2017年12月31日日曜日

読了2017リスト






2017も残りあとわずか。

今年は、自分に大変大きな事件のあった年でした。
一時は先を見失いかけた時もありました。
にも関わらず、新しい趣味を始め、仕事にも復帰し、
次の年を迎える準備ができているのは
家族をはじめ、仕事の仲間や友人、様々な方々おかげです。
本当にどうもありがとうございました。
みなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。

そんな中、今年は下記の合計五十一冊を読むことができました。
読む冊数の時間も限られてくるであろうこれからは
本ともじっくりと向き合っていきたいと思います。

では、今年読んだ「梶井基次郎小説全集」から、
先日の「朗読の楽しみ」まで。。。。

■梶井基次郎小説全集
著者:梶井基次郎
読了日:01月01日

■鳥人大系
著者:手塚治虫
読了日:01月03日

■犬の人生
著者:マーク・ストランド
読了日:01月07日

■人声天語
著者:坪内祐三
読了日:01月15日

■高倉健 Ken Takakura 1956-2014
著者:高倉健
読了日:01月21日

■センス・オブ・ワンダー
著者:レイチェル・L.カーソン
読了日:01月22日

■あたらしい結婚日記
著者:服部みれい
読了日:01月29日

■沈黙
著者:村上春樹
読了日:02月01日

■未来のだるまちゃんへ
著者:かこさとし
読了日:02月04日

■セックスの哀しみ
著者:バリー・ユアグロー
読了日:02月10日

■言葉の流星群
著者:池澤夏樹
読了日:02月15日

■スロー・イズ・ビューティフル―遅さとしての文化
著者:辻信一
読了日:02月20日

■女子と鉄道
著者:酒井順子
読了日:02月23日

■妻と私
著者:江藤淳
読了日:02月24日

■コーヒーに憑かれた男たち
著者:嶋中労
読了日:03月01日

■東京飄然
著者:町田康
読了日:03月07日

■私の美男子論
著者:森茉莉
読了日:03月12日

■カンガルー・ノート
著者:安部公房
読了日:03月17日

■ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方
著者:伊藤洋志
読了日:03月23日

■月3万円ビジネス 100の実例
著者:藤村靖之
読了日:03月30日

■ぶらんこ乗り
著者:いしいしんじ
読了日:04月07日

■仮面の忍者赤影 (第1巻)
著者:横山光輝
読了日:04月08日

■仮面の忍者赤影 (第2巻)
著者:横山光輝
読了日:04月08日

■仮面の忍者赤影 (第3巻)
著者:横山光輝
読了日:04月08日

■カモメに飛ぶことを教えた猫
著者:ルイス・セプルベダ
読了日:04月14日

■乱歩 夜の夢こそまこと
著者:石塚公昭
読了日:04月15日

■太宰治の辞書
著者:北村薫
読了日:04月23日

■若き日の山
著者:串田孫一
読了日:05月01日

■西表島の巨大なマメと不思議な歌
著者:盛口満
読了日:05月07日

■人生の特別な一瞬
著者:長田弘
読了日:05月13日

■日本でいちばん小さな出版社
著者:佃由美子
読了日:05月20日

■カバに会う―日本全国河馬めぐり
著者:坪内稔典
読了日:05月28日

■私の台所
著者:沢村貞子
読了日:06月16日

■完全版 不安のメカニズム: ストレス・不安・恐怖を克服し
  人生を取り戻すためのセルフヘルプガイド
著者:クレア・ウィークス
読了日:07月11日

■三四郎
著者:夏目漱石
読了日:07月17日

■それから
著者:夏目漱石
読了日:07月20日

■門
著者:夏目漱石
読了日:07月23日

■クラゲの正体
著者:坂田明
読了日:07月27日

■ヒトラー演説 - 熱狂の真実
著者:高田博行
読了日:08月03日

■ソラシド
著者:吉田篤弘
読了日:08月14日

■リヴァイアサン
著者:ポール・オースター
読了日:08月20日

■身体から革命を起こす
著者:甲野善紀
読了日:08月30日

■思い出トランプ
著者:向田邦子
読了日:09月04日

■どうにもとまらない歌謡曲? 七〇年代のジェンダー
著者:舌津智之
読了日:09月11日

■羊をめぐる冒険
著者:村上春樹
読了日:09月18日

■憧れの女の子
著者:朝比奈あすか
読了日:09月30日

■トラブルクッキング
著者:群ようこ
読了日:10月21日

■ラーメンの語られざる歴史
著者:ジョージ・ソルト
読了日:11月09日

■「自由」のすきま
著者:鷲田清一
読了日:11月23日

■月: 人との豊かなかかわりの歴史
著者:ベアント・ブルンナー
読了日:12月09日

■朗読の楽しみ 美しい日本語を体で味わうために
著者:幸田弘子
読了日:12月26日

 

2017年12月29日金曜日

読了メモ 「朗読の楽しみ 美しい日本語を体で味わうために」 幸田弘子




読了。

ちょっと今までとは嗜好の違う感じです。

三途の川を遠くからですがチラ見したかもという
2017年は、自分にとっていまだかつてない年でありました。

そんな身体でも、何かできる楽しみを見つけようと
いきなりですが、朗読を始めてみました。
いつだったたか、恥じらいもせずいいかげんな「雨ニモマケズ」を
アップしたこともありました。

年末にあたって、その朗読についての本を読んで、
ちょっくら頭の中を整理しておこうかな
と思って手にしたしだいです。


ただ、本書の取り上げているジャンルの本腰が
古典なので、ところどころ敷居の高いところがあります。
なにせ、私めは古文が大の苦手なのでありまして。
源氏物語、蜻蛉日記、奥の細道などなど
あり、おり、はべり、いまそかり。。。。
ずっと時代は下って、樋口一葉が話しのメインになるのですが
ここでもちょっと自分にはまだ難しい。


えっと、朗読と音読の違いってご存知でした?
自分はでんでんおんなじだと思ってたのですが違います。
人に聞かせるためなのが朗読なんですね。
聞き手がいるんですよ、朗読の場合は。
なので、物語を読み込むことはもちろん
地の文も含めて、登場人物の気持ちを
聞いている人に伝えないといかんのです。
ただ、演劇ではないので、演出過剰はお呼びではありません。
どちらかというとアコースティックな楽器演奏に近いように思います。

というような感じのことが書かれているおりますが
要は月に一度ですが朗読教室に通っております。はい。

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朗読の楽しみ 美しい日本語を体で味わうために
幸田弘子
光文社 2002年


2017年12月24日日曜日

読了メモ「月 人との豊かなかかわりの歴史」ベアント・ブルンナー



読了。

ギターを教わっている先生が
満月の時にリサイタルをされている。
そういえば、月についての本があったなと引っ張り出してみた。

月はいわずもがな最も地球に近い天体で
古からその存在は様々な形で人間の生活に影響を及ぼしてきた。
暦としてはもちろん、作物の出来不出来を占い、
潮の満ち引き、生物の生殖にも月が関係している。
本書には、月面で耕作する農夫の姿や、巨大な月人、
つむじ風で月に飛ばされてしまう船の絵など
図面も豊富にあって面白い。

一方で、月をはじめとした宇宙開発計画は、
米ソの冷戦が大きな背景にあったこと。
月面での核実験が実際に計画されていたことなど
信じがたい事実もあった。
今でも、人類が月面に降り立ったのは
事実なのかという議論があるそうだ。


読み終えて一番心に残ったのは
月から見る地球の姿を見てみたいという思い。
到底、月に行けるはずもないが
月からみた、青くてところどころ白い雲に覆われた
大きな地球をみてみたいと思ったのでした。


「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが
 全人類にとっては大きな一歩だ」

と言われたアームストロング船長の言葉は
1969年、今から50年近くも前のことなんですね。


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月 人との豊かなかかわりの歴史
ベアント・ブルンナー 山川淳子 訳
白水社 2012年
 



2017年12月10日日曜日

読了メモ 「「自由」のすきま」 鷲田清一



読了。

哲学エッセイ。
装丁のカバー写真は植田正治。

タイトルは「自由」のすきまだけれど、
勝手に解釈すると「自分」のすきま 
と言い換えられるかもしれない。

哲学の本となると、ひねくれや説教じみた話を
連想しがちになるが、はたして本書はそんなことはない。

自分のこと、子供のこと、本のこと、偉いということ
世間を揺るがした大事件やそれを報じるマスコミのこと、
そんなあれこれを、著者流の視点で眺めなおし
新しい気づきを教えてくれる。
ひとことで言えばとてもやさしい。

例えば、「自分らしさ」とはなにか。
自分らしさに気づくとはどういうことなのか。
気づいた後の自分って一体何なのか。
気づいてどうするのか。
堂々巡りかもしれないけれど、
一考の価値のあるテーマだと思います。

後半は、著者の日常生活の一端を語っているパートがあり、
そこに出てくる二匹の柴犬がいい。
それまでのいろいろ考えさせられてきたテーマが
やわらんでいくような安らぎを二匹が教えてくれます。

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「自由」のすきま
鷲田清一
角川学芸出版 2014年

2017年11月26日日曜日

読了メモ 「ラーメンの語られざる歴史 世界的なラーメンブームは日本の政治危機から生まれた」 ジョージ・ソルト



読了。

前書に続いて「食」に関する本だけど
趣向も内容も全然違う。
日本のラーメンの歴史を外国人が書いている。

日本で最初にラーメンを食べたのは、徳川光圀公とあった。
天下の副将軍が日本で食べ始めたこのメニューが、
その後、国内の労働者、若者たちのエネルギー源となっていくのだ。

当初、「支那ソバ」と呼ばれていたラーメン。
のちに「中華そば」と名前を変えていくが、
その途中にあったのは第二次世界大戦である。
大量のアメリカ産小麦の国内への支給による
米国の食料政策のプレッシャーと都市に広がる闇市の波にのって、
ラーメンは瞬く間に若年層の主食となっていく。

本書はそんな歴史を綴りながら、
全体の3分の1近くを割いて
ある種の特別なラーメンの話を掘り下げている。
日清食品をはじめとした
インスタントラーメンの話である。
ただ、ここにもアメリカ製輸入小麦を
いかにインスタントラーメン化するかの話が
厚生労働省の記録に残っていたりするのも複雑な思いがする。

