2020年8月4日火曜日

読了メモ「ホテルローヤル」 桜木紫乃



読了。

確か、直木賞受賞作だった。
いつも読み始めた後で気づく。

装丁やタイトルからもわかるとおり
ラブホテルの話です。
ところは、北海道、釧路湿原。
七つのお話からなる短編集。

読み始めて、おや?っと思うのは、
最初のお話は、もはや現役ではなくなったホテルローヤル。
すでに廃墟となったホテルローヤルのお話。

そう、七つのお話は時間を遡って語られていきます。

ラブホテルのお話なので、
それなりな男女が出てくるお話ばかりと思いきや
売れないカメラマン、お坊さまとご遺骨、
舅と同居で生活の苦しい中高年夫婦、
ホテル掃除のパートのおばさん、
そして、最後は、ホテルのオーナーが
どういう経緯でホテルを建てるか
ネーミングはどのように決まったのか。
などがつづられていく。

どれもお話が切ないのだ。
ラブホテル自体が、もともと影のイメージがあるところへ
しょっぱなから朽ち果てた廃墟の話から
始まるものだから、余計に登場人物の思いは儚く
男と女の関係も何かやりきれない人生の隅っこを
歩いている感じがする。

ひとりひとりの人間って、必ずしも盤石で強いわけでもなく
ちょっと突っつくとポロっと崩れちゃうような
カゲロウみたいな弱いところがあるんだなと思わせます。

でも、読むと、人に対して優しい気持ちに
きっとなれる一冊だと思います。

どうやら、今年の11月に映画が公開されるみたいですね。

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ホテルローヤル
桜木紫乃
集英社 2013年
 



2020年7月24日金曜日

読了メモ「ペスト」A・カミュ




読了。

学生時代に何度か挫折した作品です。
結局、あの頃は最後まで読みきれなかった。

しかし、今、世界中が疫病禍にあって
今こそ読破する機会なのではとチャレンジする気になり
先ほど、読了いたしました。

現在の新型コロナとペストを比べて脅威がどう違うのかはわかりません。
感覚的にはペストの方が怖い気がするけど。
ペストはネズミが宿主でノミが媒介するんですよね。
でも、ヒトからヒトへの飛沫感染もあるらしいです。
鼠蹊部や脇の下、首のリンパ腺が腫れ上がり高熱を発する。
肺に転移するペストもあるそうです。
高校の世界史の授業でも、十四世期頃にヨーロッパを中心に
ペストが黒死病として猛威を奮い多くの死者を出したことを習いました。


本書も、冒頭から大量のネズミの死骸が発見されることから始まり、
いきなり暗い雰囲気に満ちてきます。
主人公のリウーという医師が記した形式になっていますが
治療のためのスペクタクルが展開されるという話ではありません。
どちらかというと、患者と医師、その近しい人たちと
ペストとの不条理で孤独な戦いが描かれています。

当然ながら、ペストが発症した街は完全に封鎖されます。
今でいうロックダウンっていうんでしょうか。
鉄道ももちろん止まります。
往来を走る車も出歩く人の姿も少なくなっていきます。

たまたま街に来ていただけで、発症していない人も
街の外には出られません。
この街は周りが高い壁で囲まれているので
街と外界の出入り口は限られており、
そこの門番と外に出たい人たちとの間で
切実ながらも冷血な応対がなされたりします。


本書の中には、今、我々がおかれている状況にとっても
大切なメッセージが出ていると思うので引用してみます。
 
 あまりにも多くの人々が無為に過していること、
 疫病はみんな一人一人の問題であり、
 一人一人が自分の義務を果たすべきであること、を言った。

 ペストの中に離れ小島はないことを、
 しっかり心に言い聞かせておかねばならぬ。
 
 人間は犠牲者たちのために戦わなきゃならんさ。
 しかし、それ以外の面でなんにも愛さなくなったら、
 戦ってることが一体なんの役に立つんだい。

などなどである。
いかがであろうか。

幸いにもペストは終息に向かう。

私たちも明るい未来を信じて、
一人一人がなすべきことをしなければならないと
読後にあらためて感じたのです。

この時期に読めてよかったと思いました。

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ペスト
A・カミュ 宮崎嶺雄 訳
新潮社 2020年



 


2020年7月14日火曜日

読了メモ「靖 国」坪内祐三



読了。

自分の好きなエッセイスト、評論家さんで、
これまでいろんな作品を読んできたが、
なんと本年一月に他界された。享年61歳。若すぎる。
大変、残念でしかたがない。本当に。
サブカルチャーものから文芸評論、社会評論まで
面白い本はたくさんあるのだけれど
代表作といえば、この本かなと思い手に取りました。

ただし、ここで、自分の浅はかさに気づくのでありました。
靖国神社といえば、閣僚の誰が参拝するのしないの
近隣諸国がそれに干渉するのとそんな話が
絡んでくる一冊なのかなと思っておりましたらさにあらず。
そんな話は一切でてきません。
純粋に、かつ坪内流の切り口で日本における靖国神社の有様をとりあげています。

