2016年4月28日木曜日

読了メモ「魔女の宅急便」角野栄子




読了。

まずは、こちらですかね、やっぱり。




本書を読んでる途中、というかずっと思っていたのは、
魔女の宅急便って、どんなお話だったっけ......、と。

アニメーションで観たには観たけれども
ストーリーをはっきりと覚えていないのです。
鳥カゴの中にいるジジを助けるシーンは記憶に残っていたのですが。

それと、著者は日本人の方なんですよね。
去年の鎌倉ブックカーニバルでは、この著者が参加されたイベントがあって
残念ながら自分は話が聞けなかったのですけど、
その時に初めて知ったのです。
魔女の宅急便を書いたのは日本人だったのか!と。

とまぁ、そんなこんなで、原作を読まねばなるまいとずっと積ん読状態でした。


魔女であるキキが、親元を離れ一人立ちを始めるために
新しい街をおとずれ、そこで仕事をみつけ、
その仕事を通じて街の人との交流を深めていく。
キキが成長していく姿がいろいろな出来事を通じて感じとれます。

おソノさんという街のパン屋のおばさんが言う
商売は小さくはじめるのがよくて、大きくする楽しみがある とか、
自分が描かれた絵を運ぶことで、思いがけず宣伝ができたりなんて
仕事を通してえられる面白さなんかも書かれています。
こういったところで妙に関心を寄せるのも、
大人が読むからなんだろうなと思います。

そして、最後に里帰りのところで、
最初の頃のキキに比べて、ずいぶんと成長して
立派になったキキの姿を読んでいると
ゾワゾワっと鳥肌が立つような感動を覚えたのでした。

ちょうど、読み終えたのは電車を最寄り駅で降りる時で
降りたら自然と冒頭の動画の歌を口ずさんでいて、
通勤帰りの足取りも、少しどこか軽やかになっていました。

せっかくなので、連休中にアニメーション映画も観ておこうと思います。


それにしても、児童文学って
大人になってから読むとホントによいですね。
心が洗われます。


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魔女の宅急便
角野栄子
福音館書店 2003年


 

2016年4月26日火曜日

読了メモ「平和通りと名付けられた街を歩いて」目取真 俊



読了。

1980年代に書かれた沖縄を舞台とした短編小説集。

外国産の帰化した魚、台湾からの出稼ぎ女性労働者、
想像妊娠、足のない蜘蛛、街の警備と痴呆老人、
そして、闘牛と知的障害者。
これらのキーワードからなる5つの話。
装丁の表紙からも、どこかダークで、
入っていくのを躊躇うような気が漂ってくる。

話は沖縄であるが、基地や戦争そのもののあからさまな描写はない。
最後の話に米兵がちらっと出てくるくらい。
それでも、本書を読むと戦争の痕や抑え込まれている空気のようなものが
沖縄という風土の中にずっしりと染み込んでいて
人々の生活の奥底に沈殿しているように感じてしまう。

五つのいずれの作品もそうなのだが
描写が実にリアルで、読んでいて肌触りとして伝わってきて
沖縄の強い日差しと重なってよけいにジリジリと迫ってくる。
目をそむけたくなるような描写もなかにはある。
また、当たり前だが沖縄の方言が頻繁に出てくる。
沖縄の言葉をよく知らない自分にとってかなりきつかった。
素直に言えば、自分はこの小説をちゃんと読めていないのだ。
でも、この読めない沖縄の言葉を通じて
本書の世界にさらにのめり込んでしまうことになる。


自分が沖縄に行ったのはいつのことだろう。
もう20年くらい前になるか。
その時は小刻みな時間に追われながら観光名所を巡っただけで、
国際通りで飲んだ泡盛が格別に美味しかったと覚えているくらい。
そんな調子だったので、ほぼ同じ時期に
このような沖縄小説が書かれていたなどとは思いもよらない。


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平和通りと名付けられた街を歩いて
目取真 俊
影書房 2003年


2016年4月22日金曜日

読了メモ「森の人 四手井綱英の九十年」森まゆみ



読了。

今では普通に使われる「里山」そのものを見出し
それと名付け、森林生態学という学問を切り開いた
京都大学名誉教授の語り下ろし。
ですので、全編、「森の人」の語り言葉で綴られています。
章立ての見出しも、文章中の話し言葉の一部分が
そのまま見出しになるスタイルになっています。


