2021年7月30日金曜日

読了メモ「わたしはこうして執事になった」ロジーナ・ハリソン


読了。

執事の世界。
なんとも自分とは縁がない、遠くて高貴で品が良く、
別な見方では、窮屈な世界を想像します。

本書は、執事の世界を生き抜く五人が語る
それぞれの職業人生です。

読んでまず気がついたのは、
執事になるための敷居は意外と低いということ。
入門したては、最下層の下足人ですが、
本人のやる気と、良き先輩執事、
そして理解あるご主人様に恵まれると、
どんどん昇格していきます。
ある程度出世した執事の業界はとても狭く、
本書に登場する五人にも共通する執事仲間がいたり、
お仕えする貴族や大使館の裏話が飛び交います。

ご主人様が旅行などで屋敷を空けることがあると、
執事たちは、普段できない仕事をこなした後、
思い切り羽を伸ばし、夜遊びにも行くそうですが、
ご主人様がいないと、チップがもらえないというデメリットがあります。
執事を目指す人々は、貧困層から叩き上げでなる人が多く、
実入りについてはかなりシビア。
チップが渋いと、お仕え先を替えることもよくあるようです。

実際、執事の世界は人手不足のようで、
ご主人様の機嫌次第でクビになっても
大執事から目をかけてもらっていれば、
職場復帰は日常的にあったようです。
ヘッドハンティングも珍しくありませんし
お仕え先を替えていくのは立派なキャリアアップです。
一方、職を辞する時は、ご主人様、
特に奥様・ご夫人から給料アップを条件に
”君が必要だ”と慰留されたり、
また、もう高齢だからと引退を申し出ても
”年齢は気の持ちよう”、”きしむ門ほど長持ちする”
などと言われ引き止められることもあるそうです。

そんな執事たちも、自己主張すべき時はしました。
自分たちは奴隷ではない。
命令には従うが、使用人とご主人様たちとは
確立された行動規範に従って、
どちらもルールを破れば罰せられると。

最後に、ある執事がこぼした印象的な言葉がありました。
ちょっと長いですが引用します。
完璧な人間なんてどこにもいないことは、
自分の生き方を顧みるだけでわかる。
英雄も従僕の目にはただの人という言葉があって、
それは確かにその通りだが、
ずっと英雄に仕えつづけていたら退屈でやりきれないに違いない。
主人と使用人のあいだには、理解と信頼があればいいのだし、
分別のある人間ならそれ以上は求めないはずだ。(p290)

かつての大邸宅に仕える時代はもう過去のものになっています。
それでも、本書を読むとイギリス執事の誇り、
使用人人生への気概を感じることができました。

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わたしはこうして執事になった
ロジーナ・ハリソン
新井潤美監修、新井雅代訳
白水社 2016年



2021年7月23日金曜日

読了メモ「ハトはなぜ首を振って歩くのか」藤田祐樹


読了。

完全二足歩行をする動物とは?

もちろん、ヒトです。
ただ、地球上にはもう一種類います。
本書の主役となるトリです。
自分も、読んでそう言われるまで気がつきませんでした。
チンパンジーやカンガルーも二足歩行はしますが
前足を使って歩くことがありますので除外されます。

トリは翼を使って空を飛びますが、歩く時は後ろ足二本だけです。
ダチョウにいたっては、時速70キロ近いスピードで走ります。
街中にいるスズメはホッピングすることが多いですが、
カラスは見事に歩き回る姿をよく見ることができます。

さて、読み進めていくうちに核心部分が迫ってきます。
ハトはなぜ首を振って歩くのか。
実は、首を振って歩いているように見えるだけで
頭は静止しているというのです!!
ちなみに、田舎に帰った時や、小学校のニワトリ小屋で
ニワトリを捕まえた時、ニワトリを前後に動かすと
頭が止まっていたように見えたのを覚えていませんか。
以下、引用します。

 ハトが歩くと、体はおおむね一定の速度前進する。
 体が前進しているのに頭を静止させるためには、
 首を曲げて縮めなければならない。
 首をある程度まで縮めると、
 今度は首を一気に伸ばして頭を前進させる。
 この動作の繰り返しが、歩行時の首振りの実態だったのである。
 (P41)

次に、なぜハトは頭を静止させようとするのかという疑問です。
答えは、景色を目で追っているから。
ハトの目は顔の横についているので
流れる景色を見るためには、頭を一瞬でも静止させる必要があるのです。

本書の命題の主な解答は以上ですが
もちろんこれで、謎が全て解決したわけではありません。
首を動かす代わりに、ヒトと同じく
目玉をキョロキョロさせればよいではないか。
首振りのタイミングと歩行との関係は。
カモやカモメなどはなぜ首振りをしないのか。
足の長いフラミンゴやサギなどは首を振るのか。
トリの祖先である恐竜は首を振って歩いていたのか。
などなど。

