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2021年7月17日土曜日

読了メモ「ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか 新見南吉の小さな世界」畑中章宏


読了。

「ごん狐」は、小学校4年生くらいの
国語の時間で習ったお話かな。覚えていますか。
自分は、「ごん狐」より「手袋を買いに」の方が
印象に残っています。みなさんはいかがでしょうか。

本書のタイトルを見た時、撃ち殺される???
「はて?そうだったっけ。そもそもどんな話だったけ?」
てな状態でしたから。

ごん狐の著者の新見南吉氏は、「北の賢治、南の南吉」と
宮沢賢治氏と並んで称されることが多いそうで
若くして世を去り、その後に作品が評価されるなど
その生涯に似ている点はありますが、
氏の作風は、素朴さ、切なさが漂い、
ありきたりな村や町を舞台に純朴な主人公が登場します。
宇宙や鉱物を扱い、寓話的な宮沢賢治氏とは対象的です。

タイトルの「ごん狐」、元々は「権狐」だったそうです。
この「権」には、神仏が仮りの姿で現れるという
日本古来の宗教観念が含まれていて、
権狐という名前に信仰や思想の意味合いを持たせていたと
本書では述べられています。
でも、ごん狐はたった一匹で生きる孤独な子狐です。
神仏をオマージュしたとはいえ、寂しい感じは否めません。

また、お話の中では、葬列や念仏を
ごん狐は、お祭りかなと勘違いします。
これは楽しいお祭りを待ち望む
村人の心をごん狐が代弁していたのではないかとも。

そもそも、ごん狐は、普段は村人の目にも映らず、
影の薄い、力の弱い存在です。
でも、その小さくはあっても、その存在を教えたくて
火縄銃で「ズドン!」と撃たれたのではないか。
過去の悪戯や過ちを償うために、
栗や松茸を人間に運んできたことの現実を
命と引き換えにして現したかったのではないかと解説しています。

一方で、ごん狐を撃ち殺してしまった側の人間がいます。
撃った後で、ごん狐の正体に気づくのですが
これがなんとも哀れで、愚かで、浅はかで、
銃口から立ち登る煙が虚しくてなりません。

最期にごん狐は、人間の問いかけにうなずいて
息絶えることになっています。
だったら、もっと他のやり方があったのではないのかと
悔しい思いもするのでした。

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ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか
      新見南吉の小さな世界
畑中章宏
晶文社 2013年

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