2021年10月27日水曜日

読了メモ「希望が死んだ夜に」天祢 涼




読了。

本書は、書店でも平積みされてたし
本屋大賞の何かの賞を取ったので
ご存知の方も多いかな。

まぁ、読んでいて正直辛かったですね。
ミステリーなので、
闇や影がつきまとうのはいたしかたないですけれど
格差とか、貧困問題とか、世間体とか、見栄とか、
親が子に寄せる勝手な思いとかが
二人の女子中学生に絡まってきます。
その結果、一人が死に、一人は自分が殺した!と。

とにかく出てくる大人がみんな酷い。
こんな大人のいる国の子どもたちの未来はどうなるのかと
心が痛くなるほど。
自分も大人ですけどね。

ラストは、そっちに持っていくのかぁという感じ。
謎解きも早いテンポで進むので、ポカンとして読んでいると
アッという間に終わってしまいますよ。

著者は「天祢 涼」で「あまね りょう」と読みます。
珍しく最近のミステリー小説を読んだのですが、
流行りのミステリーやエンタメ系、往年のSF小説も積み始めてしまってます。
余命のあるうちに全部読了できるんだろうか。
できない時は、墓まで持っていこうと思っています。

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希望が死んだ夜に
天祢 涼
文藝春秋 2020年



2021年10月14日木曜日

読了メモ「フランケンシュタイン」メアリー・シェリー、「批評理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義」 廣野由美子




読了。

最初は、新書の方を読む予定だったのだが、
ならばいっそのこと、ネタになっている
原作本を読んでしまえと思ったら
見事にずぶっとはまってしまった。

フランケンシュタインは、ご存知の通り
人造人間を作った博士のことであり、怪物の名前ではない。
映画やアニメなどでは、四角い顔でノソノソと歩いてくる、
ものすごい怪力の持ち主ということになっている。

確かに、原作でも怪物は人間を手にかけ、
その事件に絡めて罪もない人が死に追いやられる。
がしかし、読んでいて怖くはないのだ。
ひたすら哀しいとしかいいようがない。
自分の望まざる意思でこの世に生を受け
死体を繋ぎ合わせた醜い巨体は、
怪物自身が見ても恐怖ではあるのだが、
怪物の心はいつも孤独だ。

感動するシーンは、怪物が小屋に隠れて、
板の壁の隙間から、母屋での人間家族の心温まる生活を垣間見たり
子どもたちが勉強をするところを見て、一緒に文学を学ぶところだ。
その結果、怪物はなんと言葉が話せるようにまでなってしまう。
盲目の老人を一人残して家族が出かけたところへ
怪物は降りてきて老人に話しかけ、老人とすっかり打ち解けるが
帰ってきた子どもたちに見つかり、めった打ちにされて追い出されてしまう。
そしてその家族は怪物の存在を恐れ、
あっという間に引っ越してしまうのだ。

このように怪物は常に寂しい気持ちに苛まれている。
そして、自分を愛してくれる友だちを作ってくれと
フランケンシュタイン博士に依頼する。
しかし、博士は。。。。

博士は常に怪物を罵倒し憎悪の念を剥き出しにする。
一方、怪物はなんとか博士にすがりつき自分の生活を
よきものにしたいと懇願するが、叶うことなく、
命をもてあそぶ博士に恨みの念を重ねることになる。

本作は、ロバート・デ・ニーロが怪物役で1994年に映画化もされている。
多少、端折ってはあるものの、原作に近い形ではないかと思う。
もちろん怪物の姿、形は、皆さんがイメージするものとは違う。

繰り返すがホラーではない。読後に切なさを残す物語。
フランケンシュタインの先入観をひっくり返すことになると思う。
一読をお勧めしたい作品である。

新書の方は、もちろん、後から読みました。
合わせて読むと、物語の構成や人称の考え方などの小説の技法や
様々な切り口からの小説の読み方を楽しむことができます。
原作を読んだ直後に、このような批評論を読んだことがなかったので
とても新鮮な感じを受けましたし、文章読解の参考になりました。

