2020年7月24日金曜日

読了メモ「ペスト」A・カミュ




読了。

学生時代に何度か挫折した作品です。
結局、あの頃は最後まで読みきれなかった。

しかし、今、世界中が疫病禍にあって
今こそ読破する機会なのではとチャレンジする気になり
先ほど、読了いたしました。

現在の新型コロナとペストを比べて脅威がどう違うのかはわかりません。
感覚的にはペストの方が怖い気がするけど。
ペストはネズミが宿主でノミが媒介するんですよね。
でも、ヒトからヒトへの飛沫感染もあるらしいです。
鼠蹊部や脇の下、首のリンパ腺が腫れ上がり高熱を発する。
肺に転移するペストもあるそうです。
高校の世界史の授業でも、十四世期頃にヨーロッパを中心に
ペストが黒死病として猛威を奮い多くの死者を出したことを習いました。


本書も、冒頭から大量のネズミの死骸が発見されることから始まり、
いきなり暗い雰囲気に満ちてきます。
主人公のリウーという医師が記した形式になっていますが
治療のためのスペクタクルが展開されるという話ではありません。
どちらかというと、患者と医師、その近しい人たちと
ペストとの不条理で孤独な戦いが描かれています。

当然ながら、ペストが発症した街は完全に封鎖されます。
今でいうロックダウンっていうんでしょうか。
鉄道ももちろん止まります。
往来を走る車も出歩く人の姿も少なくなっていきます。

たまたま街に来ていただけで、発症していない人も
街の外には出られません。
この街は周りが高い壁で囲まれているので
街と外界の出入り口は限られており、
そこの門番と外に出たい人たちとの間で
切実ながらも冷血な応対がなされたりします。


本書の中には、今、我々がおかれている状況にとっても
大切なメッセージが出ていると思うので引用してみます。
 
 あまりにも多くの人々が無為に過していること、
 疫病はみんな一人一人の問題であり、
 一人一人が自分の義務を果たすべきであること、を言った。

 ペストの中に離れ小島はないことを、
 しっかり心に言い聞かせておかねばならぬ。
 
 人間は犠牲者たちのために戦わなきゃならんさ。
 しかし、それ以外の面でなんにも愛さなくなったら、
 戦ってることが一体なんの役に立つんだい。

などなどである。
いかがであろうか。

幸いにもペストは終息に向かう。

私たちも明るい未来を信じて、
一人一人がなすべきことをしなければならないと
読後にあらためて感じたのです。

この時期に読めてよかったと思いました。

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ペスト
A・カミュ 宮崎嶺雄 訳
新潮社 2020年



 


2020年7月14日火曜日

読了メモ「靖 国」坪内祐三



読了。

自分の好きなエッセイスト、評論家さんで、
これまでいろんな作品を読んできたが、
なんと本年一月に他界された。享年61歳。若すぎる。
大変、残念でしかたがない。本当に。
サブカルチャーものから文芸評論、社会評論まで
面白い本はたくさんあるのだけれど
代表作といえば、この本かなと思い手に取りました。

ただし、ここで、自分の浅はかさに気づくのでありました。
靖国神社といえば、閣僚の誰が参拝するのしないの
近隣諸国がそれに干渉するのとそんな話が
絡んでくる一冊なのかなと思っておりましたらさにあらず。
そんな話は一切でてきません。
純粋に、かつ坪内流の切り口で日本における靖国神社の有様をとりあげています。

靖国神社といえば戦没者の合祀ですが、
一番最初は戊辰戦争で亡くなった藩士の招魂式で
それがきっかけとなり例大祭が行われるようになったとか。

一方で鹿鳴館時代と重なる時期、靖国神社にもハイカラな風は押し寄せ
なんと競馬が執り行われたそうです。
靖国神社がその本来の姿を整えていくのは明治十年の西南戦争の後からだが
神聖な場所であるがこそ、そこには娯楽が必要と考えられ、
実際に競馬が開催され、のちには本格的な
アミューズメントパーク的な構想もあったそうです。

日清・日露の戦争の祝勝記念式典は、皇居前での盛大なお祭りとなったが
靖国神社には、二万九九六〇名の戦没者が合祀され、臨時大祭が挙行される。
境内には国光発揮のページェントが建てられ、
国民の意志は徐々に統一されていくことになる。

と、ここまでは近代化と戦争スペクタクルの
象徴的な世情と靖国神社の位置づけを描きながら、
東京に住む市井の人々の生活や暮らしに視点を移していくのも
坪内さんらしい展開だ。

靖国神社は丁度、東京の山の手と下町の境にあり、
下町から見上げる位置にお社を構える。
これは、人々の住む場所によって身分の違いがあり、
違いを乗り越えようとする生活もあることを示していた。
その後、大鳥居の前には国際主義的モダニズムとして
野々宮アパートという当時としては
超高級な高層住宅兼写真スタジオが建設されたという。
写真も掲載されているが、鳥居の前にある
突出した西欧風近代建築物に大きな違和感を感じてしまう。

さらに、話は、奉納相撲や力道山による奉納プロレスに展開していく。
ここも、日本人と外国人の力士やレスラーの
靖国神社での「興行」が大変深い意味をもって語られている。
その一例が、小錦の靖国神社での奉納土俵入りだ。
詳細は本書を是非読んでいただきたい。


実をいうと、自分はものごころがついてこのかた
靖国神社を訪れたことがない。
二歳くらいの時、親が連れていってくれたらしいが
当然ながら記憶に全くない。

巨大な鳥居や桜開花の標本木、大村益次郎像など
興味本位に惹かれるものはあるが、
坪内さんの本書をせっかく読んだのだから
機会を作って行ってみたいと思っている。

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靖 国
坪内祐三
新潮社 1999年

 



2020年7月5日日曜日

読了メモ「乱読のセレンディピティ」 外山滋比古




読了。

著者は「思考の整理学」で有名な
大正12年生まれの大御所である。

まず、セレンディピティとはなんぞや。

本書によれば、
「思いがけないことを発見する能力。
 特に科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときに使われる。
 おとぎ話(The Three Princes of Serendip)の主人公が
 この能力を持っていることから。
 イギリスの作家H・ウォルポールの造語。」
とある。

本の読み方には、アルファ読みとベータ読みの二通りあり、
アルファ読みは既知の情報について読むもの。
ベータ読みは未知の情報について読むもの。
だそうで、はるかにベータ読みの方が面白そうではあるが
アルファ読みでも新たな発見があったりするので
これもセレンディピティであったりする。

本の読み方にもアドバイスがあった。
「本は風のごとく読むのがよい」そうだ。
「やみくもに速いのはいけないが、熟読玩味はよろしい。
 のろのろしていては生きた意味を汲み取るのはおぼつかない。」
ということだ。

乱読についても
「専門バカがあらわれるのも、タコツボの中に入って
 同類のものばかり摂取しているからで、
 ツボからでて大海を遊泳すれば豊かな幸に
 めぐりあうことができる」
と爽快に勧めてくださっている。
さらに、乱読は気が若返る。
乱読のストレス解消力はアンチエイジングの
もっとも有効な方法ではないかと。

ここまで書かれてしまうと、乱読せずにはいられませんね。
乱読派の自分には、追い風を背中に感じて気持ち良い一冊でした。

ただ、注意点があるんです。
本は知識を増やしてはくれるが
思考力は別の方法で養わなければならないのです。

さて、その方法とはなんだと思いますか?

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乱読のセレンディピティ
外山滋比古
扶桑社 2014年