所を完全に失ってしまう。

全体を通して切なくて、読むのが辛くなる。
そんな中で印象的なのは、所々で聞こえてくる
山手線が上野駅に入線してくる時のアナウンスだ。
最後も、黄色い線の内側までお下がりくださいという
アナウンスで締めくくっている。
これは何を暗示しているのか。

本書を読んで、東京上野恩賜公園には、
東京大空襲慰霊碑があること、
また、「恩賜」という言葉の意味も
恥ずかしながら初めて知りました。

まだまだ、自分は知らないことがたくさんあります。

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JR上野駅公園口
柳美里
河出書房新社 2014年

2021年6月4日金曜日

読了メモ「知的な距離感 プライベートエリア・・・・・魔法の効果」前田知洋



読了。

著者は、クロースアップマジシャンの前田知洋さん。
自分はテレビを殆ど観ないせいもあってか
最近、お姿を拝見していませんが、
きっと、観客の間近で見せるマジックを
世界中で披露していらっしゃるでしょう。

本書は、その前田さんがマジックを披露する際、
目と鼻の先にいる観客との距離感について
を基に書かれたものですが、
表紙カバーの裏にも書いてあったのですけれど、

 あと十センチ近づいてみる
       五センチ離れてみる
 それだけで何かが変わるかもしれない

これ、とてもわかる気がします。

タイトルにもあるとおり、
人にはプライベートエリアというものがあり、
そのエリア内に他者が入ってくるか、
逆に、わずかなセンチ単位の距離なのに
なぜそんなに離れているのかと、
その距離によって微妙な心理戦が交わされます。

わざと距離を保ち、知らないふりをする美学というのもあるようです。
これは物理的な距離にとどまらず、会話にも当てはまり、
あえて離れたり、言わないことで冷たく感じるのではなく、
共感し合えることもあるということ。

マジシャンの心構えとして、
目の前の観客との間には、「見えないガラス」があると心に置き
マジックを表現するのがよいという話がありました。
見えないガラスに押し付けるようにして、
カードやコップを見せたりするわけです。
他人とどのように向き合うのかについて
この「見えないガラス」のような存在が
必要なのではないかということです。

逆に、人と険悪なムードになった時に
相手と気まずくなる前に、ほんのわずかだけ距離を修正する
だけで、心が落ち着くこともあるようです。

日常の社会生活における他者との距離感のあり方について
一考させてもらえる面白い本でした。

======================
知的な距離感 プライベートエリア・・・・・魔法の効果
前田知洋
かんき出版 2007年

※本書は絶版のようです。

2021年5月28日金曜日

読了メモ「天体議会」長野まゆみ




読了。

なんの影響か、なにが要因かわからないが、
ちょっとここのところ、幻想的な小説にあたり続けている。

今回も五章からなるSFファンタジー小説。
イラストも著者の長野まゆみさんが描いている。

不思議な小説だ。
宮沢賢治とファイナルファンタジーの世界を
掛け合わせたような世界観とでも表現したらいいだろうか。
銅貨、藍生、水蓮、烏貝、旗幟。。。
出てくる登場人物は、このような奇妙な名前ばかり。
そして、自動人形という謎の美少年。
全員、少年。
女の子は一人も出てこない。

表現や描写も飛んでいる。
例えば、

「アルミニウム青銅の美しい黄金いろをした機体」

「彼の指は白磁でできた人形の指そっくりで、どれも細く、
 透徹るような乳白色をしていた」

ここでは「黄金」を「きん」、「白磁」を「びすく」と
ルビをふって読ませている。

同様に「母」は「バービィ」、「檸檬」は「シトロン」。
移動には、「自動車(ミシュリン)」よりも
「蝶凧(パピイ)」という乗り物を使うという。

とにかく、独特で創造的な冒険の世界にどっぷりと浸ることができるが
没入するには、自分は少々時間がかかった。
それに、どこかBL的な雰囲気が遠くの方でしないでもない。

幻想的な世界に入ってみたい方には
一度、ページをめくってみてはいかがだろうか。

======================
天体議会
長野まゆみ
河出書房新社 1991年

※本書は絶版のようです。



2021年5月21日金曜日

読了メモ「たんぽぽ娘」ロバート・F・ヤング




読了。

奥付には「奇想コレクション」とある。
SFファンタジー短編集、全部で13篇。

装丁の帯には、「ビブリア古書堂の事件手帖」にも登場とあった。
当該の書籍を読んでいないのでなんとも言えないが
映画では見たけれど、本作品が出てきたか記憶は定かではない。

