2024年12月31日火曜日

読了メモ「心臓の力 休めない臓器はなぜ「それ」を宿したのか」 柿沼由彦著


 読了。

「心臓の力 休めない臓器はなぜ「それ」を宿したのか」
 柿沼由彦著
 講談社 2015年

一度、しっかりと心臓に関する本は読んでみたいと思っていた。とはいえ専門書などは読めるはずもないので、まずはブルーバックスから。

わかりきっていることだが、私たちの心臓は私たちが生きている限り休むことなく動き続けている。一日で10万回の収縮と拡張を繰り返す。また、血液を送り出す力は水柱に換算すると1.77メートルまで吹き上げる力だという。本書の冒頭ではそれらを踏まえた上で気付かされたことがある。

 過酷な重労働を強いられる心臓は、必然的に多くのエネルギーを消費する一方で、
 エネルギーと共に産出される活性酸素という猛毒をあびつづけている。
 それは心臓にとっては致命的なダメージとなるはずだが、
 実際には心臓が活動を停止することがないのは、
 心臓自身にみずからを癒す能力が備わっているからである。(p5)

わかりやすい例えでいえば、「心筋細胞はなぜ筋肉痛を起こさないのか」心筋細胞でも筋肉痛を引き起こす乳酸は生じるが、心臓は乳酸をエネルギー源として使用する能力を持っているのだという。
長い年月をかけてのマウスを使った実験などを経て、心臓の交感神経と副交感神経の関係、そして鍵となる神経伝達物質の作用が明らかになっていく。その結果として虚血系心疾患への耐性があがるデータが確認されたというのだから驚く。すなわち心筋梗塞は直ちに絶命するが、そうではなく相当な期間の延命につながる道があるのだという。

自分をはじめ中高年は生活習慣病をかかえ、心臓をはじめとする循環器系器官に爆弾を抱えている人も多い。本書を読むと医学が切り開いていく未来に光明を感ぜずにはいられない。医学の将来に大いに期待するばかりである。


2024年12月30日月曜日

読了メモ「もう終わりにしよう。」イアン・リード作 坂本あおい訳

 

読了。

「もう終わりにしよう。」
 イアン・リード 作
 坂本あおい 訳
 早川書房 2020年7月

ゾワゾワするスリラーもの。本書の半分近くまでが、表紙の装丁にみえるように車内の二人だけの会話からなっている。行き先は彼氏の両親の家。そして彼女はもう二人の関係にピリオドを打とうかと考えている。車内には不穏な雰囲気が充満する。

両親の家は、豚や羊、鶏もいる農家の一軒家。家が見えてくるが、どうやら二階の窓辺に髪を伸ばした女性の姿が見える。母親らしい。彼女は下から手を振るが、夜で暗いため二人の姿は二階屋からは見えないようだ。家に入ると広い部屋に通される。両親の姿はなく部屋はストーブの薪がはぜる音が響く。飾ってある白黒写真に写っているのは自分だと彼はいうが、どうみても髪の長い女の子だし、そもそも写真が古すぎる。料理が準備された食卓の部屋に入ると、両親は少し遅れてひとりづつ部屋に入ってくる。

両親宅からの帰り道、再び車内の場面。夜の雪道、廃校となった彼の母校の前で車を停めるが、ここで異変が。誰もいないはずの校舎から誰かが自分たちのことを見ているのだ。彼は校舎の中に入っていくがなかなか帰ってこない。彼女はたまらず彼を探しにいくが、戻ってくると車がなくなっていた。。。

話の合間、合間に、どうやら刑事が現場調査をしている場面の会話が挿入されている。刑事たちの会話から察するに殺人事件らしい。クローゼットから遺体が発見されたようだ。

最後まで、終始不穏な雰囲気がただよう。猟奇殺人を連想させるようなところもあり、落ち着いて読んでいられなかった。帯には二度読み必至とあったが、自分はもう怖くて読めない。。。




