2016年9月26日月曜日

読了メモ「女医裏物語 禁断の大学病院、白衣の日常」神 薫



読了。

う〜ん、罪作りな装丁だよなぁ。
こんなん見ちゃうと、誰だって猥雑な話があるんだろうと
もやもやと妄想しちゃうよね。

でね、中身は全然違います。
どちらかというと、医学部フェチ、医療オタクな世界に入り込めます。
あらためて気がついたけど、お医者様の世界では
病気とは言わないのね。「疾患」というのですね。
解剖実習では、尊い献体には手を合わせ、
場を変えて病理学の部屋では、標本を机の上において
ジャンクフードを食べるという日々。
タッパーの中にはホルマリンに浮かぶ人間の脳とかもあるわけで
そのタッパーにはレンジでチンOKのシールが貼ってあったりする。
こんなエグいけれども、とてもディープな世界を
覗き見ることができます。

そんな中でも、比較的親近感を覚えた話題は聴診器のこと。
やっぱり、ハイエンドグレード、つまりお値段の高い方が
心雑音の聞こえ方が全然違うんですって。
著者は循環器内科実習の際に1万5千円の聴診器を買ったそうですが、
教授のそれはゴールドに輝く7万円!
ものの見事に聞こえたそうです。
やっぱり、道具はいいもの誂えないとね。どこの世界も一緒です。

研修医時代のひもじさが伝わる話もあります。
著者は眼科に入るわけですが、コンタクトレンズの検診バイトの方が
時給の割がいいっていう話とかは切実です。
眼科にくる患者は目が悪いから平気なんだと
ミニスカで登院する女医とかもいるそうですが、
もちろん、素晴らしい尊敬すべき先生のお話も載ってますよ。

あとがきにある通り、病院や医師に親しみを覚える一冊ですし、
医療の専門用語って、なかなか捨てがたいと思いました。
字面と音読した時の響きがよいですね。
そんな私と同じオタクな心を持つ貴方もお気軽に読める一冊かと。

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女医裏物語 禁断の大学病院、白衣の日常
神 薫
文藝春秋 2012年







2016年9月24日土曜日

湘南写真倶楽部の合同写真展に出展します。



早いもので、今年もこの季節になりました。

地元、湘南写真倶楽部の合同写真展に懲りずに出展します。
場所は今までと同じJR茅ヶ崎駅北口にある市民ギャラリーです。

昨年は事情があって、参加を直前で見送ったので2年ぶり。
じゃ〜充電ばっちり・・・・ってなわけもなく、
今年も泥縄で仕上がりそうです......。 ┐(´-`)┌

そんな、あたくしのはともかく、
メンバーの秀逸な写真を是非ご覧くださいませ。
額装された写真のほか、フォトブックコーナーもあります。

御用とお急ぎでない貴方、茅ヶ崎まで足を運んでみてはいかがすか。

10月13日(木)〜10月16日(日)
10:00〜19:00(最終日は 17:00 終了)
茅ヶ崎市民ギャラリー展示室
 茅ヶ崎市元町1-1 ネスパ茅ヶ崎ビル4F
 (駅直結のデッキ3Fからビルに入れます)


2016年9月19日月曜日

読了メモ「全ての装備を知恵に置き換えること」石川直樹


読了。

著者は高校時代にインドを一人で旅し、
北極から南極まで人力で踏破するPOLE TO POLEプロジェクトに参加
世界7大陸最高峰登頂も制覇した。
また、熱気球による太平洋横断に挑戦したが、これはハワイに着水している。

こういう冒険家の体験談を聞いたり読んだりすると
植村直己や三浦雄一郎、先日も写真展を観てきた星野道夫などの
赤黒く日焼けしたベテラン年配者のイメージを持つのですが、
この著者は若い。1977年生まれなので来年40歳ということか。


読む前はタイトルの印象から、過酷な環境や生死をさまよう苦難を
いったいどんな工夫やおどろきの発想で乗り越えてきたかを
手に汗握って読めるのかと、これまた勝手に思い込んでいたものの、
読み始めてみると意外と淡々としていました。

海、山、極地、都市、大地、空 の
6つからなる章立ての中には、それぞれの土地、場所での
それこそ極限な状況や、未知の世界に接する話がたくさんあります。
読み進めていくうちにわかってきたのは、
それらはその土地にあるごく当たり前にあることであって、
なにもお化けや悪魔がでてきて退治する話ではないのです。
何かを見たい感じたいと思ったら、迷わずに足をそこへ踏み出すこと。
それを先人の言葉から学び指針にしているというのです。

