2024年6月14日金曜日

読了メモ「地獄の季節」ランボオ 小林秀雄 訳

 

読了。

ときどき詩を読みます。
今回はあのランボオに挑戦。

詩では、言葉から醸し出される蒸気のようなものを感じることが好きなのですが、
海外作品の場合、当然ながら和訳された詩を読むことになります。
ですから、原文とは異なる言葉で読むことが大前提になるわけで、
誰がどう解釈して和訳したかで受け取り方は変わってくるわけです。
どの文芸作品もそうですが、小説やエッセイなどよりも
詩については訳の果たす意味合いは大きいのではと思います。
今回の場合は、かの小林秀雄さんでした。
ところで、あの中原中也さんもランボオの詩を訳されているというので、
読み比べてみたいなとも思ったものです。

難しい散文詩でしたけれど、訳者後記でふり返ったり、
作者に関する情報をときどき漁りながら読んでみると
読み留まるところもありました。

季節もわかたず街道を行き、あの世のように食も断ち、
 物乞いらの尤物(ゆうぶつ)よりも利慾を離れ、
 郷もなく友もないこの身を誇り、
 ああ俺の少年時、想えば愚かな事であった。」(p50「地獄の季節 不可能」より)

「不可能」という詩のこの冒頭の部分などは、
ランボオが家出を繰り返していたことや、
傾倒していたヴェルレーヌとの放浪生活、
道中でのアクシデントなどがわかると感じ方も変わってきます。

また、こんな部分こそ訳によって大きく変わってくるところかなと思うのですが、
描かれている「色」についての捉え方です。絶妙だと思います。

俺は、樅の林を透かして髪を振り乱すブロンド色の滝に笑いかけ、
 銀色の山の頂に女神の姿を認めた。」(p107「飾画 夜明け」より)

銀(しろがね)と銅(あかがね)の車
 鋼(はがね)と銀(しろがね)の船首(へさき)が
 泡を打ち、
 茨を根元から掘り起こす。」(p112「飾画 海景」より)

群青(ぐんじょう)の海峡から、オシアンの海へ、
 葡萄酒色の空に洗われた、
 薔薇色、柑子色(こうじいろ)の砂の上に、
 青物屋で腹ふくらす若く貧しい家族らが、
 放埒(ほうらつ)に軒を並べた水晶の大通りが、
 今、浮き上がり重なり合った。
 一片の富もない。 街。」(p116「飾画 メトロポリタン」より)

最後に、小林さんの訳者後記から。
家出してアビシニヤで必死に生きあがいていたランボオが、
家族に宛てた書簡から一文を紹介して終わりにします。
この書簡そのものもまさに詩だったのですが。。。

これが人生です。人生は茶番ではない。」(p146「訳者後記」より)


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 ランボオ 小林秀雄 訳
 岩波書店 2013年


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