これまで、いろいろな話を聞いたり、
世に流れる情報から自然や森が持つ力について
ある程度は知っていたつもりでいました。
山には森林があるから水をたくわえ、洪水が起きにくいとか
昔から言われる「国破れて山河あり」などは
ことごとく間違っており、森を過信するな、
スギやヒノキばかりを植えてきた罪は重いと言います。
花粉症の話は一言も出てきませんが
日本の林業政策のまずさにはあらためて気づかされます。

環境保護などは、もう当たり前で大前提のように言われていても
日本は農業と林業と動物の関係が遅れていると言っています。
農林業に支障のある害鳥獣が出たときは駆除します
なんていうのは環境保護でも共生でもなんでもない。
動物は字が読めないのだから、
人間が都合よく決めた保護の範囲なんて伝わらない。

環境を元に戻すと言って、スギやヒノキ、シイやカシを植えて
結果として単一同世代の植生の山や林を日本中に作ったり、
人間のご都合主義の保護政策をかざしていては
環境を本当に守るには至らないというのです。
そこで森の人が唱えるのは森林生態学。
自然は複雑で多様性が絡み合ってこそ成り立っているもので
その基礎となる部分を大学できちんと教えるべきだと説いています。
応用学は、大学を卒業して林業試験場でいくらでもできると。


街路樹は常緑樹ではなく、落葉樹がよいと言っています。
季節によって色が変わり、夏は茂り、冬は枝だけになる。
それを、葉が落ちる、掃除をしろと役所に文句を言う人がいるそうで
役所はそれを受けて、必要以上に枝を切ってしまい
結局、木は枯れて死んでしまうのだそうです。

木の寿命は百年単位、場合によっては千年単位であり
およそ人間の一世代でカバーしきれるものではありません。
子々孫々にいたるまで伝えて残していかなければならないことが
我々にはあるとあらためて思った一冊でした。

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森の人 四手井綱英の九十年
森まゆみ
晶文社 2001年



2016年4月17日日曜日

読了メモ「ど制服」酒井順子




読了。

著者によれば、制服とは、
限定された着用期間が定まっており、着ていて刹那性があり
着用している人が束縛されつつ保護された状態にあることを示すもので、
また、制服を着た人が二人以上いないと意味がないのだそうです。

また、著者自身が言っているのですが、「制服好き」な人で、
着るのが好きな場合はマゾヒズムに、
愛でるのが好きな場合はサディズムに通じるのではということです。
この感覚を理解できる貴方は、
きっと本書をあっという間に読み終えてしまうと思います。

ちなみに、書名にある「ど」は、フランス語の de なのですが
ど根性やど真ん中の「ど」と掛けてるようにも思います。


制服の代表格と言えば、まずは学生。
ランドセルを含めて制服のサイズが体とアンバランスな小学生、
野暮ったい中学生の制服は、怪しい誘惑を排除する役割があり、
高校生は、制服を着ることで高校生たることを積極的に世に発信する。
以前は、制服に反発することが、かっこよかったりという時代もありましたが
今の時代は必ずしもそうではないようです。
特に女子高校生の場合は、制服を着て女子高校生であることを
全身でアピールして高校生という貴重な期間を謳歌している
という指摘はなるほどと思いました。

「働く制服」の章では、
まずは、内勤のOLが着る制服やサラリーマンのスーツ。
これらは、著者の言う制服とは微妙にズレてくるのですが、
着る人のウチとソト、つまりプライベートとパブリックという観点での見方は、
自分もハッと思い当たるところがあったりします。

次は、日本における二大人気女性制服職である
「スチュワーデス」と「看護婦」です。
CAとか看護師というワーディングも使わないのが潔い。
「エッチ感」という言葉がここでは使われ、
そこには当然ながら性的魅力での考察が入ってきます。

このあと、料理人、レースクィーン、肉体労働者と続きます。
宅配業者のお兄さんの制服にグッときたり
ニッカボッカの有名ブランドをリサーチするなど
深掘りがすすみます。