航海者は進む方角を見据えるために常に現在地を把握し、
小さな船を操るには体力、精神力、仲間との連体感、責任感が必要です。
氷雪地では、GPSとスノーモービルを使えば効率はあがるが五感は鈍化し
自然の中で生きて行く力が衰えていってしまう。
辺境と呼ばれる地に身を置いて自分の位置をあらためて確認すると
今まで見えなかったものが見えてくるのです。

旅の原点は歩き続けることで、何も持たず黙々と歩き続けること。
全ての装備を知恵に置き換えて、より少ない荷物で移動する。
と、最後になって、著者の言いたかったことがわかってきたように思います。

アフガニスタンを訪れた時には、仏像破壊やテロのニュースが流れる中、
現地の人に優しく声をかけてもらい、食事をともにし雑魚寝で休むことができました。
日本でも、山形の雪山から凍えながら降りてきた時に
旅館の女将さんがお汁粉作って待っていてくれたそうです。
とても装備には置き換えられない話だと思います。

そして、今、この瞬間も川は流れているのです。

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全ての装備を知恵に置き換える
石川直樹
晶文社 2005年




2016年9月14日水曜日

読了メモ「朗読の時間 中原中也」朗読 篠田三郎



読了。

いや、聴了とでもいうべきかな。
文学を朗読でまともに聴くというのは初めて。
テレビやラジオで流れているのを聞き流したことはあっても
ヘッドフォンで没入するなんて。
しかも、中原中也の詩。

本書を本屋の棚で見つけた時、
朗読が篠田三郎ということでまずは気になった。
あの声で詩を朗読されたらどんな感じなのだろう。
聴くならヘッドフォンだろうし、
きっと耳骨の奥中に響いてくるのではあるまいか。
そう思って果たして聞いてみると、その声の響きの良さだけでなく
読み上げる速度が、詩に合っていてちょうどよいのでありました。
そう、この読み上げる速度に打たれたのです。

自分は詩を読む時、いつも続けて数回、繰り返して読みます。
すると繰り返される語句がやはり頭に残ります。
これが耳からも入るとなおのこと。
中原中也の詩は、そんな語句の繰り返しがとても印象的です。
黙読する時と、朗読で聴くとではフレーズの巡り具合がまた異なり、
読み上げる速度もこれまでの自分のペースとは違うものですから、
ハッとしたり、新鮮な感じがしてよいのです。

そして、これが別の本を読み始めると、
いつのまにか頭の中で篠田三郎の声が聞こえてきて
またそれが本読みに没頭するきっかけにもなるのでした。
本を読んでいると読み上げる人の声が聞こえてくるという人がよくいます。
自分にはこれまでそういうことはなかったのですけれど、
今回、本書を「聴く」ことで貴重な体験を得ることもできたのでした。


有名な、「汚れつちまつた悲しみに」 をはじめ29の詩がおさめられています。
あのヒット曲の元になったと言われる「頑是ない歌」も。
いくつか頭の中に響いて残っているフレーズがありますが
「いのちの声」という詩の持っている か細いけれど熱い情のようなものや
「無題」という詩の中にある 幸福と対立する頑なな心を
戒めるような問いかけがずっとひっかかっています。

中原中也の詩を朗読で聴くことができてよかった。
黙読だけでは決して味わえない何かを感じることができました。
次はやっぱり宮沢賢治を聴いてみたい。

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朗読の時間 中原中也
朗読 篠田三郎
東京書籍 2011年









2016年9月10日土曜日

読了メモ「妖怪天国」水木しげる



読了。

1970年代から80年代前半にかけて
いろいろな雑誌や新聞などに掲載された水木しげるのエッセイ集。
ほとんどが、2ページと少々程度のもので
ところどころに、独特のあの挿絵がはさみこんである。

タイトル通り妖怪の話はあるけれど
べとべとさんや、川赤子とかマイナーな妖怪で、
名の知れているところでは、あずき洗いや、河童など。
「となりのトトロ」も出てきて解説、絶賛もされていた。
鬼太郎やねずみ男などは挿絵でちょっと顔を出すくらい。

 
著者の妖怪漫画家としての話よりも、
戦争で南方にいた頃の話がベースになっている。
著者は、戦争中、ニューギニアに出征。
そこで片腕を失うわけだが、現地民族と交流を深め、
終戦をむかえても残ることを真剣に考えたとか。
南方は著者にとっては楽園だったという。
ちなみに帰国後も現地住民とはずっと交流が続いていたそうです。
現地住民との心の通い合いや、あわやどうにかなってしまいそうな
エピソードは、エッセイとして面白く読めても
その紙一重にある極限の現実は大変重いものがある。

