2025年1月7日火曜日

読了メモ「ナニュークたちの星座」 雪舟えま 文 カシワイ 絵


 読了。

「ナニュークたちの星座」
 雪舟えま 文 カシワイ 絵
 アリス館 2018年11月

石を採掘する使命をおびたクローン少年たちのお話。彼らは全て5桁の製造番号が振られているが、お互いには下2桁で呼び合っているようだ。仕事場の鉱山ではマスクやグローブ、ヘルメットやゴーグルを身につける。別段、有毒ガスなどは出ていない模様。それでも健康管理のためペアを作って行動している。
彼らが採掘している石は「隠児石(かくれごいし)」という。青白い光を放つ綺麗な石だが、大人には見えない。もともと特定の子どもにしか見えなかったが、子どもを鉱山に行かせるのを親が渋ったため、その能力を持つ子どものクローンを作った。その子の名前がナニュークという。ただ、ナニュークたちも成長するため、大きくなると隠児石が見えなくなってくる。大きくなったナニュークたちは、炊事や洗濯、養育係、採掘場の廃棄作業などにまわる。
ナニュークの22号は、採掘業から卒業して街に出る。街で「たまごクリーム」を作る修行を積みながら、ホログラム映像を通して人気歌手に出会う。どうやらその歌手は一緒に仕事をしていた元ナニュークらしい。

クローンではあるものの、使命をやり遂げたあとの世界で、自分はいったい何をしたいのか、これからどのように生きていきたいのかを模索する22号。隠児石が見えなくなっても自分たちにとって大切なものは何かを感じる力はいつまでも残り続けるようだ。

装丁にあるようなイラストもふんだんに使われ、お話そのものはティーンエイジャー向けに書かれたものだが、大人が読んでも考えさせられる話。全98ページ。すぐ読めます。


2025年1月5日日曜日

読了メモ「笑うな」 筒井康隆 作


 読了。

「笑うな」
 筒井康隆 作
 新潮社 1980年10月

筒井康隆先生のショートショート集。34編からなる。実は筒井先生のショートショート集というのは珍しいらしい。ショートショートといえば、自分らの世代では星 新一さんが筆頭ではあるが、筒井先生のも当然ながら面白かった。まず、タイトルが良い。

そのタイトルにもなっている「笑うな」は、タイムマシンを発明してしまった話。たかだか9ページ足らずだが、これが可笑しい。電車の中では読んではいけない部類に入る。こんなSFっぽい話が続くかと思いきや、激しいブラックジョークの話もあるし、素直に笑えない話もある。オカルトっぽい話もあった。オチがとてつもなくくだらない駄洒落という話もある。短い数ページの話の中に筒井ワールド全開である。
委細を書き残すのは野暮なので、ここまでにしておきたい。ぜひ手に取ってお読みください。
 

2025年1月4日土曜日

読了メモ「今夜、すべてのバーで」 中島らも 作

読了。

「今夜、すべてのバーで」
 中島らも
 講談社 2020年12月

アル中の話。十中八九、私小説ではないかと思う。作中に、アルコール依存症のスクリーニングテストなるものがあって、主にはい、いいえで答え、その点数によって依存度合いを計るというものがあった。思わず自分もやってみたが、自分はもうアルコールを辞めてしまったので面白い結果にはならなかった。当然ながら主人公である小島さんの点数は凄まじい。なにせ、冒頭から医師よりひどい黄疸だとの診断を受け呆れられているのだから。
主人公は作家でもあることから、アル中の資料を集め勉強しながら酒を飲むという。自虐的なのだけれど、内服薬についてもやたら詳しく薬剤師顔負け、読んでる側もいろいろ知識が増える。アル中による幻覚症状が起きる話の解説では顰めっ面になるし、データで見るアルコール依存による死者の数は実は半端ないこともわかる。
自分は、先日、暇と退屈に関する哲学書を読んだからなのか、アル中の要因は「ありあまる時間にある」と本作で述べている箇所が引っかかった。労働時間が短縮され平均寿命が伸びていく中で、「空白の時間」に人はアルコールに溺れてしまうというのだ。ここで主人公は言う。

 「「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。
 「教養」とは学歴のことではなく、
 「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある」(p157)

治療にあたる口の悪い医師とのやりとりが面白いし、それもいちいち納得のいく話ばかり。その話を主人公も真摯に聞いている。酒好きとしての持論も展開し正当化しようとするが、少なくとも言えるのは、主人公はこのまま酒を飲み続けたら死ぬということ。そして話はアルコールで侵された内蔵の話から精神医療の話につながる。最後は精神科でアルコール依存症治療を綴った論文のコピーで締め括られる。

