2020年12月30日水曜日

読了 2020


2020年、いろいろありましたが
読書は前年比大幅増の右肩上がりでした。
というか昨年が少なすぎ。

以下は、今年読んだ本、ざっと53冊。
バビル2世の全8巻も8冊と数えてますけど。(汗)

2021年も今年以上に読書欲を上げて
いきたいと思います。

以下に備忘録もかねて。
一覧を作ってみましたのでよろしければ。


暮らしの哲学
池田晶子
読了日:2020年1月4日

ひとりでは生きられないのも芸のうち
内田 樹
読了日:2020年1月13日

海底二万マイル
ジュール・ヴェルヌ
読了日:2020年1月21日

人間の建設
小林秀雄・岡 潔
読了日:2020年2月6日

深呼吸の必要
長田 弘
読了日:2020年2月13日

後ろ向きで前へ進む
坪内祐三
読了日:2020年2月23日

お伽草紙
太宰 治
読了日:2020年3月5日

イカ干しは日向の匂い
武田 花
読了日:2020年3月7日

貧乏入門
小池龍之介
読了日:2020年3月14日

傲慢と善良
辻村深月
読了日:2020年3月22日

40℃超えの日本列島でヒトは生きていけるのか 体温の科学から学ぶ猛暑のサバイバル術 
永島  計
読了日:2020年4月5日

昆虫記(上)
ファーブル 大岡信  訳
読了日:2020年4月22日

昆虫記(下) 
ファーブル 大岡信 訳
読了日:2020年4月22日

魯山人の食卓
北大路魯山人
読了日:2020年4月25日

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
村上春樹
読了日:2020年5月5日

ひのまる劇場
江口寿史
読了日:2020年5月8日

人生を変えてくれたペンギン 海辺で君を見つけた日
トム・ミッチェル
読了日:2020年5月16日

もっとも危険な読書
高橋源一郎
読了日:2020年5月30日

ぼくの植え方 日本に育てられて
エドワード・レビンソン
読了日:2020年6月5日

倚りかからず
茨木のり子
読了日:2020年6月11日

茨木のり子 自分の感受性くらい
別冊太陽 日本のこころ
読了日:2020年6月11日

横浜駅SF
柞刈湯葉
読了日:2020年6月26日

乱読のセレンディピティ
外山滋比古
読了日:2020年7月2日

靖 国
坪内祐三
読了日:2020年7月13日

ペスト
カミュ
読了日:2020年7月24日

ホテルローヤル
桜木紫乃
読了日:2020年7月30日

転がる香港に苔は生えない
星野博美
読了日:2020年8月8日

ラッキーマン
マイケル・J・フォックス
読了日:2020年8月15日

文化系女子という生き方「ポスト恋愛時代宣言」! 
湯山玲子
読了日:2020年8月24日

四とそれ以上の国
いしいしんじ
読了日:2020年8月30日

ライオンのおやつ
小川 糸
読了日:2020年9月6日

小説家のメニュー
開高 健
読了日:2020年9月8日

絵本の時間絵本の部屋
今江祥智
読了日:2020年9月14日

博士の愛した数式
小川洋子
読了日:2020年9月17日

ことり
小川洋子 
読了日:2020年9月23日

犬であるとはどういうことか その鼻が教える匂いの世界
アレクサンドラ・ホロウィッツ
読了日:2020年10月11日

自殺予防学
河西千秋
読了日:2020年10月20日

かないくん
谷川俊太郎
読了日:2020年10月29日

バビル2世 (1) 
横山光輝
読了日:2020年11月6日

バビル2世 (2)
横山光輝
読了日:2020年11月6日

バビル2世 (3) 
横山光輝
読了日:2020年11月6日

バビル2世 (4)
横山光輝
読了日:2020年11月6日

バビル2世 (5)
横山光輝
読了日:2020年11月6日

バビル2世 (6)
横山光輝
読了日:2020年11月6日

バビル2世 (7)
横山光輝
読了日:2020年11月6日

バビル2世 (8) 
横山光輝
読了日:2020年11月6日

辞書の政治学 ことばの規範とはなにか
安田敏朗
読了日:2020年11月9日

新解さんの謎
赤瀬川原平
読了日:2020年11月23日

上林 暁傑作小説集『星を撒いた街』
上林 暁
読了日:2020年12月6日

これはペンです
円城 塔
読了日:2020年12月14日

ペイネ・愛の本
レイモン・ペイネ 串田孫一 解説
読了日:2020年12月17日

老人と海
ヘミングウェイ
読了日:2020年12月17日

それでも、読書をやめない理由
デヴィッド・L・ユーリン
読了日:2020年12月24日

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2020年12月28日月曜日

読了メモ「それでも、読書をやめない理由」デヴィッド・L・ユーリン



読了。

今年、最後の読了メモになるかな。
自分もこれまで、たくさん本を読んできたけど
やっぱりやめられないなぁ。
そりゃ、あんなに積読してるしというのもあるけど。


本書は、読書について書かれた本で
著者の息子の学校からの宿題である
「グレート・ギャツビー」が話の発端ですけれど
翻訳書だけあって、引き合いに出されるのが
海外文学なので、例示されても
いまいちピンとこないのが玉に瑕かな。

でも、なかなかいいこと書いてありましたよ。


 『誰の本を読むかはたいして問題ではない。
  読書を発見への旅ととらえ、
  自分の内面世界の発掘ととらえることだ』
これは、乱読の自分には身を寄せたくなる言葉ですね。


 『ひとりひとりの受け止め方は、
  それぞれ違っていてよいということだ』
これは小林秀雄先生も同じ様なこと言ってたなぁ。


読者だけでなく、作者側にも意見をしていました。
 『注釈は風通しのよさが大事で、作品を覆うのではなく、
  作品に織り込んでいくものであり、
  感性を押しつけるのではなく融合させる行為である』
なるほど。

