2016年12月24日土曜日
読了メモ「クリスマス・ボックス」リチャード・P・エヴァンス
読了。
早いもので、今年もクリスマスの時期を迎えました。
毎年のことながら、この時期に向けて
街中が光に溢れ、クリスマスの音楽が流れて気持ちも華やぎます。
年の瀬で一年を振り返る時節ということだけでなく、
個人的な話になるけれど、自分のためのような錯覚がいつもあって
センチメンタルな気持ちにひたれる時期です。
そんな時に合わせてクリスマスの本を読みました。
この時期にクリスマスの本を読むなんていつ以来でしょうか。
クリスマス・キャロルを読んだのはいつだったかな。
お話はいたってシンプル。
よけいな思いを巡らす必要はありません。
そのまま読んで心にしみこませてください。
愛する人と過ごす時の大切さを感じることができると思います。
話の舞台は主人公家族が住み込むことになる大きな屋敷と
クリスマス・ボックスのある屋根裏部屋。
鍵になるのは箱の中の手紙、裏庭の天使の像。
もうファンタジー感いっぱいです。
屋敷の主であり、主人公家族を雇っているのは一人の老女。
最初のクリスマスの贈り物は何か。彼女は主人公に問い続けます。
彼は洋服の仕立て販売をしているのですが
あるお客との子供服の仕立ての話、
妻から知らされる老女の持つ聖書のエピソードや
娘との会話、そして箱の中の手紙を通じて
主人公は最後にやっと気づくのです。
最初のクリスマスの贈り物ってなんだと思いますか。
きっとわかると思います。
Merry Christmas....
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クリスマス・ボックス
リチャード・P・エヴァンス
講談社 2001年
2016年12月17日土曜日
読了メモ「しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法」伊東 乾
読了。
音楽の話かなと思ってたらそうでもない。
プロローグに、聴衆を前にして演奏であがらないためには.....。
という話はあるけれど、
本編の方は、音楽家向けというよりは
もっと幅広く、これからの日本を担う
若い世代に向けたメッセージと捉えられると思います。
著者は指揮者ということもあり、
経営者やビジネスマンを意識した話もあった。
まぁ、それもそのはずで、ビジネス誌に連載されていた
コラムを編纂したものだったのでした。
すべてに共通するのは、「終わりなき独学者」であって
自分自身が採点者であること。
世に言われる「何のために学校にいくのか」
「・・・のためには何をしなければならないか」
という問いに対して厳しくコメントしています。
著名な指揮者や音楽家は、必ずしも有名な音楽学校を出たわけでもない。
学生時代の専攻分野が音楽と全く無関係な人ばかりだというのです。
また、アルゼンチンの勤労学生が日本にきて
何社かの工場で働いたあと、
お金よりも自分の人生や人間の本当の幸せが大切だ。
と言って帰国するのです。
あの宮沢賢治も言う「ほんとうのさいわい」
を共通にするこのエピソードが
最後まで自分の心の中に残りました。
ほんとうのしあわせって何か。
この本で最後まで問い続けていることのように思います。
常識や慣習にとらわれない判断と
愚直な行動、著者がいうところの「バカになる」ことで
自分の道を見つけていく。
その過程が、音楽家の場合は「リハーサル」つまり「練習」。
そして、知ったかぶりはしない。知ってることが偉いことではない。
「無知の知」から出発することの大切さ。
わけ知り顔のロートルが経験を振り回して言うアレコレに萎縮しなくていい。
ちょっと、耳が痛いような話もあったのでした。
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しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法
伊東 乾
晶文社 2014年
2016年12月11日日曜日
読了メモ「空飛ぶ男 サントス−デュモン」ナンシー・ウィンターズ
読了。
知らなかった。
人類の飛行史の中で著名な人物と言って思い浮かぶのは、
ライト兄弟、リンドバーグくらい。
彼らにまつわる話を読んでいるわけではないので
比べるのはどうかと思うけれど、
普段はもちろん、飛行の時でも襟の高いシャツをきて
ヒゲを生やしたオシャレないでたち。
当時は空を飛ぶというだけで、世間の注目を一手に集めるのに
それを気にも止めないかのような自分のスタイルで
颯爽とやりすごす様はなかなかイカすのです。
うん、かっこいい。
それは、外見だけではない。
彼は飛行中の時間を知るために、
世界初の腕時計をあのカルティエと作ってしまう。
そしてそれが今でもブランドとしてしっかり息づいている。
値段もすごいのだけれど、こういう形で古の飛行家の意思が
