もともと、体が丈夫な方ではなく、
難病をかかえてはいましたが、
過去に脳梗塞、心臓バイパス手術を乗り越え
その都度カムバックしてきました。
しかし、今回はかないませんでした。
自分や弟には
気持ちを大きく持てとか、大志を抱けとか
いつもハッパをかけていました。
それは最後の3ヶ月間の入院生活でも
全くブレていませんでした。
その最後の闘病にあたっては、
病院の医師団の意見も分かれていて、
手術をするもしないも剣ヶ峰という状況でした。
手術をするなら今しかない、時期を伸ばせば手遅れになるだけ。
いや、手術に耐えられる体ではない、
手術をしても二度と目を覚まさないリスクが極めて高いと。
家族としては、自宅に帰りたいという本人の気持ちに応えたい、
そのためにあらゆる手段を施したいと手術決行の意思を病院に伝え
結果として、その時の手術は成功しました。
自らの生死の境をさまよいながらも、
父はまた何かを自分たちに教えてくれたのだと思います。
手術後は、予断は許さないものの
顔色も少しよくなり比較的落ち着いていました。
顔色も少しよくなり比較的落ち着いていました。
それがかえって気持ちを高ぶらせたのか
医師や看護士の言うことを守らずに、自ら起こした転倒による骨折で
寝返りすらうつことができなくなり病状は悪化。
食事を摂ることもできなくなり、母に看取られて息を引き取りました。
頑固で我儘なところのある父は、母にだけは甘えていました。
時には母を困らせたり、怒らせたり、
最期まで母を頼りにしていました。
そんな二人の姿をみて育った自分や弟は
二人の子どもで本当によかったと思っています。
葬儀で遺族代表として挨拶をした時、涙はでませんでしたが
前日か前々日に、この挨拶の言葉を考えながら
東横線の車中だというのにポロポロと涙をこぼしていました。
久しぶりに、泣き虫な自分に出会ったのでした。
父が逝ってから、ずいぶんと時間が過ぎ去ってしまった気がします。
やらねばならないことなどもまだまだあります。
やらねばならないことなどもまだまだあります。
残った母と弟と一緒にしっかり考えていきたいと思います。