2022年7月31日日曜日

読了メモ「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」フィリップ・K ・ディック




読了。

さて、いきなり問題です。
本書は、何の映画の原作でしょうか。

書影にも書いてあるし、有名なので
ご存じのお方もござりましょうが。。。
答えは「ブレードランナー」です。

ここでいうアンドロイドが、
映画上ではレプリカントになるわけですが、
本書を読むと、あまりに映画とのひらきがあって
あの映画の壮大なスケール感と映像世界を生み出した
リドリー・スコット監督の凄さを感じます。

環境破壊により、火星に移住した人類は、
労役を人間型ヒューマノイド、
つまりアンドロイドにさせるのだが、
アンドロイドの中には地球に逃亡する者がでてくる。
主人公のリックは、そのアンドロイドハンター。
しかし、地球には、人間世界そっくりの
アンドロイドの警察機構ができあがっているし
骨髄検査までしないと正確には
アンドロイドか人間かがわからない。
一時は、リックもアンドロイドと疑われ
殺人罪で拘束されたりもする。

指令されていた、アンドロイドを処理して
リックは山羊のいる自宅に帰るが、処理されていた。
本物の山羊ではなかったのだ。

アンドロイドは電気羊を夢を見るか?
最後にきて、ようやく不思議なタイトルの意味の深さが
わかってきました。

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アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
フリップ・K ・ディック 浅倉久志訳
早川書房 2020年



2022年7月26日火曜日

読了メモ「ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論」 ゲルハルト・リヒター他



読了。

今年の10月2日(日)まで、国立近代美術館で開催されている
ゲルハルト・リヒター展に行ってきました。

ミュージアムショップで図録を買おうと思ったんだけど、
デカいし、せっかく買ってもパラ見で終わって、
本棚の肥やしになってしまう気がしたので、
絵のサンプルはポストカードで気に入ったものを選び、
書籍として、本書を購入しました。

アブストラクト・ペインティングと言われる抽象絵画が代表的で、
自分の目で見ただけでは、その素晴らしさがちょっとわかりません。
何か感じるものは確かにあったんだけど。。。
その点、本書は活字だし、なおかつインタビュー集なので
少しは理解が進むのではないかと密かに期待もしたのでした。

果たして、知らない画家の名前はたくさん出てくるはで、
やはり難しくはあったものの、
それはどちらかというとインタビュアーの質問の方で
リヒター自身が語る言葉はシンプルで平易だったと思います。
トンガってる話も多くありましたが。

写真を模写する絵画の話になった時、

 「写真を書きうつす場合は、(中略)、
  いわば自分の意志に逆らって書くことができるのです。
  そして、それは自分を豊かにしてくれると感じました。」

と述べています。我々が見ている現実はあてにならず、
自分の見方を客観的に訂正するには、写真が必要だというのでした。
なるほど、写真を撮るのが好きな自分には通じるものがありました。

ベルリンの壁ができる頃
1961年にリヒターは西ドイツに逃れてきます。
この頃の話は、過去のドイツに対する熱のこもった話になり
ページが燃え上がりそうな雰囲気にもなります。
リヒターの絵の前で、ひざまづいて人が涙を流すかという問いに対しては、
絵画にはそんな力はなく、むしろ音楽が向いていると言います。

そして、形式をもたらす偶然性を大いに信頼しているとして
手本となるのは、音楽家のジョン・ケージだと言っています。
雑然とした音響世界から音楽の構造を漉し分け、
一つの形式を与えるのだと。
不意に音楽とのつながりがでてきて、ここは面白いところでした。


最後には、日記のような自筆のノートを掲載しています。
アカデミーという名の芸術大学を猛烈に批判し、
芸術とは、真理と幸福と生命への最高の憧憬として働きつづけ、
一方で、自分が欲している映像とは何なのかと自問し続ける。

そして、イデオロギー、政治家、支配者に対する
異常なまでの嫌悪を粛々と述べて本書は終わっています。

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ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論
ゲルハルト・リヒター他 清水 穣訳
淡交社 2011年

