2020年4月25日土曜日

読了メモ「魯山人の食卓」北大路魯山人



読了。

陶芸家で画家でと様々な肩書きを持ち
そして美食家としても有名な著者の日本料理に関するエッセイ。

エッセイのメニューとしては
 寿司
 魚(鮪、初鰹、鮎、鰻、河豚)
 鍋料理と雑炊
 茶漬け
 日本料理の基礎観念
そして最後に、魯山人語録と続く。


全編を通して、自身たっぷりの言い切りっぷりが気持ちいい。
ここまで言い切られると本当に
厳選された質のよい材料で作られた料理を食べたくなる。
ただし、その世界に入るにはなかなか厳しそうだ。

貧しい者には貧しいなりの料理
富裕な者には富裕なりの料理があり
それぞれは相入れないものであるとか、
食器は料理の着物であり、相応しい器があってこそ
料理になるという。

また、鰻にしてもスッポンにしても
ただ太らせる養殖よりは、天然ものがよいのだが
養殖でも適切な餌を与えることによって
味が全く変わってくる。
しかしコストの関係でなかなかそうはいかない。

よだれが出そうになったのは雑炊のところで、
納豆雑炊なんてのも紹介されていた。
他のメニューは恐れ多いけれど、
これなら自分でも作ってみようか!なんて気にもなる。


商業料理は儲けが一義で、どうしても料理は二義になってしまうことを
憂えながら、魯山人語録の一番最後の言葉が染みる。

 家庭の料理、 〜 中略 〜、そこにはなんらの思惑がはさまれていない。
 ありのままの料理。それは素人の料理であるけれども、一家の和楽、団欒が
 それにかかわっているのだとすれば、精一杯の、まごころ料理になるのである。
 味噌汁であろうと、漬けものであろうと、なにもかもが美味い。


ところで、鰻の蒲焼ですけど、蒸す工程が途中に入る東京風と
直焼きの上方風のどちらがお好きですか。
魯山人先生は、断じて東京風だと言って譲りませんけど。

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魯山人の食卓
北大路魯山人
角川春樹事務所 2004年


 

2020年4月23日木曜日

読了メモ「昆虫記」アンリ・ファーブル




読了。

貴方も子どもの頃に読んだことがあるのではないでしょうか。
かくいう自分も読んでおりまして、「再読」です。

ただ、その時と大きく違うのは
翻訳と解説が、理学博士の方だったのに対して、
今回は、翻訳が、詩人の大岡 信さん、
解説は、歌人の俵 万智さんという布陣なのです。
そうなってくると
ある種の先入観みたいなものが働いて
なんか、理科系の本を読んでいる気がしないのでした。

やはり一番面白かったのは
フンコロガシ(オオタマオシコガネ)の話でした。
コロコロと糞の玉を後ろ向きで押し転がしたり
横取りする輩がでてきたり
卵を産みつけるために糞の玉を洋梨型に細工したりと
目の前でフンコロガシが奮闘する様子が目に浮かぶようでした。

クモの子どもが糸を出しながら高いところに登って、
空を飛んでいくところの話なども、なぜか郷愁を誘いました。


上巻に、セミ、コオロギ、カマキリ、コハナバチ(ミツバチ類の総称)、
オオタマオシコガネ、キンイロオサムシ、
下巻に、シデムシ(埋葬虫)、ツチスガリ、キゴシジガバチ(共に狩人蜂の一種)、
オニグモ、ラングドックサソリ(地中海沿岸/アフリカに生息)

が登場します。
下巻の昆虫(昆虫ではないものもいます。わかりますよね)のほうが
イメージ的にダークな感じですが、
ファーブルの根気強い観察と実験によって
昆虫たちの生きる力強さ、自然の巧みさがキラキラと光っていて
小さいけれど地球の生態系が目に飛び込んで来るようです。


全ての話に子孫を残すための昆虫たちの必死の営みが描かれています。
カマキリが交尾の後に、メスがオスを食べてしまうのは有名ですが
同じような生態をもった虫が他にもいるのですね。

次世代を残すこと、遺伝子を伝えていくことが
誰にも侵すことのできない尊いものであることを
感じることができました。

うむ、人間でよかった。

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昆虫記
アンリ・ファーブル 大岡 信 訳
河合書房新社 1992年