そして、制服の頂点である軍服。
映画「愛と青春の旅立ち」のリチャードギアや
「トップガン」のトムクルーズの世界です。
単にカッコイイという外見の話だけではなく、
「拘束度の高さ」を最大の魅力にあげています。
この観点が本書で制服を読み解くキーワードになります。

なお、本書は、単に著者個人のオタク感を開示するだけでなく、
実際の現場取材のレポートが入っているので、臨場感も高まります。

・山脇学園
・宝塚音楽学校
・寅壱
・防衛大学校

制服を着ている人しかいないエリアは、常に張り詰めたものがあり
読んでいるこっちも一緒にドキドキ感をおぼえます。


自分は詰襟の学ランに、ぺったんこの学生鞄と学生帽でした。
もちろん、もう手元にはありません。
今あったら袖を通してもみたいけれど
でも、きっと違うのだろうなと思うのでした。

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ど制服
酒井順子
朝日新聞社 1999年






2016年4月9日土曜日

読了メモ「私の体を通り過ぎていった雑誌たち」坪内祐三



読了。

小学生、中学生、高校生、予備校生、大学生。
それぞれの時期に著者が読んできた雑誌をとりあげ
その時その時の自分の思いや時代を語る長編エッセイ。

著者も小さな頃は、「小学三年生」とかマンガ雑誌を読んでいる。
「ゴング」などプロレス雑誌にもはまっていたそうだが、
小学生の時から「週刊文春」や「週刊新潮」などを読んでいたのには驚いた。
子どもはそれらの雑誌を開いてはいけないようなものと思っていたし
そもそも歯医者や病院の待合室くらいでしか週刊誌を見かけることはなかった。
本や雑誌に接する環境の違いってあるなぁと妙に感心する。

中学高校になってくると、スポーツや音楽、映画などの雑誌の話が増えてくる。
はるかに自分よりぐんと感受性の高い中高生だったんだなと思う。
当時読んでいた雑誌について、大人になった今の知見や思いも含めて
少なからず語っているので、必ずしもそうだとは言い切れないのでないかと
なぜか自分を慰めるようなことを思うものの、登場する雑誌たちに触れて読み、
影響を受けていた話を聞くと大変羨ましいと思う。

「ニューミュージック・マガジン」のところで引用されていた
内田裕也の文章は確かにかっこよく、ぜひまとまった形で読んでみたいと思うし、
「GORO」には、山口 瞳や横尾忠則、筒井康隆などの連載や対談が
掲載されていたが、自分は篠山紀信の激写ばかり観ていたようだ。
弁解するわけではないけれど、山口 瞳の「礼儀作法」が
「GORO」に載っていたのはかすかに覚えている。
で、今、部屋の本棚にはその文庫本「礼儀作法入門」があったりする。


予備校や大学生時代に入ってくると、
自分も溜め込んでいた懐かしい雑誌がいくつかでてくるし
そこにあがってくる数々の編集者や執筆者の名前をみていると
その人たちの著作や本を読みたくなるし探しに出かけたくなる。

そんな話の中に、定期購読のくだりがあった。
出版社に注文をして、毎月本が郵送されてくるやつだ。
自分も過去にこの年間定期購読をしたことがあるけれど
読み方が荒くなってしまう、あるいは読まなくなってしまう
という著者の意見と同じだ。
流通や市場環境の違いにやむをえないところはあるが、
本や雑誌には、探したり見つけ出す楽しみもあり、
入手するプロセスも読書の楽しみなんじゃないかと思っている。

そして、手放す時も場合によっては楽しい時もある。
実はそんな機会が、もうすぐやってくるので、
それはまたお知らせします。

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私の体を通り過ぎていった雑誌たち
坪内祐三
新潮社 2005年


2016年4月5日火曜日

読了メモ「タマや」金井美恵子



読了。

もちろん猫の名前である。白黒のぶちのメス。
生まれたばかりの仔猫が5匹いて、乳をあげているが
その仔猫たちの父親は不明。

主人公の夏之の父親もいまいちはっきりしない。
それどころか、異父の兄と出会い、部屋を同じくすることになるのだけれど、
母親は、その兄弟の父親のことをすぐには思い出せない。
問い詰められてはじめて、ああそうだという。
ちなみに、その異父の兄は精神科医。