タイトルにもなっている「たんぽぽ娘」は、
SF定番のタイムトラベルのお話。

山小屋に一人で休暇を過ごすことになった
マークが、一人の少女に出会う。
少女といっても21歳なのだが
とても綺麗で健やかで溌剌として
着ている洋服もこの世の生地とは思えない素敵な装いだった。
マークはすっかり彼女の虜になってしまうが、
彼女は、240年後の未来から来たという。

未来の人間が過去のものに触れることは
未来の事象の存在に影響を与えるので禁止されており
時間警察がパトロールしているという話がある一方で、
未来の人間が過去と関わることで、
既にその未来の人間は過去のものになるので
問題はないという議論が未来ではなされているらしい。
ちょっと話がこんがらがりそうになるけれど
落ち着いて読めばわかりますよ。

で、結末は、ドーンと愛の溢れる結末になります。

他にも、宇宙クジラと交流する話や
過去を保存してある部屋のある扉を開ける話、
スターウォーズを彷彿とさせる勇敢な女性を捕まえる宇宙戦争の話など
ファンタジックなSFの世界が広がります。

いずれも読みやすいお話なので
大人だけでなく、SF好きの中学生や高校生だったら
十分に楽しめる一冊だと思います。

===================
たんぽぽ娘
ロバート・F・ヤング 伊藤典夫編
河出書房新社 2013年

※下記は文庫本でのご案内になります。

2021年5月17日月曜日

読了メモ「ドグラ・マグラ」夢野久作



読了。

日本の三大奇書のうちの一冊。
『わけのわからぬ小説。読むと精神に異常をきたす。』と
江戸川乱歩に言わしめた作品です。

いつかは読んでみたいと思っていましたが
いやはや、長かった。
上下二段書きで500ページになる大作です。

一応、探偵小説なるもののようですが、
自分の記憶では、探偵なんて出てきやしません。
文体やら、時間軸の前後関係やら入り乱れてしまって
読み込むほどに本書の四次元の世界に入り込んでいきます。

精神科病棟で隔離されている主人公の
生前からの家系の変異と殺人事件、
隣室にいる泣き叫ぶ絶世の美少女と言われる許嫁、
主治医の精神科教授、またその主治医と対抗する法医学博士、
登場人物はそれほど多くはないのですが、
とにかく、話が過去や現在に大きく揺れて
文調も、はぁ〜スチャラカチャカポコ♪と言う
お囃子調で描かれた博士論文が長く続いたり、
そうかと思えば、淡々と話が進んでいく様は
確かに、気を落ち着かせて読まないと
何が何だかという具合になってしまいます。

さすがに後半は、謎解きが始まり、
ここで、え〜っ!そうなの!!今までの話はなんだったんだ!!!
と驚きを抑えつつページを捲る始末です。

幸い精神がおかしくなることはありませんでしたが
非日常にトリップしたい貴方には、
是非ともトライしていただきたい一冊です。
不要不急な外出自粛のご時世にいかがでしょうか。

最後に裏表紙の注意書きを添えておきます。

『本書を一読後、この奇怪な作品世界に毒されて
 奇行に走られぬよう、読者は充分にご注意いただきたい。』


========================
ドグラ・マグラ
夢野久作
早川書房 2007年第四版

2021年5月9日日曜日

読了メモ「本陣殺人事件」横溝正史



読了。

金田一耕助シリーズといえば、
市川崑監督、金田一役が石坂浩二さんの映画が大好きですが、
本作品は、お二人の映画にはならなかった作品です。
名作という評価の高い作品と聞いていたけど
古谷一行さんが金田一役で映画かテレビでやったかな。

ミステリーなので、内容は詳しくは書きませんが
密室殺人なのですよ。雪なんかも降っちゃったりして。
で、やっぱりというか琴がトリックに使われちゃったりするんです。
現場であるお屋敷の書斎には、世界中の探偵小説がいっぱい揃っているなど
トリックや謎解きの雰囲気を一層盛り上げてくれます。
警察サイドは磯川警部が出てきます。
「悪魔の手毬唄」では、若山富三郎さんが演じてましたね。

