2018年12月31日月曜日

読了 2018





今年も早いもので
もう大晦日です。

今年の読了本を振り返るわけですが、35冊。
明らかに例年より少ない。

いろいろ言い訳はあるものの、
昨年までとくらべての変化には
きっと何かがあるんだんろうなぁ。

来年はそこらあたりを探りつつ
読み続けていくか。


■龍馬デザイン。
著者:柘植伊佐夫
読了日:01月10日

■ヘッドフォン・ガール
著者:高橋健太郎
読了日:01月16日

■たんぽぽのお酒
著者:レイ・ブラッドベリ
読了日:02月01日

■猫怪々
著者:加門七海
読了日:02月03日

■ジョバンニの耳―宮澤賢治の音楽世界
著者:西崎専一
読了日:02月12日

■癒しの森―ひかりのあめふるしま 屋久島
著者:田口ランディ
読了日:02月20日

■津軽
著者:太宰治
読了日:02月26日

■こゝろ
著者:夏目漱石
読了日:03月10日

■夜と霧
著者:ヴィクトール・E・フランクル
読了日:03月18日

■江ノ島西浦写真館
著者:三上延
読了日:03月27日

■片思いの発見
著者:小谷野敦
読了日:04月09日

■ムナーリのことば
著者:ブルーノ・ムナーリ
読了日:04月14日

■抒情的恐怖群
著者:高原英理
読了日:04月22日

■子どもたちのマジックアワー―フィクションのなかの子ども
著者:川本三郎
読了日:05月03日

■床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉
著者:メアリー・ノートン
読了日:05月12日

■ダンス・ダンス・ダンス(上)
著者:村上春樹
読了日:05月30日

■ダンス・ダンス・ダンス(下)
著者:村上春樹
読了日:05月30日

■今宵も歌舞伎へまいります
著者:沼野正子
読了日:06月10日

■音楽する人間 ノードフ - ロビンズ創造的音楽療法への遙かな旅
著者:クライヴ・ロビンズ
読了日:06月19日

■恋文の技術
著者:森見登美彦
読了日:07月01日

■カメのきた道 甲羅に秘められた2億年の生命進化
著者:平山廉
読了日:07月08日

■邪悪なものの鎮め方
著者:内田樹
読了日:07月16日

■風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡
著者:宮崎駿
読了日:07月25日

■野蛮な読書
著者:平松洋子
読了日:08月05日

■晩年
著者:太宰治
読了日:08月15日

■半減期を祝って
著者:津島佑子
読了日:08月20日

■世界は「使われなかった人生」であふれてる
著者:沢木耕太郎
読了日:09月08日

■小説読本
著者:三島由紀夫
読了日:09月23日

■背中の記憶
著者:長島有里枝
読了日:10月03日

■アダムの呪い
著者:ブライアン・サイクス
読了日:10月22日

■私の音楽談義
著者:芥川也寸志
読了日:11月09日

■パン屋再襲撃
著者:村上春樹
読了日:11月18日

■ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語
著者:ヴィトルト・リプチンスキ
読了日:11月25日

■こころと人生
著者:河合隼雄
読了日:12月01日

■なんらかの事情
著者:岸本佐知子
読了日:12月27日


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みなさま、今年もお世話になりました。
よいお年をお迎えください。


2018年12月28日金曜日

読了メモ「なんらかの事情」 岸本佐知子



読了。

2018年最後の読了はこれである。

読んでて明るい気持ちになるというか
スキップしたくなるとか
普段、みんなとふざけあって使うような言葉がでてきたりとかで
なかなか飽きさせない。

こういうエッセイを書かれる女性は
とても明るい素敵な方だろうと思って
実は会ったりもした。しっかりサインももらった。


くどくどしていないのがいい。
どうも男性作家の書くエッセイではこうはいかない。
変に理屈っぽく納得し首肯するところがあって
それはそれでもいいのだが、
本書の奔放さにはかなわない。


去年の病発症に続いて、今年は骨折するなど災難が続いた。
来たる2019年は本書のように
明るく笑顔の絶えない年にしたいものだ。


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なんらかの事情
岸本佐知子
筑摩書房 2012年





2018年12月23日日曜日

読了メモ「こころと人生」 河合隼雄



読了。

と言っても、読み終えたのは3週間ほど前。
ずっと、ほったらかしになってました。
自戒をこめてすみません。

著者の本は前から読んでみたくて
そういう意味では、とても読み易い
とっつき易い構成の本でした。
優しいしね。

人生を
 子ども
 青年
 中年
 老年
の4つの時期に分け、それぞれ、
 素晴らしい
 悩み
 危機
 考える
の言葉続きます。どれがどれにくっつくかわかりますか。

自分なんぞは、まさに中年の真っ只中にあるわけで
そこで考えられるである心理や葛藤、
想定されうる事象などがあれもこれもと出てきます。

過去を振り返ってみても
あ〜そうだったか、いや違うぞというところもあるけれど
大方は当てはまっていました。

カウンセラーでもある著者は、
固定観念にはまることはよくないと述べています。
これだけ、世の中に多様性があふれれば、
もう昔の考え方は通用しません。
村上春樹の羊男を例に挙げているのも面白い視点でした。

ものごとの深さと浅さを考える話がでてきます。
例えば、大学に入りなおして専門分野をより深く掘り下げる
こともあれば、朝のウォーキングを習慣にするとか
一見、深く、浅く見えそうなことを
実際にやってみていると、その逆転現象も起きるというのです。

もうすぐ2018年も終わります。
来年は何をやるか考えた方がいいですね。

自分はまずは、怪我をしないようにしますが。

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こころと人生
河合隼雄
創元社 2009年




2018年12月3日月曜日

読了メモ「ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語」ヴィトルト・リプチンスキ



読了。

人類史上の最も偉大なる発明は何か。

多くのものは産業革命期にうまれたのでしょう。
エジソンの電球や蓄音機も忘れてはいけません。
もっと最近の話ならテレビとかVTRとか?

本書での扱いは違います。
蒸気機関の話は少し出てきますが、
基本は「ねじ」と「ねじ回し」。
木ネジの世界ですね。

単にネジを発明したというだけでなく、
ねじを作り出す旋盤工にもしっかりふれています。

ねじ回しの元々は錐。
最初は、まっすぐな棒の錐だったのを
持ち手をクランク状にして
小さな力で回転しやすくする工夫もされたそうです。
最初はマイナスのドライバー。
プラスのドライバーは随分とあとになって出来たようです。

ただ、やはり悲しいかな飛躍的な進化を遂げたのは
やはり戦時の需要があったからだったとのこと。
大昔は、甲胄の組み立てに使われ
火縄銃の発達にもねじの存在なしにはありえなかったそうです。


タイトルには千年とありますが
最後は、アルキメデスをねじの父として結んでいます。
木ネジの前に水を汲み出す水ねじを発明したからだそうです。

てっきり、原型はローマ時代かとおもいきや、
アルキメデス。ギリシャ文明は偉大ですね。

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ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語
ヴィトルト・リプチンスキ 春日井晶子 訳
え早川書房 2003年