失踪中の姉のツネコを探すアレクサンドルという友人もいる。
ポルノヴィデオ男優でカネミツという名前も持っている。
姉のツネコは妊娠しているらしいがやはり父親役は不明。
夏之は、内心、自分ではないかとドキドキしている。

と、こんな人物たちの話がつらつらと続く。
大きな事件が起きるわけでもなく
のんべんだらり的な空気が充満してくる。
ぎすぎすした感じはまったくない。


読んでいて面白いのが、改行がほとんどないこと。
それでいて、会話が多い。
読みにくいかと思うと、不思議なことにそんなこともない。
つるりつるりというか、てれりてれりという感じで文章が進んで行く。
今まで、出会ったことのない日本語感覚。


本書の中で、アマンダ・アンダーソンの写真 というフレーズが
なんども出てくる。それもどうやら、フィクションらしいのだけれど
表紙の写真は、著者のあとがきによれば、
フランス人女優のアンナ・カリーナだそうで
このイメージのような写真を撮るらしく
実在するなら観てみたい。


最近、白と黒をはっきり分別するような、
エッジの効いた話が好まれたり、評価されるような印象を受けているのですが
本書のような小説を読むと、ギリギリギリとそんなに迫る必要って
本当にどこまであるのかって感じがしてきます。


ちなみに、下の文字は何に見えます?

  やーらか

これが猫に見えるなら、もうどっぷりです。


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タマや
金井美恵子
講談社 1987年



2016年4月2日土曜日

国立科学博物館「恐竜博2016」

Tyrannosaurus


上野の国立科学博物館に「恐竜博2016」を観に行ってきました。

今回の展示では、スピノサウルス(ハリウッドの恐竜映画の三作目に登場)の
全身骨格に期待でしたが、入ってみると
ティラノサウルスの迫力には正直かないませんでした。
映画では、ティラノサウルスをねじ伏せてましたが
ここではそうはいかなかったようです。

確かにスピノサウルスはティラノサウルスよりも大きいのです。
大きすぎてうまく写真にもおさめきれないサイズでした。
けれど、どことなく「線」が細い感じがいなめません。
ということで、このエントリーのトップ写真も
ティラノサウルスになりました。


会場は春休みもあって、またお花見客で上野公園はごったがえしていました。
それでも、館内は大混雑というわけでもなくそこそこの混み具合で、
もちろん子どもたちでいっぱいでしたが許容範囲ではありました。
ちょうど、ハリウッドの恐竜映画最新作のBD・DVDが出た直後ですし
恐竜と子どもをテーマにしたアニメーション映画も封切られていて
そんなことから、一番混んでいたのは、
ミュージアムショップだったかもしれません。
博物館もなかなか商売がうまいです。



Cleaning Lab

企画展示の最後には化石のクリーニングラボもあって
ちょうど作業中に接することもできました。
う〜む、こういうのやってみたいなぁ。
しばしの間、童心にかえってがっつりと齧りついて見入っていたのでした。


企画展示の後は、常設展示もまわってきました。
地球館は、昨年の夏にリニューアルがされ
こちらの恐竜の展示もいい感じにレイアウトされていました。
基本的な展示物や標本は以前と同じなのですが
見せ方を変えていたり、工夫のあとがみえて
常設展示が充実していると、見方に厚みが増してとてもいいです。

こちらは常設展示のティラノサウルスとトリケラトプス。
なかなかいい感じです。
Tyrannosaurus vs Triceratops


もちろん、科博には恐竜以外の展示もたくさんあります。
ただ、いろいろあって、全部を全部観ようとすると
回りきれないし、疲れてしまうので、
行く時は、思い切って的を絞って行った方がいいですね。

Trilobite


お土産には、スピノサウルスの海洋堂フィギュアと
三葉虫の柄の入った手拭いをいただいてきました。

今年になって、「20世紀少年」や「兵馬俑」、
先日は西荻で「土偶」の手拭いを入手しましたが、
またまた、新しいのが増えてしまいました。