2024年12月8日日曜日

読了メモ「アメリカ映画の文化副読本」渡辺将人 著

 

読了。

「アメリカ映画の文化副読本」
 渡辺将人 著
 日本経済新聞出版社 2024年1月

アメリカのいろいろな映画作品を通してみるアメリカ社会、文化、国民性、習慣などを綴った解説本。

切り口は、「都市と地域」「社交と恋愛」「教育と学歴」「信仰と対抗文化」「人種と民族」「政治と権力」「職業とキャリア」の七つ。冒頭は国内の地政学から話は始まる。南部と北部、東海岸と西海岸、州と連邦に代表されるように、これらの地域の特性はアメリカ映画の中では作品情報として重要な重きが置かれている。もっと言うと、ニューヨーク、西海岸、それ以外に分けられるという。また、ここに国外の要素がからんできてもそれはエキゾチックなアクセサリーの扱いとなる。つまり、アメリカ映画はこんなに世界中で消費されていながら、実は極めて内向きな面白さを詰め込んでいると評している。
ほかにもアメリカ人の国民性や習慣、文化に映画を通じてあらためて気づかされる。アメリカでは衣食住のうち何に重きを置いているのか。学園ドラマではなぜ廊下にロッカーがズラリと並んでいるシーンが多いのか。言語や宗教まで独自のルーツをアメリカに持ち込む異質な集団とはいったい何なのか。それとアメリカ国民のライフスタイルには政治性が反映され、同じ富裕層でも民主党支持層と共和党支持層が好む車には明らかに違いがあるという。きっと、これらはアメリカに居住していれば自ずと肌感覚でわかるコモンセンスなのだろう。翻って日本についてもそういう視点で国民性や文化・習慣を紐解いてみるのも面白いと思う。ただ、それはきっと日本国内にいてはわからないのだろう。一旦、離れてみるという境地の大切さを思い起こさせる読み物でもあった。

各章では解説テーマに沿ったアメリカ映画数本を紹介するコーナーがあり、映画好きにはなかなか美味しい一冊に仕上がっている。娯楽として楽しんでいた映画を文化人類学的なアプローチで俯瞰して観ることがあっても面白いかもしれない。

2024年10月26日土曜日

読了メモ「冷たい校舎の時は止まる」辻村深月 作

 

読了。

2004年 第31回メフィスト賞受賞作。文庫上下合わせて1,100ページ以上の学園長編ミステリー。

舞台は屈指の進学校、私立青南学院高校。まず本編に入る前の冒頭でいきなり不安を掻き立てられ、それがこの小説の全てを物語っているように思える。

 「落ちる、という声が本当にしていたかどうか。
  それは、今となってはもうよく思い出せない。」(上 p13)

登場人物は、同校の3年生で各クラスで委員をしていたり、生徒会で活躍する8人の生徒たち。彼らが雪の降る朝に登校してくるのだが、この時点ですでに様子がおかしい。街に人がいないのだ。登校しても学校には下級生も先生も誰もいない。8人だけだ。さらには、なぜか校舎の扉に鍵がかかって一人として外に出られなくなってしまう。破天荒ながら生徒たちから支持されている若い先生がしかけたドッキリだろうと高を括るがどうも違うようだ。そして追い討ちをかけるように不思議なことが発覚する。校舎は3階建てのはずなのに4階と5階が窓から見える。でも昇りの階段はない。

冒頭の書き出しで想像がつくとおり、この高校では校舎屋上からの投身自殺が起きていた。秋の学園祭の最終日の事件だった。しかし、これも不思議なことだが、8人の生徒たちはその自殺した人のことをどうしても思い出せない。たった数ヶ月前のことなのに。。。。