アル中のはちゃめちゃなドタバタ劇かと思いきや、いたって真面目な話だった。アルコールを飲まない人にもきっと参考になると思う。酒好きには襟を正して読んでほしいと思う。読後はきっと牛乳がいつも以上に美味しく感じられるはずだ。


2025年1月3日金曜日

読了メモ「春昼・春昼後刻」 泉 鏡花 作



読了。

「春昼・春昼後刻」
 泉 鏡花 作
 岩波書店 1987年4月

「しゅんちゅう・しゅんちゅうごこく」とそのまま読む。泉 鏡花さんといえば、あやしくて不思議なお話を連想するが、本作のタイトルはいかにものどか。実際、冒頭はこんな会話で始まる。

 「お爺さん、お爺さん。」
 「はあ、私けえ。」(p7)

散歩でぶらぶらしていて、鎌倉に行こうか、逗子に行こうかと思いあぐねていたところだったりもする。と呑気にお爺さんと話をしていると、やはりというか早くもおかしな気配になってくる。女衆が住むという家の前で、青大将を見つけてしまうのだった。話の流れは自然とその女衆の住む家のことになる。機織りをしている女の足元にも違う蛇、赤楝蛇がいたりする。散歩の末にたどり着いたお寺で聞くに、この家は資産家のものらしいが、どうもこの女衆はかこわれているのか幸が薄そう。そこに女を恋慕う男が現れたというのだが、その男は実は。。。
お話は次に続き、とうとう散歩をしていた御仁は女と相対することになる。実際に話を聞いてもやはり救いは見えてこない。飛び入りの獅子舞の小さな闖入者がきて話が急展開するやに見えたが、男に続いて女もとうとう。。。

二作合わせて、わずか140ページに満たない文章量ではあるけれど、文中に漂うのんびりとした雰囲気の中に見え隠れする闇と宙に浮いているようなどこか不安定な話の流れで、不可思議な世界にひきずり込まれるお話でした。最後は海岸に打ち寄せる波の音がずっと響き残っておりました。
 

2025年1月2日木曜日

読了メモ「招かれた天敵 生物多様性が生んだ夢と罠」 千葉 聡 著


 読了。

「招かれた天敵 生物多様性が生んだ夢と罠」
 千葉 聡 著
 みすず書房 2023年3月

人間にとっての有害生物を撲滅するために、天敵となる生物を国内外から導入し、それがことごとく失敗していった歴史を綴り、人間が自然界とどう向き合っていけばよいかを綴った一冊。

冒頭は、あのレイチェル・カーソンの「沈黙の春」の一節が引用される。殺虫剤の大量散布による化学薬品汚染で、毎朝さえずっていた鳥たちが消えてしまった田舎町。害虫防除にまつわる環境問題に光をあてた功績は大きかったが、化学薬品を使わない天敵導入による害虫防除は古くから行われてきた。中国では1,700年前から柑橘類保護のためアリを活用し、欧州ではテントウムシやクサカゲロウを利用したアブラムシ駆除が13世紀から知られ、18世紀にはカタツムリを使った果樹に着くコケ対策、バッタ退治のため放たれたムクドリなどの歴史がある。しかし、19世紀以降になると、人間の交易が地球規模になるにつれ、外来生物、及び有害生物は爆発的に増え始める。それに拍車をかけたのは英国で発足した「順化協会」。あらゆる生物を英国へ導入し、英国と植民地との間での生物の交換を実施し、自然資源を増加させるというもの。その結果、有益な動植物を増やすという事業は有害生物を増やすという副産物を大量に生み出してしまう。こう見てくると、外から持ち込まれた外来生物だけが有害と見做されがちだが、環境改変によって在来生物が侵略的にもなる。例えば、単一作物を大量に栽培することで、単純な生態系となり在来生物が大量発生し害虫化するのだ。
本書はこのあと、さまざまな有害生物とそれに対する天敵導入による防除の取り組みを克明に記述していく。駆除対象は昆虫ばかりではない。繁茂する雑草などの植物相手の話もある。オーストラリアでのウチワサボテン対策の話は海や国境を超えた自然界、産業界を巻き込んだ事例として耳目に値する。本書の最後にある筆者が取り組んだ小笠原諸島でのカタツムリの生態系維持の話も壮絶だった。巻末にもあるが、人間はことごとく歴史から学ばなければいけないことがたくさんあると思い知らされた。