カップヌードルを全国民の目に焼き付けたのが
野営する自衛官が食べていた浅間山荘事件であったり
一方で、「中華三昧」や「楊夫人」「中華飯店」などの
高級中華料理をイメージしてインスタントラーメンを
売り込んでいたことを懐かしく思い出した。




今でこそ、こだわりの職人や師匠ともよばれそうな
強面の主人が作るラーメン屋に行列ができている。
材料にも国内産にこだわり本書に登場するようなラーメンではもはやない。

自分の家の近所のラーメン屋のスープもみんな濁っている。
子どもの頃よく父親と食べた、薄い醤油味で、茹でたホウレンソウがのっていて
シナチクとナルトの入っていた屋台のラーメンが食べたいのだが、
そのようなラーメンにはめっきりおめにかかれなくなってしまった。

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ラーメンの語られざる歴史 世界的なラーメンブームは日本の政治危機から生まれた
ジョージ・ソルト(野下祥子 訳)
国書刊行会








2017年11月7日火曜日

読了メモ「トラブル クッキング」 群 ようこ



読了。

電車内で読んではいけないおなじみのやつである。
一人ニヤニヤして読んでいると周りのひとから怪訝な顔をされる。
それでよければよいけれど。

著者はばっちり同じ世代。
著者近影では割烹着の似合うおばちゃんになっていた。

そういう自分は、料理はほとんどしない。
昔は、カレーライスくらいは材料から買ってきて作ったことはあったが
最近はとんとそんなことはない。
カミさんの牙城を崩すわけにはいかないのだ。
最近は、体調のせいもあって、ほとんど褒め殺しに近い状態にある。
ありがとう。

さて、本書ではいろいろな料理にチャレンジするわけで
どれもなかなかうまくいきそうである。
毎度、今度は大丈夫と思い込みも激しい。
しかし、あと一手間というところで
「まぁ大丈夫だろう」
「これくらいなら仕方ない」
「他の材料で代用するか」
という心理が働き、大きな不満の残る結果が山積されていく。

このトラブルクッキングというエッセイを書くための料理なのか
実際の料理のあれやこれやを面白おかしく書いたものかは不明だが
そのなかで、タイ料理と茹でたアスパラガスが上出来だった
というのはどうとらまえてよいものか。

料理は自分はもちろん、他人、家族や友人に振る舞うものであり、
特に友人は大切に感謝の気持ちを持って接せねばと感じる一冊でもあった。

さて、今夜のおかずはなにかな。。。。

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トラブル クッキング
群 ようこ
集英社 1995年

2017年10月18日水曜日

読了メモ 「憧れの女の子」 朝比奈あすか



読了。

タイトルからすると、小学生などに、
いつも気になる女の子がクラスにいて、
斜め前に席があったりすると、
ちらちら見ながら授業に集中できなかったり、
ちょっと話すだけでおどおどしたり、
というイメージだけど、
はてさて本書の中身は全く違う短編集なのでした。

どうしても女の子が欲しくていろいろと産み分け方にチャンレンジして
結局は男4人兄弟ができてしまうのだけれど、それでも笑顔がいっぱいな家族とか。
結婚した男性が主夫となって一緒に生活を始めるんだけど
趣味やお金の使い方、町内会の付き合いのしかたなんかで
なんかどうもぎくしゃくしてしまったり。
都会でピラティスのインストラクターをしてバリバリ働いてるお姉さんが
みるからに弟とアンバランスな鼻にピアスなすっ飛んでる結婚相手を
田舎の両親に合わせるのに四苦八苦。当然ながら結婚を破談にするよう
両親に仕向けられたり。
最後は、最愛の妻を亡くした男が子や孫たちと一緒に
よく夫婦二人で行った温泉にいき、しみじみとしてしまうような。

そんなお話たちなんです。
決して、チョコレートをもらえるかなと淡い期待してたら
明後日の方角からもらえて目が鳩になったりとか
卒業式に女の子にあげる学ランのボタンは何番目がよいかと逡巡するとか
そういうお話ではありません。

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憧れの女の子
朝比奈あすか
双葉社 2013年

2017年10月9日月曜日

写真展終了しました。



今年も無事に写真展を終了いたしました。
お忙しいところお越しいただいたみなさまありがとうございました。
また、次の機会がございましたらよろしくお願いいたします。

きっと、みなさまのところに金運を招くことがありますようお祈り申し上げますニャ。



今年は、ウクレレ型の
アイフォンスピーカーを投入し
週末だけでしたが、活躍してくれて、
BGMをお届けさせていただきました。

 

2017年10月1日日曜日

写真展のお知らせ




こんな開催間近になっての告知で恐縮です。
今年もこの時節になってまいりました。

来週木曜日の10月5日〜9日月曜日の体育の日まで
地元の写真倶楽部合同展に出展いたします。
場所は前年通りの駅から間近なところで。

お時間のございます方、湘南方面にちょっと行ってみようかとお考えの方、
その隙間のお時間にぜひともお運びくださいませ。

今年は満身創痍で臨んでおります!
写真は相変わらずひねておりますけれど。。。
また、読了フォトブックvol.2もできあがりました。
もちろんメンバーの秀逸な作品は例年以上の出来栄えでございます。
よろしければ是非。


2017湘南写真倶楽部写真展VII
Enjoy your photo life
2017年10月5日(木)〜10月9日(月・祝)
10時〜19時(最終日は17時まで)
茅ヶ崎市民ギャラリー展示室
茅ヶ崎市元町1-1 ネスパ茅ヶ崎ビル4階
TEL:0467-87-8384


2017年9月21日木曜日

読了メモ「羊をめぐる冒険」 村上春樹



読了。

今さら羊。でも羊です。
やっぱりこの探し物の話しは面白い。
ここまで活躍してくれた鼠がちょっと残念だけど。

自分の中に羊がいるってことはどういうことなんでしょうか。
混沌の世の中にあって、羊は凡庸の象徴であって、
でもその中でも特殊な羊がいるわけですね。
そこで、自分勝手に急いでいたり不快に思ったりすることがある。
それは苛立ちであり、自らの敗北なんだと。

そんな運転手やら、羊博士やらに諭されながら特別な羊を探していく。
時には、自分から離れて行ってしまう人もいる。
そんな中でも探し物をしていくのが人生なんだという一言がありました。
また、そういう会話が親子でできることの素晴らしさ。

自分はどうかな。
今からでもまだできるかな。

しっかし、いつもビールを2本を頼んでいて
羨ましかったなぁ〜

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羊をめぐる冒険
村上春樹
講談社 1996年

2017年9月14日木曜日

読了メモ「どうにもとまらない歌謡曲 七〇年代のジェンダー」 舌津智之



読了。

著者とはどんぴしゃの同年代でした。
生で同じ曲を聞いいていたはずで
なるほどあの一節はこうとれるのか、この詞はこう読むのかと
うなってしまうばかりw
最近、某所某所で、昭和の歌しか歌ってはいけないというイベントがあるようですが
うんちくMC向けの参考文献としてもいかがでしょうか。

男らしさ、女らしさ、男女の意識、社会・家庭での男と女の掛け合い、
母性愛、恋愛観、結婚観、そしてセックスについて、
70年代のあらゆる歌謡曲を題材にして事細かに分析しています。
最初は、軽めのサブカル本かと思っていたのですがさにあらず。

愛があるから大丈夫なのという歌詞から結婚観の話しから始まり
ピンカラ兄弟と殿様キングスに始まる演歌の世界では
男と女の立ち位置の微妙なズレ感があると思えば
山本リンダからピンクレディーへの繋がりと勢いは
もう圧巻としかいいようがありません。

そして70年代で外せないのが化粧品会社のCMソング。
たくさんの懐かしい曲にのって
都市に繰り出す女性たちの勢いが一気に加速していきます。


著者は今のJ-POPの多くは煽情する音楽であって、
抒情する詩ではないと言っています。
例えれば、某マラソン選手がレース前に聞いて準備運動をするのに
便利なサウンドだと言います。
歌は世につれ、世は歌につれ
本書にも書かれていた通り70年代はおそらく後者だったんですね。

そして松本 隆と太田裕美でまとめてきます。
このパラグラフもしんみりときます。

では、お約束です「どうにもとまらない」山本リンダをどうぞ。



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どうにもとまらない歌謡曲 七〇年代のジェンダー
舌津智之
晶文社 2002年

2017年9月5日火曜日

読了メモ「思い出トランプ」 向田邦子



読了。

直木賞受賞の向田邦子の短編小説集である。
自分としては、同タイトルの小説があって
テレビドラマ化もされてたんじゃないかと思っていたが、
実はそうではなかったようだ。
母からもこの本を読みたいと言われて貸してみたら
あら短編集なのね。と同じように言われた。
親子揃って、何かと勘違いしている。

それぞれの登場人物像の
えぐり出しが絶妙というか、人間の描写がうまい。
人間、光と陰の部分はどうしてもある。
そこをうまくこの人は書いているし、それがまた不自然さなく
腹に落ちるのが怖いくらいだ。
登場人物はほとんどが中年夫婦、その子供、ご近所のご老体、
時には、過去に終わった愛人までも。
舞台もキッチンとはまだ言わない台所や裏の勝手口、
小さな庭、玄関先でのやりとり。


著者のエッセイも、男勝りでバッサリとした書き方が好き。
それが小説になると同じように切り方が鋭いながらも
こうも委細丁寧な人物表現になるのがなんとも言えない。
単なる人物観察以上のものがある。


収録されている小説は13。
トランプのカードと同じ数だけれど
ハートだか、スペードだかはわからない。
トランプ一枚をめくるみたいに
話しを思いおこしながら読んでいくものなのかもしれない。


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思い出トランプ
向田邦子
新潮社 1980年

2017年8月30日水曜日

読了メモ「身体から革命を起こす」 甲野善紀 / 田中 聡



読了。

古武道の世界の話です。
準備体操などは不要。敵が来たら準備体操するから待って。
なんて言ってられないよというのが可笑しかったし、
現場の実戦で効力を発揮しないのに、教科書通りの手法を会得しないと
資格が取れないし、いざ現場で教科書通りの対処をすると怪我をすることがある
という話しには、やりきれない気持ちになった。

