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2021年6月30日水曜日

読了メモ「蚕の城 明治近代産業の核」馬場明子



読了。

絹糸と言えば、日本の伝統的な産業の一つというイメージ。
富岡製糸場が世界遺産に登録されたのも記憶に新しいが
この産業の歴史を文字通り紐解いていくと
地道な努力の積み重ねで、
日本の絹産業が培われてきたことがわかる。
ポイントは、「顔」だ。

皆さんは、蚕を見たことがあるだろうか。
自分は小学生の頃、栃木にある親戚の家で
桑の葉を食べる蚕と繭の団地、繭から糸を紡ぎ出す作業を見たことがある。
蚕の成虫は、もちろん蛾だが、飛ぶこともできず、
お腹がぼてっと大きく動きも鈍い。

野生ではどうやって生きているのだろうと思っていたら
蚕は人間が作り出した品種で、いわゆる家畜だと。
豚の猪にあたる虫が、クワコという蛾で
もちろん細身で飛べるし、幼虫も木の枝に擬態するなど逞しい。
クワコは日本にも野生で生息しているが、
日本の蚕の祖先は中国産のクワコらしい。

良質の蚕を作り出すには、メンデルの遺伝の法則に基づき
掛け合わせを続けて、改良種を作りあげていく様が本書では綴られている。
その功労者となった外山亀太郎氏は、蚕の一匹一匹の幼虫の顔を見分けたという。
驚くべき観察眼だが、現在の東大の研究所でも
蚕の幼虫の顔の区別はできますよとあっさりと言われている。
蚕の区別は顔でするのが当たり前なのだ。

そのほんのちょっとした違いを見つけ出し、
良種を掛け合わせて品質の良い蚕を作り出し続けることで
日本の絹産業が成り立ったということだ。

ちなみに、外山亀太郎氏は、我が国最高の学術功労者に贈られる
帝国学士院賞を大正四年に受賞しており、
同年には、野口英世も受賞している。

野口英世は現在の千円札の顔だが、次はもう決まっているので
その次は、外山亀太郎氏でもよいかも。

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蚕の城 明治近代産業の核
馬場明子
未知谷 2015年



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