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フランケンシュタイン
メアリー・シェリー 芦沢 恵訳
新潮社 2020年

批評理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義
廣野由美子
中央公論新社 2020年



2021年10月6日水曜日

読了メモ「利己的な遺伝子」リチャード・ドーキンス




読了。

ちょっと前に話題になった本だよなと思いつつ
表紙や奥付けを見ると、40周年記念版とありました。
中身をみると、1976年が初版。
40周年どころか、もうすぐ50周年にならんとしている。

今年は、ダーウィンの本を読んだりと
勢いづいていたのか、500頁近い本書にもトライしてみました。


まず、序文から叩き込まれます。

 一つの種を他の種より上にみる客観的根拠などは存在しないのだ。(p30)

これは、人間とチンパンジーは進化の歴史を99.5%共有していることを
例に取り上げて諭しているメッセージ。
食物連鎖で底辺と頂点はあるけれど、
異種生命間では上下関係はない。

そして、すべての生物は、生き残って子孫を増やすために
利己的であり、時として利他的でもあるという。
利己的な例として、ペンギンは海に飛び込む際、
天敵のアザラシを恐れて最初に飛び込むことを嫌がるが
誰かが最初に飛び込まなければならない。
そこで、最初に飛び込む一羽を無理やり群れから押し出すのだ。
利他的な例としては、地上営巣性の鳥がそうだ。
キツネなどの天敵が近づいてきた時、親鳥は「擬傷」行為をする。
片方の翼が折れた仕草をして歩き、天敵を自分に引きつけ、
十分に巣から離れて、雛が安全と確認できたら飛び立つ。
明らかに親鳥は自分の命を危険に晒して、雛や卵を守っている。

本書は、このような例をあげて始まるが
面白いアプローチだなと思ったのは、
私たちは、自己複製子である遺伝子の「生存機械」なのであるという定義。
つまり、遺伝子が主人公であって、我々はその遺伝子に動かされている
という見方で話を進めているのが視点を変えていて話がわかりやすかった。
この見方は当初かなりの物議を醸した考え方だったようだ。
猿は樹上で遺伝子を維持する機械であり、
魚は水中で遺伝子を維持する機械であるということ。

ダーウィンは、自然淘汰論を説き、
外部環境の変化に適応できるものが生存できるという説を展開した。
ドーキンスは、進化的に安定な戦略を生物群がとることを説いている。
例えば、ハーレムやサル山などの群れでの順位制がそれで
同種内の社会組織ばかりでなく、
多くの異種からなる生態系やコミュニティにも当てはまる考え方だという。
つまり、遺伝子は、生物単体としての生存だけでなく、
生物群という機能を使ってでも生存競争にも勝ち抜くようになっているのだ。

果たして、人間が作る社会においてはどうか。
福祉国家。これは動物界に現れた利他的システムの最も偉大なものかもしれない。
しかし、残念ながら不安定だという。
それは利己的な個体に濫用されるからだ。

また、子どもは利己主義の塊であるとも。
したがって、我々は、子どもに利他主義を教えなければならない。
子どもの生物学的本性に、利他主義が最初から組み込まれてることを
期待するわけにはいかないからで、
純粋で、私欲のない本当の利他主義の能力を持てるのは
人間の優れた部分の一つとも言われている。
つまり、人間だけが、利己的で自己複製する遺伝子の
専制支配に反逆できるというのだ。


あとがきに、印象的な一文があったので最後に記しておきます。

 実は、本書「利己的な遺伝子」の中心的な主張を撤回する道はないものか
 と、模索しているのである。〜中略〜 抜本的な改訂が不可避なはずだと
 思われるのではないか。(p449)

生命神秘の探究の道は、まだまだ続きそうです。

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利己的な遺伝子 40周年記念版
リチャード・ドーキンス
日高俊隆/岸 由二/羽田節子/垂水雄二 訳
紀伊国屋書店 2020年