本書は、1975年発刊と古いですが
「黒猫亭事件」という話との二本立てです。
こっちは、顔のない屍体がテーマになっています。
加害者と被害者が入れ違いになってしまうというやつですね。
おっと、こちらもここまでにしておきましょう。

本作品は、丁度、獄門島事件の直後という設定になっていて、
金田一さんも、あの忌まわしい事件を解決したということで
結構、名前が売れているという設定も面白いです。

横溝正史さんの作品は、それこそたくさんあって
まだまだ読んでいないのがたくさんあります。
今年は、ミステリーものも読んでいこうかな。

========================
本陣殺人事件
横溝正史
東京文芸社 1975年

※上記の書籍は絶版のため、
下記のご案内は文庫本になります。

2021年5月2日日曜日

読了メモ「水の巡礼」田口ランディ 森 豊/写真


読了。

田口ランディさんの本は何冊か読んでますが、
本書は、どちらかというとスピリチュアルな分野のお話です。
森 豊さんの幻想的な写真を交えて、
水と魂のつながり、芸能と水の関係などが綴られます。

ランディさんの人生にとっての
ターニングポイントは屋久島でした。
以前、ランディさんが書かれた屋久島の本も読みました
屋久島に出会って作家になったと仰っているほどです。
屋久島はひと月に三十五日も雨が降る
と言われるくらい多量の水を抱える島です。
透明な水とエメラルドの苔。
空気を吸うと肺が浄化され、雨が降ると森が歌うんだそうです。

そして、その水と魂は似ているのだそうです。
ランディさんは広島に訪れた時、
市内ではなく、山に登ったそうです。
平和公園は暑くて、魂はいない、
神様を象徴するものが市内にはないそうです。
山にあるお寺のそばには清水や滝があって、
魂が休まるホッとするところのようです。

ハワイ原住民の伝説のサーファーによれば、
世界は海によって結ばれた水の中の島々なのですと。
水は世界をつなぐものでもあるようです。

お話は10個あって、その中では
 熊本 水と共鳴する魂
 鹿島神宮と要石の謎
の話が好きかな。

=======================
水の巡礼
田口ランディ 森 豊/写真
角川書店 2006年

2021年4月25日日曜日

読了メモ「洋食屋から歩いて5分」片岡義男


読了。

書き下ろしもあれば、
雑誌掲載されていたものもある、
片岡義男さんのエッセイ集。
なので、長さもばらばら。
短いお話もあれば、十数ページになるものも。

特に、前半はコーヒーの話が多い。
冬のコーヒーの暖かさ、
一口目の時のコーヒーの香り、
小さな非日常体験をさせてくれるコーヒー、
神保町でのコーヒーのハシゴ。
いずれも、片岡さんの小説に少なからず
携わっているコーヒーたちのお話。

料理のお話も。
料理本のレシピの一行を並べてみると
詩ができると書いてあったけど本当かな。
幕内弁当の栗きんとんと蒲鉾の置かれ方の蘊蓄が、
小説のタイトルになったこともあったとか。
そして、居酒屋には、なぜにこうもメニューが多いのか。
そういえば不思議ですね。

子どもの頃に、初めて素麺や雲呑を食べた時の感動。
食すものの味のベースが全て醤油であるとの気づき。
廃業することになった行きつけの食堂から、
湯麺の店頭展示サンプルを値札ごともらった時の嬉しさ。
真夏、喉がカラカラの時に飲むコップ一杯の水。

どのお話も、街での喫茶店での思い出話や
美味しそうなメニュー、ちょっとした出来事のお話で
とても穏やかな時間を過ごすことができる一冊です。

お時間のある時にぜひ。

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洋食屋から歩いて5分
片岡義男
東京書籍 2012年

2021年4月20日火曜日

読了メモ「ステラと未来」種田陽平・野山 伸


読了。

久しぶりに児童向け図書。SFでもあります。

児童図書とはいっても、内容はどことなく切なく、
新しい未来性もあるけれど、寂しさもある。

主な登場人物は、女の子と男の子。
二人は、別々に育てられ、
ある場所で出会うことになるけれど、
そこには、二人しかいない。

ちょっと話の時間を戻しますが、
二人とも親がいることはいるが、
女の子にはママ型のロボット
男の子にはパパ型のロボットがいて、
ある年齢に達すると
親ロボットの元を離れて旅立たなければならない。