写真付きで解説もされていますが、
倒れている人や座っている大きな人を、
わずかな力や手数で起してあげる。
活字と写真の限界かちょっと解りにくいかな。
もちろん武道なので、それらばかりではなく、
本質的には敵からの襲撃に備え応酬する部分があるはずで
その中からの一端の紹介ということなのでしょう。

実はこの本、ギターの先生から拝借したものでした。
本の中ではフルート奏者を事例で紹介しているのですが
身体を捻らない古武道の技法を軸に演奏の仕方が解説がされていて
その効果に実際の奏者からも驚きや感謝の声が記されています。

きっと、ギターやウクレレでも教則本通りにやってきているうちに
自分の癖や手練れに固まってしまい、無意識のうちに窮屈な弾き方や
乗り越える壁を自ら高くしてしまっていることがあるかもしれません。
弦楽器のことに本書は触れていませんが、
楽器の構え方、指や腕の筋肉の使い方など
今までと違う見方、視点で身体の動かし方を見直してみようかなと思いました。

哲学的な部分は難しいところですけれど、
日々の身体の使い方について考えるようになると思います。
面白い本でした。

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身体から革命を起こす
甲野善紀 / 田中 聡
新潮社 2007年


2017年8月23日水曜日

読了メモ 「リヴァイアサン」 ポール・オースター 柴田元幸 訳




読了。

久しぶりにバリバリのアメリカ小説を読んだ。
原書を直接読めるわけもなく、それでいて翻訳物が苦手な自分にとって、
今回は読みやすかったです。スラスラとページをめくることができました。

いきなり主人公の爆死から始まるこの話。
語り手のピーターを通じて、たくさんの登場人物がでてきて
そりゃもう組んず解れつの人間関係がつむぎ上がって行く。
どいつもこいつも、いろんな面で身勝手で狂信的であったりもするんだけど
もちろん善良な心もあるのですよ。
ただ、それぞれの登場人物が自分がこうだと思ったら
それをやり抜いてしまうっていうある種の「非常な強さ」を感じました。
そうしないと生き抜いていけないのがアメリカなのかなとか
ステレオタイプ的にみてしまうのはどうかなとは思うものの。

題名のリヴァイアサンは怪物の名前ですが、
世界史を勉強された方なら、聞き覚えのある言葉かと思います。
英のトマス・ホッブズが17世紀に残した近代的な国家観を示した政治哲学書です。
そんな話しが本書に出てくるわけではないのですが
後半の環境や自由に対する主人公の行き場のない行動は
もしかしたら、国家に対するメッセージがあったのかもしれません。

途中、こんな一文がありました。
「生身の他人が一緒にいれば、現実世界だけでこと足りる。
 それが、一人でいると、架空の人物を作り出さずにいられない。
 仲間がいないと駄目なのさ。」
ちょっと考えると怖い発想ですけれど、その通りだなと思いました。

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リヴァイアサン
ポールオースター
柴田元幸 訳
新潮社 2000年


2017年8月16日水曜日

読了メモ 「ソラシド」 吉田篤弘



読了。

「ソラシド」とは、女性二人のバンドの名前だ。
ギター&ボーカルとダブルベースの二人。
時は1986年。当時にかかれたノートにさかのぼる。
ある喫茶店で演奏をしていたようなのだが、どんな演奏だったか思い出せない。
いろいろと探し歩いて行くうちに、たった一枚だけ
レコードが存在するということがわかってくる。
どうやら彼女たちは録音して残すことと生演奏に大いに拘りがあったようなのだ。
しかも、そのレコードはアセテート盤という試作盤らしい。
そこにいたるまでの道のりも大変なものだ。
なにせ彼女たちのことが載っているという記事を古紙処理場まで探しにいくのだから。

途中、二人の関係者にも巡り会うことになるが
ベースの子は双子なんだけど、ひょっとしたらなんて妄想も広がる。
実は主人公も同じダブルベースを持っていて、
その古さや傷具合から、巡り巡って同じ楽器を使っていたかもしれないと思い込む。
もちろん本当はそんなことはないんだけどね。

そんな探して探して探して行く旅というか、思いの綴りをたぐっていくお話です。

途中で、ビートルズのホワイトアルバムが何度かでてきて
聴きながら読んだりもしてしまいました。

そのアセテート盤も白い箱に入っているんです。

=====================
ソラシド
吉田篤弘
新潮社 2015年

2017年8月10日木曜日

読了メモ「ヒトラー演説 熱狂の真実」 高田博行




読了。

本書を読む前後に二つの映画を観ました。
一つは、「戦場のピアニスト」。
ユダヤ系ポーランド人が迫害を受ける話し。
もう一つは「手紙は憶えている」。
認知症の老人が友人の手紙を頼りに収容所の責任者を探し仇を討つというものです。
いずれの映画も訴える映像は重く、なぜこれほどまでに
人が人を追い込んでしまうのか。追い詰めてしまうのか。
そうさせてしまうのか。

かの政党も最初から強大な権力や圧力を持っていたわけではありませんが
大きな役割を果たしたものの一つにヒトラーの演説、
なかには3時間〜4時間にも及んだものもあったそうですが
物静かな導入から入り、やがて声の音程があがり
拳をあげ、指をたてて、群衆に向かって訴えかける。
当時のメディアとしては、大きな広場での大スピーカーを使った演説か
ラジオだったそうで、当時は演説を聞かせるために
国民ラジオ的な安価な製品を作らせ広めたそうです。

政権掌握以前から演説のトレーニングには力が入り
声の専門家によるレッスンや言葉の選び方は、
演説での言葉150万語のデータベースを元に分析された結果をみると
微妙に変化していったこともわかります。
はては、オペラ歌手からも声を会場の一番後ろに届かせる訓練までしたそうです。
同時にジェスチャーも大きな振りをみせ、ポストカードとしても販売されたとか。
誕生日が4日違いだったというチャプリンは、
この激昂するヒトラーの顔をみて、
もはやコミカルではなく不気味だといったそうです。

また、ヒトラーの演説には原稿はありませんでした。
キーワードが羅列されたメモだけだったようです。
群衆の興味がどこにあるかをよくみて
その時々に応じて、演説のやり方を変える。
じっくり仕込んだ演説には意味がないとまで言ったそうです。
経済的な公約よりも、国民的名誉、団結、犠牲心、献身などの
抽象概念のスローガンの方が大衆を引きつけたということだそうです。

読み終えてどうも気持ちが釈然としません。
チャプリンの「独裁者」を観て、
最後のチャプリンの演説を聞いて心が落ち着いたのでした。

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ヒトラー演説 熱狂の真実
高田博行
中央公論新社 2015年








2017年8月1日火曜日

読了メモ 「クラゲの正体 」坂田 明



読了。

著者はアルトサックスのジャズミュージシャンで
どちらかというとミジンコ研究のイメージが強かったけれど
実はクラゲにも造詣が深かったようです。
もともと水産学部出身の方だったのですね。

中身はいたって、まじめで自然科学の話です。
クラゲのいろいろと形の変わる一生を知ることができるし
ポリプやエフィラなどややこしい名前も整理してみることができました。
しかもほとんど、著者自筆の挿絵によるものです。

前半は、鹿児島で、後半はなんと江ノ島水族館での専門家との対談形式になっています。
もちろんフィールドワークにでもでかけて、生きたクラゲを採取してきて
実験室で拡大して観察して大きな歓声をあげたりします。
槍のような刺胞細胞を使った餌の取り込み。彼らは口と肛門が一緒なのです。
クラゲは体の成分がほとんど水だと言われるのを聞いたことがあると思いますが
むやみに手ですくい上げたりしないでください。
刺されることはもちろんですが、人間の体温はクラゲにとっては高すぎるので
触られるとクラゲは火傷をして死んでしまうのだそうです。
また、環境汚染によって、メスのクラゲにオスの生殖器が発生する事例があるとか。
ミジンコと同じ無性生殖をする時期はクラゲにもあるそうなのですが、
自然の摂理を人間が破壊している話しはなんとも痛々しいものです。
でも専門家や水族館の裏方の人とのそんなやりとりが実に楽しそうです。羨ましい。


今、夏本番ですが、間も無く海水浴場にもクラゲがでてくる時期になります。
わが地元の海でもカツオノエボシが打ち上げられているのをみたこともよくあります。
絶対に触っちゃだめですよ。

クラゲの展示で有名な新江ノ島水族館がせっかく近くにあるのですから
冷房も効いてるし、ちょっと行ってみますかね。

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クラゲの正体
坂田 明
晶文社 1995年

2017年7月24日月曜日

読了メモ「三四郎」「それから」「門」 夏目漱石




読了。

夏目漱石の初期三部作の一気読みでした。

昔にバラバラに読んだんことがあったかどうかも記憶も定かでなく
生誕150年でもあるし、今回いっちょまとめて読んでみるかと。

それぞれ、男と女の純情な恋愛ものなんですけど、
じれったさがあり、切なさがあり、そして苦しさがある。
結婚願望そのものは、その時代なりの勢いもあって
いけいけいいぞみたいな部分もあったり、
本人の空回りが面白かったり、
そうはいいながら、さっさとお目当の女性は遠くに言ってしまうっていう。。。
三四郎なんかはまさにそうですね。らしいといえば一番漱石らしい。

「三四郎」はそんな風が感じられて、
まだ若いんだしいけるぞ頑張れよとおもったけど
「それから」は、え〜そこで終わっちゃうのみたいな。
結構、最後の最後まで押し詰めてくる展開なのに、
あとは読者の推量におまかせて走り出しちゃうのはちょとずるいよなぁ。
「門」は一変して、リアルでやりくりな世界。
前二作とは一変して、生活の大変さや、
大人の事情なりが大いに絡んできてつらいところもある。
主人として夫として兄としてすぱっとやることができないのかなとやきもき。