2018年11月23日金曜日

読了メモ「パン屋再襲撃」 村上春樹



読了。

ナンセンスである。

とても面白い短編が6つ。
頭を空っぽにして読むのがよい。

なんだかんだと世間の下馬評を気にしてはいけない。
純粋に短編小説を楽しむ。
本書はそういう向きの本ではないか。

その後、長編に発展していくプロローグ的な話もあるから
こっちを読んでから長編にいくもよし、
長編をよんでから、こっちに戻って
ニヤついて読むもよしだと思います。

やっぱりその鳥というか猫というか
小さな女の子というか路地の話がよかったし
ファミリーアフェアーという妹とその婚約者の話や
象の消えた話で異次元の世界へ入っていって
頭の中がぐるぐると回ってしまい面白かった。

しかしながら、マクドナルドはパン屋なのだろうか
とずっと思っている。
あなたはどう思いますか。

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パン屋再襲撃
村上春樹
文藝春秋 1986年

2018年11月10日土曜日

読了メモ「私の音楽談義」 芥川也寸志



読了。

初版は昭和34年。もちろん自分は生まれてませんw

難しい音楽理論が書かれているわけではありません。
多少、クラシック音楽のワーディングが出てくるくらいで、
どんな人間でも生活を営んでいる以上は自分の音楽を持っている とか
読譜のためには理論を学ぶより前に数多くの譜面を目にすること とか
そして、実は意外にも演奏会にはあまり行かないその裏話 とか。
この裏話が結構強烈に印象に残りましたね。自分には。

多少、精神論的なところもなくはないですが
時代を考えればさもありなんと思うところ。
なかなか、的を得ていてうなっちゃう文章があったりするんです。
そこはさすが文豪の血を引いているというのでしょうか。

途中、楽器談義という章があって
オーケストラの楽器の紹介をしている部分があります。
まず最初は、人間の声が楽器であることから始まって、
打楽器、管楽器、弦楽器と話は展開していきます。
ヨーロッパの楽器ばかりではなく
民族楽器、日本の琴や三味線にも触れ
独特の発展を遂げた各地のリズム、旋律、ハーモニーの話は面白く読めました。

そして、著者は何度も口にします。
どんな人間でも音楽を楽しむことができるし、
聴く、弾く、歌う、作るというどのスタイルにも
あてはまることができるというのです。


子供の頃、著者が司会をしていた音楽番組を
母親と一緒に観ていた記憶があるのだけれども
どんな番組だったかどうしても思い出せません。
なんだったけかなぁ。

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私の音楽談義
芥川也寸志
音楽之友社 1976年


2018年10月23日火曜日

読了メモ「アダムの呪い」 ブライアン・サイクス



読了。

X X、X Y。

そう、性の遺伝子を持つ染色体です。
Yのある方が男性です。
一年や十年の話ではもちろんありませんが
十数万年後には、Y染色体、
すなわち男性は絶滅する。と書かれています。

「せい」は「せい」でも
「姓」とその家系が、男系家族なのか
女系家族なのかを膨大な資料と関係者の協力を得て調査をします。
これだけでも気の遠くなる話なのですが、
ある姓では圧倒的に男性が多く、
また別の姓では女性の数が大きく男性を上回っている
という結果が、数代遡ることができた。
どちらかの性にかたよる傾向は、遺伝するようです。

よく考えると、Y染色体は父親からしか受け継げられない。ここ大事です。
つまり先祖代々、継承されてきた遺伝子こそ
途中の養子縁組やその他の例外事象を除いて
Y染色体ということになる。
たとえば、大帝国を成したチンギスハーンの遺伝子は、
全世界に1,600万人分に及ぶという。

一方で、生物が子孫を残すために
性は必要なのかという問いがでてくる。
実際、微生物や昆虫などでは無性生殖が行われている。
一般的に無性生殖の子孫の数は多くなるが
病原体や寄生生物からの攻撃に非常にもろい。
有性生殖の場合は、性の遺伝子は引き継ぎながらも
多様性に育まれ、新たな社会がそこから芽生えることもある。

最後には、同性愛にも触れています。
例えば、Y染色体なしで、生殖できるのか。
実際に、Y染色体は突然変異や様々な要因で傷つき多様性を失いつつあるという。
ただ、その場合、XX同士で子孫を残せるのか、
卵子同士の細胞核の交換で子どもができるのか。
クローン人間の存在が急に浮上してきます。

このような話に関連する書籍は、積ん読の中にもう一冊あります。
もっと未来に目を向けた時の人類の子孫についての本です。
かなりSFチックになりそうですけれども
それは、またしばらくたってからじっくり読んでみたいと思います。

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アダムの呪い
ブライアン・サイクス 大野晃子 訳
ソニーマガジンズ 2004年






2018年10月6日土曜日

読了メモ「背中の記憶」長島有里枝





読了。

著者は写真家である。
写真家ならではの、彼女の感性ならではの
13の短編小説集。
エッセイという人もいるけど、小説だと思う。

本のタイトルにもなっている「背中の記憶」
男性、特に父親を想像するかもしれない。
でもここでは違う。
大好きだったおばあちゃんの背中だ。

厳しい曾祖父母に育てられた祖母は、
著者に大変優しく、貧しかった自分の時代を
償うかのように、著者の好きそうな服やお菓子を与えてくれた。
遊びから帰ってくると
タバコを吸いながらつまらないテレビを見ていると思えば
アイスがあるよと声をかけてくれる。

引っ越すことになって、祖母と別居することになっても
毎週のように祖母の家に通っていたそうだ。
そして、病院での死別、そのあとの祖母への思い。


続いて、保育園での寂しさを綴った「かたつむりの涙」、
母のお腹の中にいた時から可愛がっている「おとうと」、
そして、団地友達との中でいつのまにか咲いた「はつこい」など。

一連の小説は著者の子供時代を通じた家族の物語で
写真家という視点からみた情景描写がやわらかくてとてもいい。

そして、最後にもう一度おばあちゃんが出て来てくれます。
お花の写真を撮るのです。


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背中の記憶
長島有里枝講談社 2009年




2018年9月23日日曜日

読了メモ「小説読本」 三島由紀夫



読了。

読本いうタイトルだが、三島流小説評論、あるいは解釈論か。
一言でいうとゴツイ。

細かいが重要な指摘もある。
日本古来からある名詞の読み方、あるいはそのなんたるかを
あいまいなままにして読み飛ばしてはならぬということで
それは読み手にとっても書き手にとっても厳しく指摘している。
事例に上がっていた言葉は、自分もやはり知らなかった。

今やスマホですぐに調べることができるようになったけれど
「読み方」を調べるのは意外に難しい。
自分は筆順辞典なるアプリで読めない漢字はその場で調べるようにしている。

新人小説家の作品を評する時の三島由紀夫の思考回路が
どのように渦巻いているかというところも面白い。
はは〜ん、こうやって・・・賞は決まっていくのかななんて。
そんな作品批評の中で、慄然たる読後感を持っているのは
深沢七郎氏の「楢山節考」だそうだ。
またこの作品と並べてアーサー・クラークの「幼年期の終わり」の
読後感の異様さを述べている。
実は二冊ともまだ読んでいない。
積ん読にしておかなければならない本がまた増えてしまった。

中盤以降は、私の小説作法ということで、三島由紀夫自身による
小説執筆の際の考え方、姿勢、自我との葛藤など
本書の本筋の領域となる。
よく耳にする私小説への非難の理由などは、
ふむふむなるほどとよくわかる。