2021年9月28日火曜日

読了メモ「変身」カフカ



読了。

名作ですね。
主人公のグレーゴルが、ある朝起きてみると
大きな虫になっているというお話。

背中は硬い殻がついているようなので
甲虫なのかなと思うけど
イメージとしてはゴキブリかなぁと。
日本の家庭でよく見るゴキブリは羽があって飛びますが
海外には、羽がなくて背中が硬いゴキブリがいるんですよ。

最初はもちろん、本人も肝を潰すのですけど
実際のところ、焦ってはいるけど意外に平静。
いつも通りに仕事をしたいとか、
人間らしい生活を送りたいと考えているのが可笑しい。
母親や、心配して家までやってきた職場の上司は
グレーゴルを見て怯えているにもかかわらずだ。

その中でも逞しいのが妹のグレーテだった。
母親がグレーゴルの姿を見て気絶しても
兄に、なぜ母親の前に出てくるのかと叱責し、母親を看病する。
なんとも頼しい。
彼女は両親の期待を一身に受け麗しく育っていく。
兄は巨大な虫なのに。

まぁ、未読のイメージだと
なんやら陰湿な物語かと思うのですが
これがなんとも淡々としていて、コメディみたいな感じもする。
完全にメタファーなんですね。
本質的には、本人は何も変わっていないのです。

嫡男たる兄さんはしっかりしないといけないようですな。

ページ数も100頁強ですぐ読めます。
お時間のある時にぜひ。

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変身
カフカ 高橋義孝訳
新潮社 2021年

2021年9月21日火曜日

読了メモ「あひる」 今村夏子



読了。

あひるが描かれている穏やかな装丁に
惑わされてはいけない。
本書は、ちょっと心が騒つく。
人によってはユーモアと感じるかもしれないけど
自分はゾクっと違和感を読後に感じた。

・あひる
・おばあちゃんの家(書き下ろし)
・森の兄妹(書き下ろし)

の三つの短編小説からなっている。

飼い始めたあひるの名前は「のりたま」だ。
たくさんの子どもが、のりたま目当てに庭に来て賑やかになる。
でも、のりたまは病気になって病院へ。
その間は、子どもも来ないので庭はとても静かになる。
のりたまが生まれ変わったようになって帰ってくると
また庭や家が賑やかになる。
しかし、ある日のりたまは死んでしまう。
庭にお墓を作って埋めてあげるのだが、
小さな女の子がきて、不思議なことを聞いてくる。。。。

おばあちゃんは「インキョ」と呼ばれる離れに居る。
そこに洗濯物やご飯を送り届けに行くのは、
みのりちゃんや弟の役目だ。
ある時、弟の診療のため、夜遅くまでおばあちゃんと
みのり二人でお留守番をすることになった。
みのりは、おばあちゃんに嘘をついて夜に出かけてしまうが
竹藪に迷い込み迷子になってしまう。
やっとのことで公衆電話を見つけて家に電話をかける。
電話に出てくれたのは。。。。

仲良し兄妹は、いつしか他人の敷地に入り込んでしまい、
大きなびわの木を見つけてびわを食べていた。
びわの木のそばには、小屋があり
おばあちゃんが住んでいるらしい。
「ぼくちゃん」と呼ばれてそばに行くと
飴やらお菓子やらを、小さな窓から
皺だらけの細い手を出してよこしてくれる。
が、おばあちゃんが誰かと話しているのを
家の人が知ったのか、大きな怒鳴り声で
おばあちゃんを叱る声に兄妹は驚いてしまう。。。。


と、こんな三つのお話です。
もちろん、エンディングはそれぞれまだ続くし、
細かい描写のジワジワくるところや
ハッピーエンドにも読める
読後の漂ってくる空気とかが妙な感じです。

もうお彼岸ですね。
秋になりますが、ちょっとゾワっとするお話もなかなかよいですよ。

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あひる
今村夏子
書肆侃侃房 2017年

※文庫本でのご案内です。


2021年9月13日月曜日

読了メモ「ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた」 青山 通



読了。

皆さんはウルトラセブンの最終回を覚えているだろうか。

ウルトラ警備隊のダン隊員が、アンヌ隊員に
自分がウルトラセブンであることを告げるシーンがある。
この場面で、画面は逆光に反転し、
BGMは、一転してクラシックの曲が流れ始める。

