2016年10月23日日曜日

こうふのまちの一箱古本市に出店します。




今週の土曜日10月29日になりますが、
性懲りも無く出店いたします。

今回は地元から離れるのですけども
主催されているBEEKというZINEがとっても素晴らしく
この古本市には、一度、行ってみたいと思っていたのです。
で、思い切って参戦いたしますです。

場所は甲府駅から徒歩数分のところにある
銀座通りアーケード商店街です。
パンとコーヒーの販売、体験型WSもあるとか。

よろしければぜしおこし下さい。


こうふのまちの一箱古本市 10/29(sat)
11:00〜16:30(パン屋さんの出店は12:00〜)
場所:銀座通り商店街 春光堂書店前
山梨県甲府市中央1丁目4−4
http://www.beekmagazine.com
 

2016年10月19日水曜日

読了メモ「エルマーと16ぴきのりゅう」R・S・ガネット



読了。

冒険物語の楽しみってどこにあるのでしょう。
ジェットコースターに乗ってるようなストーリー展開、
主人公に迫る危機、見たこともない世界との遭遇。。。。

いろいろとありますけれど、
主人公になりきって読み手が味わうことのできる
二つの楽しみに思い当たりました。

 
まずは「秘密である」ということ。
そう、冒険は秘密でなければドキドキ感が全然違うのです。
仲間のりゅうを救い出すために、
エルマーとりゅうのボリスは一緒にいるところを
他の人間に知られてはならないのです。
もちろん、お父さんやお母さんにも秘密。
親に秘密というのは、子ども達にとって
とっても心拍数のあがることだと思います。

りゅうの背に乗って空を飛んでいる時に船のサーチライトに照らされたり、
帰りの汽車の車掌さんや切符売りのおじさんに不審がられたり、
そしてそのことが、お父さんの読んでる新聞に載ってしまったとしても、
エルマーは最後まで秘密を貫き通しますよ。
物語の最後までエルマーの心臓のバクバクするのが聞こえてきそうです。


もう一つは「準備する」ということ。
冒険を始める前には、綿密周到な計画を立てて
必要なものを必要な数だけ揃えておかなければなりません。
たとえ、それがチョコレートであっても笛やラッパであっても、
ひとつづつリストアップしていくのです。
冒険に必要な理由が全てにあるのですから。
その準備する時のわくわく感たらありません。

話はかわりますが、これって人に贈るプレゼントを
選んでいる時の気持ちと似ていると思うのです。
贈る相手のことを思い浮かべて、喜んでくれるものって何かなと品物を選ぶ。
プレゼントって選んでる時もプレゼントの一部なんだよって
家人が言っていたのをおぼえています。

でもね、そのせっかく準備したものを、
冒険の途中で食べたり使っちゃうのですよね。
あきらかに本来の目的とは違う使い方なので、
おいおい、そんなに大丈夫かよって思わず言いたくなってしまう。
そんな脱線も冒険物語のハラハラな感じを盛り上げてくれる要素です。

子どもの頃に戻って冒険物語を読んでみませんか。
そらいろこうげん、ごびごびさばく、とんがりさんみゃくが待ってますよ。

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エルマーと16ぴきのりゅう
ルース・スタイルス・ガネット 作 ルース・クリスマン・ガネット 絵
渡辺茂男 訳
福音館書店 1997年





2016年10月14日金曜日

読了メモ「さようなら、ゴジラたち 戦後から遠く離れて」 加藤典洋



読了。

「オレは関係ない!」

よく聞くフレーズであるが、こう言い放つことが
未来へ、理想へ向けて歩み出す第一歩だという。
黙して心の中で叫ぶのではなく、発語するのがポイント。
この「無実」の一言で、これからの世界を引き受ける道筋ができるというのです。

たとえば、戦後に生まれたからオレは関係ないという。
でも、その前に日本国民なんですよね。
確かに戦争の時代を生きていたわけではないけれど
同じ国土に住む日本国民としてどう生きて行くのか。
これを考え始める端緒となるのが、
オレは戦争に関係ないという一言だというのです。

銀河鉄道の夜のカンパネルラとジョバンニを例に
子供と少年を比較する話も面白い。
一方は人のために死んでもいい、一方は自分のために生きていていい。
自分のことだけで精一杯のジョバンニですが、
カンパネルラが帰らぬ人とわかった世界を
ジョバンニは引き受けなければならなくなるところが心に残るというのです。

そして、ゴジラ。
1954年、戦後わずか9年後に制作されたゴジラは、
一般的には、反原水爆の権化ととらえられていますが
実はそうではなく、戦火の中に散っていった兵士たちの亡霊だと。
もっとたとえていうなら、海上で戦闘機に掃射されるゴジラを
真上からみるとまるで「戦艦大和」とまで言っています。
その後、何度も何度も映画化され、シリーズを通して、
戦争の亡霊であるゴジラは、不気味なものから
衛生化し無菌化し無害化されていきます。
こうすることで戦後の現代社会をようやく目の当たりにすることになるというのです。
この視点は、ちょうど奴隷制による闇の社会を経験したアメリカ、
そのニューヨークに上陸するキングコングと同じだといいます。
キングコングも奴隷と同じ南方のジャングルの孤島から
アメリカに連れてこられるのですよね。