靖国神社といえば戦没者の合祀ですが、
一番最初は戊辰戦争で亡くなった藩士の招魂式で
それがきっかけとなり例大祭が行われるようになったとか。

一方で鹿鳴館時代と重なる時期、靖国神社にもハイカラな風は押し寄せ
なんと競馬が執り行われたそうです。
靖国神社がその本来の姿を整えていくのは明治十年の西南戦争の後からだが
神聖な場所であるがこそ、そこには娯楽が必要と考えられ、
実際に競馬が開催され、のちには本格的な
アミューズメントパーク的な構想もあったそうです。

日清・日露の戦争の祝勝記念式典は、皇居前での盛大なお祭りとなったが
靖国神社には、二万九九六〇名の戦没者が合祀され、臨時大祭が挙行される。
境内には国光発揮のページェントが建てられ、
国民の意志は徐々に統一されていくことになる。

と、ここまでは近代化と戦争スペクタクルの
象徴的な世情と靖国神社の位置づけを描きながら、
東京に住む市井の人々の生活や暮らしに視点を移していくのも
坪内さんらしい展開だ。

靖国神社は丁度、東京の山の手と下町の境にあり、
下町から見上げる位置にお社を構える。
これは、人々の住む場所によって身分の違いがあり、
違いを乗り越えようとする生活もあることを示していた。
その後、大鳥居の前には国際主義的モダニズムとして
野々宮アパートという当時としては
超高級な高層住宅兼写真スタジオが建設されたという。
写真も掲載されているが、鳥居の前にある
突出した西欧風近代建築物に大きな違和感を感じてしまう。

さらに、話は、奉納相撲や力道山による奉納プロレスに展開していく。
ここも、日本人と外国人の力士やレスラーの
靖国神社での「興行」が大変深い意味をもって語られている。
その一例が、小錦の靖国神社での奉納土俵入りだ。
詳細は本書を是非読んでいただきたい。


実をいうと、自分はものごころがついてこのかた
靖国神社を訪れたことがない。
二歳くらいの時、親が連れていってくれたらしいが
当然ながら記憶に全くない。

巨大な鳥居や桜開花の標本木、大村益次郎像など
興味本位に惹かれるものはあるが、
坪内さんの本書をせっかく読んだのだから
機会を作って行ってみたいと思っている。

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靖 国
坪内祐三
新潮社 1999年

 



2020年7月5日日曜日

読了メモ「乱読のセレンディピティ」 外山滋比古




読了。

著者は「思考の整理学」で有名な
大正12年生まれの大御所である。

まず、セレンディピティとはなんぞや。

本書によれば、
「思いがけないことを発見する能力。
 特に科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときに使われる。
 おとぎ話(The Three Princes of Serendip)の主人公が
 この能力を持っていることから。
 イギリスの作家H・ウォルポールの造語。」
とある。

本の読み方には、アルファ読みとベータ読みの二通りあり、
アルファ読みは既知の情報について読むもの。
ベータ読みは未知の情報について読むもの。
だそうで、はるかにベータ読みの方が面白そうではあるが
アルファ読みでも新たな発見があったりするので
これもセレンディピティであったりする。

本の読み方にもアドバイスがあった。
「本は風のごとく読むのがよい」そうだ。
「やみくもに速いのはいけないが、熟読玩味はよろしい。
 のろのろしていては生きた意味を汲み取るのはおぼつかない。」
ということだ。

乱読についても
「専門バカがあらわれるのも、タコツボの中に入って
 同類のものばかり摂取しているからで、
 ツボからでて大海を遊泳すれば豊かな幸に
 めぐりあうことができる」
と爽快に勧めてくださっている。
さらに、乱読は気が若返る。
乱読のストレス解消力はアンチエイジングの
もっとも有効な方法ではないかと。

ここまで書かれてしまうと、乱読せずにはいられませんね。
乱読派の自分には、追い風を背中に感じて気持ち良い一冊でした。

ただ、注意点があるんです。
本は知識を増やしてはくれるが
思考力は別の方法で養わなければならないのです。

さて、その方法とはなんだと思いますか?

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乱読のセレンディピティ
外山滋比古
扶桑社 2014年


2020年6月28日日曜日

読了メモ「横浜駅SF」柞刈湯葉



読了。

本書を原作にコミックが出されているというので
ご存知の方も多いのではあるまいか。

横浜駅。
自分も毎日のように通過し
乗降するよく使う駅だが、
確かに、工事が終わった姿を見たことがない。
最近、漸くJR YOKOHAMA TOWERとかができたらしいけれど
他の工事は未だに終わっていない。
話によると100年近く工事が続いているとか。


本書は、JR統合知性体という頭脳が開発されたことで
改築工事の続く横浜駅が自己増殖の暴走をはじめてしまい
陸続きの本州全てを横浜駅が覆い尽くしエキナカが占拠してしまう。
これに対し北海道と福岡のJR支局が横浜駅による侵食を
防ごうとする奇想天外なSF小説である。

ちなみに、本州の全てを横浜駅が覆い尽くすということは
線路がない、即ち鉄道がないということを意味する。
駅が一つしかないのだから当然だ。
全てがエキナカと動く歩道やエスカレータで構成されている。