中盤から生徒ひとりひとりに不気味な犯人の手が伸びてくる。真っ白い雪と赤い鮮血の描写は読んでいて背筋がぞくそくしてくる。異次元の世界観にも関わらず、辻村さんの作品は本当に読みやすい。読んでる自分も同じ校舎の中にいるような感じがして生徒たちと一緒になって頭を巡らす。また、話の鍵を握る女子生徒の名前は「辻村深月」で、作者と同じ名前。なおのこと話の世界にのめり込みやすくなる。
犯人がわかって異次元世界の謎も解けたあと、さらに追っかけでもうひと展開があったりと最後まで楽しませてくれます。

「落ちる」という一言が最後まで頭から離れない。なんとも切ないホラーミステリーでした。


「冷たい校舎の時は止まる」
辻村深月 作
講談社 2007年8月刊


2024年10月14日月曜日

読了メモ「日本列島改造論 復刻版」 田中角榮 著

 


読了。

第64代/65代内閣総理大臣 田中角榮氏が著した当時91万部の大ベストセラー。一度、読んでみたいなぁと思っていたところ、復刻版が出ていたのを知り入手してみた。

発刊されたのは、昭和42年(1972年)のこと。あさま山荘事件、沖縄返還などがあり、翌年には第一次オイルショックがおきるという時代。今からもう50年以上前。そんな時代に、角榮氏が訴えたのは、都市の過密と農村の過疎の解消。この言葉が何度も本書には登場する。人と経済の流れを変える、都市改造と地域開発ということに多くのページを割いている。ただ、いわゆる国土を掘り返すような話ばかりではない。ソメイヨシノの植生が衰えてきていることを例にあげた公害問題・環境保護に向けた提言、平和と国民の福祉や国家間の協調に日本の力を活用していくこと、そして今のネットワーク社会を彷彿とさせる記述もあり、情報通信ネットワークインフラの整備を進めることの重要性も具体例をあげながら説かれていた。

読んでいてさすがだなと思ったのは、表だった強引とも言える政策を述べたあとで、その影に隠れてしまうような側面にも必ず光を当てて取り上げ、もれ無く隅々まで政策を行き届かせようとし、日本をよくしたいという意思が感じられたこと。表現の一部に古いところはあるが、その「筆」の圧倒的な説得力は今の時代に読んでも健在だ。

角榮氏といえば、今太閤と揶揄され、ロッキード事件で逮捕収監されたあとも目白の闇将軍と呼ばれたりしたが、あのダミ声でブルドーザーのような迫力を持った演説をまた聞いてみたくなった。

なお、本書の復刻にあたって冒頭の添書きを真紀子氏が書かれている。こちらも併せてご一読を。


「日本列島改造論 復刻版」
田中角榮 著
日刊工業新聞社 2023年3月

2024年10月4日金曜日

読了メモ「ポー傑作選2 怪奇ミステリー編 モルグ街の殺人」 エドガー・アラン・ポー 作 河合祥一郎 訳

 


読了。

ミステリーの古典。

世界最初のミステリー小説と言われる「モルグ街の殺人」を含め、

全11編が収録されています。


いったいどんな展開になるのだろう…、

現代のミステリーとはちがったどことなくお洒落な雰囲気が漂う作品なのかな

と思いきや、え〜!こんな結末だったのかぁ〜〜〜と驚き!