最後に、「自分は文学をやっていく」と決めた際の
文学の意味、特に人称である、自分とわれらの
気味が悪いくらいのこだわりは一読の価値があると思う。


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小説読本
三島由紀夫
中央公論新社 2010年

2018年9月10日月曜日

読了メモ 「世界は『使われなかった人生』であふれてる 沢木耕太郎




読了。

ノンフィクションライター沢木氏による映画評論集。
暮しの手帖に連載されていたものだ。

最初、本書を手にとった時、
ややネガティブな雰囲気をかもすタイトルに、
嫌悪感を感じるも、映画評論とは全く思っていなかったので
ノンフィクションライターが書くこんなタイトルの本って
一体何が書かれているんだろうという
好奇心の方がだんだんと強くなってきた。


キーワードは「人生の分岐点」
そして、「使われなかった人生」あるいは「使わなかった人生」
それとは異なる、「ありえたかもしれない人生」

おそらく、著者は、いくつもの映画を通じて
この分岐点と二種類、現実と合わせれば三種類の人生を
同時に疑似体験させてくれる
と言っているように思う。

出てくる映画は、メジャーなものばかりではない。
インドやアジア、ヨーロッパで制作された映画も多く引用されている。
それらと、ハリウッド映画や有名な俳優との比較もあり
意外な視点から映画を観ることができる一冊だ。


実際のところまだ観ていない知らない映画ばかりだったし、
観たことのある映画(レインマン、スタンドバイミーなど)も
また観たくなった。

これからは、そんな本書のことを心の片隅において
いろいろな映画を観てみようと思う。

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世界は『使われなかった人生』であふれてる
沢木耕太郎
暮しの手帖社 2001年




2018年8月23日木曜日

読了メモ「半減期を祝って」津島佑子



読了。

「ニューヨーク、ニューヨーク」
「オートバイ、あるいは夢の手触り」
「半減期を祝って」

の三編からなる。最後のは著者の絶筆らしい。


三十年。みなさんはどういう感覚ですか。
いまから思えば、もちろん世の中や技術は変わりましたが
自分自身も含めて、そんなに劇的に変化した
という感覚があまりありません。
セシウム137という放射性物質は三十年で半減期を迎えるそうです。
むろんプルトニウムなどはもっと長いわけですが。

その「節目」と呼ばれるであろう三十年後に
自分は何をしているか、マスコミや世間はどう沸いているか。
なんかある程度の想定の範囲の映像があたまに浮かびます。
一方で、思いもかけない事象が起きているかもしれない。
差別であったり、格差であったり、隔離であったり。。。
お祝いムードで持ち上げながら、世の中をぐっさりと刺す
そんなお話が描かれています。

前編の二つは、どちらも夢を追い求め
頭でっかちになっていきながらも
真実に気づく女性たちの姿があります。
ニューヨークのことは路地裏の隅々まで頭の中に入っている。
南海の孤島の小さな村でオートバイを購入する。
そんな女性たちです。

なお、ご存知の通り著者は、太宰治の娘です。
ちょっとここんところ太宰づいています。

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半減期を祝って
津島佑子
講談社 2016年


2018年8月15日水曜日

読了メモ「晩 年」太宰 治



読了。

「晩年」という小説ではない。

著者が20歳代前半の頃に書いた
いわゆる処女短編小説集だ。
それに「晩年」というタイトルをつけるのだから
やはり、そこが太宰 治らしいというか。。。

すでにこの本の中で、入水自殺の影が
うっすらとほのめかされていたりもして
初期短編集にして遺書的な感じがしなくもないけれど、
意外にも、明るくて面白い話が多い。

太宰 治というと暗くて陰鬱なイメージを持つ人が多い。
はたして自分もそうでしたが、読むと案外それほどでもない。
すごいのはすごいけどね。

印象に残っているのは、
「彼は昔の彼ならず」とか
なんとあの大庭葉蔵がでてくる「道化の華」や
「猿ヶ島」
あたりかな。

芸術家を志望する友人をモデルにして
彼はいったい何者なのだというのを
あえて英語で綴りつつ、
実は自分について問うているという
太宰 治流の筆の使い方と心の変わり方、
そして、その読み方がますます面白くなってきているこの頃です。


本書の内容とは関係ないのですが、
この本を読んでいる時に、
左足首を剥離骨折しました。
記憶に残る一冊となってしまったようです。


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晩 年
太宰 治
新潮社 2013年





2018年8月8日水曜日

読了メモ「野蛮な読書」平松洋子



読了。

本を一冊づつ紹介する形式ではなく
本の内容を引用しながら、エッセイを綴る形。
どちらかというと、以前読んだ食レポエッセイの形に近い。
実際、最初の章は温泉とハンバーガーから始まる。


思うのは、著者の読書量の厚みというのか
引用の引き出しをすごく多く持っていて、
ここでこの本のあそこをよくもひっぱり出してくるなぁと思うことがしきりである。
自分なんか、こうやって読み終えた後に
メモ程度に思いを書き残すのがやっとなのに。

前半は、出かけ先、旅行先で読んだ本。
本やその内容よりも、
いつもと異なる環境で読むことの楽しさ、
感覚の違い、空気の匂い、読後感の雰囲気が
とても清々しく書かれている。

中盤は、著者別の話。
沢村貞子、宇能鴻一郎、池部 良、獅子文六。
選ばれる著者やエピソードも
ちょっとなかなか出会えない人たちばかりだ。
沢村貞子の「私の台所」は読んだことがあるけれど
読書欲をそそられるラインナップだ。

最後は、「すがれる」という言葉をキーワードに。
ここに、こういうのがある、ああいうのがあったと、
引用があり、エッセイが綴られる。
すごい。
どうしてこのように思いつくのか。ひっかかるのか。
もちろんたくさんの本を読んでいるからなのだろうけれど。


野蛮な読書とはとてもいいがたい
読書エッセイなのです。
本好きな貴方にも是非オススメします。

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野蛮な読書
平松洋子
集英社 2012年

2018年7月28日土曜日

読了メモ「風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡」 宮崎 駿




読了。

著者名は宮崎 駿となっているが、
インタビュー形式の対談になっている。
インタビュアーは渋谷陽一。

この渋谷陽一がインタビューをこなした本を
何冊か読んでいるけれども、実にうまい。
事前の調査もさることながら、大きな牙城ともいえる
宮崎 駿の頭の中をうまく解きほぐし話を引き出している。
時には、くどいとも言えるほど同じ質問を繰り返す。
インタビュアーの手腕も読む際の面白さの一つ。


本書を読んで感じるのは宮崎 駿が頑固一徹でありながら
先日亡くなられた高畑 勲、プロデューサの鈴木敏夫と
怒鳴り合いながらも、微妙に譲り合い、
間合いを見ながら映画製作としているところがとても印象的。
まさに現場を垣間見るようだ。若手への配慮も忘れていない。

手塚治虫を漫画化としては尊敬しつつ、
アニメーション映画家としては酷評し、
ディズニーのヒューマニズムを批判し、
庵野秀明や押井 守を遠慮なく張り倒しているのは
いかにも宮崎 駿らしく、ジメジメしていなくてスカッとするくらい。

本書の中でのポイントとなる作品は、
「紅の豚」のようです。
あれは子どもむけではなかったですね。
本人は、目の前にいる子どもたちのために
アニメーションを作りたい、思想家なんかじゃないと言っています。
とはいいつつ、テーマ的には難しい作品も多々ある気がするけれど。