本書は、この曲がなんという曲か、作曲者は誰か、
指揮者は誰か、ピアノは誰かを
著者が執拗に追求しつきとめていく物語である。

青山氏もウルトラセブンを観たのは幼少時代で、
子ども心ながら最終回のあのシーンは、
鮮烈な印象だったのでしょう。

ヒーローものは、特に最終回は、
なんとも切ないストーリー展開が常ですが、
ウルトラセブンは子ども向け番組とはいえ、
全話を通じて、大人も十分に楽しめる作品だったのではと思います。

前作のウルトラマンは、怪獣退治の専門家として
ベムラーという怪獣を追って地球にやってきて、
科学特捜隊のハヤタ隊員の体を借りて
幾多の怪獣を退治しました。
一方、ウルトラセブンは、はじめからモロボシ・ダンとして登場。
クール星人を撃退した功績を認められウルトラ警備隊に入隊します。

ウルトラマンと異なりウルトラセブンは、
地球を狙う宇宙人と戦う話が殆どでした。
そこには、宇宙人と地球人との共生というテーマがあった
とは、よく言われているところです。

最後は、皮肉にもダンは自らがM78星雲から来た
宇宙人ウルトラセブンであることを告白し
地球人アンヌのもとを去ることになります。

著者はこの運命的に出会ったクラシック曲を探すことを通じて
クラッシック鑑賞の面白さ、醍醐味を読者に伝えており、
また後半は、ストーリーも秀逸でBGMも効果的だった
ウルトラセブンのお勧め作品を紹介するという
ウルトラセブンへの愛に包まれた一冊となっています。

それでは、その最後のシーンはこちらから。

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ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた
青山 通
新潮社 2020年


2021年9月6日月曜日

読了メモ「リトル・ピープル ピクシー、ブラウニー、精霊たちとその他の妖精」 ポール・ジョンソン



読了。

リトル・ピープルというと、
村上春樹さんの「1Q84」を思い出してしまうのだけれど
こちらは、主にイギリス、アイルランドなどで
語り継がれている精霊や妖精たちのお話です。
なかには、魔女や人魚、グレムリンなども含まれています。

そもそも、妖精自体の存在がわからないのに
妖精を見通す力を持つ人間はある一定数存在し、
その人たちは、心が正しい人というお墨付きまでついてるようです。
ちなみに、妖精の姿を見るには、よい時間帯があるそうで、
1日のうち、日の出、正午、日の入り、真夜中の四つの時間だそうです。
特に、春分の日、夏至、秋分の日、冬至、はよく見られるそうです。

もうすぐ秋分の日ですね。探してみませんか。
日本だと「座敷童」あたりでしょうか。
座敷童がいる家は栄えると言われてますよ。

そんな妖精を家にとどめておくためのルールは、
暖炉を綺麗に保つことだそうです。
そうすることで、彼らは家周りの家事や雑用をよくしてくれるとか。
使わなくなった古い暖炉でも、閉じられた煙突の周りであっても
綺麗にしておかないと、彼らはその家に
とどまることができないのだそうです。
日本だと、囲炉裏とかストーブとかかな。

では、普通一般の市井の人々が
妖精をひとめ見たいと思ったらどうすればいいのでしょう。
それは、みなさんもよくご存知の
クローバーの葉っぱを探すのです。
四葉は、彼らの姿を見ること、
五葉は、彼らの存在についての知識や理解につながり、
六葉は、彼らの秘密を告げられること
を示しているそうです。
自分は、四葉までは見つけたことあるけど、姿は見たことがないなぁ。

ただ、妖精についての気づきは
現世の考え方の延長線上ではなく、全く異なる感情となって
もう一つの世界に気づくことなのだそうです。
想像もしていなかった
新しい世界が目の前に見えてくる。
なんか、夢があっていいですね。

そんな妖精に会ってみたいと思うこの頃です。

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リトル・ピープル ピクシー、ブラウニー、精霊たちとその他の妖精
ポール・ジョンソン 藤田優里子訳
創元社 2010年