2025年1月1日水曜日

読了メモ「暇と退屈の倫理学」 國分功一郎著


読了。

「暇と退屈の倫理学」
 國分功一郎著
 新潮社 2022年

久しぶりの哲学本。冒頭、次のような問いが並ぶ。

 人類は豊かさを目指してきた。なのになぜその豊かさを喜べないのか?(p20)
 そもそも私たちは、余裕を得た暁にかなえたい何かなどもっていたのか?(p25)

どうやら、単に人間の強欲が原因だけではないようだ。序盤はパスカルの気晴らしについての考察、ラッセルの幸福論から導く退屈している人間がもとめているもの、暇と退屈の違いなどについて論点を整理していく。そして、贅沢とはなにか、浪費と消費の違いを考えていくうちに、次のようなことを知らされる。
 
 余暇はいまや、「俺は好きなことをしているんだぞ」と全力で周囲にアピールし
 なければならない時間である。逆説的だが、何かをしなければならないのが余暇
 という時間なのだ。(p178)

この指摘を受けた時に思ったのは、今のSNSへの書き込みだ。すさまじい量のネットへの書き込みや写真の投稿がなされている状況はまさにこのことなのではないかと。この読了メモも同様といえば同様ではある。しかしながら、そんなに熱狂していても我々は退屈を感じてしまっている。そこでハイデッガーによる退屈の定義の議論に進む。その結果として、退屈には三つの形式があるとしている。外界が空虚になる場合、自分が空虚になる場合、そして、なんとなく退屈だと感じる場合。で、これらから逃れようとして人間は本意では必ずしもない仕事の奴隷になって時間に拘束され、この三つの退屈の形式を繰り返していくのだという。ハイデッガーはこれに対して、考えろ決断せよというのだが、議論は逆の方向に進む。

 人間はものを考えないですむ生活を目指して生きているという事実だ。(p376)

そうはいうものの、この世の中には考えざるをえない出来事や物事で溢れかえっていて、それらを楽しむことが人間なのではないかと本書は結んでいる。

哲学書によくある物事の定義から始まって、それらの対偶や反論をとりあげて、さらにそれらを覆す議論を繰り返して真意を追求していく形で、つかみどころのないテーマだからなおのこと難解かと思いきや、はたして一気に読み込んでしまえる一冊。おすすめです。

2024年12月31日火曜日

読了メモ「心臓の力 休めない臓器はなぜ「それ」を宿したのか」 柿沼由彦著


 読了。

「心臓の力 休めない臓器はなぜ「それ」を宿したのか」
 柿沼由彦著
 講談社 2015年

一度、しっかりと心臓に関する本は読んでみたいと思っていた。とはいえ専門書などは読めるはずもないので、まずはブルーバックスから。

わかりきっていることだが、私たちの心臓は私たちが生きている限り休むことなく動き続けている。一日で10万回の収縮と拡張を繰り返す。また、血液を送り出す力は水柱に換算すると1.77メートルまで吹き上げる力だという。本書の冒頭ではそれらを踏まえた上で気付かされたことがある。

 過酷な重労働を強いられる心臓は、必然的に多くのエネルギーを消費する一方で、
 エネルギーと共に産出される活性酸素という猛毒をあびつづけている。
 それは心臓にとっては致命的なダメージとなるはずだが、
 実際には心臓が活動を停止することがないのは、
 心臓自身にみずからを癒す能力が備わっているからである。(p5)

わかりやすい例えでいえば、「心筋細胞はなぜ筋肉痛を起こさないのか」心筋細胞でも筋肉痛を引き起こす乳酸は生じるが、心臓は乳酸をエネルギー源として使用する能力を持っているのだという。
長い年月をかけてのマウスを使った実験などを経て、心臓の交感神経と副交感神経の関係、そして鍵となる神経伝達物質の作用が明らかになっていく。その結果として虚血系心疾患への耐性があがるデータが確認されたというのだから驚く。すなわち心筋梗塞は直ちに絶命するが、そうではなく相当な期間の延命につながる道があるのだという。

自分をはじめ中高年は生活習慣病をかかえ、心臓をはじめとする循環器系器官に爆弾を抱えている人も多い。本書を読むと医学が切り開いていく未来に光明を感ぜずにはいられない。医学の将来に大いに期待するばかりである。


2024年12月30日月曜日

読了メモ「もう終わりにしよう。」イアン・リード作 坂本あおい訳

 

読了。

「もう終わりにしよう。」
 イアン・リード 作
 坂本あおい 訳
 早川書房 2020年7月

ゾワゾワするスリラーもの。本書の半分近くまでが、表紙の装丁にみえるように車内の二人だけの会話からなっている。行き先は彼氏の両親の家。そして彼女はもう二人の関係にピリオドを打とうかと考えている。車内には不穏な雰囲気が充満する。