三作三様の微妙な世代のずれはありますが、
100年前のラブストーリーにこの夏、浸ってみませんか。

ちなみに、角川文庫のこの装丁を揃えたくて
本屋を何店か回りましたw

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三四郎
それから

夏目漱石 角川書店 2016年





2017年7月11日火曜日

読了メモ「不安のメカニズム」ストレス・不安・恐怖を克服し人生を取り戻すためのセルフヘルプガイド



読了。

久しぶりの読了メモです。

実は6月以降で読んだのはこの一冊のみだったんです。
5月まではいろんなイベントもあって気も張っていたせいか
今まで通り読んでいたんですが、
イベントの区切りがついたらしゅ〜んとしぼんじゃって。
読書って案外と集中力必要じゃないですか。
全然読む気がなくなっちゃってたんですよね。

それはともかく、個人的には年初からいろいろなことがありまして
そんな中でこの本にめぐりあいました。
自分としては根本的にはまだまだ解決しているわけではないのですが
この本はとても役に立ちましたし、
自分の考え方が少なくとも間違っていないなとも思う一冊だったのでした。

人間、誰しも恐れや不安はあるものですが
不安って意識すればするほど気になって大きくなりますよね。
でもそれをみないわけにはいかないので、
それは当然そこにあるものとして置いといて、通り過ぎればどうってことない、
一言で言えはそういうことかな。


もしちょっとでも気になっている方のために言っておくと
300ページ以上もあるし、さし絵もほとんどなく
活字がびっしり系な一冊です。
正直、読み通すのはしんどい量かもしれません。
でも言っていることはとてもシンプルです。

不安が再発する際の話や三つの強い味方の話など
これからもこの本にはお世話になることがあるかもしれません。
とても大変貴重な体験をさせてもらった本です。


これで、またいろんな本をマイペースで
読み始めようかな♪

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「不安のメカニズム」
ストレス・不安・恐怖を克服し人生を取り戻すためのセルフヘルプガイド
クレア・ウィークス
白根美保子 訳 森津純子監修
筑摩書房 2016年

2017年6月11日日曜日

ブックカーニバル in Kamakura 2017 今年も大盛況でした。



今年も出店してまいりました
ブックカーニバル in Kamakura 2017
天候にも恵まれ多くのお客様で賑わいました。
お越しいただいたみなさま、ありがとうございました。

今年は、個人的な事情もあってどうなることかと
思っていたのですが、おかげさまでなんとかなりました。
知ってる顔や先輩がきていただいたりとこれも励みになりました。
撤収後の恒例の打ち上げに参加するつもりが、
結局遠慮してしまったのは残念でしたがしょうがないですね。


今年も、いろんなお客様に巡り会えて
お話がたくさんできました。
読んだ本の話、作家さんのお話、どんな本が面白いですかとか
今まで小説ばかりだったので、違うのも読んでみたいですとか。

この本気になってるんだよなぁ〜と
じ〜と本を手にとってながめつつ、一旦店頭を離れてしばらくすると
もどってきて、やっぱりこれください!
ってのが2〜3回あったかなw

今年は、荷物の配送を宅配便を使わせていただいたのですけれど
それでも帰りの荷物を少なくすることができました。
とりあえずホッとしています。

今年も参加できて本当によかったです。
身体のこともあったのでひとしおです。
実行委員代表のbooks mobloさんの荘田さんはじめ
関係者のみなさま本当にありがとうございました。

2017年6月8日木曜日

今年も ブックカーニバル in カマクラ 2017 が開催されます!



あちゃちゃ〜
出店するにもかかわらず告知ができておりませんでした。

今週の土曜日なんすが、6月10日、
鎌倉で恒例のブックカーニバルが開催されます。

ご用とお急ぎでない方、鎌倉は紫陽花で超大混雑かもしれませんが
梅雨入りしたとは言え、予報では10日(土)梅雨の晴れ間らしいですので
ぜひぜひお運びくださいませ。

ブックカーニバル in カマクラ2017
日時:6月10日(土) 10時〜夕方(古本市は16時で終了です)
場所:第一会場 由比ヶ浜公会堂
   第二会場 Garden & Space くるくる
   第三会場 カルチャースペース鎌倉
   第四会場 鎌倉市中央図書館


わたくしめは、今年も懲りずに
「バリエン」で古本市に素人参加いたします。
今回は第一会場の由比ヶ浜会場になります。
みなさまのお越しをお待ち申し上げております。

会場や近隣のお店でスタンプを集めると
掲載した写真にあるようなかわいい特製エコバッグがもらえるそうですよ。
帰りに古本や鎌倉土産を詰める袋が必要な貴方には必須のアイテムかと。

ぜひお越しくださいませ〜

2017年6月7日水曜日

読了メモ「日本全国河馬めぐり カバに会う」 坪内稔典



読了。

タイトルそのままの本です。

日本全国の動物園にいるカバに会いに行きます。
野生のカバは日本にいないけれど、
熊本の江津湖という湖に囲いを作ってカバを放し飼いしてはという
アイデアが出てきたりでちょっとびっくり。

著者が全国のカバを巡ることになった発端は、あのカバヤ食品の
カバヤキャラメルのおまけだったカバヤ文庫と宣伝カーのカバ車
初代カバ車の写真がホームページにあった(リンク先参照)
もうリアルにカバなのである。こんなのが走っていたら
小さい子供は怖がるのではないかと思うほど。

著者は俳人であるが、カバの前にいても句をよむことはせず
1時間はカバの前でじっと観察するらしい。
すごい集中力と根気だ。自分も動物園は好きでよく行くけれども
さすがにカバ舎の前で1時間も居座ったことはない。
なにせほとんど動かないので飽きてしまうからだ。
運よく給餌のタイミングに合えば面白さは百倍かもしれないが、
たいてい昼間のカバはボテっと寝ているか池の中にいる。
かわいい顔をしてはいるんだけれどね。

自分の場合はほとんど上野動物園だが、
でも、著者のように全国のカバ舎を巡っていると
楽しい愉快な発見がたくさんあるのだろう。
当然ながら、戦火をくぐり抜けてきた悲しい歴史もあれば
新しい生命の誕生の話もある。うまれた時など、
まさに私の体重よりジャスト1トン近く重いというからさすがだ。

カバの餌の話の中でおからがでてくる。
本筋とは違うが、ここで引き合いにだされた
「花山大吉」というおから好きの浪人が主人公の時代劇を
今は亡き祖母とテレビで観ていたことを思いだした。
今度カバを見る時は、祖母と観ていた花山大吉を思い出してみよう。

日本全国のカバを見て回るのは、自分にも踏破できそうな気がしないでもない。
特に北国の動物園にいるカバには会ってみたい気がする。
でも貴重な開園時間のうち1時間をカバにあてられるかなぁ。

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日本全国河馬めぐり カバに会う
坪内稔典
岩波書店 2008年



2017年6月5日月曜日

軽井沢


たまには読んだ本ではない書き込みもしてみますw。

この週末に、仲間たちと一緒に軽井沢に行ってまいりました。
午前中はちょっと肌寒い瞬間もあったけれど、
新緑が綺麗で空気も清々しくて、とてもリフレッシュできました。

もっていった機材は、いつものPENTAXのフィルム機で
新緑を撮りにいったのに、装着していたフィルムが
モノクロフィルムという天邪鬼さでしたけれど、
リコーのGRも持っていったので何枚か綺麗な緑を
写し残すことができました。

軽井沢なんて本当に何年ぶりでしょうか。
前回の断片的な記憶が頭の隅っこに残っているくらいです。
それでもからっとした天気にも恵まれて
いい時間を歩き回ることができました。
まさにこれ以上の良薬はありません。

また、機会を見つけて訪れたいと思います。

軽井沢

軽井沢

軽井沢

2017年5月29日月曜日

読了メモ「日本でいちばん小さな出版社」 佃 由美子


読了。

とっても、痛快です。

出版業とは全く無縁の仕事をしていた彼女が
ひょんなことから一冊の本を出版することになってしまう。
いきさつはどうあれ、その後の話の展開具合、転がり具合、
つまずきながらもあらよっと乗り越えて行く姿と勢いが実にいい。

なにせ、こんな言葉がやたら頻繁にでてくる。

「実は後から知ったことなのだが」

こう言っては失礼だが、もう出たとこ勝負なのである。
読んでいて面白くないわけがない。
もちろん出版業がとても大変な仕事で
けっしておちょくって書かれていることはないし
読み手側もそんなことはこれっぽっちも思っていない。
たぶんに彼女のキャラクターによっているところが大きいのでしょう。
ちょうど彼女の世代年齢が自分と重なっていたり、
スープラに乗っているというのも何か変にくすぐられる。

同時に、取次と呼ばれる全国書店への卸業者とのやりとりや
売れ残った本の返品、見本納品、短冊型の用紙による注文の取り方
はては最近のオンライン書店の事情など
出版業界ならではの御作法の一部分を覗くこともできる。
しかもめちゃくちゃ現場レベルでの話でだ。
だから、臨場感もあってわくわくで読み進めてしまえるのでしょう。


著者の出版社は「アニカ」という会社です。
出版社で読む本を選んでいることはほとんどないですし
新刊よりは古本屋漁りがメインの小生としては、
巡り合うチャンスは少ないのかもしれないけれど
心に留めておきます。はい。

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日本でいちばん小さな出版社
佃 由美子
晶文社 2007年




2017年5月22日月曜日

読了メモ「人生の特別な一瞬」 長田 弘



読了。

大好きな長田さんの詩集だ。
詩文集と書いてあった。

詩というと、短い一行が改行されて
ページの下3分の2ほどが余白のイメージだけど
これはちょっと違う。
改行が都度されていないので
ぱっと見はエッセイなのかなと見えるけれど
読むとこれが詩になっている。

以前に読んだ書で、
朗読のスピードが詩を読むには丁度良い
とあったのを思い出し
途中から声にだして読んでみた。
やはり、よい。
心に、胸に見事に響く。
読み終えたあとの余韻の広がりにも
しっとり浸ることができる。
条件として、静かな部屋で読むことが必要だけれど。

この詩集を絞める「あとがき」もよい。
本書を手に取られる方は、
是非、このあとがきまで読んで欲しい。
人生は完成でなく断片からなり、
断片の向こうに明るさというか広がりがある
という言葉が、過去も未来も今もつながる
人生の広大さを見させてくれる。