時代を超えて継がれているのは尊ささえも感じるものです。
また、自らの製作した気球、飛行船、飛行機についての
特許権は全て放棄していたそうです。
空はみんなのもの、独り占めにできるものではない、
大空を滑空するのは全人類の持つ夢ということなのでしょうか。
ただ、人類はその飛行の技術を使って戦争に突入します。
飛行機を使って都市を破壊し、多くの人の命を奪っていく。
いたたまれなくなったサントスは鬱病になり、自らの命を絶ってしまう。
最後のサントスの悲劇を読みおえた時、
ちょうどノーベル賞の授賞式のニュースもあって思ったのです。
だれも人を殺すために、未知の発見や技術の開発に寝食を忘れ、
汗水たらして新しい産業を興したりするのではないでしょう。
人類の叡智はまだまだ使いきれていないと。
ちなみに、サントスが最初に作った気球には
日本産の絹と竹が使われたそうです。
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空飛ぶ男 サントス−デュモン
ナンシー・ウィンターズ
草思社 2001年
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2016年12月3日土曜日
読了メモ「文学が好き」荒川洋治
読了。
この本も、タイトルからすると
硬い文学評論とイメージされるけれど
意中の本の紹介だったり随想だったりとそうでもない。
その中に、「言葉がない」というエッセイがあった。
世には様々な語句や表現があり
ある分野の様子や状態を表す言葉は実に豊富にある。
一方で、そうでない分野もあることも確かだ。
たとえば、「批評」。この「批」という文字には
「うつ」とか「なぐる」「せめる」という意味が原義にあるそうで、
著者としてはもう少し程度のやわらかいきつくない言葉が欲しいという。
他にも、「さわやか」「可憐」
「人生」「幸福」「自然」などの類語が不足していると。
言葉に抱く感覚が個人個人では違うなかで、その不足にぶつかった時に
そこをどう補っていくかと思考するのは楽しくもあり苦しくもある。
今回もそうだったが、詩を書く人の文章って
心が落ち着く。穏やかになる。
ここ数年、本を何冊か読んできて、
あっ、これって素敵だな、いいなと感じてきたものが二つある。
一つは児童文学。もう一つは、詩人の文章だ。
特に詩人の文章の行間がいい。
茨木のり子さんの詩集を紹介する話があった。
いつまでもいい詩集「倚りかからず」
詳細は触れないけれど、最後にあった
この詩は、読者をゆたかにもする。まずしくもする。
という結びが、この詩の存在感をぐっと持ち上げている気がする。
巻末には著者が選んだ「一年一作百年百編」というコーナーがある。
1900年から1999年の百年間で発表された文学作品(主に小説)から
一年一作の条件で百編を選んだもの。
同じ作家は二度選ばない条件で選出したそうだ。
2〜3行の紹介文つき。
これから読む本の参考にしたい。
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文学が好き荒川洋治
旬報社 2001年
2016年11月26日土曜日
読了メモ「水声」川上弘美
読了。
小説が読みたくなったので棚から引き抜いた一冊。
ちょうど主人公の二人は自分とたまたま同世代だった。
過去の回想シーンで引き合いになる事件・事故は、
実際に自分も目にしているせいもあって
妙な生々しさを話の中に醸し出している。
日航機123便墜落事故、チェルノブイリ原発事故、
昭和天皇崩御、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件。
テーマはきっと家族なんだと思うけれど、
昔の話ができるのは、その時一緒にいたからだということで
血の繋がりとか、家系とかはあまり関係ないようだ。
たとえ、両親同士がただならぬ関係であっても、
二人のいない今、親しい関係が築けているのであれば、
長いこと家族として生活していた家に再び一緒に住まうことは、
彼らにとって自然なことなのでしょう。
文章がとてもふわふわしているというか、
中空を漂うような定まらない感じを最後まで受けるけれど、
書かれている話はグロテスクな内容だ。
特に亡くなった母親を回想するシーンで
突き放したり、あるいは刺しこむような言葉を子どもに投げる母親が怖い。
また、それを傍らで飄々と見ている父親も。
最後までどこかがずれていると違和感が続く話。
本文中にはこんなことが書いてあった。
生きているもの同士が、南京錠や鍵の凹凸のように
きっちりとはまりあうことは、ない。
必要な時以外、容易に開けることはできないのだけれど
最後は大きな音とともに瓦解してしまう。
何かが歪んだままでいると
いつかはその歪みを解消しようとする力が
はたらくのでしょうか。
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水声