コミック版のナウシカも何度もでてきます。
アニメの話よりコミック版の話の方が多いかな。
もちろん、自分の本棚に全巻あります。
別の機会の時に、あらためて読み直そう。

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風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡
宮崎 駿
ロッキング・オン 2002年


2018年7月18日水曜日

読了メモ「邪悪なものの鎮め方」内田 樹




読了。

タイトルはおどろおどろしいいけれども
中身はいたって優しくて、時には厳しい。
いつもの内田節が光ってます。

内田先生の本は何冊か読んでいます。
同じ著者の書くエッセイだったり対談だったりするので、
この話は前にも読んだかなというものがありますが、
そのつど、はっと我を振り返ることになります。
たんに学習能力がないのか、もの忘れがひどいのか。

それでも、今回、新鮮な感銘を受けたのは
 父権制への警告、
 物語を通じて勝手に作り上げてしまう模造記憶、
 心臓移植をすると人格は変化するのか、
 自分で自分にかけた呪いは誰にも解除することができない
などなど。
ワーディングだけみてると誤解しそうなところもあります。
ですが、読むときっちり肚に落ちます。

この種の話は人間の内側から問いかけることが多いなかで、
内田先生は、外側から攻めてくる。
だからということなのか、説得力があるし逃げ場がない。
いつも、う〜むと気づきと自己批判の淵に立たされる。


内田先生は武道もされるので、
以前読んだ、甲野善紀氏がでてきたり、
村上春樹も何度も登場する。例の雪かきの一般論としての話だ。


以前、古本市で、お客様から
「内田先生の本は難しくて、なかなか.....」と言われたことがあった。
「いえいえそんなことはありませんよ、是非是非」
と、強くお勧めしたことを思いだす。あのおばちゃん読んでくれたかな。

まだ積ん読には何冊かあるし、
読み返したりもして、
自分の身に少しでもしみているようにしたい。

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邪悪なものの鎮め方
内田  樹
バジリコ 2010年


2018年7月12日木曜日

読了メモ「カメのきた道 甲羅に秘められた2億年の生命進化」平山 廉



読了。

薄めの冊子ではあるが、中身は濃い。
現生のカメよりは、化石時代のカメの話が中心。

それでも、現在で世界最大の生息域をもった脊椎動物がカメのある一種だったり、
そして推定最長寿200歳を超えると見られるゾウガメ。
恐竜のアンキロサウルスや甲冑魚などと同じく硬い甲羅で身を守り
鋭い牙はないけれど強力な顎の力と嘴状の口を持つ話などは
カメの多様な進化の典型的な事例だ。
首をまっすぐ甲羅の中にしまう仕組みには
自然でうまくできあがったギミックを感じる。

ちなみに、よくアニメなんかで甲羅を脱いで
カメが裸になる画なんかあるけれど、
カメの背骨と肋骨は甲羅に完全にくっついているので
あんなことはあり得ない。


恐竜が絶滅したと言われる白亜紀末期。
巨大隕石衝突説が有名だけれど、
はたして、この時に多くのカメの種類も絶滅したのか?
というとそうではない。実はこの時に絶滅したカメは
一種だけだったそうだ。
カメ以外にも自然界の底辺をなす昆虫などは数多くが生き残っており、
隕石衝突による粉塵で太陽光が遮られ
地球全体の気温が下がり変温動物が
絶滅したという話とは食い違いがでている。
謎は謎のままだ。

イラストや口絵などもたくさんあるが
学術的で化石時代の話が多いので
各時代のカメの名前と進化の関係を把握するのに苦労する。
自称、カメ男、カメ子、カメ仙人の方々はいかがだろうか。
NHKブックスなので、読みやすいはずである。

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カメのきた道 甲羅に秘められた2億年の生命進化
平山 廉
日本放送出版協会 2007年




2018年7月2日月曜日

読了メモ「恋文の技術」 森見登美彦



読了。

著者によるハウツー本....ではなくて
ひたすら、守田一郎という能登でクラゲを研究する学生の書く手紙が一方的に続く。

友人、同僚、先輩、妹、
あげくには森見登美彦宛てにも手紙を書いている。
恋文というよりは文通だ。

面白いのは、出された手紙の返事が一切載っていないということ。
つまり、白ヤギさんが読まずに食べたのか、ちゃんと読んだかわからない。
お返事ありがとうという一言は守田一郎の手紙にあったりするけれど。

いろいろと試行錯誤して書いた手紙を読んでいると
へぇ、そう書いてくるかなど面白い書き方もあれば、
馬鹿だなぁ、こんな書き方はしないよという例文のようなものがおかしい。
ちゃんと【反省】を書いているところもえらい。

ただ、守田一郎自身も書いているが
手紙に書いた言葉、表現が、本当に自分の心、思いを
表したものなのかどうかはわからないという。
そういうもどかしさも書かれている。これはとてもよくわかる。


後半は、宛先にあたる人物達が相互に手紙を出し合って
全員がある時期、京都の特定の場所に集まるよう仕向けられる。
いかにも各人物が書いたように見えるのだが、
おそらく守田一郎が全て企てて書いたのだろう。
なにせ、恋文代筆ベンチャー企業を起こそうというのだから。


この本を読むと手紙が書きたくなってくる。
メールやメッセンジャーでは決して伝わらない何かが
手紙にはあると思う。

かくいう私も、文通をしたことがある。
携帯電話もインターネットもない時代です。
相手は転校していった女の子で中学から高校時代にかけてだった。
思い出すのも恥ずかしいが、書いている時も投函する時も
返信を待っている時も、届いた手紙の封を開ける時も
とてもとても楽しみであった。
当時、初恋という感覚はなかったが
あれがその味だったのだろうか。。。
なんてね。


守田一郎の妹は、
まわりくどい恋文なんてしないで、口で言われた方がいい。
でも恋人だったら、恋文の一つでもかけないような男は願い下げです。
とばっさり。

貴殿も恋文、書いてみませんか?


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恋文の技術
森見登美彦
ポプラ社 2009年




2018年6月21日木曜日

読了メモ「音楽する人間 ノードフ - ロビンズ創造的音楽療法への遥かな旅」クライヴ・ロビンズ



読了。

音楽、特に生の演奏を通じて
自閉症、健康障害、神経性障害、重複障害など
さまざまな障害を持つ子どもたちに問いかけや、
新しい発見や発育を促していく。

本書の中には、シュタイナーの人智学という言葉が頻繁にでてくる。
自分はそれを学んだわけではないが、
一種の霊的な力の考え方も含んでいるようで
音楽はそれを導き出すというのだ。

それがどうかは別にして、
実際、生で演奏をしながら、簡単な言葉を
子どもたちになげかけていくと
不思議なことに、それまでなんの横のつながりもなく
殻に閉じこもっていた子どもたち同士の間に
わずかづつコミュニケーションが生まれる。

部屋の中に、葉っぱを散らし、箒を分解しておくと
まずは、箒を作ろうとみんなで協力し、
葉っぱのゴミを一箇所に集めようとする。

人と全く話すことを拒んでいた子どもが
演奏を通して話しかけることで
挨拶をし、問いかけを始める。
母親の運転する帰りの車の中で、歌を歌い始める。
今までなかったことだ。母親の驚きようったらない。