このメモを書くにあたって、
気になって付箋紙をつけておいた詩がいくつかある。
もう一度、声に出して読んでみよう。

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人生の特別な一瞬
長田 弘
晶文社 2005年

2017年5月13日土曜日

読了メモ「西表島の巨大なマメと不思議な歌」 盛口 満



読了。

マメ というと何を思い浮かべるだろうか。
ダイズ、サヤエンドウ、インゲンマメ、アズキ、ソラマメ、、、
本書にも書かれている通りで、たいていの場合、食べられるマメしか知らない。
あとは、枝豆や納豆などメニューに出てくる豆くらいか。
そして、これらは小さい。せいぜい大きくてもソラマメくらいまでで、
豆粒ほどの...などと小さいことを指す言葉にもなっている。

ところが、本書に出てくるマメはでかい。
サヤの長さが1メートルを超え、その中に20個近い豆が入っており、
一つ一つの直径も4〜5センチはある大きなもので、表皮はめちゃくちゃ固い。
なかには、有毒成分を含んでいるものも珍しくないという。
群生して木質化したツルを見上げると「ジャックと豆の木」に出てきたような
大きな葉ぶりで、根元まわりは40センチ近くにもなるそうだ。

西表島にはこれらの巨大なマメの他にも
ヤマネコやクイナなど世界的にも珍しい生き物が生息するとともに
同じ島に古くから人が住んでいる歴史もある。
秘境で希少な自然に目が行きがちだが
そこに住む人たちと自然との関わりという観点でみていくと、
また違った西表島の姿を感じとることができる。
彼らにしてみれば、巨大なマメもヤマネコも身近にある普通の自然なのだ。
昔はヤマネコも獲って食べていたこともあったそうだ。
本書はそういうことを教えてくれる。

それが象徴的にあらわれるのが島に伝わる不思議な歌。
カエルに羽が生えたり、ヤモリがサメになり、トカゲがジュゴンになる。
弥勒信仰が盛んな地区では、ミロク祭が転じてミルク祭と呼ばれ
そこには、ズタ袋を担いで長靴を履き、
目がたれ口髭を生やして丸い口を開けた面を被って
オホッ!オホホホ!と奇声をあげて
女性をたぶらかしてつれさろうとする道化役がいる。
集落ごとにこの祭の様式や歌の歌詞が異なってくるのも面白いところ。

西表島の巨大なマメは、海をただよい漂着して分布を広げてきたそうです。
島の古くからの祭も歌も生活も、きっとどこからか流れ着いて
また流れていって今の姿になったのでしょう。

================
西表島の巨大なマメと不思議な歌
盛口 満
どうぶつ社 2004年




2017年5月5日金曜日

読了メモ「若き日の山」 串田孫一



読了。

文章の好きな作家の一人。
今まで何冊か読んできているけれど
風景描写がとても綺麗でいて、読む人の脳裏に沁みていき、
そして、時折、その心を強く打つ。

自分は、GWの渋滞並みの富士山頂登山をしたくらいで、
山岳の経験はないし、山での感慨の思いを実感したことがない。
それでも、この人の文章を読んでいると
遥かなる山と自然、繁る木々や囀る鳥たち、
山小屋に通じる小径のようなものまでが
目の前にすうっとあらわれてきて、
それが人生の捉え方や平和への思いだったりを
指し示すような流れで頭のなかに入ってくる。

もう一つ、親として息子への思いを綴るくだりがある。
息子が一人の女性を山小屋に連れてくる。
本書の中ではこの部分がとてもいい。
そう感じるのは、自分にも息子があるからかもしれないけれど、
著者の親としての純粋な気持ちだったり、
自分の人生を振り返って自問自答している心の声が、
山小屋で囲炉裏を挟んで聞こえてくるよう。

山岳文学というと、厳しい極寒の冬山で生死の境をさまよったり、
危険な場所をつたい歩くようなイメージを持ちがちだけれど本書は全く違う。
社会に生きる人として、親として、
そして平和を願う市民としての思いが山の自然と一緒に描かれている。
山の中に生きるとこういう感性が磨かれるのだろうかと思うほど。

この人の作品はこれからも読んでいきたいと思う。

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若き日の山
串田孫一
山と渓谷社 2001年




2017年4月28日金曜日

読了メモ「乱歩 夜の夢こそまこと」石塚公昭



読了。

江戸川乱歩の誌上Trailer的な一冊。

 怪人二十面相
 黒蜥蜴
 D坂の殺人事件
 屋根裏の散歩者
 人間椅子
 押絵と旅する男
 目羅博士の不思議な犯罪
 盲獣
 白昼夢

これらの作品の一片が、おどろおどろしくも、
ちょっぴり覗いてみたくなるような面妖な写真とともに紹介。
どきどきする江戸川乱歩の世界を夢想する時間は楽しい。

ただ、これだけでは自分としてはちょいと物足りないので
雑誌「太陽」の1994年6月号No.396の江戸川乱歩特集を併せて読んだ。
荒俣 宏、種村季弘、久世光彦のほか、俳優の佐野史郎が
窃視症、コスチューム・プレイ、洋館、フェティシズムなどのテーマで
乱歩のことをいろいろな角度から解説している。
こちらもまた写真やイラスト、地図などの資料がふんだんでたまらない。

面白いのは二冊とも表紙の江戸川乱歩が拳銃を持っていること。
これは何かいわくがあるのだろうか。
丸いハゲ頭でメガネをかけた江戸川乱歩の飄々とした顔と
エログロなイメージとのマッチングが
なんとも言えない異次元的な空気を漂わせている。

紹介されている作品を全部が全部読めているわけではないが
押絵と旅する男 はぜひとも読みたくなった。探しておきたい。

子供の頃に夢中になって読んだ少年探偵団シリーズとは違う
大人の江戸川乱歩が楽しみなこの頃です。

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乱歩 夜の夢こそまこと
石塚公昭
パロル舎 2005年

2017年4月23日日曜日

読了メモ「太宰 治の辞書」 北村 薫



読了。

小説だったのですが、
文学評論と思えるほどマニアックな内容。
太宰 治にとどまらず、芥川龍之介、三島由紀夫、萩原朔太郎、
伊藤 整、江藤 淳や谷川俊太郎などの文豪や作家がオンパレードの
文学ミステリーとでも言うものでしょうか。
実は、あの文学芸人も実名で登場したりする。

ただ、自分は円紫師匠と私のこのシリーズを読んだことがなく、
しかも、本書はそのシリーズの最終刊らしい。
また、太宰 治の読み込みもまだまだ浅い身にとっては
なかなか難易度の高い本だった。

謎解きや話の端々に出て来る小道具が面白い。
例えば、太宰 治にちなんだ青森銘菓の「生れて墨ませんべい」
苦悩は満腹感で薄まるものだそうで、バリバリと食べて
太宰 治的苦悩を解決しましょうと袋には書いてあるそうな。
ほかに架空のお菓子として、斜陽せんべい、かじれメロス、
漱石にちなんでは、吾輩はチョコである なんてのも出てくる。
すでに実在するかもしれない。

中盤から後半にかけては、「ロココ」という言葉が鍵となって展開する。
美しさには内容など関係ないということで使われているようなのだが、
派生して、ロマネスコというブロッコリーだかカリフラワーだかの仲間の野菜も登場し、
太宰 治が寄せたロココという言葉の解釈に迫っていく。
そして探索の鉾先は、太宰 治が座右で使っていた「掌中新辞典」という辞書へ。
昭和初期の頃にはロココという言葉はどの国語辞書にも載っていなかったらしく
一部の百科事典に記述はあるもののその解説の度合いにかなり開きがあった。
その辞書を求めて前橋にまで赴くが、はたしてその辞書に「ロココ」は。。。

読み終えた後、本棚にある太宰 治の本を
何冊かひっぱり出したけれど、
本書で取り上げられていた「女生徒」は、やはり読んでいなかった。
次の機会に読んでおこうと思う。

====================
太宰 治の辞書
北村 薫
新潮社 2015年



2017年4月18日火曜日

読了メモ「仮面の忍者 赤影」横山光輝



読了。

今年の一発目の読了メモでも読んでましたけど
たまには漫画も読みます。

赤影というとやはり実写版のあの印象が強くて
そうかぁ漫画だったんだよなぁという感がいまさらですがあります。

横山光輝の漫画って硬派というか
男の子の冒険活劇っぽいのが多いですよね。
「鉄人28号」や「ジャイアントロボ」、
「バビル2世」、そして三国志などの歴史物などもしかりで
ちゃらちゃらした感じや、それこそ可愛い女の子が出てきて
お色気むんむんみたいのは微塵もない。
女の子が出て来る横山光輝の漫画というと
「魔法使いサリー」がそうですけど、あれはあれで「硬派」だと思います。

赤影のほかに登場する忍者は、テレビの金子吉延とは全然違う青影や
大凧を操る白影の他に、紅影、黒影など飛騨の影一族が揃うのですけど、
赤影も含めて、みんなめちゃくちゃ強いというわけでもない。
敵役の「金目教」と「うつぼ忍群」という甲賀の一族からは
ともに特殊能力を持った忍者や怪物が次々襲いかかってきて、
赤影達は怪我はするし、相手を取り逃すし、
寝込んでしまったりもして人間くさいところもあり、
テレビのような華々しいヒーローというわけでは必ずしもなく
読んでいて大丈夫かなとヒヤヒヤする場面もあったりで楽しめます。
もちろん、最後には敵を殲滅して、木下藤吉郎に褒められ
はてはそれが織田信長の戦果につながるという歴史的な背景もばっちりです。


では、お約束ではありますが、やっぱりこの曲は外せませんね。
Youtubeから忍者マーチをどうぞ。



===================
仮面の忍者 赤影 全3巻
横山光輝
秋田書店 1987年






2017年4月14日金曜日

読了メモ「カモメに飛ぶことを教えた猫」 ルイス・セプルベダ



読了。

似たような設定のお話があったような気がする。思い違いだろうか。
天地がひっくり返っても自分にはできないことを
その潜在能力を持っている相手に
そのやり方を教え諭し目覚めさせ、立派にやり遂げさせる。
最後には、降っていた雨がやんで陽の光が射し込むようなエンディングと
教訓めいたワーディング。

ネズミは狡猾でしたたかな悪者で、
猿は自分中心の適当な奴で、欲望丸出しの猫もなかにはいるが、
主人公やその仲間の猫たちとカモメという
異種族間での愛や友情が世界を変えて行くというメッセージ。
また、願いを叶えることができるのは、
本当に達成したいという心を持つこととそれに全力で挑戦した時だけだ
という至極真っ当でストレートな一文も最後に出て来る。

