2016年7月30日土曜日

読了メモ「流星ひとつ」沢木耕太郎



読了。

ノンフィクションライターの著者による
歌手 藤 圭子へのロングインタビュー。
インタビューがなされたのは、
藤 圭子が歌手を引退した1979年。28歳の時。

その後、ずっと封印されて
2013年に彼女が投身自殺をした後に刊行された。


貧しくて苦しい子供の頃の話や、
浅草や錦糸町で流しをして居酒屋を巡っていた時代があり、
それを反骨にしてか是としてか生き方へのこだわり、
曲げられない藤 圭子の道理のようなものを読んでいて感じます。
例えば、クールファイブの前川 清への思い、
紅白歌合戦に選ばれなくなった時の心境と周囲への言動、
喉のポリープを手術で切除したが、
かわりに生来の声を失ったことへの後悔。
また、引退して歌をやめることについて、
歌手にとっての「歌」の存在、価値については、
インタビューでありながら、
そこで喧嘩が始まりそうな藤 圭子の勢いがあります。

全編が、「 」の会話で成り立ち、ト書き、地の文が一切ない。
話し手の名前やイニシャルも文頭にはありません。
章立ても、「一杯目の火酒」、「二杯目の火酒」と
彼女の好きなウォッカトニックを八杯まで、
二人で交わす形で会話が進んで行きます。

ノンフィクションを読むとついつい客観視なスタンスになってしまって、
やや鳥瞰的な読み方をしてしまうことが多いけれど、
本書は読んでいるというより、
二人が飲みながら交わす話をすぐそばで聞いているような
臨場感、没入感がたっぷりです。


事務所を移りながら、そこで出会った歌がいくつか紹介されています。
彼女の声が聴きたくて何曲かYou Tubeを漁ってしまいました。
その中から、こちらをピックアップ。
とても19歳が歌っているとは思えません。



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流星ひとつ
沢木耕太郎
新潮社 2013年



2016年7月24日日曜日

読了メモ「トリツカレ男」いしいしんじ



読了。

小説ではなく、物語。
お伽噺といった方がいいくらい。
読んでいて、挿絵のような情景が瞼に浮かび
あたかも絵本を読んでいるかのような感じになる。
この著者の作品をこれまでいくつか読んでいるけれど、
アニメーション映画にいつかなるんじゃないかといつも思っている。


主人公は、いろいろなことに夢中となって、
あたかも、そのことにとりつかれたかのごとくとなり、
右に出る者がないくらいに熱中して極めてしまうというジュゼッペ。
オペラ、三段跳び、ナッツ投げ、封筒集め.......。

おかげで周りからは人気者だけれども、
過ぎたるは及ばざるがごとしみたいなところもあるし、
それに、飽きっぽいところも玉にきず。

 
そんなジュゼッペに転機が訪れるのが少女ペチカとの出会い。
ジュゼッペの心はペチカにトリツカレてしまうのでした。
彼女と出会ってからの話は、それまでとはガラリと変わって、
ぐっと大人向けのお話の流れになります。

相談相手のハツカネズミと一緒に
一途でピュアな気持ちのジュゼッペが
ペチカのことを一心に思い考え、行動する様が切ないのです。
最後の章では、その後二人がどうなったのかを伝える
後日談みたいな展開にもなっていて、
とっても微笑ましいエンディングになっています。

 
読み終えて笑顔になれる物語。
最近、あまりそういうお話にめぐりあえていなかったかもしれません。
本のページ数も160ページほどです。
お手軽に素敵な暖かい気持ちにさせてくれるお話です。

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トリツカレ男
いしいしんじ
ビリケン出版 2001年

2016年7月20日水曜日

読了メモ「イマジネーションの戦争」芥川龍之介 他



読了。

全20巻になる「戦争と文学」コレクションの第5巻。
20巻は現代編、近代編、テーマ編、地域編に分かれていて
本書は現代編のなかの一つ。

芥川龍之介、安部公房、宮沢賢治ばかりでなく
星新一や筒井康隆、小松左京の他に
三崎亜紀や田中慎弥という最近の作家の作品まで
全部で19作がおさめられている。
懐かしく読めたのは赤川次郎。


ノンフィクションばりの撃ち合う戦争シーンがあるわけではない。
あえて言えばSFと言ってもいいかもしれない。もしくは幻想小説か。
タイムスリップあり、ナンセンスあり。
なかには、ミサイルを擬人化して生き様を語らせる話などもあって、
現実にはない世界の中で戦争が描かれている。
ただ、どれもが妙に肌身にひしひしと迫る感じがあって気持ちがざわつく。

いくつか読んでいて思うに、
戦争状態に置かれるとはどういうことなのか。
それは、人が殺し殺されることではあるが
その極限の境地にいたる前に、
もしくは最前線とは遠くかけはなれたところで
基本的な人権がないがしろにされていくということが
これらのフィクションを読んでいてとてもよくわかる。
また、そのために市井の人々の意識が、
少しづつ少しづつ変わっていってしまう様がとても恐ろしい。


・歴史があるから戦争がおこるんじゃないぞ。
 戦争を起こすために歴史が必要なんだ。

・奉仕活動の中に自衛隊への入隊なんてものがどうして入っていると思う?
 建前はボランティア。現実は徴兵制。

・こんなことになるのなら、それこそ兵役にでも行って
 鍛えられてきた方がいいかもしれない。

・二度と政治に無知な一般大衆に国の運営を任せてはいけません。
 選挙などというものはもってのほかです。政治に携わってよいのは
 深い知識と高い知力を持つエリートだけなのです。


19の作品の一つ一つは、別々の話ではあるけれど
昨今のきな臭い話題が目の前をかすめていると、
とても空想の話ですまされないような気がしてくるのは
たぶん自分だけではないと思う。