当然と言っては残念だが、
このような試みを拒絶する人々もいることも記されている。
しかし、それも実績を積み上げていくことで
立証され、信頼を得ていく。


自らの意識を「あらねばならぬ」ではなく
「何者であるか」と解釈していくことと結ぶ。

考え方や信念を活字で理解することは
難しいかもしれないが、本書には
付録としてDVDが付いている。
創造的音楽療法の貴重な記録映像だ。
本文を読みを得た後、実際の姿が結果がそこで見えるのは
大変な説得力がある。

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音楽する人間 ノードフ・ロビンズ創造的音楽療法への遥かな旅
クライヴ・ロビンズ 生野里花 訳
春秋社 2007年



2018年6月11日月曜日

読了メモ「今宵も歌舞伎へまいります」沼野正子



読了。

自分は文楽や浄瑠璃はないけれど、
歌舞伎は観たことがある..........と胸をはっていえるかどうか。

なにせ学校の行事で「仮名手本忠臣蔵」を観に行った「事実」しか覚えてないからだ。
しかも観劇中は見事に寝てしまった。
歌舞伎座関係者の皆さん、引率の先生、すいません。

本書は、著者がイラストレーターで絵本作家でもあり
彼女の書いたイラストが入っていたりと
わかりやすく、面白く描かれているのだが、
自分には、やはり古典芸能のハードルは高かった。


前半は主だった作品、後半は個性ある役者にそれぞれ焦点をあてている。
あの四谷怪談が裏では忠臣蔵の浅野家、吉良家と繋がっている話だとは
ここで初めて知った。知ってました?
歌舞伎は舞台転換の鮮やかさも見どころの一つで、
8時だよ全員集合のおおがかりなコントも比較にならないそうな。
あたりまえか。

また、歌舞伎というのは、そもそも非常に長い演劇で
その日に上演されるのも、「・・・の幕」とか「・・・の場」と
一部分しか上演されず、なんと「本日はこれまで!」とかいって
いきなり幕が降りてしまうことも初めて知った。
う〜む、となるとこれは、のめり込ませようと
通い詰めにならざるをえない仕掛けなんかいな。


役者のところでは、著者はあえて、女形を軸に書いている。
随所に、玉三郎や雀右衛門という名前が頻繁に出てくる。
もはや舞台で観ることは叶わないが
特に雀右衛門についてはべた褒めであった。
子供のころから三味線、琴、胡弓、長唄、義太夫などなど
いろいろな素養を身につけておかねばならない厳しさも描かれていました。


この先、一度は歌舞伎観劇にチャレンジしてみようかな
ところで、あの「成田屋!」「中村屋!」という合いの手は
誰がどういうタイミングで出しているんだろうか。
もし観客だとして、タイミング外すと顰蹙を買うんだろうなぁ。。。


で、Youtubeでは削除されてまい、書き込みの字がうるさいのですが
こちらでよろしければ。(本書とは全く関係ありません)



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今宵も歌舞伎へまいります
沼野正子
晶文社 2001年

2018年5月31日木曜日

読了メモ「ダンス・ダンス・ダンス」村上春樹



読了。

懐かしいですか? そうかもしれませんね。

なんつうか浮世離れした架空の話。小説だからいいのか。
唯一、社会的なのはメガネをかけたユミヨシさんだけかな。
ちょうどバブルが弾ける直前の頃の作品とはいえ
こうも世界が違うと、小説というよりも
夢か幻想を読み流しているみたい。

電話がダイヤル式で、もちろん携帯はない。
途中で予定が変更になっても、電話が通じなければどうにもならない。
アナログな時代だから、リニアにクロノロジカルに
時は進むと思えば、人間は一瞬にして年を取るんだそうな。

そんな中で、ぐるぐるとまるで踊るように人に会い
渡り歩いて、最後に思っていた人と再会することができる。
ハッピーエンドなのではないか。
まさに、踊っているというタイトルにつながるのか。

ただ、その途中で出会う人々、そして例によって羊と鼠がこの世を去る。
一方、あの生意気な少女のユキはどうなるのか。
母親や辻堂の父親との関係は修復しないままなのだろう。
そういう意味ではハッピーではない。
もう主人公とも関係ない人生となるのだろう。


雪かきの話がなんどか出てきます。
雪かきそのものは大事な行為だけれど
全ての雪かきのパターンを理解するのは
自分にはちょっとハードルは高い。
頭が固くなってしまったのか、人生経験がうすっぺらいのか。

一人で立ち回っている話なので話は理解しやすい。
そのかわり他の登場人物が、ほとんどぶっとんでいるけれど。

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ダンス・ダンス・ダンス
村上春樹
講談社 1988年



2018年5月26日土曜日

読了メモ「床下の小人たち」 メアリー・ノートン



読了。

お察しの通り、ジブリのアニメ
「借りぐらしのアリエッティ」の原作です。

小人たちはみな人間の家の床下に住んでいる
と思いがちですが、必ずしもそうではありません。
草原や、アナグマの巣の中、洞穴の中なども多く、
人間の家の床下で生活できる「家族」は限られているようです。

人間の生活道具の一部を
こっそり借りてきて、床下にリビングや寝室を作り
灯もとれるわけですから、快適そのもの。
しかし、その姿を人間に「見られたら」もうその生活は終わりです。

アリエッティが出会ってしまったその家の少年は
冷静で彼女たちのことを理解してはくれましたが
アリエッティの父親のポッドをみた人間はそうはいきません。
床板をこじ開けて小人たちの部屋をバラバラにしてしまうのです。


本作は、小人たちの冒険のほんの始まりにすぎません。
アリエッティ一家は、この後、この人間の家を離れ
草原に出て、すみかを探し、新しい生活を始めることになります。

作中、アリエッティは人間のこと、つまり少年のことを
擁護しますが、ポッドはそれを否定します。
人間がどんな約束をしてくれたところで
いいことをされたためしがないというのです。
ちょっと、心が痛みました。

床下から床上に這い上がって
大きな時計の下の穴に出てくるまでの様子はドキドキします。
外に出た時の開放感、床下とは違った陽の光の強さ、
希望と期待と緊張。
そういう感覚をいつまでも忘れないでいたいなと思うお話でした。

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床下の小人たち
メアリー・ノートン
林 容吉 訳
岩波書店 2010年



2018年5月20日日曜日

今年も大盛況!ブックカーニバル in カマクラ2018



今年もブックカーニバル in  カマクラ2018 は大盛況でした。

たくさんのお客様にバリエンにもお越しいただきました。
ありがとうございました。
自分が読んだ本を通じて、
いろいろなお客様とお話しをさせていただきました。

あーこれも面白そう、これもこれもと
気になる本を山積みにしていく女性、精算中に更に一冊追加。
思い出のマーニーの原作と先日亡くなられた加古里子さんの本を
離さない小学生の女の子に、本当にちゃんと読めるの?と笑顔のお母さん。
座り込んでいるお客様の後ろの方から、「夜と霧」下さい!と指名買いされたり、
例のホラー本は仲間内へお嫁に行きました。

そんなこんなで、なんとカバンが一つ空っぽに!