子どもが自ら旅立つことを祝う親ロボットは
自分の体の中から「球体」状の物体を抜き取り子どもに授ける。
その物体が二人を導く行き着く先には、
二人の名付け親が待っている。
この親はロボットではないようですが、普通の人間とも違う感じ。

名付け親によれば、
自分の過去を知りたければ教えてあげる、
他にも同じような仲間がどこかにいるとも言う。
そして、まもなく自分は死を迎えることを二人に告げる。

最後は。。。。。。


とても不思議なお話です。

大人になってから読むと
こんなお話を子どもに聞かせてわかるのかな、
良いのかななんて思っちゃうけれど、
多感な子どもたちは
いろんな想いを浮かべて
このお話を聞くことでしょう。

表紙のステラの潤んだ顔が全てを語っているような気がしてなりません。
そう、女の子の名前がステラちゃん、男の子が未来くんです。

====================
ステラと未来
種田陽平・野山 伸
講談社 2015年 

2021年4月13日火曜日

読了メモ「種の起源」上・下 チャールズ・ダーウィン



読了。

皆さんもよくご存知の本じゃないでしょうか。
世界史でも習いましたね。

自分は子どもの頃から生物が好きで、進化などに興味があったので
世界中を探検して、進化論を世に説くチャールズ・ダーウィンに
とっても憧れていて、尊敬してました。
そういう子どもだったんです。

でも、学生時代、種の起源を読むのを何回挫折したことか。
岩波文庫の上下巻を揃えて、何度か挑んだのですが
その都度、途中で読まなくなってしまうのでした。
そんなこんなで幾星霜。
光文社から新訳版が出ているのを知って
今度こそはと再チャレンジして
この度、読破することができました。

ダーウィンといえば、ガラパゴス諸島や進化論などの
キーワードが浮かびますが、本書には
ガラパゴス諸島がでてくるのは、2度か3度程度で
有名なゾウガメのことなんかは一度も出てきません。
また、ダーウィンは、単に進化を説いているのではなく
個々の生物は、利益によってのみ、その利益のためにのみ作用するという
「自然淘汰」いう自説を何度も何度も何度も繰り返しています。
ただ、その自然淘汰はほんの少しづつしか前進せず、
その途中段階の地質学的証拠が殆ど見つかっていないという
自説の論拠の弱点を明らかにしつつも
その点をリカバリーする議論を展開し、
当時、宗教的にも席巻していた
創造主論を徹底して論破していきます。

また、生物の地理的分布の広がりについては
大陸移動説よりも、氷河期における生物自身の移動が多いこと
物理的環境よりも、生物間同士の関係性によって、
異なる地域で、類似した習性を持つ種類が存在することなど
壮大かつ繊細なスケールな話もありました。

意外だったのはダーウィン一人だけでなく
数多くの科学者やナチュラリストが
自然淘汰論をサポートするような
理論展開や実験観察を行っていることも知ることができました。

とにかく、ダーウィンの「熱意」をまざまざと
見せつけられる本でした。
子どもの頃から好きだった憧れの本書を読了することができて
本当によかったです。

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種の起源 上・下
チャールズ・ダーウィン 渡辺政隆訳
光文社 2020年


2021年3月31日水曜日

読了メモ「死体の解釈学 埋葬に脅える都市空間」原 克



読了。

タイトルはちょっと怖いのだが、
社会科学でもあり、これからの都市のあり方を
考えるにあたって避けては通れないテーマだと思う。

要は、「埋葬」の話です。
人間の死に対する価値観について
と置き換えてもいいかもしれない。

話は、18世紀のベルリンから始まる。
当時の国王からいきなり市民に対して
次のような命令が下された。
 
 教会の敷地内をこれ以上墓地として使用してはならない。
 今後は、遺体を市域外の地区に埋葬しなければならない。

というような趣旨のものだった。

当時、ベルリンは市の外側を城壁が取り囲む形。
お察しの通り、城壁内の使える土地がなくなってきてしまったのだ。
そこで、墓地として使っている土地を召し上げ
新たな都市建設に充てようとした。
もちろん、外壁を取り崩して拡充すればよい
という向きもあるが、
いたちごっこになってしまうのは目に見えている。