ハトがなぜ首を振って歩くのか、
なんと些細で、気にも止めない事象かもしれませんが、
こんなところから科学って発展していくのでしょうね。

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ハトはなぜ首を振って歩くのか
藤田祐樹
岩波書店 2015年

2021年7月17日土曜日

読了メモ「ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか 新見南吉の小さな世界」畑中章宏


読了。

「ごん狐」は、小学校4年生くらいの
国語の時間で習ったお話かな。覚えていますか。
自分は、「ごん狐」より「手袋を買いに」の方が
印象に残っています。みなさんはいかがでしょうか。

本書のタイトルを見た時、撃ち殺される???
「はて?そうだったっけ。そもそもどんな話だったけ?」
てな状態でしたから。

ごん狐の著者の新見南吉氏は、「北の賢治、南の南吉」と
宮沢賢治氏と並んで称されることが多いそうで
若くして世を去り、その後に作品が評価されるなど
その生涯に似ている点はありますが、
氏の作風は、素朴さ、切なさが漂い、
ありきたりな村や町を舞台に純朴な主人公が登場します。
宇宙や鉱物を扱い、寓話的な宮沢賢治氏とは対象的です。

タイトルの「ごん狐」、元々は「権狐」だったそうです。
この「権」には、神仏が仮りの姿で現れるという
日本古来の宗教観念が含まれていて、
権狐という名前に信仰や思想の意味合いを持たせていたと
本書では述べられています。
でも、ごん狐はたった一匹で生きる孤独な子狐です。
神仏をオマージュしたとはいえ、寂しい感じは否めません。

また、お話の中では、葬列や念仏を
ごん狐は、お祭りかなと勘違いします。
これは楽しいお祭りを待ち望む
村人の心をごん狐が代弁していたのではないかとも。

そもそも、ごん狐は、普段は村人の目にも映らず、
影の薄い、力の弱い存在です。
でも、その小さくはあっても、その存在を教えたくて
火縄銃で「ズドン!」と撃たれたのではないか。
過去の悪戯や過ちを償うために、
栗や松茸を人間に運んできたことの現実を
命と引き換えにして現したかったのではないかと解説しています。

一方で、ごん狐を撃ち殺してしまった側の人間がいます。
撃った後で、ごん狐の正体に気づくのですが
これがなんとも哀れで、愚かで、浅はかで、
銃口から立ち登る煙が虚しくてなりません。

最期にごん狐は、人間の問いかけにうなずいて
息絶えることになっています。
だったら、もっと他のやり方があったのではないのかと
悔しい思いもするのでした。

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ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか
      新見南吉の小さな世界
畑中章宏
晶文社 2013年

2021年7月8日木曜日

読了メモ「東京奇譚集」村上春樹


読了。

村上さんの短編集です。
奇譚集ということは、不思議な話、ちょっと怪しい話というところでしょうか。
村上さんの長編小説は苦手という方も読みやすいと思います。

お話は五つ。
 1)偶然の旅人
 2)ハナレイ・ベイ
 3)どこであれそれが見つかりそうな場所で
 4)日々移動する腎臓のかたちをした石
 5)品川猿

1)は、書店のカフェで偶然出会った女性の運命と、
自分の姉の病気が重なる話。姉の命は助かるが、
カフェの女性の行方は不明。

2)は、サーフィン中に鮫に襲われて死亡した息子のため
ハワイに行く母親。自然の摂理と戦争の犠牲が対比される情景。
そして、謎の片足の日本人サーファー。

3)は、夫が突然蒸発。マンションの下の階に住む
義母のところへ行ったきり帰ってこない。
マンションの階段で住人と交わすも手がかりはなし。

4)は、主人公は小説家で女医の話を書いている。
彼女は腎臓の形をした石を見つけ文鎮がわりに使うが、
昨日に置いた場所とは違った場所に、次の日には石がある。

5)は、自分の名前を忘れてしまう女。学生時代の寮で一緒だった
下級生から預かった名札。自分の名札と一緒にずっと持ったいた。
ところが、それを盗んだ奴がいる。


とまぁ、こんな感じの話が入っています。
不思議なありえない話ばかりなのですが、
どこかで起きていそうな感じもしなくはない
妙な雰囲気が醸し出されています。

いくつものできごとが次々に発生してくるのは
いつもの村上流ですけれど、
ゆる〜く、主人公の感情と絡みついてくる感覚は
なんともいえませんね。

5)の 品川猿 は飛び抜けちゃってますが、
最後にくすっと笑える要素があって
本書の締めにはよい作品だったかな。

村上さんのファンである方も、そうでない方も是非。

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東京奇譚集
村上春樹
新潮社 2005年

※文庫本でのご案内です。