身体の具合を気づかっていただいた実行委員の皆様、
それぞれに特色のある面白い各店主の皆さん、
そして笑顔で来場されて、本を見て触って話をして下さり、
お買い上げもしていただいたお客様の方々に本当に感謝を申し上げます。





古本市の後は大人の朗読会を聴きました。
実はブックカーニバル初回からあるこのコーナー。
聴くのはなんだかんだで初めてだったので
とっても楽しみにしていました。
題材は澁澤龍彦の「ねむり姫」で、
期待通りの素晴らしさでした。感動です。


去年の打ち上げは身体の調子が今ひとつでドタキャンだったのですが
今年はフルに参加させていただきました。これはこれでとても励みになりました。

また、一年たくさん本を読んで来年もできれば参加したいと思っています。


最後の写真は、いただいたパンフと栞、缶バッジに、
恒例で楽しみにしている ちのり文庫さん怪談パズル「うきうき新居編」です。
さて、パズル、やってみるかなw









2018年5月13日日曜日

ブックカーニバル in カマクラ 2018 今年も出店します。



またまた、告知のお知らせが間近になってすみません。

今年も、ブックカーニバル in カマクラ2018 が開催されます。
で、はたまた性懲りも無く、身体に鞭を打ち
屋号「バリエン」で出店いたします。
場所は第一会場の由比ヶ浜公会堂の2階です。

御用とお急ぎでないお方、
鎌倉がアジサイで大混雑になる前に
ちらっとお越しになりませんか。

ブックカーニバル in カマクラ2018
期日;2018年5月19日(土)
時間:10時〜夕方(古本市は16時迄)
場所:第一会場:由比ヶ浜公会堂(由比ヶ浜2-7-21)←Rinは第一会場に出店します。
   第二会場:Garden & space くるくる(由比ヶ浜2-7-12)



2018年5月4日金曜日

読了メモ「子どもたちのマジックアワー」川本三郎




読了。

マジックアワーってご存知ですか。
太陽の沈んだあと完全に真っ暗になるまでの20分間くらいの時間。
その光がもっとも美しいそうです。

自分が子どもの頃は、母親の作る夕ご飯目指して
遊び仲間と別れたはいいけれど、ちょっと遅くなってしまって
家に走って帰っている時間でしょうか。


本書では、文学や映画などフィクションを通じて描かれる子どもたちを
さまざまな視点からみています。
無垢で清らかで、ときには神々しささえ投じられることもあれば
かたや、凶や不吉、親を捨てることさえありうる。

前半は、子ども対親だけではなく、子どもと他人や
子どもと飛行機や戦争などの話を通して
子どもが自由になり、それが恐怖や死につながり、
神の存在にまで結びついていくことが示されています。
そう言われてみれば、子どもを怖いと感じたことは
一度もなかったかと思うとそうも言い切れません。

後半は、具体的な演劇やアニメ、文学を実例にあげて
星を見上げて夢を語ったり、肉親を失い死に向き合ったりする
子どもたちが取り上げられています。

けれど、これらは、すべて大人が作った子どもの話。
子どもたちは何をどう本当に感じているのか。
すでに大人になってしまった私たちにはもうわからない。

子どもたちと話し接する機会が少なくなってしまい
文学や映画の中の子どもをみることばかりになってしまいましたが
フィクションの中ではなく、実際の子どもの気持ちに
少しでも寄り添えてあげられる大人になれたらと思いました。

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子どもたちのマジックアワー
川本三郎
新曜社 1990年



2018年4月23日月曜日

読了メモ「抒情的恐怖群」 高原英理



読了。

7つからなるホラー短編小説集。

恐怖小説を最後に読んだのはいつかな。
ずいぶんと久しぶり。
以前と同じく、ぐいぐいとひきこまれ一気に読んでしまいました。

やむをえないけれど、多少スプラッター的なところあります。
それが少しでも苦手な方は避けたほうが無難でしょう。
いきなり、顔が半分しかない子供が出てきたり
ゾンビに追われ、体に無数の小さな手や足が。。。。。


というか、やっぱり表紙に惹かれますね。
なんといってもこの本の決め手は表紙です。
絶対に逃れることのできない視線がずっと気になり、
いつ読もうか、いつか読まねばと思っていました。
その時点ですでに取り憑かれていたりして。
きっと貴方も虜になっていると思います。

でもはやはりエログロナンセンスは、
江戸川乱歩の方が風情もあっていいなぁなどと思う。
本書はそれほど、ドロドロ感はないように思います。
怖いことは怖いけどね。


全然、本書と関係ないのですが、職場に電波時計があるんです。
時々、時刻合わせのために、いきなり自動的にぐるぐる針が回り始めるんです。
あれって怖いです。なんとかして。

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抒情的恐怖群
高原英理
毎日新聞社 2009年





2018年4月18日水曜日

読了メモ「ムナーリのことば」ブルーノ・ムナーリ



読了。

ブルーノ・ムナーリ。

イタリアの美術家。
この本を手にするまで、彼の名前すら知らなかった。
ただ、古本屋で見つけて、表紙に惹かれたので
今、手元にあるということ。

表紙にはこう書いてあります。

おとなのしるしに
懐中時計をつけてもらった
そのとき 僕は10歳で
でも 何時におとなになったらいいのか
よくわからなかった


短文集で、エッセイとはちょっと違う感じ。
どれも彼の素朴な視点、見え方が綴られている。
ほんの短い表現で芸術論を説いていたりもする。

若返りの秘訣 なんてところでは
なるほど、言われてみればその通り。

面白かった指摘は、斜体で話す というお話。
新聞や雑誌は、文字の大小やフォントを変えて
いいたいことや大切なことを強調するが、
ラジオはそうはいかない。
どんなニュースも同じトーンで聞こえてくる。
内容によってテノールやソプラノ、バリトンで
ラジオのアナウンスを変えてくるのはありなんだろうかって。

そんな話のいくつかを憶えているうちに
ちょうど今、葉山の神奈川県立近代美術館で
彼の回顧展示を開催しているので
観に行こうと思います。


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ムナーリのことば
ブルーノ・ムナーリ
阿部雅世 訳
平凡社 2009年

2018年4月11日水曜日

読了メモ「片思いの発見」小谷野 敦



読了。

とてもじゃないが、
軟弱な話を想像していた自分にあきれてしまった。
ガッッチンガッチンの文藝評論であった。

国木田独歩の実際の恋愛の話を例にあげながら
それをモデルにした有島武郎の「或る女」の話。
川端康成作品の意外にも女性受けしない背景やら。

徳川時代から世の女性(男性)の耳目を集めたのは、
結局は容貌であり、昔から元も子もないなぁなんて。

唯一の救いは、伝統的な日本文藝では女性の心を捉えるのは
「金と力はなかりけり」の「優男」であって、
断じて「肉体派」ではなかったようです。
現実はどうなんだろう。

とにかく、著者によれば、「片思い」とは
分の悪い感情で、相手の感情が変わらない限り苦しく
他人の同情も得にくいのでほとんどメリットがないという。
そりゃまぁそうだけれどもさ。