川上弘美
文藝春秋 2014年
2016年11月19日土曜日
読了メモ「カリコリせんとや生まれけむ」会田 誠
読了。
実は文庫本でも持っていたのに、
あとから古本屋で単行本を見つけてしまって、
そっちも買ってしまったものの一つ。
以前、「青春と変態」を読んでいたので、
この本もなかばワクワクして読み始めたのですけどそうでもない。
むしろ、作品の生みの苦しみだとか、つけたタイトルの意味だとか、
美術を生業としようとしている学生や若い人たちに向かっての
メッセージなどが盛られている。
失礼ながら、真面目で含みのある話が多い。
浅田 彰の名前を使った作品タイトルの意味を解説したところは、
しっかりと考えられているんだなぁと感心しきり。
一歩間違えば屁理屈かもしれないけれど、
発表する作品につけるタイトルの重みというものを感じます。
美術から離れて子育ての話もある。
「学校は従うところなんだよね」と言い出す著者の子ども。
そんな対応に困る子どもは傍に除けるような考え方が、
市井の人々一般にごくごく普通にまかり通っていることについて
自分自身の子ども時代も振り返って述べています。
いわゆる他と違った子どもだった自分をそのまま放置してくれたおかげで、
今の自分があり、当時の学校や親に感謝していると。
現代美術家として生きている今だからそう言える話なのでしょう。
学校や園に、ちょっと尖った子どもがいたりすると
今の社会はどう反応するんでしょうか。
その子はどうなってしまうんだろうかなどと
余計なことを考えてしまいます。
中島みゆきの歌詞についての話では
ポジティブソングとして「はじめまして」が出てきたので、
CDをレンタルしてきて聴いてます。
たまたま、年明けに中島みゆきのライブの模様が
映画館で公開されるという情報も得たのでそっちも楽しみ。
オタクっぽくて、それこそ変態な話もあります。
ガンダムを無視した話とか、大場久美子の話とか。
でも、これらの話って、自分にも覚えがあるなぁなんて。。。
装丁のスクール水着の女の子は、本文中に挿絵としても出てきます。
あわせてお楽しみください。
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カリコリせんとや生まれけむ
会田 誠
幻冬社 2010年
2016年11月13日日曜日
読了メモ「村上春樹にご用心」内田 樹
読了。
内田先生の村上春樹について書かれたブログや
雑誌に掲載されたエッセイのアンソロジー。
体系的に整えられた堅い評論ではないので
内田先生の本って読むの難しそうだなという方も
気軽に読めるのではないかと思います。
内田節はもちろん炸裂してますので、
それはそれで存分に楽しめます。
いくつかの話を通じて、一貫して言っているのが、
なぜある種の批評家たちは
村上春樹にこれほどまでに深い憎しみを向けるのか。
というトピック。
自分もこの本を読んで初めて知ったのですけど
ある著名な方などは、「村上春樹など読むな」とまで言ったとか。
せめて、私は読むに値しないとそう思うのだから、
騙されたつもりで貴方も一度読んでみてごらんなさい。
私の言うことがわかるから。
というのが、文壇から出すコメントとしては本筋ではないか
という指摘は至極ご尤もですね。
ただ、この話を読んだ時に、ふと、自分もネタ違いこそあれ、
似たようなことをしていないかと思い巡らしてしまう。
食わず嫌い、見て見ぬ振り、先入観、思い込み。。。
思い当たるところありますね、あります。
最初になんらかの強烈な印象が刷り込まれてしまうと
なかなかそのメモリーを書き換えることが
難しくなってきている昨今は、特に意識しておかないといけません。
村上春樹の作品は、はじめから翻訳されることを想定しているので
外国語に翻訳されたものをあらためて和訳しても
大きな違いがないという話も驚きです。
内田先生はそれを実例で示してくれています。
外国語のできる方はそんな読み方もできるんですね、いいなぁ。
表紙カバーに載っている小さいイラストの
雪かき仕事の解説もでてきますよ。
宇宙論的仕事観とか言って、そんなに難しい言い方でなくとも
よっしゃ働くか!っていう気持ちになることの尊さを
かの作品を通じて読めるんだと諭しています。
などとこういう指摘がいろいろ出てくるので
まだ読んでいないのはもちろん読みたくなるし、
読んだものももう一度読み直してみたくなる
ということになっちゃうのです。
さらに、この本にも続編があります。
すでに積ん読の中にあるわけでそれはまたいつか。
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村上春樹にご用心
内田 樹
アルテスパブリッシング 2007年
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