両親の家は、豚や羊、鶏もいる農家の一軒家。家が見えてくるが、どうやら二階の窓辺に髪を伸ばした女性の姿が見える。母親らしい。彼女は下から手を振るが、夜で暗いため二人の姿は二階屋からは見えないようだ。家に入ると広い部屋に通される。両親の姿はなく部屋はストーブの薪がはぜる音が響く。飾ってある白黒写真に写っているのは自分だと彼はいうが、どうみても髪の長い女の子だし、そもそも写真が古すぎる。料理が準備された食卓の部屋に入ると、両親は少し遅れてひとりづつ部屋に入ってくる。

両親宅からの帰り道、再び車内の場面。夜の雪道、廃校となった彼の母校の前で車を停めるが、ここで異変が。誰もいないはずの校舎から誰かが自分たちのことを見ているのだ。彼は校舎の中に入っていくがなかなか帰ってこない。彼女はたまらず彼を探しにいくが、戻ってくると車がなくなっていた。。。

話の合間、合間に、どうやら刑事が現場調査をしている場面の会話が挿入されている。刑事たちの会話から察するに殺人事件らしい。クローゼットから遺体が発見されたようだ。

最後まで、終始不穏な雰囲気がただよう。猟奇殺人を連想させるようなところもあり、落ち着いて読んでいられなかった。帯には二度読み必至とあったが、自分はもう怖くて読めない。。。




2024年12月8日日曜日

読了メモ「アメリカ映画の文化副読本」渡辺将人 著

 

読了。

「アメリカ映画の文化副読本」
 渡辺将人 著
 日本経済新聞出版社 2024年1月

アメリカのいろいろな映画作品を通してみるアメリカ社会、文化、国民性、習慣などを綴った解説本。

切り口は、「都市と地域」「社交と恋愛」「教育と学歴」「信仰と対抗文化」「人種と民族」「政治と権力」「職業とキャリア」の七つ。冒頭は国内の地政学から話は始まる。南部と北部、東海岸と西海岸、州と連邦に代表されるように、これらの地域の特性はアメリカ映画の中では作品情報として重要な重きが置かれている。もっと言うと、ニューヨーク、西海岸、それ以外に分けられるという。また、ここに国外の要素がからんできてもそれはエキゾチックなアクセサリーの扱いとなる。つまり、アメリカ映画はこんなに世界中で消費されていながら、実は極めて内向きな面白さを詰め込んでいると評している。
ほかにもアメリカ人の国民性や習慣、文化に映画を通じてあらためて気づかされる。アメリカでは衣食住のうち何に重きを置いているのか。学園ドラマではなぜ廊下にロッカーがズラリと並んでいるシーンが多いのか。言語や宗教まで独自のルーツをアメリカに持ち込む異質な集団とはいったい何なのか。それとアメリカ国民のライフスタイルには政治性が反映され、同じ富裕層でも民主党支持層と共和党支持層が好む車には明らかに違いがあるという。きっと、これらはアメリカに居住していれば自ずと肌感覚でわかるコモンセンスなのだろう。翻って日本についてもそういう視点で国民性や文化・習慣を紐解いてみるのも面白いと思う。ただ、それはきっと日本国内にいてはわからないのだろう。一旦、離れてみるという境地の大切さを思い起こさせる読み物でもあった。

各章では解説テーマに沿ったアメリカ映画数本を紹介するコーナーがあり、映画好きにはなかなか美味しい一冊に仕上がっている。娯楽として楽しんでいた映画を文化人類学的なアプローチで俯瞰して観ることがあっても面白いかもしれない。

2024年10月26日土曜日

読了メモ「冷たい校舎の時は止まる」辻村深月 作

 

読了。

2004年 第31回メフィスト賞受賞作。文庫上下合わせて1,100ページ以上の学園長編ミステリー。

舞台は屈指の進学校、私立青南学院高校。まず本編に入る前の冒頭でいきなり不安を掻き立てられ、それがこの小説の全てを物語っているように思える。

 「落ちる、という声が本当にしていたかどうか。
  それは、今となってはもうよく思い出せない。」(上 p13)

登場人物は、同校の3年生で各クラスで委員をしていたり、生徒会で活躍する8人の生徒たち。彼らが雪の降る朝に登校してくるのだが、この時点ですでに様子がおかしい。街に人がいないのだ。登校しても学校には下級生も先生も誰もいない。8人だけだ。さらには、なぜか校舎の扉に鍵がかかって一人として外に出られなくなってしまう。破天荒ながら生徒たちから支持されている若い先生がしかけたドッキリだろうと高を括るがどうも違うようだ。そして追い討ちをかけるように不思議なことが発覚する。校舎は3階建てのはずなのに4階と5階が窓から見える。でも昇りの階段はない。