途中の謎が謎をよぶ展開では、どんな解決を見せてくれるのかドキドキするし、

現場に現れた人物の証言を一つづつ整理しての検証も

読む側を引き込んで没頭させてくれます。

が、よもや真相が。。。。

ある意味、ありえないどんでん返しといえるかもしれません。


ほかの謎解きというかファンタジックなお話は、

どちらかというとエログロナンセンス系でした。

日本の平井太郎さんが感銘を受けて

ペンネームにポーの名前をもじって使ったこともうなずけるものばかり。

ミステリーの謎解き役には、

頭脳明晰な探偵と少しとぼけてるけど行動力のある相棒がでてくるという

いまのミステリーでも定番の人物設定ができあがっていました。

これものちの明智小五郎や小林くんにつながっていくんだろうなと思いました。


表紙の装丁もロートレックとお洒落な感じですが、

中身は江戸川さんチックなお話ばかりです。

お話だけではなく詩が3編ほど収録されており、

翻訳も絶妙で不思議なリズムと音韻の響きが不穏な雰囲気を醸し出してもいます。

暗号解読の「黄金虫」というお話も面白かったなぁ。

未読な方は是非



「ポー傑作選2 怪奇ミステリー編 モルグ街の殺人」
エドガー・アラン・ポー 作
河合祥一郎 訳
KADOKAWA 2022年版

2024年9月18日水曜日

読了メモ「地球生命圏 ガイアの科学」 J.ラヴロック 著 星川 淳 訳

 



読了。


地球全体を一つの生命体ととらえて環境問題を論じている。著者のラヴロック氏はNASA宇宙計画の共同研究者として火星の生命探査計画に参加したのをきっかけに本書を書き上げた。


地球の生物・大気・海洋・地表は、単一の有機体とみなせる複雑なシステムであり、生命にふさわしい場所として保つ能力を地球はそなえているという仮説からスタートする。人類や他の生命は、この地球を快適な住み家として維持する力をもった巨大な生き物の部分であり、お互いがパートナーであるという見方だ。


生命が地球に生まれる前、地球はどんな状態だったのか。隣の火星と金星に生命がないのに、なぜ地球は生命を生み育てることができたのか。生命が誕生してから35億年、ほんの短期間でも生命にとって100%不向きな時期はなかったし、海洋が全て凍ったり沸騰したりしたことはなかった。氷河期の寒波も北緯45度以北と南緯45度以南の地帯を襲っただけで、地表の70%はその氷河に覆われた地帯に入っていなかったという。


地球が、生命にとって最適な環境を提供しているかについての論証は、大気組成そして海へと展開する。その海での問いは象徴的だ。


 「海はなぜもっと塩辛くならないのか」(p169)


それは、海洋の塩分が生物学的なコントロールをうけてきたから。地球という巨大な生命圏のなかで長い年月の時間軸で調節をはかってきたということだ。


そして、都市化や工業化によって人間が環境に与える汚染問題が投げかけられるのだが、賢明な方法を用いれば他の生物種を自然生息地から追い立てることなく食糧生産することができることを例に挙げ、理知的な組織と高度なテクノロジーが必要と説く著者は、


 「人間のテクノロジーが人間にとって破壊的だった

  ということになる可能性はあるが、

  現在または近い将来における工業活動のレベルで、

  全体としての地球の生命が危うくなる根拠は薄い」(p195)


と言っている。これは意外な論旨展開だった。


ここまで読んでくると、相当に長い時間がかかることは前提としながら、人間が環境を汚染してしまっても、地球環境は自らの調整維持機能で回復し存続していくと読めてくる。しかし、最後に問題を突きつけられる。それは「人口増加」問題。著者は世界の人口が百億人を超えたあたりで、一人あたりのエネルギー消費が増大した場合、牢獄のような地球となるか、超大量死の末に別の生存者に地球を渡すことになると言っている。


全体を通して、人間がもたらす地球環境への汚染問題は恒常性をもって回復維持されるトーンではあったが、あとがきで訳者が補足的に「人間に対する地球自身の声」を代弁していたので引用する。自分・あなたが人間を指し、私が地球のことです。

母なる地球は我々人間を見捨ててはいないということでしょうか。


 「むずかしいことではありません。

  自分が地圏、生命圏、大気圏をあやなす

  〈私〉という生態の一部であることを認識し、

  〈私たちすべて〉の健全な進化を

  めざしてくれればいいのです。

  あなた方の未開な文明が、その逆に生命を抑圧し、

  殺害している現状を打破してください。

  熱核戦争の危険と、放射能廃棄物を未処理のまま放棄している

  という事実の原因をつきとめ、解決の工夫をすること。

  これがあなた方現行人類にさずけられた公案です。」(p280)




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 J.ラヴロック 著 星川 淳 訳
 工作舎 2023年新装版