当時から、葬儀の際は棺を担ぎ上げた葬列が
市内を巡る習慣があり、
終点地の埋葬地が、市街の外、
さらに距離がある場所となると
今まで通りとはいかなくなる。
棺の担ぎ手もいなくなってしまうのだ。
信者の宗教離れという笑えない話になってくる。

一方、パリでは、公衆衛生の観点から
市街地での埋葬での是非が議論されていた。

この他、仮死状態と真の死の判別についての経緯では
実際に埋葬した家族が生きて帰って来たという
話が掲載されていたりする。

日本は、ほぼ火葬で、小さな骨壷を家族単位で埋葬する
という極めてコンパクトな形が主流。
最近では、海や山に散骨する自然葬が話題になることもある。
が、いずれにしても都市開発において
埋葬という行為は避けて通れない問題であり、
将来は宇宙葬なんてのもありなのかなと思ってしまうのでした。

=========================
死体の解釈学 埋葬に脅える都市空間
原 克
廣済堂出版 2001年

2021年3月21日日曜日

読了メモ「隠された悲鳴」ユニティ・ダウ



読了。

ミステリー・・・・・
といいたいところですが、謎解きは殆どありません。

作者は、ボツワナの現職の外務国際協力大臣。
テーマは、「儀礼殺人」。

本書の定義によると、

 ある儀式にのっとって
 人体の一部を得るために
 行われる殺人。

とあります。

冒頭、儀礼殺人のために生贄とする少女を探し求めている
犯人が登場します。犯人Gpは3名。
いずれも、社会的地位や実権を掌握している人物です。


ある村の少女が行方不明になるのですが、
警察は、野生のライオンに襲われたものとして
事件を終わらせてしまいます。
それから5年後、国際貢献活動に意欲を注ぐ
若い女性が、ボツワナの奥深い田舎の診療所にきて
とんでもない「証拠」を発見します。
タイトルにある「隠された悲鳴」に相当するものです。

そこから、5年前の事件についての
掘り返しが始まります。
警察をはじめ高級官僚ら数名が首を揃えて
大きな会議室の一角で
真相を追求、いや暴露し始めます。

村人の怒りは頂点に達しており、
当時、なぜ警察は嘘の捜査をして事件の幕を下ろしたのか。
犯人はライオンのはずがない。
「証拠」が物語っているではないか。

真相を開示するページでは、
思わず目を背けたくなるシーンです。
人権問題とも言えるこの事件は
呪術、因習、抑圧、貧困、隠蔽、秘密が幾重にも重なって
一人の少女の命とその惨い扱いを覆い隠しているのです。

遠い昔の話ではありません。
実際にあった事件をもとに
一国の現職の大臣が綴った話です。
今でも現存する犯罪と思うとやりきれません。
現実にはしっかりと目を向けていきたいと思います。


====================
隠された悲鳴
ユニティ・ダウ 三辺律子訳
英治出版 2019年





2021年3月15日月曜日

読了メモ「上を向いて話そう」 桝井論平




読了。

久米宏さんの動画サイトで紹介された本。
とは言っても初版は2016年なので、新刊というわけではない。

自分は残念ながら、論平さんの
パックインミュージックは、殆ど聴いたことがないのだけれど、
本書の中に、小島一慶、松宮一彦、
大澤悠里、生島ヒロシが並んでる写真を見ると、
昔、なんだかんだで、よくラジオを聞いてたなぁ
なんて思ってしまうのでした。

話術について書かれてる。
人とコミュニケーションをするにあたって
当たり前だけど、「話す」ということがいかに大切か。
どんどん話した方がいいよ。君の声が聞きたいよ。
とまで言ってくれて、まるでラジオを聞いているよう。

日本語の難しさについて、敬語はもちろん
鼻濁音や母音の無声化など、
ちょっと専門的な話も出てきますが、
論平さんの調子で
わかりやすく解説してくれています。
アクセントのくだりは、
思わず声を出して読んで、
違いを確認したりもしました。

後半には、既に終了してしまっている番組ですが、
TBSラジオで放送されていた
久米さんの「ラジオなんですけど」に
出演された際の、トークが掲載されたりしていて、
久米さんと論平さんとの軽妙なやりとりを
楽しむことができます。


