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2016年4月9日土曜日

読了メモ「私の体を通り過ぎていった雑誌たち」坪内祐三



読了。

小学生、中学生、高校生、予備校生、大学生。
それぞれの時期に著者が読んできた雑誌をとりあげ
その時その時の自分の思いや時代を語る長編エッセイ。

著者も小さな頃は、「小学三年生」とかマンガ雑誌を読んでいる。
「ゴング」などプロレス雑誌にもはまっていたそうだが、
小学生の時から「週刊文春」や「週刊新潮」などを読んでいたのには驚いた。
子どもはそれらの雑誌を開いてはいけないようなものと思っていたし
そもそも歯医者や病院の待合室くらいでしか週刊誌を見かけることはなかった。
本や雑誌に接する環境の違いってあるなぁと妙に感心する。

中学高校になってくると、スポーツや音楽、映画などの雑誌の話が増えてくる。
はるかに自分よりぐんと感受性の高い中高生だったんだなと思う。
当時読んでいた雑誌について、大人になった今の知見や思いも含めて
少なからず語っているので、必ずしもそうだとは言い切れないのでないかと
なぜか自分を慰めるようなことを思うものの、登場する雑誌たちに触れて読み、
影響を受けていた話を聞くと大変羨ましいと思う。

「ニューミュージック・マガジン」のところで引用されていた
内田裕也の文章は確かにかっこよく、ぜひまとまった形で読んでみたいと思うし、
「GORO」には、山口 瞳や横尾忠則、筒井康隆などの連載や対談が
掲載されていたが、自分は篠山紀信の激写ばかり観ていたようだ。
弁解するわけではないけれど、山口 瞳の「礼儀作法」が
「GORO」に載っていたのはかすかに覚えている。
で、今、部屋の本棚にはその文庫本「礼儀作法入門」があったりする。


予備校や大学生時代に入ってくると、
自分も溜め込んでいた懐かしい雑誌がいくつかでてくるし
そこにあがってくる数々の編集者や執筆者の名前をみていると
その人たちの著作や本を読みたくなるし探しに出かけたくなる。

そんな話の中に、定期購読のくだりがあった。
出版社に注文をして、毎月本が郵送されてくるやつだ。
自分も過去にこの年間定期購読をしたことがあるけれど
読み方が荒くなってしまう、あるいは読まなくなってしまう
という著者の意見と同じだ。
流通や市場環境の違いにやむをえないところはあるが、
本や雑誌には、探したり見つけ出す楽しみもあり、
入手するプロセスも読書の楽しみなんじゃないかと思っている。

そして、手放す時も場合によっては楽しい時もある。
実はそんな機会が、もうすぐやってくるので、
それはまたお知らせします。

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私の体を通り過ぎていった雑誌たち
坪内祐三
新潮社 2005年


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