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2016年9月14日水曜日

読了メモ「朗読の時間 中原中也」朗読 篠田三郎



読了。

いや、聴了とでもいうべきかな。
文学を朗読でまともに聴くというのは初めて。
テレビやラジオで流れているのを聞き流したことはあっても
ヘッドフォンで没入するなんて。
しかも、中原中也の詩。

本書を本屋の棚で見つけた時、
朗読が篠田三郎ということでまずは気になった。
あの声で詩を朗読されたらどんな感じなのだろう。
聴くならヘッドフォンだろうし、
きっと耳骨の奥中に響いてくるのではあるまいか。
そう思って果たして聞いてみると、その声の響きの良さだけでなく
読み上げる速度が、詩に合っていてちょうどよいのでありました。
そう、この読み上げる速度に打たれたのです。

自分は詩を読む時、いつも続けて数回、繰り返して読みます。
すると繰り返される語句がやはり頭に残ります。
これが耳からも入るとなおのこと。
中原中也の詩は、そんな語句の繰り返しがとても印象的です。
黙読する時と、朗読で聴くとではフレーズの巡り具合がまた異なり、
読み上げる速度もこれまでの自分のペースとは違うものですから、
ハッとしたり、新鮮な感じがしてよいのです。

そして、これが別の本を読み始めると、
いつのまにか頭の中で篠田三郎の声が聞こえてきて
またそれが本読みに没頭するきっかけにもなるのでした。
本を読んでいると読み上げる人の声が聞こえてくるという人がよくいます。
自分にはこれまでそういうことはなかったのですけれど、
今回、本書を「聴く」ことで貴重な体験を得ることもできたのでした。


有名な、「汚れつちまつた悲しみに」 をはじめ29の詩がおさめられています。
あのヒット曲の元になったと言われる「頑是ない歌」も。
いくつか頭の中に響いて残っているフレーズがありますが
「いのちの声」という詩の持っている か細いけれど熱い情のようなものや
「無題」という詩の中にある 幸福と対立する頑なな心を
戒めるような問いかけがずっとひっかかっています。

中原中也の詩を朗読で聴くことができてよかった。
黙読だけでは決して味わえない何かを感じることができました。
次はやっぱり宮沢賢治を聴いてみたい。

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朗読の時間 中原中也
朗読 篠田三郎
東京書籍 2011年









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