そして、エキナカに入れない人たちも存在する。
横浜駅からの下りのエスカレータの出口しかない
海に近い痩せた土地に暮らす人々だ。
では、エキナカで生活するためにはどうすればよいか。
それは高額を支払って、
頭の中にSuika(本書ではSuicaではなくSuika)を埋め込んでもらう必要がある。
さもなければ、Suika不所持を発見されて、
自律歩行する自動改札幾が現れて
駅の外に強制的に放り出されてしまうことになる。

主人公による横浜駅増殖を止めるボタンを探して
Suikaではなく青春18切符で駅構内を移動するスリルと
超未来的で日本縦断のスケールが交錯して面白い。


横浜駅をご利用の方も多いと思いますが、
工事は本当にいつ終わるのでしょうかね。

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横浜駅SF
柞刈湯葉
KADOKAWA 2017年



2020年6月14日日曜日

読了メモ「倚りかからず」茨木のり子 「別冊太陽 日本のこころ 茨木のり子 自分の感受性くらい」





読了。

今年2回目かな。詩集を読んだ。
茨木のり子さんの詩集としては最後のものだそうで、
タイトルとなっている「倚りかからず」の他に15篇の詩が収められている。

今回は、下の写真にあるいわゆるムック本の「別冊太陽」を
一通り読んでから、本書に臨んだ。
彼女の生い立ちや生涯、時代背景、
異国の友人との交流などを理解した上で詩を読むと
心に入ってくる勢いが違う。
もちろん、別冊太陽の方にも
たくさんの詩が載っているので
茨木のり子ワールドにどっぷりと浸ることができた。

まっさらの状態で詩を読むのがいいのか
今回のように事前情報を蓄えてから読むのがいいか
意見は分かれると思う。
今回、彼女の詩の場合については、後者の方が
より作者の気持ちに寄り添えることができるようになると思った。

彼女は昭和元年生まれなので、まさに
日本が軍国主義に邁進していく時代に
思春期・青春時代を過ごしたことになる。
学生時代は全校生徒に号令をかける役目を負って
喉を潰してしまったりもした。
医師である父親の勧めもあって薬学部に進むが
その世界はどうにもなじめず、
自らの意思で文学の門をたたき
詩の世界に入る。

彼女の詩は、背筋が伸びるようなキリッとした作品が多い。
それは男勝りとか、そういう見方ではなく
読後に瞑想をし、人生の反省と期待が入り混じったような感覚。
静かに心を落ち着けてじっくり味わいたい。

「倚りかからず」には
「自分の感受性くらい」の詩は入っていない。
その意味でも、二冊を併読してとてもよかったと思っている。

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倚りかからず
茨木のり子
筑摩書房 1999年

別冊太陽 日本のこころ 茨木のり子 自分の感受性くらい
平凡社 2019年



2020年6月6日土曜日

読了メモ「ぼくの植え方 日本に育てられて」エドワード・レビンソン




読了。

アメリカ人で、写真家の著者が
日本に移住し、日本人女性と結婚し永住権を取得。
海も山もあるいわゆる田舎に移り住み、
農業を通じて、自然の中に聖地を
見出すというなんとも崇高なお話。

アメリカにいた頃からバックパッカーで、
ヒッチハイクをして移動していたが、
日本にきてからはなかなかそうはうまくいかない。

最初は、庭師の仕事に就く。
彼に言わせればガーデニングなのだが、
外国人が半纏を着て、庭の松の木の剪定をしている様子なんか
なかなか稀有な光景だろう。

次に農業をするため、田舎にいく。
田舎では、なんの躊躇いもなく相乗りをさせてくれる。
手を挙げずとも、軽トラのおじいさんから
声をかけてくれる。「どこまでいくの?」と。

逆に、著者がバンを運転していると
山道を歩くお婆さんには声をかけずにはいられない。
そして、優しい笑顔を返してくれる。
お礼にといって、ジャガイモや
タバコでも買ってねと現金を置いていこうとまでする。

田植えの時には、近隣の農家の人が手伝ってくれるばかりでなく、
買い物帰りの通りがかりのおばあちゃんが
見かねて、素足で田んぼの中に入ってきて
手慣れた所作で作業を終えてしまい、
買い物のお裾分けまでいただいてしまう。

著者はチェルノブイリ原発事故地近辺の
ベラルーシ共和国から少年数名を招聘し、
一緒に田舎暮らしをするなどの交流活動も試みる。


日本にきて30年以上経つそうだ。
本業の写真家としての活動は、モノクロやデジタルの他に
ピンホールカメラでも撮影を行い、
日本の原風景の撮影を続けている。
エッセイストで本書も翻訳された
奥さんの本には彼の写真が掲載されている。


本書の原稿はさすがに英語で書かれたが
思考は日本語で行ったとか。
各パラグラフの冒頭には、著者作の俳句が載っている。
日本語の俳句も味があって素晴らしいが、
英語も読むとリズム感があって心地よい。

著者の笑顔の写真がとてもいい。
日本という国の良さを感じる本です。

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ぼくの植え方 日本に育てられて
エドワード・レビンソン 鶴田 静 訳
岩波書店 2011年