2024年9月18日水曜日

読了メモ「地球生命圏 ガイアの科学」 J.ラヴロック 著 星川 淳 訳

 



読了。


地球全体を一つの生命体ととらえて環境問題を論じている。著者のラヴロック氏はNASA宇宙計画の共同研究者として火星の生命探査計画に参加したのをきっかけに本書を書き上げた。


地球の生物・大気・海洋・地表は、単一の有機体とみなせる複雑なシステムであり、生命にふさわしい場所として保つ能力を地球はそなえているという仮説からスタートする。人類や他の生命は、この地球を快適な住み家として維持する力をもった巨大な生き物の部分であり、お互いがパートナーであるという見方だ。


生命が地球に生まれる前、地球はどんな状態だったのか。隣の火星と金星に生命がないのに、なぜ地球は生命を生み育てることができたのか。生命が誕生してから35億年、ほんの短期間でも生命にとって100%不向きな時期はなかったし、海洋が全て凍ったり沸騰したりしたことはなかった。氷河期の寒波も北緯45度以北と南緯45度以南の地帯を襲っただけで、地表の70%はその氷河に覆われた地帯に入っていなかったという。


地球が、生命にとって最適な環境を提供しているかについての論証は、大気組成そして海へと展開する。その海での問いは象徴的だ。


 「海はなぜもっと塩辛くならないのか」(p169)


それは、海洋の塩分が生物学的なコントロールをうけてきたから。地球という巨大な生命圏のなかで長い年月の時間軸で調節をはかってきたということだ。


そして、都市化や工業化によって人間が環境に与える汚染問題が投げかけられるのだが、賢明な方法を用いれば他の生物種を自然生息地から追い立てることなく食糧生産することができることを例に挙げ、理知的な組織と高度なテクノロジーが必要と説く著者は、


 「人間のテクノロジーが人間にとって破壊的だった

  ということになる可能性はあるが、

  現在または近い将来における工業活動のレベルで、

  全体としての地球の生命が危うくなる根拠は薄い」(p195)


と言っている。これは意外な論旨展開だった。


ここまで読んでくると、相当に長い時間がかかることは前提としながら、人間が環境を汚染してしまっても、地球環境は自らの調整維持機能で回復し存続していくと読めてくる。しかし、最後に問題を突きつけられる。それは「人口増加」問題。著者は世界の人口が百億人を超えたあたりで、一人あたりのエネルギー消費が増大した場合、牢獄のような地球となるか、超大量死の末に別の生存者に地球を渡すことになると言っている。


全体を通して、人間がもたらす地球環境への汚染問題は恒常性をもって回復維持されるトーンではあったが、あとがきで訳者が補足的に「人間に対する地球自身の声」を代弁していたので引用する。自分・あなたが人間を指し、私が地球のことです。

母なる地球は我々人間を見捨ててはいないということでしょうか。


 「むずかしいことではありません。

  自分が地圏、生命圏、大気圏をあやなす

  〈私〉という生態の一部であることを認識し、

  〈私たちすべて〉の健全な進化を

  めざしてくれればいいのです。

  あなた方の未開な文明が、その逆に生命を抑圧し、

  殺害している現状を打破してください。

  熱核戦争の危険と、放射能廃棄物を未処理のまま放棄している

  という事実の原因をつきとめ、解決の工夫をすること。

  これがあなた方現行人類にさずけられた公案です。」(p280)




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2024年9月8日日曜日

読了メモ「仮面の告白」 三島由紀夫

 

読了。

前回、三島さんの作品を読んだのは去年の6月。

その時はエンタメ小説っぽいサスペンス&ミステリーチックな作品だったが、

今回はまたガラリと違う。

半ば自叙伝的なもので、三島さんの生々しい半生を素手で握るような感覚を味わえる。


冒頭、「美」について「カラマーゾフの兄弟」からの引用から始まる。

この冒頭を読みこむだけで本作の異様ともいえる雰囲気に飲み込まれてしまう。

本編のお話は、幼少期から青年期までのタイトル通りの「告白」、

あるいは「吐露」ともいえる。


幼い頃からの父母と別れた生活、同級生への倒錯した感情、

強靭な肉体への憧憬と嫉妬、異性に対する感覚のズレ、

運命の女性との出会いと執着心、戦争での死の教義、そして絶望的な苦しみ。

一人の青年の暗澹で戸惑い迷う生き方を

ここまで読んでしまっていいのだろうかと思うくらいだった。

それに、そんな心の蠢きを表現している描写が素晴らしい。

えっ、こう書くのかぁ。。と唸ってしまうところがいくつもあった。


三島さんは1970年の45歳の時に市ヶ谷駐屯地で自決するわけですが、

この作品が書かれた1949年、当時24歳の時に、

三島さんの心と体の中に自決に関する朧げなイメージというか、

ぼんやりとした霧のようなものがあったのではないかと思わせられる。

読み終えてあらためてそう感じられるのは自分だけではないと思います。

いかがでしょうか。



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