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2017年3月1日水曜日

読了メモ「スロー・イズ・ビューティフル 遅さとしての文化」辻 信一



読了。

スローフードとか、スローライフ、スローエコノミー。。。
ときどき見聞きする「スロー」な言葉たち。
これらを哲学っぽい解釈や語り口で、
時には俳句や詩などを交えながら、
今の生活のあり方、生き方を
ちょっと違う角度から見ることのできる
なかなか面白い読み物だと思います。

本書が問うている命題に、
科学技術が省いてくれた時間はどこに消えたのかとあります。
また、かつて遠かった場所はもう遠くはなく、
逆に、物理的にはずっと近い場所が、
かつてそこまで簡単に歩いていたことが信じられず、
かと言って車で行くのも妙な、遠い場所に感じたりするようになり、
そして、現代社会は、いつも次の将来のための準備に忙しい
「準備社会」になっている。
なんか実に不思議なことですけど、実感として確かにそう思います。

この時間についての話の部分では、いくどとなく
ミヒャエル・エンデの「モモ」が引き合いに出されています。
なかでも、きっとこれが真実なんだろうなと思った引用が、
「その時間にどんなことがあったかによって、
 わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、
 逆にほんの一瞬と思えることもある。
 なぜなら、時間とはすなわち生活だからです。」
というところ。

以前、星野道夫さんの本で読んだ、
自分が東京で仕事をし、通勤電車に乗っている時にも、
北海道やアラスカでヒグマが呼吸をして生きていて、
クジラが潮を吹いて、海の上をジャンプしている。
という一節も思い出したのでした。
時間って、とてもとてもプライベートなものですけれど
同時に、地球、いや全宇宙を網羅する恒久的なものでもあるのですね。

さらに、健常者と障害者の話を通じて
自立、自立というけれど、実は孤立していませんかと
自らを追い詰めている今の生き方に警鐘をならしています。
出会い、交通、共感を通じることで
より多くの自由を手にする可能性があるのではないのかと。
そうすることで、幾重にも時間の層が重なり、
きっと豊かな生き方をすることができていくのでしょう。


最近、ちょっとしたアクシデントが身の上にあって
少しナーバスな気持ちになってしまったり、
これまでとは違う時間の迫間を見つけようとしたりしています。
少しだけ立ち止まって自分を見つめ直す
いい機会を与えてもらったのかもしれないと
そう思って読んだのでした。

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スロー・イズ・ビューティフル 遅さとしての文化
辻 信一
平凡社 2001年



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