読了。
今年の10月2日(日)まで、国立近代美術館で開催されている
ゲルハルト・リヒター展に行ってきました。
ミュージアムショップで図録を買おうと思ったんだけど、
デカいし、せっかく買ってもパラ見で終わって、
本棚の肥やしになってしまう気がしたので、
絵のサンプルはポストカードで気に入ったものを選び、
書籍として、本書を購入しました。
アブストラクト・ペインティングと言われる抽象絵画が代表的で、
自分の目で見ただけでは、その素晴らしさがちょっとわかりません。
何か感じるものは確かにあったんだけど。。。
その点、本書は活字だし、なおかつインタビュー集なので
少しは理解が進むのではないかと密かに期待もしたのでした。
果たして、知らない画家の名前はたくさん出てくるはで、
やはり難しくはあったものの、
それはどちらかというとインタビュアーの質問の方で
リヒター自身が語る言葉はシンプルで平易だったと思います。
トンガってる話も多くありましたが。
写真を模写する絵画の話になった時、
「写真を書きうつす場合は、(中略)、
いわば自分の意志に逆らって書くことができるのです。
そして、それは自分を豊かにしてくれると感じました。」
と述べています。我々が見ている現実はあてにならず、
自分の見方を客観的に訂正するには、写真が必要だというのでした。
なるほど、写真を撮るのが好きな自分には通じるものがありました。
ベルリンの壁ができる頃
1961年にリヒターは西ドイツに逃れてきます。
この頃の話は、過去のドイツに対する熱のこもった話になり
ページが燃え上がりそうな雰囲気にもなります。
リヒターの絵の前で、ひざまづいて人が涙を流すかという問いに対しては、
絵画にはそんな力はなく、むしろ音楽が向いていると言います。
そして、形式をもたらす偶然性を大いに信頼しているとして
手本となるのは、音楽家のジョン・ケージだと言っています。
雑然とした音響世界から音楽の構造を漉し分け、
一つの形式を与えるのだと。
不意に音楽とのつながりがでてきて、ここは面白いところでした。
最後には、日記のような自筆のノートを掲載しています。
アカデミーという名の芸術大学を猛烈に批判し、
芸術とは、真理と幸福と生命への最高の憧憬として働きつづけ、
一方で、自分が欲している映像とは何なのかと自問し続ける。
そして、イデオロギー、政治家、支配者に対する
異常なまでの嫌悪を粛々と述べて本書は終わっています。
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ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論
ゲルハルト・リヒター他 清水 穣訳
淡交社 2011年
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