本書と話は少しずれますが、
久米さんの動画サイトでは、時々、本が紹介されます。
面白そうな本ばかりなので、
チェックしておいて、また読んでみようと思います。

===========================
上を向いて話そう
桝井論平
ほんの木 2016年



2021年3月5日金曜日

読了メモ「坊っちゃん」夏目漱石




読了。

"親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。"

で、はじまるお馴染みの小説です。
何年ぶりに読んだのかなぁ。
おそらく中学生の頃に読んだその時以来だと思うので
かれこれ、四十年ぶりかなw

そこで、皆さんも読んだことがあると思いますので問題です!
下記の登場人物について、坊っちゃんがつけた
渾名を当ててみてください。
さて、何人言い当てることができるかな。。。。

 校長:
 教頭(文士):
 数学主任:
 英語:
 画学:
 遠山のお嬢さん:

あと、坊っちゃんが慕っていたお清という下女がいましたね。

もう中学生の頃に読んだ時の印象は忘れてしまったけれど
今になって再読しても、想定通りに痛快ですね。
べらんめえ調で捲し立ててくるので
すっかり江戸落語を聞いてるような錯覚に陥ります。
テンポもよいし、すいすいとページが進みます。

また、四国は愛媛の「ぞなもし」という方言が
何度も出てきて、短気な坊っちゃんとのやりとりが
可笑しくてたまらないです。
でも、そのうち「ぞなもし」という方言にも
読んでる方も慣れてきたのか、
とても優しい雰囲気につつまれる感じになります。

そんな中で、月給をあげてくれるという話を
坊っちゃんが断るというところで、下宿のお婆ちゃんが
そんなことを言っちゃいかん云々と諭す場面があるのです。
ここがですね〜、昔の自分とちょっと重なる記憶があって、
なんかとても印象深い場面なのですよ。
ふんふん、自分も若かったなぁ〜なんてね。

表紙のモデルは大島優子さんですが、
自分の描く坊っちゃんの作品イメージとは
ちょっと違うかな。


=======================
坊っちゃん
夏目漱石
ぶんか社 2009年


2021年2月28日日曜日

読了メモ「<私>はなぜカウンセリングを受けたのか 『いい人、やめた!』母と娘の挑戦」東ちづる・長谷川博一




読了。

冒頭、著者である東ちづるさんのカミングアウトから始まります。
ご本人曰く、自分はAC(adult children)なのだと。

本書の定義によると

【アダルト・チルドレン adult children】
    幼少期から過度の責任を負わされ、
    子どもらしい幼少期を味わえなかったことにより、
    精神的不安定な対人関係の問題を引き起こしやすい性格が
    形成された人のことをいう。

表面の字面からは、「大人びた子ども」なんて、
短絡的に勘違いしそうですけれど
深刻な辛い疾患なんだとこの定義を読むだけでもわかります。

本書の構成としては、東さんご本人と東さんのお母さん
そして、臨床心理士の長谷川博一先生によるカウンセリングの模様、
その合間に、東さんのエッセイが織り込まれています。

カウンセリングは12回実施されて、うち9回分が掲載されてます。
最初は東さんと先生の二人だけ、そのうちお母さんも交えた
3者でのカウンセリングが始まります。

長谷川先生は細かいところを一つ一つ聞いて
解きほぐしていってくださるのがよくわかるのですが、
自分からすると、母親を交えたカウンセリングをする、
もうそれだけで、半分以上、
ACを克服できたんじゃないかと思うくらいです。

タイトルにもなっている「いい人」。
これって、「他人にとってのいい人」なんですよね。
それじゃ、自分はどうなの、自分はどうしたいの、
って問われると答えが見つからない。
自分が何かをしようとしても
あの人に負担をかけてしまう、迷惑をかけてしまう、
という考えが、ついよぎってしまう。
子どものころは、xxちゃんは偉いね〜
といつも言われ続けてきた。
これ以外にも、東さんを取り巻く環境、
生まれ育った場所、お母さんのこと、お父さんのこと、仕事のこと、
彼女が心を悩ませていることが赤裸々に綴られています。

自分とは何か、家族とは何か、
これまで何度か思いをめぐらし考えたことのあるテーマですけれど
またここで改めて考える機会をもらいました。

読書って、こういうことがあるからやめられません。

=======================
<私>はなぜカウンセリングを受けたのか
    『いい人、やめた!』母と娘の挑戦
東ちづる・長谷川博一
マガジンハウス 2002年