ただ、猫好きな方の妄想をぶちこわすようだが、
「飛ぶ」ことを教えたのは、正確には猫だけではないと思う。
カモメの世話を猫がしなければならなくなった背景や
飛ぶことについて猫たちが調査研究したり、
実際にカモメが飛行に成功するくだりには
猫以外の、ある存在が大きく絡んでいる。
特に前段の「背景」のインパクトは重く、
自分としてはずっと引きずってしまっていた。
せっかくの崇高なメッセージが薄れてしまうくらいなのだ。
あとで知ったことだが、著者は某環境保護団体に参加していたらしい。
とすれば、なるほどそういうことなのかと腑に落ちるところではある。

では、猫はカモメが飛ぶために何をしたのかって?
カモメの背中を押したのですよ。あの肉球で。


=========================
カモメに飛ぶことを教えた猫
ルイス・セプルベダ
河野万里子 訳
白水社 1998年




2017年4月8日土曜日

読了メモ「ぶらんこ乗り」 いしい しんじ



読了。

著者の本は何冊か読んできたが、
今回のは、今までとはちょっと違った感想。
どちらかというとファンタジックなイメージを
ぼんやりと抱いていたのだけれど
本作はブラックな印象。そして、最後はとてもせつない。

天才少年である弟が主軸で物語は進むが、
冒頭にその姿はなく、なぜか会話の記録として残された
古くなったノートが発見されるというところから始まる。
この段階で、自分の中ではグレーでざらっとした世界に入ってしまった。

そのノートには弟が書いた短いお話がいくつかある。
その話の一つ一つが、子どもが書くお話にしては険しく
カタっと硬い音をたてて終わる冷たい感じがするのだ。
飛び級をするほどの才能を持ったその弟にとってみれば
学校の先生などは、教科書に書いてあることを呪文のように繰り返す
テープレコーダーのようだとまで言ってしまう。

動物を題材にして書いた話の中には、ちょっと残酷な描写があったり、
その生態がやけに詳しく書かれていると妙に不気味に思えたりもする。
実際に犬を飼うことにもなるが、その犬の姿も異常であったり。

そんなシュールな空気の中で
お父さん、お母さんの話や二人の旅行先からの絵葉書の話は
やさしく暖かいゆえに、よけいに物語の谷の深さを感じてしまう。
もっとも、このお父さんとお母さんについては、
もっと大変なことがおきてしまうのだが。

タイトルの「ぶらんこ乗り」は、
弟がノートに書いた物語のひとつにある
サーカスの空中ぶらんこのことだと思うのだが
他にも実際のぶらんこがいくつか登場する。
どれも乗ってる人に手をさしのべたり、声をかけあったりして、
相対する人の存在やクローズアップ感が強い。

ラストにもぶらんこが出てくる。
でも、この最後のぶらんこに乗っている主人公は
遠くをみながら一人で漕いでいる。
手をつなごうとする相手が来るのを待ちながら。


====================
ぶらんこ乗り
いしい しんじ
理論社 2000年


2017年4月1日土曜日

読了メモ「カンガルー・ノート」 安部公房



読了。

安部公房の遺作。

脛に生えたかいわれ大根、体を括り付けられたベッドが自走、
賽の河原の小鬼たち、自称ドラキュラの娘という採血自慢の看護婦、
学校のハナコ霊、ピンクフロイドのエコーズ、
オタスケ オタスケ オタスケヨ オネガイダカラ タスケテヨ
読み始めから公房ワールド全開の展開とテンポでついていけるのかと思うも
なぜかどんどんと読み進み深みにはまってしまう。

主人公は会社の新しい製品提案で、
カンガルー・ノートと書いた一行メモを提出するのだが、
それがなぜか通ってしまい、周囲からも大いに期待される。
しかし、体に異変が起きていた。
脛にかいわれ大根が生えてくるのだ。
病院でベッドに括られ、そのベッドが自走して外に出て行く。

読み進めていくうちに気づいたのは、
きっとこの話のテーマは「死」なんだろうと。
こちら側にいながら向こう岸をちらちら覗いているような、
向こうの人と、或いは向こうに行こうとしている人と
会話をしているようなシーンがある。
本作が、著者が死を間近にひかえて遺作となった長編小説であったことは
読み終えた後で知った。
そのことを理解してから読んでいれば
また違った読み方、感じ方ができたと思う。
最後のところで、箱の穴を通して
自分の姿をみているというところは衝撃的であったし、
最後の最後のページの終わり方も肩の荷が降りるというのか
あっさりと通り過ぎていってしまう寂しさが残る。

 
かいわれ大根が脛に生えて擦れ合い、
その繁茂ぶりと手で撫でた時の根っこのひっぱられ具合が
やけにリアルに感じられてゾワゾワします。
安部公房ワールドにどっぷり浸りたい方はぜひ。

===============
カンガルー・ノート
安部公房
新潮社 1991年





2017年3月27日月曜日

読了メモ「私の美男子論」 森 茉莉



読了。

1960年代に、雑誌「ミセス」に連載されていた
著者による人物エッセイ。
後半の対談は、少し年代が下がって70年代、
新しくても81年のもの。

私の人物スケッチ、異色の芸術家たち、私の美男子論
の三つから成るが、ちょうど、自分が生まれた頃の記事だったわけで、
そりゃもう一緒に載っている写真の御仁たちが若く、
立川談志なんかのお茶目なポーズも楽しい。
一方で、壮年で当時それなりの地位の方々も登場し
当時を築きあげていたいろいろな顔をみることができる。

三島由紀夫は、2回登場する。
これがまたかっこいい。
手をポケットに突っ込んだジャンパー姿と
あのギョロッとした眼で睨みを利かせた顔のアップ。
二つの記事とも、三島由紀夫のその眼について書かれている。
いつも傍にいて、その眼を観察できる三島夫人を羨ましいと思い、
その炎の眼は、闇の中でも白い光を放つのだという。
数年前に観た篠山紀信の写真展でも三島由紀夫の写真があったが
あの写真も確かすごい眼をしていたことを思い出した。

芸術家たちでは、
多々良純、吉行淳之介、武満徹などに混じって、
たいめい軒創業者の茂出木心護、
爬虫類学者の高田栄一などが登場する。
茂出木心護という名前はタイトルにはなく
文中もすっと屋号の「たいめい軒」で紹介されていて
店内でドンと座って屈託のない笑顔の写真が象徴的。
高田栄一は子どもの頃に、この人の本を読んで
結構はまったことがあったので懐かしかった。

後半の対談では、意外というかやはりというか
時代を先取りするような人生観、結婚観について、
堂々とすでに語られていてとても驚く。
文豪を親に持って育った環境の影響は大きいのでしょうけれど
いやはや、やっぱり世界が違うなぁと思ったのでした。
全ページを通じて、ヨーロッパでも欧州でもなく
「欧羅巴」の雰囲気がむんむん醸し出されてきますし。


私の美男子論に、榎本健一も出てくるのですが
それを読んでか、CDを購入してしまいました。
ノリノリでなかなか良いです。

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私の美男子論
森 茉莉
筑摩書房 1995年



2017年3月22日水曜日

読了メモ 「東京飄然」 町田 康


読了。

表紙には、
 作家のとらえた幻想的な東京
とある。

あえていうなら関西出身の著者による
紀行エッセイとでも言うのかもしれないが、
実は、東京を離れて鎌倉を巡って八幡宮や江ノ島に行ったり、
関西名物の串カツを求めて、その本数とソースのタッパの有無に
しつこいほどのこだわりをみせながら銀座をぶらぶら巡り、
銀ぶらという呼称について評論をかましてみたり、
ロックな魂を求めては高円寺に足を伸ばしている。
しかし、悲しいかなブーツは持ってないのだそうだ。

飄然となってなくてはいけないということで
目的を持って移動することはしないという。
それで、切符を買うことさえも躊躇してしまうのだが、
はて、いまでこそICカード乗車券全盛なわけだから
まさに飄然たる行動がとりやすい時代になっているのかもしれない。
江ノ電に乗って江ノ島に行き、
エスカーやサムエル・コッキング苑、岩屋洞窟に興奮していて、
妙な既視感もあいまって面白い。

飄然と歩くと漫然と歩くことは著者にとっては違うものらしい。
無目的であることには変わりはないようなのだが、
せっかくここまで来たのだから、
せめてお詣りでも行っておいた方がいいかと
大勢が向かう方向にぞろぞろ歩くのが漫然で、
ここまで来ておきながら、
お詣りしないとバチがあたるかもしれないが、
バチの当たる順番は永久的にこないだろうから
あえてお詣りしないという反目的に歩くのが飄然らしい。

全編、こんな感じである。
見開きで何枚もおさまっている街の写真もいい。
ぶつぶつ言っているのが異常な感じすらして面白いのであるが、
やや屁理屈っぽい。なかば言葉遊びのようなところもある。
そんな話につきあいながら一緒に歩く感じで読むことになる。

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東京飄然
町田 康
中央公論新社 2005年




2017年3月16日木曜日

読了メモ 「コーヒーに憑かれた男たち」 嶋中 労



読了。

カフェ・ド・ランブル(関口一郎)
カフェ・バッハ(田口 護)
もか(標 交紀)

自分はこれらのお店のコーヒーを飲んだことがない。
すでにご本人も亡くなっていて閉店している店もある。

本書では、この三人にもう一人のキーパーソンを加えた
四人によるコーヒーへのこだわり、信念、信条、
誇り、想い、願い、愛着が書かれています。
もう一つの別な言い方をすれば 執着 か。
いわゆる一筋一路の職人気質をも超えた鬼のような境地です。

彼らとコーヒーにまつわる背景には、
それこそコーヒー業界の技術発展や裏にある思惑、
珈琲豆市場の動きなどの大きなうねりがありながら、
一人一人の考え方や行動、実践そのものが
頑固という一言では言い表せないほどに頑ななまでのもので
それが読んでいてこわいくらいで、かつ痛快でもあります。