2024年9月8日日曜日

読了メモ「仮面の告白」 三島由紀夫

 

読了。

前回、三島さんの作品を読んだのは去年の6月。

その時はエンタメ小説っぽいサスペンス&ミステリーチックな作品だったが、

今回はまたガラリと違う。

半ば自叙伝的なもので、三島さんの生々しい半生を素手で握るような感覚を味わえる。


冒頭、「美」について「カラマーゾフの兄弟」からの引用から始まる。

この冒頭を読みこむだけで本作の異様ともいえる雰囲気に飲み込まれてしまう。

本編のお話は、幼少期から青年期までのタイトル通りの「告白」、

あるいは「吐露」ともいえる。


幼い頃からの父母と別れた生活、同級生への倒錯した感情、

強靭な肉体への憧憬と嫉妬、異性に対する感覚のズレ、

運命の女性との出会いと執着心、戦争での死の教義、そして絶望的な苦しみ。

一人の青年の暗澹で戸惑い迷う生き方を

ここまで読んでしまっていいのだろうかと思うくらいだった。

それに、そんな心の蠢きを表現している描写が素晴らしい。

えっ、こう書くのかぁ。。と唸ってしまうところがいくつもあった。


三島さんは1970年の45歳の時に市ヶ谷駐屯地で自決するわけですが、

この作品が書かれた1949年、当時24歳の時に、

三島さんの心と体の中に自決に関する朧げなイメージというか、

ぼんやりとした霧のようなものがあったのではないかと思わせられる。

読み終えてあらためてそう感じられるのは自分だけではないと思います。

いかがでしょうか。



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 三島由紀夫
 新潮社 2020年新版



2024年8月30日金曜日

読了メモ「ウルトラマンの東京」 実相寺昭雄

 

読了。

ウルトラマンやウルトラセブンだけでなく、
平成のウルトラマンシリーズも手がけた
実相寺さんの撮影当時エピソードがふんだんに盛り込まれた回顧録。

お話は昭和のウルトラマン、ウルトラセブンの頃なので、
当時の東京世田谷や川崎、調布あたりの風景が浮かび上がってくる。
実相寺さんが円谷プロに入った頃、
東京世田谷界隈は今では想像もつかないほどの緑につつまれ、
空が広く宇宙に近いと実感したそうだ。
高層の建物が多くなった今の東京をバックにすると
怪獣やヒーローのサイズ感覚がバグってしまいうまく撮れなくなったという。

撮影機材もビデオではなくフィルムの時代。
ジェットビートルやウルトラホークがピアノ線で吊られ、
ミニチュアの山や街並みがならぶ。
ロケでは夕陽を背景に隊員たちの演技を収録する。
ウルトラマンの頃はまだセットを話のたびに組みあげる撮影は少なかったそうで、
ウルトラセブンになってようやくスタジオセットでの撮影が増えてきたという。
実相寺さんが手がけたウルトラマン六話のうち、
スタジオセットをわざわざ組んだのは「怪獣墓場」の回だけだったらしい。
レギュラーセットは、科特隊本部とビートル操縦席まわり程度だったようだ。

本書の初出は1993年だが、
すでに撮影当時のロケ地や地名などが無くなっていることに気づく。
かたや意外なところが撮影に使われていたこともわかった。
当時の経団連ビルや、TBS社屋の屋上などは頻繁に使われたそうだ。
今は、その大手町や赤坂あたりも当時を思いおこす跡はほとんどなくなってしまっている。

実相寺さんが手がけたウルトラマンは六話、ウルトラセブンは三話ある。
以下にタイトルだけピックアップするので、
どんな怪獣や宇宙人が出てきたか思い出してみてください。全部わかるかな。。。
  1. 「真珠貝防衛指令」
  2. 「恐怖の宇宙線」
  3. 「地上破壊工作」
  4. 「故郷は地球」
  5. 「空の贈り物」
  6. 「怪獣墓場」
  7. 「狙われた街」
  8. 「第四惑星の悪夢」
  9. 「円盤が来た」

