2018年9月23日日曜日
読了メモ「小説読本」 三島由紀夫
読了。
読本いうタイトルだが、三島流小説評論、あるいは解釈論か。
一言でいうとゴツイ。
細かいが重要な指摘もある。
日本古来からある名詞の読み方、あるいはそのなんたるかを
あいまいなままにして読み飛ばしてはならぬということで
それは読み手にとっても書き手にとっても厳しく指摘している。
事例に上がっていた言葉は、自分もやはり知らなかった。
今やスマホですぐに調べることができるようになったけれど
「読み方」を調べるのは意外に難しい。
自分は筆順辞典なるアプリで読めない漢字はその場で調べるようにしている。
新人小説家の作品を評する時の三島由紀夫の思考回路が
どのように渦巻いているかというところも面白い。
はは〜ん、こうやって・・・賞は決まっていくのかななんて。
そんな作品批評の中で、慄然たる読後感を持っているのは
深沢七郎氏の「楢山節考」だそうだ。
またこの作品と並べてアーサー・クラークの「幼年期の終わり」の
読後感の異様さを述べている。
実は二冊ともまだ読んでいない。
積ん読にしておかなければならない本がまた増えてしまった。
中盤以降は、私の小説作法ということで、三島由紀夫自身による
小説執筆の際の考え方、姿勢、自我との葛藤など
本書の本筋の領域となる。
よく耳にする私小説への非難の理由などは、
ふむふむなるほどとよくわかる。
最後に、「自分は文学をやっていく」と決めた際の
文学の意味、特に人称である、自分とわれらの
気味が悪いくらいのこだわりは一読の価値があると思う。
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小説読本
三島由紀夫
中央公論新社 2010年
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