2016年6月23日木曜日

読了メモ「コンセント」田口ランディ



読了。

著者の処女作と言われている小説。

この本を読む前に太宰 治を読んでいたからなのか
死についての捉え方というか、向き合い方の違いを感じ取ることができました。

太宰 治の話は、人の死という現実を目前に置き、
あるいは、いつか来るものとして、それに自分はどう対峙するか、
死と現実との対立というスタンスに立っている話のように思うのですが、
本作の場合は、実兄の死を通して底なしの沼にずるずると入り、
ドライな人間社会と決別して踏み込んでいき、
そこに自分の世界を作ってしまう話のように思います。
こういうのをスピリチュアルというのでしょうか。

オカルト的な話の中で、幻覚はよく登場してきます。
主人公は兄の幻覚を見ているわけですが、
人間の五感のうちで最も鈍感と言われる嗅覚を使って
死臭の粒子を嗅ぎ分けるという幻臭(という表現はなかったが)には
逆にリアルな印象を持ちました。
人の死臭というのはものすごくて、とても耐えられないものだと、
昔、母の口から聞いたことがあったからかもしれません。
本作では、主人公の兄は真夏のアパートで一人で死んで腐敗して発見されるのです。

 
人間は過去の凝縮であるというフレーズがでてきます。
この作品の中には未来が見えないと言ったら言い過ぎでしょうか。
基本的にすべて過去に負い、過去に寄っていると思うのです。
そうなってしまった要因としては、主人公は兄の死顔を現実に見ていないからか。
葬儀屋から、腐敗しているので見てはいけないと止められたのです。
臭いでしか事実を捉えておらず、未来につながる現実を直視していない。


救いの言葉もありました。
人間の心は自分で癒すことができると沖縄のシャーマンに会いに行き

 正しい場所に立てば人は正しい行いをするのです。

と言われます。
この一行がとても救ってくれていると思うのです。
そして、死臭は生き物すべてにあることがわかり、
それは悪臭でなくなるのです。
ただ、最後の最後のところで
結局そっちに行っちゃうのかよって感じで。。。。


タイトルのコンセントですが、
比喩として「コンセント」という言葉を使ってきているのに
「プラグ」という言葉が一度出てくるのです。わざわざ。
読み手としては混乱してしまいました。
そのせいかどうかわかりませんが、
読み終えてのモヤモヤ感が余計に持続します。

と、なんだかんだ言ってますが、著者の本は嫌いではありません。
これまでも何冊か読んできていて、積ん読にもまだあります。


本作の話の鍵を握る映画として
「世界残酷物語」が何度か紹介されます。
3部作のうち3作目が、本作とは関係するようです。
探して観ておこうかと思います。

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コンセント
田口ランディ
幻冬舎 2000年

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