本書のなかほどに、米国ワシントンに送られた日本の桜に害虫がいた話があった。その桜は焼却され、現存するワシントンの桜は、その後、日本からあらためて送られたものだそうだが、その時の日本側の応対がいかにも日本的だったことを記しておく。

2025年1月1日水曜日

読了メモ「暇と退屈の倫理学」 國分功一郎著


読了。

「暇と退屈の倫理学」
 國分功一郎著
 新潮社 2022年

久しぶりの哲学本。冒頭、次のような問いが並ぶ。

 人類は豊かさを目指してきた。なのになぜその豊かさを喜べないのか?(p20)
 そもそも私たちは、余裕を得た暁にかなえたい何かなどもっていたのか?(p25)

どうやら、単に人間の強欲が原因だけではないようだ。序盤はパスカルの気晴らしについての考察、ラッセルの幸福論から導く退屈している人間がもとめているもの、暇と退屈の違いなどについて論点を整理していく。そして、贅沢とはなにか、浪費と消費の違いを考えていくうちに、次のようなことを知らされる。
 
 余暇はいまや、「俺は好きなことをしているんだぞ」と全力で周囲にアピールし
 なければならない時間である。逆説的だが、何かをしなければならないのが余暇
 という時間なのだ。(p178)

この指摘を受けた時に思ったのは、今のSNSへの書き込みだ。すさまじい量のネットへの書き込みや写真の投稿がなされている状況はまさにこのことなのではないかと。この読了メモも同様といえば同様ではある。しかしながら、そんなに熱狂していても我々は退屈を感じてしまっている。そこでハイデッガーによる退屈の定義の議論に進む。その結果として、退屈には三つの形式があるとしている。外界が空虚になる場合、自分が空虚になる場合、そして、なんとなく退屈だと感じる場合。で、これらから逃れようとして人間は本意では必ずしもない仕事の奴隷になって時間に拘束され、この三つの退屈の形式を繰り返していくのだという。ハイデッガーはこれに対して、考えろ決断せよというのだが、議論は逆の方向に進む。

 人間はものを考えないですむ生活を目指して生きているという事実だ。(p376)

そうはいうものの、この世の中には考えざるをえない出来事や物事で溢れかえっていて、それらを楽しむことが人間なのではないかと本書は結んでいる。

哲学書によくある物事の定義から始まって、それらの対偶や反論をとりあげて、さらにそれらを覆す議論を繰り返して真意を追求していく形で、つかみどころのないテーマだからなおのこと難解かと思いきや、はたして一気に読み込んでしまえる一冊。おすすめです。

2024年12月31日火曜日

読了メモ「心臓の力 休めない臓器はなぜ「それ」を宿したのか」 柿沼由彦著


 読了。

「心臓の力 休めない臓器はなぜ「それ」を宿したのか」
 柿沼由彦著
 講談社 2015年

一度、しっかりと心臓に関する本は読んでみたいと思っていた。とはいえ専門書などは読めるはずもないので、まずはブルーバックスから。

わかりきっていることだが、私たちの心臓は私たちが生きている限り休むことなく動き続けている。一日で10万回の収縮と拡張を繰り返す。また、血液を送り出す力は水柱に換算すると1.77メートルまで吹き上げる力だという。本書の冒頭ではそれらを踏まえた上で気付かされたことがある。

 過酷な重労働を強いられる心臓は、必然的に多くのエネルギーを消費する一方で、
 エネルギーと共に産出される活性酸素という猛毒をあびつづけている。
 それは心臓にとっては致命的なダメージとなるはずだが、
 実際には心臓が活動を停止することがないのは、
 心臓自身にみずからを癒す能力が備わっているからである。(p5)

わかりやすい例えでいえば、「心筋細胞はなぜ筋肉痛を起こさないのか」心筋細胞でも筋肉痛を引き起こす乳酸は生じるが、心臓は乳酸をエネルギー源として使用する能力を持っているのだという。
長い年月をかけてのマウスを使った実験などを経て、心臓の交感神経と副交感神経の関係、そして鍵となる神経伝達物質の作用が明らかになっていく。その結果として虚血系心疾患への耐性があがるデータが確認されたというのだから驚く。すなわち心筋梗塞は直ちに絶命するが、そうではなく相当な期間の延命につながる道があるのだという。

自分をはじめ中高年は生活習慣病をかかえ、心臓をはじめとする循環器系器官に爆弾を抱えている人も多い。本書を読むと医学が切り開いていく未来に光明を感ぜずにはいられない。医学の将来に大いに期待するばかりである。