2018年7月2日月曜日

読了メモ「恋文の技術」 森見登美彦



読了。

著者によるハウツー本....ではなくて
ひたすら、守田一郎という能登でクラゲを研究する学生の書く手紙が一方的に続く。

友人、同僚、先輩、妹、
あげくには森見登美彦宛てにも手紙を書いている。
恋文というよりは文通だ。

面白いのは、出された手紙の返事が一切載っていないということ。
つまり、白ヤギさんが読まずに食べたのか、ちゃんと読んだかわからない。
お返事ありがとうという一言は守田一郎の手紙にあったりするけれど。

いろいろと試行錯誤して書いた手紙を読んでいると
へぇ、そう書いてくるかなど面白い書き方もあれば、
馬鹿だなぁ、こんな書き方はしないよという例文のようなものがおかしい。
ちゃんと【反省】を書いているところもえらい。

ただ、守田一郎自身も書いているが
手紙に書いた言葉、表現が、本当に自分の心、思いを
表したものなのかどうかはわからないという。
そういうもどかしさも書かれている。これはとてもよくわかる。


後半は、宛先にあたる人物達が相互に手紙を出し合って
全員がある時期、京都の特定の場所に集まるよう仕向けられる。
いかにも各人物が書いたように見えるのだが、
おそらく守田一郎が全て企てて書いたのだろう。
なにせ、恋文代筆ベンチャー企業を起こそうというのだから。


この本を読むと手紙が書きたくなってくる。
メールやメッセンジャーでは決して伝わらない何かが
手紙にはあると思う。

かくいう私も、文通をしたことがある。
携帯電話もインターネットもない時代です。
相手は転校していった女の子で中学から高校時代にかけてだった。
思い出すのも恥ずかしいが、書いている時も投函する時も
返信を待っている時も、届いた手紙の封を開ける時も
とてもとても楽しみであった。
当時、初恋という感覚はなかったが
あれがその味だったのだろうか。。。
なんてね。


守田一郎の妹は、
まわりくどい恋文なんてしないで、口で言われた方がいい。
でも恋人だったら、恋文の一つでもかけないような男は願い下げです。
とばっさり。

貴殿も恋文、書いてみませんか?


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恋文の技術
森見登美彦
ポプラ社 2009年




2018年6月21日木曜日

読了メモ「音楽する人間 ノードフ - ロビンズ創造的音楽療法への遥かな旅」クライヴ・ロビンズ



読了。

音楽、特に生の演奏を通じて
自閉症、健康障害、神経性障害、重複障害など
さまざまな障害を持つ子どもたちに問いかけや、
新しい発見や発育を促していく。

本書の中には、シュタイナーの人智学という言葉が頻繁にでてくる。
自分はそれを学んだわけではないが、
一種の霊的な力の考え方も含んでいるようで
音楽はそれを導き出すというのだ。

それがどうかは別にして、
実際、生で演奏をしながら、簡単な言葉を
子どもたちになげかけていくと
不思議なことに、それまでなんの横のつながりもなく
殻に閉じこもっていた子どもたち同士の間に
わずかづつコミュニケーションが生まれる。

部屋の中に、葉っぱを散らし、箒を分解しておくと
まずは、箒を作ろうとみんなで協力し、
葉っぱのゴミを一箇所に集めようとする。

人と全く話すことを拒んでいた子どもが
演奏を通して話しかけることで
挨拶をし、問いかけを始める。
母親の運転する帰りの車の中で、歌を歌い始める。
今までなかったことだ。母親の驚きようったらない。

当然と言っては残念だが、
このような試みを拒絶する人々もいることも記されている。
しかし、それも実績を積み上げていくことで
立証され、信頼を得ていく。


自らの意識を「あらねばならぬ」ではなく
「何者であるか」と解釈していくことと結ぶ。

考え方や信念を活字で理解することは
難しいかもしれないが、本書には
付録としてDVDが付いている。
創造的音楽療法の貴重な記録映像だ。
本文を読みを得た後、実際の姿が結果がそこで見えるのは
大変な説得力がある。

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音楽する人間 ノードフ・ロビンズ創造的音楽療法への遥かな旅
クライヴ・ロビンズ 生野里花 訳
春秋社 2007年