2022年7月15日金曜日

読了メモ「山月記・李陵 他九篇」中島 敦




読了。

ちょっと、今までに読んだことのない傾向の本を読んでみた。
中国の古典や、漢文調のリズムの良さを活かしながら
読みやすい文体で書かれた作品11篇からなる。

どれも人間の浅はかな考えや思慮の無さ、
自己中心な生き方に流れがちなところを
ビシッと打ち止めて、改心を促す作品ばかりである。

本書のような作品は、正直、読めない漢字が多い。
ルビがふってあっても、遡って読み方を確認することもざらだ。
筆順辞典を持っているので、読めなくとも調べることはすぐにできるが
そのまま飛ばして読んでしまうことも多い。
一つ一つ確認し、意味を理解して読むのがよいと思う一方で
文体の流れやリズム感も楽しみたいとも思ってしまう。

タイトルになっている「山月記」は、
詩人の主人公がなんと虎になってしまう話である。
自分の欲するがままに生活をし、
口先ばかりの生活をしていたら、
いつのまにか、毛が生え、四つ足で走りはじめ、
兎を食い殺していたという。
山中で、主人公は友人に会い、虎の姿のまま人間の心を取り戻し
これまで、己が評価されることしか考えず
残した妻子のことを二の次にしていたことなどを悔やみ、
丘の上で咆哮するという話。

西遊記に絡んだ話が二篇あって、
どちらも、沙悟浄の話である。
この沙悟浄が、もうクズで小心者。
何をするにも躊躇し、失敗への危惧から努力を放棄していた生き方を
玄奘三蔵や孫悟空、猪八戒と遭遇して
特に、悟空の思い切りの良さ、自分が決めた道を
まっしぐらに進む生き方に心を動かされる。
時には、悟空と罵り合いもするようになり
身を持って悟空から学びを得ようとする。

西遊記といえば、堺正章が主演のあのテレビドラマを思い出すけれど
ちょうど、岸部シロー演じる沙悟浄の雰囲気がマッチしていて
読んでいてとても面白かった。
ということで、懐かしいオープニングです。


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山月記・李陵 他九篇
中島 敦
岩波書店 2021年



2022年7月5日火曜日

読了メモ 「侍女の物語」「誓願」 マーガレット・アトウッド



読了。

「誓願」は「侍女の物語」の続編です。
いわゆる、ディストピア小説と言われるお話を
一気読みしてみました。

男女別階層社会、同性間でも階級があって
侍女はその最下位にあたります。
階層別に服も決まっていて、侍女は赤い服です。

物語は、二十二世紀初めに学会か大学のようなところで
議論されるギレアデという共和国に関する話です。
読み進めていくと、このギレアデという国は、
不思議なことに、アメリカ合衆国の中にあるようで、
しかも、存在していた時代は、現代とほぼ近い時代のようです。
1970年代のことを70年代と呼んでいましたから。

侍女は、言ってみれば子どもを産むための存在でしかありません。
食事や洗濯などをする召使の階層もありますが、侍女はさらにその下。
いつぞや、日本の社会的地位のある方が、
女性は「子供を産む機械」という発言をして大問題になりましたが、
ギレアデ共和国ではそれを地で行っています。
本書の中でも、侍女は二本の足をもった子宮にすぎないと書かれており、
女性らしい振る舞いも化粧も禁じられています。

大きな権力を持っているのは、富裕層ではありますが
社会生活の実質的な権限を掌握しているのは「小母」と呼ばれる女性たち。
戒律といいつつ実態は、自分達に都合の良い生活環境を構築しています。
男性の方はというと、司令官という階層が上層にあり、
正妻を持つが、ほとんど夫婦らしい会話もしない。
侍女の名前も、仕える司令官の名前によって変わる。
例えば、グレン司令官の侍女なら、オブグレンというように。
そして、側女として侍女が司令官の子どもを産む。
子どもを産めば、昇進もするし昇級の機会も与えられる。
でも、出産に失敗し続けた侍女の行く末は。。。

続編の「誓願」の後半では、10代の異父姉妹の侍女二人が
隣国カナダへ脱出する話があるのでまだ救われます。
「侍女の物語」は読んでいて、本当にいやな気分になった。

ディストピア小説として有名なのは
ジョージ・オーウェルの「1984」ですが、
これは高校生の頃だかに読んだけれど、
すっかり忘れてしまっており、再読しようと思っています。
ただ、本書2冊を読んだあとすぐには、ちょっと勘弁かな。

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侍女の物語
マーガレット・アトウッド 斉藤英治訳
早川書房 2020年

誓願
マーガレット・アトウッド 鴻巣友季子訳
早川書房 2020年