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 実相寺昭雄
 筑摩書房 2003年

2024年8月23日金曜日

読了メモ「星の子」 今村夏子

 

読了。


好きな現代作家さんの一人、今村夏子さんの作品。

お話全体に常にただよう不穏な空気感がなんともいえない。


中学3年生のちひろは、小さい頃は体が弱かった。

両親は、ある人から教えてもらった「金星のめぐみ」という水を飲ませたり、

その水をタオルに浸して体を拭くなどし、不思議とちひろは体調を回復していく。

両親たち自身の健康にも役に立っていると信じて疑わない。

味も他の水と違うというのだ。どうやら甘いらしい。

しかし、これらを不審に思った親戚のおじさんが、

この水を全て水道水に入れ替えてしまう事件がおきたりする。


ちひろは、学校でも辛くて明るい希望の見えない日々を過ごす。

憧れの先生の似顔絵を描くのだが、

友達には計算用のメモ紙にされてしまうし、

当の先生からも叱責されて救いようのない淵に立たされる。

隣に座ることになった転校生にも翻弄されてしまう。


そして、家族は金星のめぐみにまつわる信者が集う「星々の郷」という宿泊地で、

歌を歌ったり、集まった人たちとの交流会に参加する。

一見、楽しそうにも見えるのだが、

いろいろな考え方の人がいて、

ここでも読んでいる側としては心が落ち着かない。


最後は、ちひろと両親で流れ星を見るシーンで終わる。

果たして、この家族は本当に幸せなのだろうか。。。。


最初に読んだ今村さんの作品は「あひる」だった。

このときも読んでいて言いようのない澱のようなものを、

心底に抱えながら読み終えた覚えがある。

今回も存分に今村ワールドを楽しめた。また違う作品を読んでみたい。


なお、本書の巻末には、今村さんと小川洋子さんの対談もある。



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星の子
 今村夏子
 朝日新聞出版 2019年

2024年8月12日月曜日

読了メモ「怪談 不思議なことの物語と研究」ラフカディオ・ハーン作 平井呈一訳



読了。


日本を愛した小泉八雲ことラフカディオ・ハーン氏による怪談集。


子どもの頃にもよく聞いたことのある

「耳なし芳一のはなし」や「雪おんな」なども、

あらためて読み直してみるとこれが結構こわい。

耳なし芳一などはまずもってスプラッターだし、

雪おんなはナイフのような切れ味でこっちに迫ってくる。

充血した真っ赤な眼が目の前にあるような勢いだ。

「ろくろ首」の話もあるのだが、

自分が知っていたろくろ首とはその形態が異なるのには驚いた。

水木先生の漫画などにあるとおり、

ろくろ首といえばニュル~っと首が長く伸びるものだと思っていたがここではそうではない。若い女性のろくろ首もいるにはいるが、

親分格のろくろ首は鬼のような形相をした山賊のような男で、

しかも首は胴体から離れていたりする。

他にも 長い年月にわたり許嫁の霊が憑いてくる話や

狸がのっぺらぼうになって人を化かす話などがあり、

いすれも日本の怪談独特の怨念や執念のようなものが

お話の向こう側に見えている。


一通りの怪談が終わったあとには、

「虫の研究」といって、「蝶」「蚊」「蟻」についての考察がある。

これは怪談ではないのだが、虫たちの生態を見つめることで、

人間の生き方や今後のあり方に対する意見を述べている。

怪談も面白かったが、個人的にはこの虫に関する研究の話がよかった。

蟻にいたっては分析の結果、蟻社会は超人的に進化しているという。

人間は人口増加という圧迫に対峙し、

蟻のような社会を構築することになるのではないかというくだりは、

怪談とはまたちがった怖さを感じてしまった。




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 ラフカディオ・ハーン
    平井呈一 訳
 岩波書店 2021年