2018年6月11日月曜日

読了メモ「今宵も歌舞伎へまいります」沼野正子



読了。

自分は文楽や浄瑠璃はないけれど、
歌舞伎は観たことがある..........と胸をはっていえるかどうか。

なにせ学校の行事で「仮名手本忠臣蔵」を観に行った「事実」しか覚えてないからだ。
しかも観劇中は見事に寝てしまった。
歌舞伎座関係者の皆さん、引率の先生、すいません。

本書は、著者がイラストレーターで絵本作家でもあり
彼女の書いたイラストが入っていたりと
わかりやすく、面白く描かれているのだが、
自分には、やはり古典芸能のハードルは高かった。


前半は主だった作品、後半は個性ある役者にそれぞれ焦点をあてている。
あの四谷怪談が裏では忠臣蔵の浅野家、吉良家と繋がっている話だとは
ここで初めて知った。知ってました?
歌舞伎は舞台転換の鮮やかさも見どころの一つで、
8時だよ全員集合のおおがかりなコントも比較にならないそうな。
あたりまえか。

また、歌舞伎というのは、そもそも非常に長い演劇で
その日に上演されるのも、「・・・の幕」とか「・・・の場」と
一部分しか上演されず、なんと「本日はこれまで!」とかいって
いきなり幕が降りてしまうことも初めて知った。
う〜む、となるとこれは、のめり込ませようと
通い詰めにならざるをえない仕掛けなんかいな。


役者のところでは、著者はあえて、女形を軸に書いている。
随所に、玉三郎や雀右衛門という名前が頻繁に出てくる。
もはや舞台で観ることは叶わないが
特に雀右衛門についてはべた褒めであった。
子供のころから三味線、琴、胡弓、長唄、義太夫などなど
いろいろな素養を身につけておかねばならない厳しさも描かれていました。


この先、一度は歌舞伎観劇にチャレンジしてみようかな
ところで、あの「成田屋!」「中村屋!」という合いの手は
誰がどういうタイミングで出しているんだろうか。
もし観客だとして、タイミング外すと顰蹙を買うんだろうなぁ。。。


で、Youtubeでは削除されてまい、書き込みの字がうるさいのですが
こちらでよろしければ。(本書とは全く関係ありません)



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今宵も歌舞伎へまいります
沼野正子
晶文社 2001年

2018年5月31日木曜日

読了メモ「ダンス・ダンス・ダンス」村上春樹



読了。

懐かしいですか? そうかもしれませんね。

なんつうか浮世離れした架空の話。小説だからいいのか。
唯一、社会的なのはメガネをかけたユミヨシさんだけかな。
ちょうどバブルが弾ける直前の頃の作品とはいえ
こうも世界が違うと、小説というよりも
夢か幻想を読み流しているみたい。

電話がダイヤル式で、もちろん携帯はない。
途中で予定が変更になっても、電話が通じなければどうにもならない。
アナログな時代だから、リニアにクロノロジカルに
時は進むと思えば、人間は一瞬にして年を取るんだそうな。

そんな中で、ぐるぐるとまるで踊るように人に会い
渡り歩いて、最後に思っていた人と再会することができる。
ハッピーエンドなのではないか。
まさに、踊っているというタイトルにつながるのか。

ただ、その途中で出会う人々、そして例によって羊と鼠がこの世を去る。
一方、あの生意気な少女のユキはどうなるのか。
母親や辻堂の父親との関係は修復しないままなのだろう。
そういう意味ではハッピーではない。
もう主人公とも関係ない人生となるのだろう。


雪かきの話がなんどか出てきます。
雪かきそのものは大事な行為だけれど
全ての雪かきのパターンを理解するのは
自分にはちょっとハードルは高い。
頭が固くなってしまったのか、人生経験がうすっぺらいのか。

一人で立ち回っている話なので話は理解しやすい。
そのかわり他の登場人物が、ほとんどぶっとんでいるけれど。

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ダンス・ダンス・ダンス
村上春樹
講談社 1988年



2018年5月26日土曜日

読了メモ「床下の小人たち」 メアリー・ノートン



読了。

お察しの通り、ジブリのアニメ
「借りぐらしのアリエッティ」の原作です。

小人たちはみな人間の家の床下に住んでいる
と思いがちですが、必ずしもそうではありません。
草原や、アナグマの巣の中、洞穴の中なども多く、
人間の家の床下で生活できる「家族」は限られているようです。

