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2021年1月11日月曜日

読了メモ「さよなら、ニッポン ニッポンの小説2」高橋源一郎



松もとれてしまいましたが、あけましておめでとうございます。
2021年もよろしくお願いいたします。
引き続きたくさんの本を読んでいきたいと思っております。

さっそくですが今年の一冊目です。


読了。

高橋源一郎さんの文学評論です。
雑誌「文學界」に二年間ほど連載されたものです。

今回の特徴は「全文引用」です。
そんなことしたら、ページがいくつあっても足らんがな。
ですが、まぁそれは大人の冗談として、
でも、長い「引用」が随所になされているのは確かです。

小説は、特に冒頭、プロローグの部分。
源一郎さんは、この冒頭部分で
どんな小説か、察することができるそうです。
読者である我々にもわかると言っているんですけど。。。

源一郎さんは「書く」ことが仕事ですが、
その前に「読む」という作業がある。
読む「言葉」が同じだからこそ意味が通じるので
そうでなかったら話にならない。
しかし、必ずしもそうではないことに、
ある日、突然気がつくのだそうです。

つまり読むことと、その意味を理解することは別物であると。
ん〜ん、これわかります?
どこか別の本でも似た話があったのを記憶してるけれど。
そして、その読みを起点にして、
自分は外の世界へ旅立とうとするのだそうです。

また、文章には一定の速度があり、考える時にも速度がある
それはなぜか。という問い。
これに対しては、文章をカメラにたとえて
カメラと同じ速度で動いているからではないかと
これを三島由紀夫や志賀直哉、島崎藤村などの文章を
引用しながら解説してくれるのですが
まさに目から鱗の感覚でした。

その他にも、詩と小説の違いや
主体性について宗教的観点からの検証、
オタクの誕生、ポルノグラフィーと規則、
靖国の映画撮影時にカメラをくるっと反転させたら喋る人がいるか、
最後は、家族を解散することってできるのか。
「さよなら、ニッポン」というタイトルは
この家族解散の世相の話から浮き上がってきています。

いろいろなテーマでたくさんの作家の文章が
引用されています。
もちろん最後には引用文献リストもあります。

なかなか、読み応えありますよ。全537ページでした。

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さよなら、ニッポン ニッポンの小説2
高橋源一郎
文藝春秋 2011年



2020年5月30日土曜日

読了メモ「もっとも危険な読書」 高橋源一郎



読了。

週刊朝日に連載されていた
「退屈な読書」という高橋さんの書評を
130本近く編纂したもの。
1本がきっちり本書の3ページ分。

退屈な読書もたくさん集まると
危険な読書になるのかしら。
でも、とっても面白かったですよ。

もちろん、知らない本がたくさん出てきたけれど
読み進めるにつれて高橋さんの筆(口調)も好調に滑りだしてくるし。
自分の積読本や読了本が出てきたりした時は勝手に舞い上がれるし。


老人の主張と題した赤瀬川原平さんのポーンと忘れてしまう話や
武者小路実篤さんの人間として前進と後退を繰り返してしまう話は
思わず吹き出してしまいました。
そうそう、エンタテインメントと純文学の違いってなんだかわかります?
考えてみてください。
ヒントは、ある役柄の登場人物がでてくるかこないかだそうです。


一方で、評論家の文章は、
素人向けにこそ明晰な論理と傍証、
すぐれた表現力と構成力が必要になると
司馬遼太郎さんは話されていたそうです。
同じ分野の仲間に向かって話すには
ほとんどの言語量は不要になるとまで。
蓋し名言ですね。

また、高橋さん自身も
自分の書くものが多くの読者にとって開かれたものでありたいと思いつつ、
実はどこかにいる「たったひとりの読者」に向かって
書いているのではないか、そうあるべきなのではないか、
という自問から逃れられないでいるんだそうです。


さて、自分はこのブログをどういうスタンスで書いているんだろうか........
単なる備忘録だな。

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もっとも危険な読書
高橋源一郎
朝日新聞社 2001年