う〜む。好きなんだからしょうがないじゃん
では、まだまだまだまだまだなんですね。

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片思いの発見
小谷野 敦
2001年 新潮社

2018年4月1日日曜日

読了メモ「江ノ島西浦写真館」三上 延


読了。

タイトル通りのご当地系でミステリーもの。
著者はあの「ビブリア古書堂の事件手帖」のお方。

主人であるお祖母さんが亡くなった江ノ島の古い写真館で
その遺品を整理するというところから話が始まっていく。

特に殺人やスプラッター的なものがあるわけではなく
4枚のプリントされた写真を通じた謎解き、
その写真にまつわる人たちの
人間関係を紐解いていく流れになっている。

古い写真館の話なのでフイルムや現像、暗室など
心くすぐられるワーディングがあると思えば
デジタルカメラで撮った写真がネット上に流布されてしまって
友人関係が拗れてしまうような今風な話も盛り込まれている。

昔からの写真館なので、古い撮影道具の匂いにつつまれたスタジオがあり
その2階にすむ管理人というのが、最後に仮面を外すのですけど
まぁ、ミステリーなのでこの辺でとめておきましょう。

ただ、もうちょっと装丁はどうにかならなかったかなぁw
もっとシンプルでもよかったと思うのは私だけか。

江戸川乱歩や横溝正史のようなドログロは期待してはいけません。
あくまで、湘南は爽やかなのである。


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江ノ島西浦写真館
三上 延
光文社 2015年

2018年3月18日日曜日

読了メモ「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル



読了。

新訳版を読みました。といっても2002年版ですが。

ずっと、気になっていたタイトルと装丁。
きっと難しいんだろうなぁと敬遠気味だったことを
猛省しなければと思った一冊です。
学生の頃に読んでおきたかったとも思う。
読んだ方はきっと多いはず。

原題は「或る心理学者の収容所体験」
ナチの強制収容所に収監された心理学者である著者がつづる、
人間の尊厳、人間にとっての希望とは、過去とは未来とは。
想像を絶する収容所での生活。それはきっと生活とは言えないだろう。
悪夢にうなされる仲間を起こそうとして、起こさないことにした。
現実より悪夢をみている方がまだましだからだ。

人はこの世に何にも残されていなくても
その有無が実際にはどうなっているかわからなくとも
至福の境地に一瞬でもなれることを読んでいて思い知らされる。
それは一体何だと思いますか。
そして、強制収容所で全てを奪われても、与えられた環境で
いかにふるまうかという人間としての最後の自由は奪えないのだ。

また、その傷は深い。
ようやく休戦となって収容所の門が解放されても
被収監者たちの心の中には嬉しさがわきあがってこない。


もう4年ほど前になるが
「戦争における「人殺し」の心理学」
という本を読んだことがあった。
こちらのヘビーな内容も一緒に思い出す。


もう二度と繰り返してはならないことにかわりはない。


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夜と霧
ヴィクトール・E・フランクル
池田香代子 訳
みすず書房 20012年



2018年3月12日月曜日

読了メモ「津 軽」太宰 治 「こころ」夏目漱石



読了。

タイプの違う文豪作品を二冊続けて読みました。

まずは、太宰 治の「津軽」。
実は初めて読んだのですが、
今まで持ってた太宰感がふっとんでしまいました。
途中で吹き出してしまうようなところもあったりして。
彼の故郷である津軽は、
グレーで曇っていて、どことなく寒くてという
寂寥感をいつもイメージして持ってしまっていたのですが、
故郷にいる知り合いを訪ね、知己に会い、歓迎され、
ペンネームでなく本名で呼ばれ、
東京の気障ったらしいところを互いに笑い合う。
歳を重ねるごとに故郷は、京都よりも奈良よりも
どんな都よりも素晴らしくなっていくという語りが印象的でした。

もう一つは、夏目漱石の「こころ」。
ちなみに、昨年読んだ初期三部作と同じ装丁の文庫を探してみました。
こちらは再読です。
といっても、以前読んだのは中学生の頃か。もう40年も経つ。
生意気にも中学生の時によく読んだなぁと。
たぶん半分以上わかってなかったんじゃないかとか。
恋愛が絡んで自殺におよぶ話だったよな程度くらいにしか覚えていなかったし。
先生という存在の大きさ、友人との心の通い、そして自己。
主人公のうちなる、それこそ心のひだが揺れ動く様は
読んでいて気持ちが悪くなる時もあった。
それほどに丁寧に、真意をついて書かれているのだと思う。

津軽は自分にとってはとても新鮮だったし、
こころはあらためて重鎮な作品だった。
今度はちょっと変わったのを読もうかな。

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津軽
太宰 治
未知谷 2006年

こゝろ
夏目漱石
角川書店 2014年




2018年2月26日月曜日

読了メモ 「癒しの森 ひかりのあめふるしま 屋久島」田口ランディ



読了。

屋久島について書かれた本はきっとたくさんあるだろう。
自然や環境保護を主眼にしたどちらかというとサイエンティックなもの。

でも、いわゆるアウトドアという言葉からは程遠いイメージの著者が描く
このような屋久島の紀行記も面白い。

途中で「もののけ姫」を思わせるようなところも出てくるが
著者にとっての屋久島の第一印象は、「モスラの島」だ。

有名で長蛇の列ができる縄文杉を横目に
一歩、原生林の中に入っていくとそこはもう右も左もわからない。
案内用に樹に貼ってあるテープだけが頼りだ。
道に迷わないためにもテープを見失うわけにはいかない。
足元がおぼつかなくても、人間、上を見て歩かないといけないということがわかる。

現地でのエコツアーを通じて仲良くなったスタッッフとの間では
著者ならではのちょっとスピリチュアルな世界観を語ってくれるところも
他の屋久島の本とは違っていて面白い。
自己を表現することの素晴らしさを屋久島の自然を通して
説いてくれるのだ。


自分は屋久島にまだ行ったことがない。
ぜひ、「モノリス」をみてみたい。

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癒しの森 ひかりのあめふるしま 屋久島
田口ランディ

ダイヤモンド社 2000年




2018年2月21日水曜日

読了メモ 「ジョバンニの耳 宮沢賢治の音楽世界」 西崎専一



読了。

様々な分野、領域に興味を示していた宮沢賢治ですが、
今回は彼の音楽についての話を読みました。

「ジョバンニ」は、もちろん「銀河鉄道の夜」に出てくる子どもです。
ちなみに決して猫ではありませんw
彼の乗る鉄道は、いわゆる軽便鉄道で
ごとごとごとごとと音を立てて走るわけですが、
物語を読んでいくうちに、それが音楽に変わり始めます。
なつかしい「星めぐりの歌」が聞こえてくるのです。

銀河鉄道は、此岸と彼岸を結ぶ鉄道です。
最初、ジョバンニは軽便鉄道に乗っていたのですが
カンパネルラをすぐ前の席で見つけます。
他にも乗客がいます。沈没事故で亡くなった姉弟です。
彼らには、ごとんごとんという音は聞こえません。
遠くのほうから新世界交響曲のようなものが聞こえてくるというのです。
それは、鉄道を降ろされたあと、満天の星空をあおぎながら
ジョバンニの耳にも残っているように思えてなりません。

 
後半は、セロ弾きのゴーシュの話に変わります。
自分は子どもの頃、この「セロ」がいったい何かわかりませんでした。
あっ、チェロのことだったのかと思ったのは随分とたってからでした。

猫、カッコウ、たぬきの子、ネズミの母子
楽長から怒られたゴーシュはこの動物たちから
課題を教えられ、それに対して自分の答えをだそうとしていきます。
これはベートーヴェンの田園が聞こえてくる物語ですが、
宮沢賢治はどこでこれらヨーロッパの音楽に接していたのでしょうか。
その鍵となるのは蓄音機で、なんと今でも実機が現存するらしいです。
もちろん音はでませんが。。。。