冒頭の書き出しで想像がつくとおり、この高校では校舎屋上からの投身自殺が起きていた。秋の学園祭の最終日の事件だった。しかし、これも不思議なことだが、8人の生徒たちはその自殺した人のことをどうしても思い出せない。たった数ヶ月前のことなのに。。。。

中盤から生徒ひとりひとりに不気味な犯人の手が伸びてくる。真っ白い雪と赤い鮮血の描写は読んでいて背筋がぞくそくしてくる。異次元の世界観にも関わらず、辻村さんの作品は本当に読みやすい。読んでる自分も同じ校舎の中にいるような感じがして生徒たちと一緒になって頭を巡らす。また、話の鍵を握る女子生徒の名前は「辻村深月」で、作者と同じ名前。なおのこと話の世界にのめり込みやすくなる。
犯人がわかって異次元世界の謎も解けたあと、さらに追っかけでもうひと展開があったりと最後まで楽しませてくれます。

「落ちる」という一言が最後まで頭から離れない。なんとも切ないホラーミステリーでした。


「冷たい校舎の時は止まる」
辻村深月 作
講談社 2007年8月刊


2024年10月14日月曜日

読了メモ「日本列島改造論 復刻版」 田中角榮 著

 


読了。

第64代/65代内閣総理大臣 田中角榮氏が著した当時91万部の大ベストセラー。一度、読んでみたいなぁと思っていたところ、復刻版が出ていたのを知り入手してみた。

発刊されたのは、昭和42年(1972年)のこと。あさま山荘事件、沖縄返還などがあり、翌年には第一次オイルショックがおきるという時代。今からもう50年以上前。そんな時代に、角榮氏が訴えたのは、都市の過密と農村の過疎の解消。この言葉が何度も本書には登場する。人と経済の流れを変える、都市改造と地域開発ということに多くのページを割いている。ただ、いわゆる国土を掘り返すような話ばかりではない。ソメイヨシノの植生が衰えてきていることを例にあげた公害問題・環境保護に向けた提言、平和と国民の福祉や国家間の協調に日本の力を活用していくこと、そして今のネットワーク社会を彷彿とさせる記述もあり、情報通信ネットワークインフラの整備を進めることの重要性も具体例をあげながら説かれていた。

読んでいてさすがだなと思ったのは、表だった強引とも言える政策を述べたあとで、その影に隠れてしまうような側面にも必ず光を当てて取り上げ、もれ無く隅々まで政策を行き届かせようとし、日本をよくしたいという意思が感じられたこと。表現の一部に古いところはあるが、その「筆」の圧倒的な説得力は今の時代に読んでも健在だ。

角榮氏といえば、今太閤と揶揄され、ロッキード事件で逮捕収監されたあとも目白の闇将軍と呼ばれたりしたが、あのダミ声でブルドーザーのような迫力を持った演説をまた聞いてみたくなった。

なお、本書の復刻にあたって冒頭の添書きを真紀子氏が書かれている。こちらも併せてご一読を。


「日本列島改造論 復刻版」
田中角榮 著
日刊工業新聞社 2023年3月

2024年10月4日金曜日

読了メモ「ポー傑作選2 怪奇ミステリー編 モルグ街の殺人」 エドガー・アラン・ポー 作 河合祥一郎 訳

 


読了。

ミステリーの古典。

世界最初のミステリー小説と言われる「モルグ街の殺人」を含め、

全11編が収録されています。


いったいどんな展開になるのだろう…、

現代のミステリーとはちがったどことなくお洒落な雰囲気が漂う作品なのかな

と思いきや、え〜!こんな結末だったのかぁ〜〜〜と驚き!

途中の謎が謎をよぶ展開では、どんな解決を見せてくれるのかドキドキするし、

現場に現れた人物の証言を一つづつ整理しての検証も

読む側を引き込んで没頭させてくれます。

が、よもや真相が。。。。

ある意味、ありえないどんでん返しといえるかもしれません。


ほかの謎解きというかファンタジックなお話は、

どちらかというとエログロナンセンス系でした。

日本の平井太郎さんが感銘を受けて

ペンネームにポーの名前をもじって使ったこともうなずけるものばかり。

ミステリーの謎解き役には、

頭脳明晰な探偵と少しとぼけてるけど行動力のある相棒がでてくるという

いまのミステリーでも定番の人物設定ができあがっていました。

これものちの明智小五郎や小林くんにつながっていくんだろうなと思いました。


表紙の装丁もロートレックとお洒落な感じですが、

中身は江戸川さんチックなお話ばかりです。

お話だけではなく詩が3編ほど収録されており、

翻訳も絶妙で不思議なリズムと音韻の響きが不穏な雰囲気を醸し出してもいます。

暗号解読の「黄金虫」というお話も面白かったなぁ。

未読な方は是非



「ポー傑作選2 怪奇ミステリー編 モルグ街の殺人」
エドガー・アラン・ポー 作
河合祥一郎 訳
KADOKAWA 2022年版