超高級ブランドと信じられているあの豆や
今や当たり前にもなっているおかわり自由のあのコーヒーの由来、
また、それらを語ること自体がタブー視されていることなどまでも
ばっさりと語られています。
どこの業界にも隠されている部分ってのはあるのですね。


自分もコーヒーは好きで、毎朝淹れて飲んでおり、
新しい豆がいいとか、買った豆をどう鮮度よく保存するか
なんてことが頭の中でいつもよぎりますが、
本書には、10年以上も寝かせた古い豆を使った
ぬるいオールドコーヒーの話がでてきます。
一体どんなものなんでしょうか。
まだ、あのお店で飲めるのかな。。。

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コーヒーに憑かれた男たち
嶋中 労
中央公論新社 2012年





2017年3月10日金曜日

読了メモ「妻と私」江藤 淳




読了。

妻が末期癌であることを告げられる。
余命は、早くて3ヶ月、もって半年。

本人への告知は、たった一人の家族である
夫である著者に任される。
夫は、告知をしないことに決めた。

仕事や研究会で調べ物をしていると
時間の経過を意識せずにすむが、
移動時間、特に乗り物に乗っていると
時間と自分が競争して過ごしているのをひしひしと感じたそうだ。
癌と闘う妻との会話も心を揺さぶられるが、
一人で妻のことを想い、自らの気持ちをつづるところに
もう何ものにもかえられない著者の胸のうちがある。

病魔は、著者にも襲いかかってくるのだが
これをなんとか乗りこえる。
二人きりの家族なのだから、
自分が日常と実務を動かさなくてはいけないと
読んでいて、すごい気力が迫ってくる。

そして、最期まで告知はしない。
でも、妻はそれをすべて赦してくれている。


本書は古書店で手に入れたのだけれど
前の持ち主だったのであろう栞が挟んであった。
それは、赤茶けた紅葉の葉っぱの栞が大小で2枚。
今でももちろん挟んで残してあります。

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妻と私
江藤 淳
文藝春秋 1999年

2017年3月6日月曜日

読了メモ「女子と鉄道」 酒井順子



読了。

去年、同じ著者のこちらの本を読んでいたので
またまたディープな熱い世界に連れていってくれると思っていたら
実はこれが意外とそうでもなかった。
トーンとしてはちょっと寂しさ、旅愁がある。
あまりにも「鉄」の世界が男ばかりだからなのか。
その男どもといえば、全国的にチェックのネルシャツにメガネに綿パン。

それでもやはり、彼女の行動力には目を見張る。
カメラを片手にホームで陣取るよりは「乗り鉄」な著者。
全駅を制覇する夢は必ずや達成されるのでしょう。
リニア試乗のドキドキ感を読んでいると
次の体験試乗がいつなのかと思わず検索してしまっていたのでした。
その昔、自分も下北半島や中国地方に各駅停車だけで行ったことがあったりで
ああ〜同じ血が流れているのだきっとと妙な仲間意識も覚えてしまう。

鉄道発祥の地 ロンドンでも鉄道に乗り、荘厳な駅舎に興奮するわけで
そこで自分も欲しくなったのは「TRAINSPOTTER」のパーカー。
色はモスグリーンがいいなぁ、いっそ作っちゃおうかなぁ
なんて妄想も広がります。

社会的な切り口もありました。
それは女性専用車両に関する考察。
痴漢対策とうことですが、あまりに対症療法で
根本的解決には至っていない実態をとりあげつつ、
女性しかいない車両の中で繰り広げられる人間模様のくだりは
男にとっては新鮮かつ不可侵な世界なのでした。

最後に身近な鉄道の一つである山手線の豆知識を。
内回りより外回りのレールの方が28メートル長く、
車輪の磨耗が偏らないように車両は内回りと外回りを
1週間で同じ回数だけ走るんだそうです。

それにしても、ああいいなぁ、
寝台列車とかにまた乗りたくなるよなぁ。

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女子と鉄道
酒井順子
光文社 2006年






2017年3月4日土曜日

チーズとコーヒーを楽しむ会



今回は本当に目から鱗。
というか、食べ物でこんなにビビッドに驚いたのはかつてないです。

チーズと言えば、
ピザトーストやグラタンにのせて焼いたりパスタにふりかける、
あとはチーズフォンデュとかラクレット。
そんな食べ方で、飲み物と合わせるとしたら
ワインか晩酌のお酒程度でした。

コーヒーと合わせるという発想はまったくなかったです。

で、これが超〜〜〜美味しかった。
正直言って、クセになりそうです。
帰りにチーズ買って帰りましたもの。

6種類のコーヒーとチーズが出てきて
最初は、それぞれ別々に一口づつ試飲試食。
しかし、合わせるコーヒーとチーズによって
口の中に広がる香りと味が新しく生まれ変わる感じで
最初に口にした時と全くの別物になります。
ホント驚きでした。

イベントは、元住吉のMuiというお店で、
奥の焙煎機があるスペースを使って
客席からもガラス越しに丸見え状態ななかで開催。

下の写真は客席にいらしてたT夫妻に撮っていただきましたw
ありがとうございました!
















2017年3月1日水曜日

読了メモ「スロー・イズ・ビューティフル 遅さとしての文化」辻 信一



読了。

スローフードとか、スローライフ、スローエコノミー。。。
ときどき見聞きする「スロー」な言葉たち。
これらを哲学っぽい解釈や語り口で、
時には俳句や詩などを交えながら、
今の生活のあり方、生き方を
ちょっと違う角度から見ることのできる
なかなか面白い読み物だと思います。

本書が問うている命題に、
科学技術が省いてくれた時間はどこに消えたのかとあります。
また、かつて遠かった場所はもう遠くはなく、
逆に、物理的にはずっと近い場所が、
かつてそこまで簡単に歩いていたことが信じられず、
かと言って車で行くのも妙な、遠い場所に感じたりするようになり、
そして、現代社会は、いつも次の将来のための準備に忙しい
「準備社会」になっている。
なんか実に不思議なことですけど、実感として確かにそう思います。

この時間についての話の部分では、いくどとなく
ミヒャエル・エンデの「モモ」が引き合いに出されています。
なかでも、きっとこれが真実なんだろうなと思った引用が、
「その時間にどんなことがあったかによって、
 わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、
 逆にほんの一瞬と思えることもある。
 なぜなら、時間とはすなわち生活だからです。」
というところ。

以前、星野道夫さんの本で読んだ、
自分が東京で仕事をし、通勤電車に乗っている時にも、
北海道やアラスカでヒグマが呼吸をして生きていて、
クジラが潮を吹いて、海の上をジャンプしている。
という一節も思い出したのでした。
時間って、とてもとてもプライベートなものですけれど
同時に、地球、いや全宇宙を網羅する恒久的なものでもあるのですね。

さらに、健常者と障害者の話を通じて
自立、自立というけれど、実は孤立していませんかと
自らを追い詰めている今の生き方に警鐘をならしています。
出会い、交通、共感を通じることで
より多くの自由を手にする可能性があるのではないのかと。
そうすることで、幾重にも時間の層が重なり、
きっと豊かな生き方をすることができていくのでしょう。


最近、ちょっとしたアクシデントが身の上にあって
少しナーバスな気持ちになってしまったり、
これまでとは違う時間の迫間を見つけようとしたりしています。
少しだけ立ち止まって自分を見つめ直す
いい機会を与えてもらったのかもしれないと
そう思って読んだのでした。

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スロー・イズ・ビューティフル 遅さとしての文化
辻 信一
平凡社 2001年



2017年2月24日金曜日

読了メモ「言葉の流星群」池澤夏樹



読了。

表紙のイラストをよく見ると
あの人のシルエットが見えます。

著者による宮沢賢治の詩の解説、評論。

冒頭にも書かれていますが、
題材となっている文学者があまりにも著名で
大きな功績を残しているがために、
その人の出身や育ち、いわゆる「伝記」を背景に
作品を語ることが多くなるけれど、
ここでは、ゴシップや感情に陥らずに、
純粋にテクストを楽しみたいとしている。
とても新鮮な視点で宮沢賢治の世界に案内してくれます。

まず、詩は是非とも朗読あるいは朗誦してほしいという。
声に出して読むスピードが丁度よく、黙読では早すぎるというのです。
2年ほど前に「宮沢賢治、ジャズに出会う」という本を読んだのですが
そこでテーマになっていたのと同じ詩が本書にも載っていました。
さて、声に出して読んでみると、それはやはり2年前に読んだ時とは
また違った響きがあったのでした。あの時、声に出して読んでいたら
読後感ももっと違っていたんだろうと思います。

後半には、宮沢賢治と自然についての話や
地元花巻市で行われた著者自身による講演も載っており、
そこではしっかりと宮沢賢治の魅力について語られています。
前半の詩を読み解いているパートと対比して読むと面白い。

小説よりも器の広いという童話の世界になぜ宮沢賢治が入り込んだか、
そして今、宮沢賢治が読まれているのはなぜか。
同時代に生きた超有名な小説家を引き合いに出して語られると
そっちはそっちでまた読みたくなってしまうけれど、
宮沢賢治のポイントは、大人になるのを拒んだこと。
お金の値打ちを信じて財産形成を目的に人生を築くとか、
人間関係のネットワークを作って政治的な力を駆使するとか、
そういう成長の仕方を拒んでいたからというのです。
そんな子どもっぽいというか無垢なところがあるんだけれど、
みんなのしあわせをしっかり追い求めていくというようなところが
今の時代に好かれているのでしょうか。

さて、皆さんはどうでしょうか。
イノセンスは残っていますか。

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言葉の流星群
池澤夏樹
角川書店 2003年




2017年2月21日火曜日

読了メモ「セックスの哀しみ」バリー・ユアグロー



読了。

90編。こんなに短編ばかりを読んだことがない。
しかも、どれもどこかせつない話ばかり。
本のタイトルの通り、男と女の話ではあるが
恋愛や恋人同士の楽しい話ばかりではない。
どちらかというと、読んでいくにしたがって
だんだんと険しくなっていくようだ。
最後は悟りの境地かもしれない。

通りすがりの人と目を合わせたことで頭をよぎる奇想天外なイメージ。
食卓でのちょっとした一言がとてつもない隕石になって落ちてきたり、
戦場で銃弾の飛び交う中、異性の兵士を瀕死で見上げていたり。
SFチックなショートショートもある。
あれを一人歩きさせてしまうのもぶっ飛んでいる。
なかには、わずか六行で終わる話もあった。

