2016年1月30日土曜日

読了メモ「優雅で感傷的な日本野球」高橋源一郎



読了。

野球。
ゴールデンタイムのナイター中継はなくなってしまいましたが
それでも、野球は日本人の心と体に染み込んでるものかと思います。

この連作小説は、正直に言えば難しいです。
単に「野球」という言葉に惹かれて読み始めても
なんだこりゃ?!的なことになるかもしれません。
自分も読みこなせたかどうかわかりません。

ただ、読んでいるうちにだんだんと
野球というものが、ベースボールというスポーツとしてだけではなく
日本人の生活やものの考え方、交わす会話の中に
深く根ざしているものということがじんわりとにじんできます。
タイトル通り、ベースボールではなく、
野球でもなく「日本野球」なのです。

スポーツはあらゆる観点でデータで記録されます。
野球もしかりで、難しい解析などせずとも
いつどこの試合で、何回の表か裏で、アウトカウントがいくつで
ランナーがいて、何番の打者への何球目に
どんな球種が投げられ打たれたかなどが克明に記録されます。

この9回表裏にわたる攻防の54のアウトカウントの中に
ひたむきな選手たちの姿も重なって
いつのまにかストーリー性が生まれていく。
選手だけでなく、監督やコーチ、場内アナウンス、
内外野にいるファン、そして報道される言葉にまでも。

最後の1985年の阪神タイガースが優勝したことについての話が
パロディなのでしょうが、妙にあとをひきます。
選手たちは言うのです。
・おれたちがやってるのは野球じゃない。
・(ファンの人は)試合なんか見ちゃいないよ。
 試合経過は家に帰ってから「プロ野球ニュース」を見ればわかるのさ。
と。


自分も野球とは全く関係ない会話の中で
野球用語を使って話をしたことがあります。
思い当たるかたは、「日本野球」に
浸ったことがあるのではないでしょうか。

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優雅で感傷的な日本野球
高橋源一郎
河出書房新社 1988年


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