2020年4月12日日曜日

読了メモ「ちいさなかみさま」 石井光太

本記事は、2015年に某キュレーションサイトに掲載したものに
加筆・修正を加えて再掲載したものです。




読了。

心の中のロウソクのような灯火。
希望、夢、勇気と名付けるこれらを
「ちいさな かみさま」と呼ぶ。

で始まるショートストーリー集。


病床に伏した少女が貧しい国々の子供達の純粋な笑顔に支えられる話、
事実とは異なるのに、過去は美化されていくものなので
よい記憶のままで留めさせてあげたいというニューハーフの話
戦友の死について、遺族の気持ちを思うあまりに嘘をつく話
公園で遊ぶ赤ちゃんのために友達の行動を戒める小学生たちの話
死の床にある患者は、家族のためにどうすればいいかを常に考えているという話
などなど。。。。

装丁にもある今日マチ子さんの
やわらかくてやさしいイラストも添えられていて
どの話も心に安らぎをおぼえ、穏やかな気持ちになれます。
 
いろいろなかみさまが出てくる本書を読んでいて
もしやと思ったのですが、全てノンフィクションなのです。
ノンフィクションって、いつも著者や出てくる人たちの実体験に驚き、
どうしたらこんな経験や感動を抱くことができるのだろう、
きっととてつもない行動派な人たちなんだろうなどど
時には羨望にも近い思いを持ってしまうこともあるのですが、
もしかしたら、冒頭にあったように
一つ一つの出来事は、灯火のように小さなことで
自分の身の回りにも実は起きていて
鈍感な自分は気がつかないだけなのかと思ってしまいました。

小さなことでも、地味なことでもそれをきっかけにして、
人を思うことの大切さ、暖かさということを
感じていくことができればいいなと思うばかりです。

そんなことを読後にしみじみと思った本なのでした。

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ちいさなかみさま
石井光太  今日マチ子 絵
小学館 2014年



2020年4月6日月曜日

読了メモ「40°C超えの日本列島でヒトは生きていけるのか」 永島 計




読了。

地球温暖化などと言われて久しい。
毎夏、熱中症で救急搬送され亡くなられたというニュースが毎日のように流れる。

本書にも書いてあったが、自分が子どもの頃には
熱中症という言葉はなかった。
日射病とか熱射病とかは聞いたことがあったけれど。
それでも、夏になると毎日のように
ニュースが流れるようなことはなかったように思う。

確実に真夏の気温は上がっているらしい。
特に都市部はヒートアイランド現象もあって著しいようだ。
話はずれるが、こんな猛暑の中で
オリンピックを本当に開催するのだろうか。


本書では人間の体温調節機能について
大変詳しく述べられている。
実は熱中症という病気はなく
暑さによる様々な機能障害によって
体温調節機能を失った状態を括っている呼称だそうだ。
著者はドクターなのでもちろんなのだが
専門用語が多く、簡単なキーワード解説がついているとよかったかな。


人間の体温には、
体の内臓の温度であるコア体温と
体の周辺の温度であるシェル体温の二種類があり、
体温を調節する際に、部位によって優先順位が決まっている。
プライオリティNo1は、もちろん脳だ。
どんなに暑くても、脳は最優先に
血液が送られ熱がたまらないようになっている。

サウナなどで、大きな水玉のような汗を
腕にかくことがあるが、あれは体温を下げている汗ではなく
単なる体の水分が出てきている無効発汗というそうだ。
この状態が長引けば脱水状態に陥る。


また、マグロやサメが泳ぎ続けなければ死んでしまうとよく聞くが、
これは泳ぐことで血液の還流を活発にし体温を上げているからだという。
変温動物とはいえ見事な適応ぶりだと思う。
ちなみに、マグロは体の中心部と外側では10度も体温が違う。

人間は体毛が少ない。他の動物と比べてみて一目瞭然だ。
人間は裸一貫では、体温調節が苦手な動物であり適応できる体温幅も狭い。
そこを、衣服や住居、工業製品などで補っている。

著者は気温40度でも人間は生きていけるというが、
地球温暖化はもちろん、都市環境が気温40度を
超えるような過ちを犯さないようにしないといけない。
と結んでいる。

我々にできることは一体なんだろうか。

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40°C超えの日本列島でヒトは生きていけるのか
永島 計
化学同人 2019年