読了。
なんだかんだで、積ん読の中に
村上春樹の名前が書かれた本がいっぱいある。
それと先日、ちひろ美術館へイラスト展(既に終了)を
観に行ったこともあって、これを読んだ。
「僕」の話は双子の女の子との生活。
何もモノのない部屋というので小綺麗な部屋を思い浮かべたけれど、
よく読んでみると、アパートの管理人室にしか電話がなかったり、
配電盤の交換に業者が立ち入ったり、セータの脇が綻んでいたりと
実はぐっと庶民的な空間や情景だった。
例によって並行する「鼠」の話の中では、
カウンターのジェイとの会話がたまらない。
いかにも村上春樹というか。。。
例えば、ジェイはこんなことを言う。
「人はどんなことからでも努力さえすれば何かを学べるってね。
どんなに月並みで平凡なことからでも必ず何かを学べる。
どんな髭剃りにも哲学はあるってね、どこかで読んだよ。
実際、そうしなければ誰も生き残ってなんかいけないのさ。」
なんてのは、精神というか脳みそをくすぐられてしまうのです。
僕がおめあてのピンボールを探しだし、
格納されている倉庫に電気を点けて入るところは印象的。
佇むピンボールの群像と電源を入れて彩りと賑やかな音とともに動き出す様は壮観。
そして、この後に再び鼠の話になり、
鼠は街を出て行くことになるのですが
霊園の林の端で車を降りて、街の夜景を眺めます。
これがピンボールの電飾のイメージと重なるのです。
それで、いつもの通り、読み終えてモヤモヤ感があとをひきますが
きっとまた読みなおすんでしょう。
次は「羊」ですかね。
高校の同級生に、自宅にピンボールを持っている奴がいたことを思い出しました。
まさか冗談だろうと遊びに行ったら、
本当に畳敷きの部屋にピンボールがあって、
電気を入れるとちゃんと動いて遊べてしこたま驚きました。
彼は確かデザイナーかになってアメリカに住んでいるんだと思います。
今はどうしてるだろう。
自宅にピンボールを置くなんて、
本書の影響を受けたのかどうかはわかりません。
再会する機会があったら聞いてみるか。
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1973年のピンボール
村上春樹
講談社 1980年
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