つらいことや耐えることではなしに、
楽をしたい、なまけたいということを目指すその徹底ぶりの話には
なかば呆れるくらいな印象を受ける。
それでも読み進めるうちに、その「楽」に向けての
著者の真摯な姿勢と生き方に考えさせられるものがある。

また、自分は幸福だと思ったことはあまりないと言い切っています。
あえて言うなら、挑戦することによって生まれる心の緊張、
はりといったものがささやかな快感をもたらし、
それが幸福と言えば幸福なのだそうです。
挑戦の結果を問題にするのではなく、挑戦する行動にその報いが含まれている。
戦争で地獄を経験し、戦後は紙芝居や貸本業を営みながら
厳しい生活をしてきた著者の人生観を感じ取れる一節でした。


妖怪の話に戻ると、ヨーロッパでは妖精画が美しいという。
一方、日本の妖怪画はどちらかというとグロテスクになりすぎている。
日本の座敷童子や一寸法師などは妖精とも言えなくもないが、
四谷怪談に代表される幽霊のイメージがあって、
日本では妖怪を悪しきもの妖しいものとして放置してきた。
ヨーロッパでも魔女に代表される悪魔がいたりするが
シェークスピアでも様々な妖精が登場したり
空想や幻想が追加されて名画も制作されて実に楽しいと。
そうは言うものの、著者のおかげで、
日本の妖怪は市民権をぐっとつかめたと思うのですが、
ご本人にとっては、まだまだまだの様子でした。

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妖怪天国
水木しげる
筑摩書房 1992年






2016年9月4日日曜日

読了メモ「書物の変 グーグルベルグの時代」港 千尋



読了。

キンドルに代表される電子書籍。
デジタル化の技術で何千冊もの書物を薄い一つの端末で読めるようになった。
蔵書スペースをとらず、その何千冊の本をどこへでも持ち歩くことが容易い。
その電子書籍についてのあるトラブルから、本書の話は展開します。
一言でいえば、「読者」は「ユーザー」になったということなのか。

続いて、文字と記録の歴史とグーテンベルグの活版印刷技術の発明。
かの15世紀の大発明は偉大な科学者でも事業家からでもなく、
金属加工に携わる一職人のこだわりから生まれました。
グーテンベルグが作った金属活字は290字。同じ a でも八種類あったそうです。
そして、500年以上の時が流れ、著者が訪れたパリの旧国立印刷所では
数百トンはあろうかという活字の保管庫を目の当たりにします。

と、こう書いていると、デジタルな電子書籍と
アナログなこれまでの本についてのステレオタイプな話なのかと
思ってしまいますが果たしてそうではありません。

大英図書館では古文書の電子化を進めていて
500年以上前のコーランや彩色写本を閲覧できるのですが、
目をひいたのは、その古文書のページをめくる体験ができるというところ。
ページをめくるには、マウスを動かすだけですが、
ディスプレイ上にめくり上がる際には影が生まれて動き、
めくり具合によって羊皮紙が作るカーブも再現しているそうです。
更に自分としては、読み進むにつれて、
本の重心が和書だったら左から右に移っていく感覚を
もたせてくれるといいなと思います。

めくるページの位置や本の痛み具合、
読んでいる場所の明るさ、時刻、季節、年齢などによって
ヒトの読書経験は違ってくるでしょうから
電子化された本の仕様も千差万別であるべきで、
これにどういう解をこれから出してくれるのかと思うと
ちょっとわくわくしてきます。

一方で、本には保存のために修復作業が必要であるということから始まって、
電子書籍の場合、50年後の環境でも
今のデータを読み出すことができるのだろうか、
未来のコンピュータプログラムが
二千年前の電子テキストを理解できるのだろうかは誰にもわかりません。
かくいう我が家にも、すでに再生できないメディアがいくつかあり、
これと同じことがおきるのではと容易に想像できます。
著者は、ここで「本を養う」という表現を使って呼びかけています。
本でも電子書籍でも書物を通して未来を養うことを忘れてはいけないのです。

終盤は、書物の話から少し離れて、
貨幣の統一、非常事態と権力、琥珀の発見、感染症の広がりなどを切り口に
記憶や記録、情報伝達、痕跡と消滅などについての考察が述べられます。

全体的にややアカデミックですけれど
グーテンベルグとグーグルを合わせた造語をサブタイトルに
未来の情報文化や技術の発展について
まだもやもやとはするものの、
はてしない広がりを抱かせる読み物かと思います。

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書物の変 グーグルベルグの時代
港 千尋
せりか書房 2010年