憲法9条についても、崇高な理念とそれに伴わない現実という
中途半端な今のバランスの状態でいいと説いています。
今のままで何が問題なのかという、内田 樹先生の論を引き合いに出しながらの
9条の解釈には、はたと膝を打ってしまうのでした。
理念にそって自衛隊を排斥しても、憲法を変えて武力をもっても
どっちになっても成り立ちはしないというのです。


今年封切られたゴジラの最新作を観ましたでしょうか。
この本を読んでみて、やはりもう一度観たいという念にかられました。
最新作のゴジラは、今の日本にとって一体何なのでしょうか。。。。

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さようなら、ゴジラたち 戦後から遠く離れて
加藤典洋
岩波書店 2010年




2016年10月8日土曜日

読了メモ「サンドウィッチは銀座で」平松洋子



読了。

読み始めたのっけから、お腹の虫が鳴き出す。
そんな、食べ物系エッセイ。
春のネタを盛り込んだ天ぷら、
餃子とビールが最強コンビである話、
ともに照り具合が食欲をそそる鰻やオムライス、
てっちりで味わうひとり鍋の醍醐味、
料理も看板も色鮮やかな場末の中華料理店のざわつき、
最後は、東西の美味しい老舗を巡る。

文章だけでこうも食欲をそそり、
唾液がでてくることはかつてなかった。
どれもこれも、とてもとても美味しそうなのだ。
読み進めるテンポもいいし、目の前に次々とできたてのお皿が回ってくるよう。
谷口ジローの画が、また文章とあいまって胃袋を刺激してきます。
細やかな線で描写された料理に、立ち上る湯気が見えて、
食している人たちの はふはふ という声が聞こえてきそうです。

タイトルにある「サンドウィッチ」。
自分は、「サンドイッチ」と言っていたし書いていた。
発音や字面のちょっとした違いでイメージも変わる。
そして、銀座にあるビニールシート椅子の
レトロなお店で出てくるのは「サンドゥイッチ」なのでした。
整然と切りそろえられ、ハムや卵、レタスの彩もきれい。
80円増しでパンをトーストしてくれるので、これにきつね色が加わります。
いいなぁ。書いていて無性に食べたくなってきた。
そういえば、同じ銀座の木村屋総本店では、
混んでることもあって、いつも手っ取り早く「あんぱん」ですませていた。
次はじっくりサンドウィッチにトライしてみよう。

巻末には、紹介されたお店と住所も載っています。
ネットでこの手の情報が溢れている中で、
こんな丁寧な構成もうれしくなってしまう。
閉店したお店の話は残念でしたが、
今あるうちに行って食べておかねば!という気にさせてくれます。
もちろん、チェックいれてます。
鰻のお店とオムライスのお店に行きたい。
天井の高い桜鍋のお店もいいなぁ。

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サンドウィッチは銀座で
平松洋子
文藝春秋 2011年

2016年10月1日土曜日

読了メモ「退廃姉妹」島田雅彦



読了。

敗戦後、アメリカの占領下におかれた日本。
極貧の中、なんとかして生きる道を画策する父親は
ある日、アメリカ兵の肉を食べたと
あらぬ容疑をかけられ米軍に連行されてしまう。
その父親が帰ってくるのを待ち、母の好きだった家を守る姉と妹。
父親が手をかけていた仕事が次第に明るみになっていき、
二人の姉妹は米軍兵を相手に生きる糧を稼ぐ道を進み始める。

戦争に負けた国の市民の惨めさ、悲しさ、辛さ、苦しさが切実。
むろん、自分の想像もおよばないような酷い現実が
一般市民の生活の目の前にあったのでしょう。

姉妹の他に、銀座の街で稼ぐ先輩格の女性や
姉妹の父親が始めた「事業」に身を投じた秋田弁の女性、
そして、姉が慕う特攻崩れの男。
姉妹以外の人物にも戦火、空襲をくぐり生き抜いてきた
逞しさ、必死さをメラメラと感じますし、
一方で、感謝の気持ちを表し、相手を想い、
心の優しさを大切にする姿を読んでいると、
 ああ、がんばれ! と思わず声をかけたくなるほどです。
その逆に、「元」軍人や学校の先生、政治家などの
掌を返したような身勝手で恥知らずな言動には
読んでいる方もしかめっつらになります。

そんな闇の世界や、姉妹が身を投じる境遇は過酷ですけれど
意外にも読みやすく話はどんどんと進んでいきます。

二人の姉妹はその後、それぞれ孫を持つまでになりますが
特攻崩れの男が姉宛に送った最後の手紙の一節が切ないです。

 たった一度の偶然の出会いだけでも、
 たった一度の接吻だけでも、
 人は一生、それを励みに生きていける。
 

それと、昭和な世代の人にとっては
もう懐かしさをも感じてしまう
あの人がちらちらと出てきます。
「あ、そう」と返事をする人です。

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退廃姉妹
島田雅彦
文藝春秋 2005年