人間の生活道具の一部を
こっそり借りてきて、床下にリビングや寝室を作り
灯もとれるわけですから、快適そのもの。
しかし、その姿を人間に「見られたら」もうその生活は終わりです。

アリエッティが出会ってしまったその家の少年は
冷静で彼女たちのことを理解してはくれましたが
アリエッティの父親のポッドをみた人間はそうはいきません。
床板をこじ開けて小人たちの部屋をバラバラにしてしまうのです。


本作は、小人たちの冒険のほんの始まりにすぎません。
アリエッティ一家は、この後、この人間の家を離れ
草原に出て、すみかを探し、新しい生活を始めることになります。

作中、アリエッティは人間のこと、つまり少年のことを
擁護しますが、ポッドはそれを否定します。
人間がどんな約束をしてくれたところで
いいことをされたためしがないというのです。
ちょっと、心が痛みました。

床下から床上に這い上がって
大きな時計の下の穴に出てくるまでの様子はドキドキします。
外に出た時の開放感、床下とは違った陽の光の強さ、
希望と期待と緊張。
そういう感覚をいつまでも忘れないでいたいなと思うお話でした。

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床下の小人たち
メアリー・ノートン
林 容吉 訳
岩波書店 2010年



2018年5月20日日曜日

今年も大盛況!ブックカーニバル in カマクラ2018



今年もブックカーニバル in  カマクラ2018 は大盛況でした。

たくさんのお客様にバリエンにもお越しいただきました。
ありがとうございました。
自分が読んだ本を通じて、
いろいろなお客様とお話しをさせていただきました。

あーこれも面白そう、これもこれもと
気になる本を山積みにしていく女性、精算中に更に一冊追加。
思い出のマーニーの原作と先日亡くなられた加古里子さんの本を
離さない小学生の女の子に、本当にちゃんと読めるの?と笑顔のお母さん。
座り込んでいるお客様の後ろの方から、「夜と霧」下さい!と指名買いされたり、
例のホラー本は仲間内へお嫁に行きました。

そんなこんなで、なんとカバンが一つ空っぽに!

身体の具合を気づかっていただいた実行委員の皆様、
それぞれに特色のある面白い各店主の皆さん、
そして笑顔で来場されて、本を見て触って話をして下さり、
お買い上げもしていただいたお客様の方々に本当に感謝を申し上げます。





古本市の後は大人の朗読会を聴きました。
実はブックカーニバル初回からあるこのコーナー。
聴くのはなんだかんだで初めてだったので
とっても楽しみにしていました。
題材は澁澤龍彦の「ねむり姫」で、
期待通りの素晴らしさでした。感動です。


去年の打ち上げは身体の調子が今ひとつでドタキャンだったのですが
今年はフルに参加させていただきました。これはこれでとても励みになりました。

また、一年たくさん本を読んで来年もできれば参加したいと思っています。


最後の写真は、いただいたパンフと栞、缶バッジに、
恒例で楽しみにしている ちのり文庫さん怪談パズル「うきうき新居編」です。
さて、パズル、やってみるかなw









2018年5月13日日曜日

ブックカーニバル in カマクラ 2018 今年も出店します。



またまた、告知のお知らせが間近になってすみません。

今年も、ブックカーニバル in カマクラ2018 が開催されます。
で、はたまた性懲りも無く、身体に鞭を打ち
屋号「バリエン」で出店いたします。
場所は第一会場の由比ヶ浜公会堂の2階です。

御用とお急ぎでないお方、
鎌倉がアジサイで大混雑になる前に
ちらっとお越しになりませんか。

ブックカーニバル in カマクラ2018
期日;2018年5月19日(土)
時間:10時〜夕方(古本市は16時迄)
場所:第一会場:由比ヶ浜公会堂(由比ヶ浜2-7-21)←Rinは第一会場に出店します。
   第二会場:Garden & space くるくる(由比ヶ浜2-7-12)