芥川龍之介の話は、誰もが子供の頃から知っている「桃太郎」。
だが、桃太郎は英雄ではなく、
鬼を容赦なく切り殺す殺戮者として描かれている。
生き残った鬼が恨みをはらすために復讐にきて
家来の雉や猿、犬を餌食にしたり、
残虐な桃太郎を無数に孕んでいる桃のなる木が最後に出てきて
とても背筋が寒くなる思いがした。

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イマジネーションの戦争
芥川龍之介、安部公房、筒井康隆、伊藤計劃、モブ・ノリオ、
宮沢賢治、小松左京、秋山瑞人、三崎亜紀、青来有一、
星野智幸、星 新一、山本 弘、田中慎弥、稲垣足穂、
内田百間、高橋新吉、赤川次郎、小島信夫
集英社 2011年


2016年7月9日土曜日

読了メモ「語るに足る、ささやかな人生 アメリカの小さな町で」駒沢敏器



読了。

アメリカのスモールタウンを巡るノンフィクション。
訪れる町の人口はせいぜい数百人、多くても二千人程度。

そこに住んでいる人たちの目の前にあるのは、
乾いて広大な土地とはるか東西に伸びている道。
そしてこれまで生きてきた過去。
貧困もあるし、未来が見えないところもある。
ハイウェイにバイパスされて取り残された町もある。
それでも、彼らはその町を離れない。

著者によれば、スモールタウンでは退屈を受け止めている
というのは的外れだったそうです。
むしろ、都会の人の方がずっと退屈している印象を受けたと。
自分たちの町で背負う役割を、
他人の手を借りずにこなさなければならないスモールタウンでは、
実際のところ退屈している暇はないというのです。

ドライブインシアター、牧場、モーテル、カフェ、
ナマズの養殖場、製粉工場、ロデオ、床屋、、、
訪れたスモールタウンにはさまざまな営みがあり、
そのどの住人も、訪れた著者を笑顔で迎え入れ、
喜んで話をし、時には悲しみを打ち明けてくるときもあった。
住人たちは、分け隔てがなくいたってフェアなのでした。


前半はニューヨークからシアトルまで。
後半はニューオリンズから北上して、途中66号線に沿ってカリフォルニアまで。
ノンフィクションですが、著者の語り口からなのか、
読んでいてどこか小説みたいな広がりというか感覚になります。
自分の日常感覚から離れている世界からなのかもしれないし、
逆に、住人と著者のやり取りが地に足のついたものであり、
小さな社会の中で家族で生きていくことの大切さをにじませているからでしょうか。

大きな成功よりも小さな平和を願い、虚栄よりも確実な幸福を、
そして、町の住民のために役立つ自らの誇りを町の人たちは心から望んでいる。
という著者の言葉が印象的でした。

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語るに足る、ささやかな人生 アメリカの小さな町で
駒沢敏器
NHK出版 2005年


2016年7月3日日曜日

読了メモ「総理大臣になりたい」坪内祐三



読了。

次の週末は参議院選挙投票日をひかえている。

そんなおりだからというわけでもないけれど
部屋の積ん読の山から抜き取った一冊。


財界の大物や文化人と親戚関係にあり、
父親がいきなり出版社の社長に抜擢されたり、
いわゆるエリートと呼ばれる人たちと
家族が交流するのを子どもの時から目前にする環境を通じて
著者自身も少しづつ政治家に詳しくなっていきます。
で、詳しくなるとどうなるかというと
ここが面白いところで、嫌いになっていくのだそうです。
ある時期以降の日本の政治家はロクなもんじゃないと感じていたとか。

そのある時期というのは1980年の頃を指しているようです。
ポストモダンという言葉が使われていて
問題を先延ばしする時風のあった頃だそうです。
その頃から少しづつ日本はバブルの時代に向かっていくのです。


戦後の歴代総理大臣を振り返るところでは
中曽根康弘の国鉄民営化と小泉純一郎の郵政民営化の比較が面白い
というか、言われてみれば、同じ民営化でも全然違うことが明白です。
消費税導入、靖国参拝、中選挙区から小選挙区への切り替え。
それぞれの事象の裏にある政治家の思惑や算盤勘定もありますが
著者のいうところの、政治家はロングスパンで政局を見ているのか、
根本的抜本的なことができないまま次の出来事が起きてしまっている、
という指摘は尤もなことだと思いますし、
政治家でなくとも、市民の日々の生活や仕事の中でも
そういう視点をもっておくのは大切なことではないかと思います。

景気を回復させるためには消費を伸ばす必要がある
という考え方を著者は否定しています。
何かを買いたいというのではなく、
安心して暮らしたいという人が多いのではないか。
老後を心配することもなく楽しく暮らせる小さな日本は実現可能で
少ないお金でも幸せに暮らすことを可能にするのは「知性」であると。
そのための教職員の処遇改善や、授業科目の抜本的な見直しをあげていました。
ゆとりや詰め込みとか、進出か侵略かとかは問うていません。


で、肝心の著者自身が総理大臣に今からなるにはどうすればいいか。
それには「首相公選」しかないのですが、
今の日本では、そのやり方は危険だと言っています。
日本国民は、一つの流れができると全員がそれに乗ってしまい
怖ろしいほどの潮流を生むことがあるという指摘もありました。
確かに、このポイントは少し背筋が寒くなる思いがします。


本書は政治に関する専門書でもありません。
なかばユーモアを交えたエッセイのようなものです。
でも、こういう本を読みながらででも
政治や日本という国について考えたり、
思いをはせたりする時間を持つのは大切なことだと思います。

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総理大臣になりたい
坪内祐三
講談社 2013年