こういう展開の激しい話は、一気に入り込むというか
一話あたりの読む文字数も少ないので、
強引にでもイメージをどんどん膨らませないといけない。
最初のうちは、なかなか馴染めなかったけれど、
途中から、とまらなくなってしまった。
グリグリと彫刻刀で掘り出す感じで読んでいくのだ。
ただ、そうやって読んでも、せつなくて、やりきれなくて、
なかには情けないような読後感になったりする。

それでも、最後の「時計職人の工房で」という話では
自分はホッコリとして読み終えることができた。
僕のガラスのハートにはどんな鳥がいるんだろうとイメージしながら。

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セックスの哀しみ
バリー・ユアグロー 柴田元幸 訳
白水社 2000年





2017年2月16日木曜日

読了メモ「未来のだるまちゃんへ」かこさとし



読了。

だるまちゃんの絵本で有名な著者による語り下ろしの一冊。
ちなみに、著者は1926年生まれで御年91歳。

戦争の虚しさ、大人たちの無責任さがつづられる一方で、
子どもたちの心を師と仰ぎ、
その純粋で正直な子どもの反応に
著者は真正面からぶつかって応えていきます。
子どもを既成の枠にはめようとする大人はおろかであって、
余計な心配をせずとも、大人はわかってくれないことを
子どもたちはちゃんと理解して考えているのだと。

著者は19歳で敗戦を迎えました。
敗戦後、掌を返して戦争反対を合唱する大人にあきれ、
残りの人生で何ができるのかを真剣に考え、先に亡くなっていった仲間に償い、
子どもたちの将来のために実践していくことを誓うのです。

最初のうちは、お年寄りの戦争にまつわる典型的な話っぽいのですけれど、
そのうち、子どもたちとの絡みがでてくると、
それこそ自分が子どもの頃に感じていたことなんかを
ぽつりぽつりと思い出してしまう話に出会うのです。
あ〜、そういや自分もそう思ってたよ、なんて。
子どもだって感じたり考えたりすることがひとりひとり違うってことを
よく考えれば当たり前のことなのに、
大人になるとそれを忘れてしまうようです。

著者は絵本を書き始める前は、大手企業で技術者をしていましたが
そこでの経験が、世の中の裏を知るよい経験になり、
人間としての修行の場となったと言っていますが、なんとも皮肉なものです。

最後には福島の原発事故についても述べています。
なぜあんなことになったのか、あんな判断しかできなかったのか。
戦争に負けたあの時に、大きな犠牲を払って学んだはずなのに
また同じような過ちを繰り返すことになるのではないかと思っているそうです。

 
そんな話の合間合間に、絵本にでてきたお話や
だるまちゃんたちの会話が挿入されていたり、
あの有名な挿絵もいくつもまとまってみることもできます。
かみなりちゃんの国にあるものすべてが、
みんなツノの生えた形になっているのがとても懐かしかった。

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未来のだるまちゃんへ
かこさとし
文藝春秋 2014年


2017年2月8日水曜日

読了メモ「沈 黙」村上春樹



読了。

短編です。本文わずか32ページ。
たしか「レキシントンの幽霊」の短編集の中にもあった一編。
こんな形で一つの話だけを読んでみると
なぜか読後感もぐっと違うものだなと思う。

本書は全国学校図書館協議会から
「集団読書テキスト」として刊行されたもの。
なので、高校の授業などで、
副読本として読んだ人もいるのではないでしょうか。
さすがに、自分の時はなかったですが。

著者の小説としては、大変わかりやすい部類。
話の対象となっている相手の人物に
自分自身を実は投影させいて、
自己批判をしているのではないかと途中まで思っていると、
最後のところは、良識な一般受けするように
そうまとめちゃうのかという感じで
個人的には村上春樹の小説らしくない気もする。
結局、最後は飲みに行くようですが。

とは、言うものの、
自らの考えを明確に持たず、表明もせず責任も持たず、
周囲の動きに賛同も批判もなく、ただ流されていく大衆ってやはり怖いですね。

大きな胎動の中で、一人一人の考えや思いが生み出す力は
確かに小さく、影響度としては微々たるものかもしれないけど
一人の人間として、信念や態度、ブレない考え方の軸は持っておきたい。
そんなこと一時間もかからず読めるお話です。

是非。

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沈黙
村上春樹
全国SLA集団読書委員会 2009年

2017年2月5日日曜日

読了メモ「あたらしい結婚日記」服部みれい



読了。

普通、他人の日記を読むなんてことはありえないので
こうやって書籍になってはいても不思議な感覚になる。
公になっているにも関わらず隠れて読んでいる気になるせいか、
書かれているその話の中にするりと入り込んでしまう。
この本を企画した人はそんなことも考えていたのかもなと思いながら。

この本は、とある古本市のイベントで手にしたのだけれど
その店主の女性は、
「この本を読んで自分には彼氏ができたんですよ!」
と言っていたのである。
へぇ〜、そんなこともあるのかぁ〜と、
そのプロセスにこの本がどんな風に関わっていったのだろうと
興味津々で手に取った記憶がある。

 
仕事のこと、仲間のこと、そして伴侶となる人のことなどから
自分の気持ち、覚悟、心の移ろいがわかる。
世間の事象への解釈は、読みようによってはご都合主義かもしれない。
でもいいのです、それでも。だって日記なのだから。
そして、そこにはある種のスピリチュアルな印象も受けます。
著者も当初は忌避していた精神論や
自己改革などのワーディングにいつの間にか向き合うようになり、
自分の考え方をしっかりと確立していっているのがわかります。

また、そんな日記の合間に、日付のない短いエッセイが挟みこまれています。
一人相撲の日記をいい塩梅でカバーしている構成もうまいです。

後半の結婚に向けての日記は素晴らしいというか、
二人がとても仲が良く似合っていて羨ましい限り。
相手や家族のこと、そして自分にとても素直に
思い合っていることがわかります。

きっと、あの女性店主も本書からそんな何かを感じとって
新しい彼氏と話をすることができたのでしょう。
それがいったいどんなことだったのかについては、
年嵩の行ったおっさんには、はるか遠い世界のお話ですが、
日記の中に自分の知ってる古本屋が何軒か出てきて、
ふふ〜ん、そんなことがあのお店であったんだぁ...なんて
そんなところはとても身近に感じたことは確かです。

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あたらしい結婚日記
服部みれい
大和書房 2013年





2017年2月1日水曜日

読了メモ「センス・オブ・ワンダー」レイチェル・カーソン



読了。

短い。本文はわずか54ページ。
その中には、おおげさかもしれないけれど
未来の人類に向けた大切なメッセージがおさまっている。

子どもたちにとって、接する世界はすべてが初めて。
それをどう感じとるか、感じとらせてあげるか、
それが大人の役割であって、ものの名前を教えることはたいしたことではない。
知ることではなく、感じることの大切さ。
おもしろいものをみつけるたびに無意識のうちにあげる喜びの声。
目で耳で鼻で手で自然と接することができてよかったと思えること。
その感覚を養うことが、人間が長きにわたって
自然と共に生きていくために大切なこと。

 
自分は当初違っていた。
ものには全て名前があり、名前を知ることで
その対象を現実のもの、思考の対象として認識する。
そう思っていた。名前がないものは不安であると思っていた。
本書ではそうではない。名前は後付けだ。

自然をどう感じ取ったのか、
気持ちがいいのか、もう一度触れたいのか、
再び訪れたいのか、来てよかったのか。
なかには、恐かったという感覚もあろう。
その感覚を子どもが感じられるようにしてあげる。
そして、その子どもがさらに次の世代にも教える。

社会や政治、経済や産業がどうあろうとも
我々は自然とともに生きていかねばならない。
そのベースとなる感覚を養うことに
ハッとなる54ページです。
結構、テンションあがります。

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センス・オブ・ワンダー
レイチェル・カーソン
新潮社 2008年

2017年1月29日日曜日

読了メモ「高倉 建 Ken Takakura 1956-2014」文藝春秋編



読了。

2014年に亡くなられた高倉 健さんの闘病手記や
仕事や様々な形で関わった方々による秘話などが収められている。
インタビューや、一問一答はもちろん
関係者の話の中で健さんが発する
「 」で括られた言葉が、あたりまえだが健さんです。
活字の言葉があの声で頭のなかに響いてくる。

日本を代表する映画俳優であっても決して驕らず、
常にスタッフのことを気遣い感謝の気持ちを忘れない。
撮影中、スタッフが仕事をしている間、
他の俳優さんが休憩をして座っていても、
健さんはスタッフが目の前で働いていると
いつも立ち続けていたそうです。
席を勧められても、好きで立っていますからと。
あの雪の「八甲田山」の撮影の時も。

秘話をおさめている関係者は
今でこそ名を成した方ばかりだけれど、
話の内容は、当時の厳しい撮影や苦しい状況で
励まし助けあったそれこそ現場の話。
そんな一緒に働いてきた仲間に別れを告げる新作封切りの日は、
健さんにとって一番辛い日なのだそうです。

読んで気づくのは、健さんが手紙をよくしたためていたこと。
地方や一個人からの叶う見込みのない出演や講演の依頼に対しても
健さんは丁寧に返事を書いています。
そして、時には直接電話をし、場合によっては撮影の合間をぬって会いにいく。
かかってきた電話で、「映画俳優の高倉です」と言われたらそりゃ驚きます。

205本という数の映画に出演し、寒い地方でのロケが多く
健康には人一倍注意を払っていたといいます。
強くて寡黙ですが、礼儀正しくそしてやさしい。
レイモンド・チャンドラーのあの言葉を
まさに体現されている人のように思えました。


自分には、まだ観ていない健さんの映画はいくつもありますが
東京駅にある東京ステーションギャラリーで、
先日まで開催されていた「追悼特別展 高倉 健」は観にいくことができました。
北九州や北海道、西宮などをこのあと巡回していくそうです。
機会のある方は足を運ばれてはいかがでしょうか。




















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高倉 健 Ken Takakura 1956-2014
文藝春秋編
文藝春秋 2016年