上の二つの他にもよだかの星や風の又三郎などにも
音楽の要素が散りばめられているといいます。

そうだったのかぁ、また宮沢賢治を読みたくなってきたなぁ。




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ジョバンニの耳 宮沢賢治の音楽世界
西崎専一
風媒社 2008年


2018年2月13日火曜日

読了メモ「たんぽぽのお酒」レイ・ブラッドベリ




読了。

子ども達とその地域に住む
おじいさん、おばあさん達との交流を描いた物語。
たんぽぽのお酒そのものは最初と最後と
途中、気付け薬にでてくるくらいかな。

老人達は長いこれまでの人生の歴史を持っているけれど
子ども達にはなかなかそれが実感として信じられない。
昔だけに行けるタイムマシーンと捉えるくらいだ。

病床に伏せている時も、キッチンに立っている時、
庭仕事をしている時、一緒に今話をしている時も
子ども達は老人達の話に熱心に耳を傾けているが
それでもおばあちゃんが若かった少女時代のことは
想像だにできない。
おばあちゃんは、自分の大切な持ち物を子ども達に
分け与える。財布やお人形やぬいぐるみ。
そして残されたものは焼いてしまうので子ども達に手伝わせる。

大佐と呼ばれるおじいさんが南北戦争の話をする。
学校でならった知識をもとに、「あの話をして」
「この話をして」と子ども達が大佐にせがむと
やさしく語りかけ話してくれる。
そして、学校では習わない、戦争には勝者はいない
敗者だけで、戦争が終わったことこそが大事なことだと
さとしてくれる。


読んんでいて、ちょっと切なくなりました。
高齢者と子ども達が接する機会が少なくなったいま、
たんぽぽのお酒は作り続けられているのでしょうか。。。。

=========================
たんぽぽのお酒
レイ・ブラッドベリ 北山克彦 訳
晶文社 1991年



2018年2月3日土曜日

読了メモ 「猫怪々」 加門七海



読了。

化け猫の話ではない。
猫の方は雨の中で捨てられていて
震えながらミャーミャー鳴いていた小さな子猫。

その子猫を拾って育てることになった著者の方に
霊感が強かったり、その系のお友達が多いので
その絡みが絶妙に面白い。

子猫は重い持病をもち、片足も健全ではなかった。
他にもいくつかハンディを持っていた。
目が腫れていて、著者が言うには遮光器土偶の顔のようだったという。
(写真は載せませんがわかりますよね。
 ググってみてください画像がいっぱいあります)

時には猫に取り付いていた羽虫のようなものが
一斉に飛んでいなくなったり、部屋の中を
猫以外の獣が動く影が見えたりもするけれど
それでもいいのだ。
猫の名前は「のの」という
のの様(神様仏様)の「のの」だ。

介護の甲斐あって、ののはすくすく育ち
発情期を迎える。ののは雌。
本当は避妊手術は避けたかったのだけれど
持病の関係から踏み切らざるを得なかったところなどは
著者の猫に対する思いの深さを感じる。

私は猫を飼ったことはありませんが、
犬か猫かと聞かれると、猫派です。
犬も好きですけどね。

猫バカを自称する貴方、いかがでしょうか。
ちなみに、表紙の装丁は猫双六になっていて
裏表紙には、猫サイコロが印刷されています。

==========================
猫怪々
加門七海
集英社 2011年

2018年1月17日水曜日

読了メモ 「ヘッドフォン・ガール」 高橋健太郎



読了。

タイムトラベルという宣伝文句が帯にあって
SF小説なのかなと思っていると、そんなことでもない。
どちらかというと、スピリチュアルな世界観に近いと思う。

行方不明になった叔母の中野の家を探索していたら
タングステン球を使う映写機を見つけた。
それを通じてみる世界は、なぜか、
地下鉄にのったヴァイオリンを持つ少女の視界。

同じ家の中で、ドイツ製の古いマイクも見つける。
こちらは第二次世界大戦時にナチスドイツで使われたものらしい。
すでに他界した祖父の足跡をたどりながら
日本で唯一そのマイクを修理できる人物を京都に探し出す。

その他にも、バンドのメンバーがやはりこの京都の人物とのつながりを
スタジオの中から見つけ出し、実際に会いに行こうとする。

肝心の行方不明の叔母はヨーロッパで交通事故にあっていて
帰国が遅れていただけだったのだが、
いろいろなことが重なり、絡み合って
叔母の家にあるドイツ製ピアノに話が収斂していく。


そして、自分自身もはっきりと覚えているあの事故。
実は自分の母親もあと一本電車を違えていたら
遭遇していたかもしれなかった。

中目黒や祐天寺など身近な地名が出てくるのも
何か巡り合わせ的な不思議な感じがして話に入りやすかった。


著者が音楽家ということもあって
すぐには理解しにくいワーディングもあるけれど
戦争からの長い時間を超えて、現実の事象も交えた
不思議な小説でした。

==========================
ヘッドフォン・ガール
高橋健太郎
アルテスパブリッシング 2016年





2018年1月10日水曜日

読了メモ 「龍馬デザイン。」 柘植伊佐夫



読了。

上下2段で370ページ。
日記調で書かれたドキュメンタリー。
なかなかのヘビー級であった。

2010年に放映された大河ドラマ「龍馬伝」
主演は、福山雅治といえば思い出す人も多いでしょう。

半世紀もの歴史があるNHK大河ドラマの中で、
この龍馬伝で初めて導入されたのが
「人物デザイン監修」という役割。
もともと、ヘアメイクだった著者が抜擢され、
はじめは龍馬だけをみていたがそのうち、
監督や演出、扮装、美術、大道具小道具、時代考証などのスタッフ、
そして数々の俳優そのものと交わり
ドラマに関わる全人物像をデザインするようになっていく。

一般的な映画製作とNHK大河ドラマの製作は全く異なる。
製作期間、リソース、予算、放送協会としての独自のルール、
そしてなんといっても、毎週必ずアウトプットを出して
放映しなければならない。

なかには視聴率についての議論もあったが、
それ以上に厳しい目が大河ドラマを内外から見ており
スタッフのチームワークの微妙な空気感、
コミュニケーションの濃さと速度に敏感に反応していく。


自分は大河ドラマを含めテレビドラマを見なくなってしまって久しい。
この龍馬伝も実は観ておらず、作品をどうこういう資格もない。
けれど、クリエイティビティの発揮とチームワークの極限とも言える実態を
この本を通じて味わうことができてとてもよかったと思っている。
そういう本です。

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龍馬デザイン。
柘植伊佐夫
幻冬社 2010年



2018年1月1日月曜日

2年ぶりの謹賀新年

Mt.Fuji



実は2年ぶりの新年のご挨拶となります。

昨年は、自分の身の上にいろいろなことが起こり
家族にも、仕事の仲間にもいろいろな方々に助けていただきました。
本当にありがとうございました。

今年もこのブログの上で何冊の本をご紹介できるのか
どんなことをお知らせできるのかわかりませんけれども
できることを少しづつでもやっていこうと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

※少々霞んでおりますが、写真は今朝の初日の出を浴びた富士山です。