本を読み直す再読することについても
とても良いことが書いてあるんだけど
全文引用すると長くなっちゃうのでやめときますが
一行だけいただくと、
 『良かれ悪しかれ、現在と過去に向かいあうことになる』
自分がどれだけ変わったかを知ることになる
ということらしいです。


後半には、TwitterやFacebookなども出てきて
情報に向かいあう我々人間の姿勢についても
変化が起き始めていると説いていて、
テクノロジーが人間の脳の回路を配線し直している
とまで言っています。

一瞬のうちに情報が手に入る社会にいて
時間をかけて読書をするということがどういう意味か
最後はややスピリチュアルな終わり方だったけど
自分はこれからも読書をしていきたいと
再確認した本書なのでした。


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それでも、読書をやめない理由
デヴィッド・L・ユーリン 井上 里 訳
柏書房 2012年




2020年12月24日木曜日

読了メモ「老人と海」E・ヘミングウェイ



読了。

ヘミングウェイは、高校生の頃だったか
ドツボにはまって読み漁りましたねぇ。
「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」
「日はまた昇る」「海流の中の島々」等々。
懐かしい思い出の作家さんです。
もちろん、本書も当時読みました。
で、30年以上経ってからの再読です。

高校生の頃に読んだ時の感想なんて
とっくに吹き飛んでいるんですが、
骨だけになった魚に群がる他の漁師達を見ながら
小屋で横になっている老人の
寂しそうなイメージだけは記憶に残っています。


今回、改めて読んでみて、
老人サンチアゴの一つ一つの動作が
目の前にあるように繊細に描かれているのが素晴らしく
船でのカジキやサメとの格闘はもちろんなのですが、
港や小屋で静かに一人でいる時の
老人の手のカサカサした感触や
白髪混じりのじゃりじゃりした髭の感じなど
なんとも言えない臨場感があります。
まるで、明るい単焦点のレンズで
老人を浮き出させたような画像が
頭の中に浮かんできます。

場所はフロリダだったと思うのですが
ヘミングウェイの住んでいたという家に
実は行ったこともあるんです。
2階に書斎があって、
周囲は大きなシュロの木で囲まれていたと思います。

書くのも恥ずかしいですけれど
青春時代の心に浸るものを感じ
あと書きも参考資料も付いていたのですが
読後には全く不要でした。

なんとも表現しにくいのですけど
こういう感覚、大切にしたいですね。

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老人と海
E・ヘミングウェイ 高見 浩 訳
新潮社 2020年






2020年12月17日木曜日

読了メモ「ペイネ 愛の本」レイモン・ペイネ 串田孫一解説



読了。

フランスの画家であり漫画家でもある著者の
愛についての四冊分の一コマ漫画を一つにまとめたもの。
その四冊とは以下の通り。

 <ふたり>のポケット・ブック
 <ふたり>のウィークエンド
 <ふたり>のベッドサイド・ブック
 <ふたり>のおくりもの

で、それぞれの冒頭に、あの串田孫一さんが
解説というか、前書きのような文章を寄せてくれています。
自分としては、孫一さんの文章の方が
読みたかったというのが本音。

一コマ漫画は1ページを使っているので
四冊分といっても、あっと言う間に読み終えられます。
なかには、吹き出しに相当する文章がないものもあったりだけど
ユーモアに溢れていて、微笑ましくて、
愛がいっぱいの男女の姿が描かれています。
漫画なので、おっぱいが兎や音符になっていたり
ティアドロップが連なったカーテンがあったり
男性も人魚の格好をしていたりと
愛が詰まった小箱を覗いている感じで
ついクスッとしてしまいます。

孫一さんの解説は、それはそれはとってもやさしい文章です。
その後に続く漫画とのバランスも取れていて
漫画のページに入る前に
しっかりと読者の心を温めてくれる文章なのです。

山岳文学や硬めの随想論などで有名な方ですが
こういうモフモフ感あふれる文章もかける孫一さんって
とっても素敵だと思います。

あ〜、あんな文章を書けるようになれたらいいなぁ。。。。

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ペイネ 愛の本
レイモン・ペイネ
串田孫一 解説
みすず書房 1997年



2020年12月15日火曜日

読了メモ「これはペンです」円城 塔





読了。

タイトルになっている「これはペンです」と
「良い夜を持っている」の二篇からなる。

う〜ん。。。。両方ともなかなか手強い話だった。

最初の話は「叔父」、次の話は「父親」が
鍵を握っている人物なんだけれど、
どうも、自分にはこの人物が実在していたとは思えない。
主人公の「わたし」の空想世界で作りあげられたのではないかと。

本書はサスペンスやスリラーではないのです。
ある書店員さんによると、著者の描く小説を
”実験小説”と称していました。

そう言われてみれば、SFでもないし、
かと言って、話の流れと時間軸がずれていたり、
そもそも、最初の話の冒頭が
「叔父は文字だ。文字通り。」
で始まる。
もうこの段階で、自分の頭は半分狂乱していた。
その叔父からメールが来たり、肉筆の手紙でのやりとりがある。

当事者の二人同志は必死に言葉を交わしている。
主人公であるわたしが、生身の言葉で返事しているのに、
一方からは言葉を自動的に生成する装置からの返事とかで
その象徴として、表紙にもあるタイプボールが登場したりする。
ふたつ目の話では、現実のやりとりなんだか、
夢なんだか、記憶を辿っている話なんだかが混乱してくる。
母親と巡り合った経緯とか、磁石に砂鉄が着いた時は
本当かどうか知らないが、磁石をフライパンで焼けば良いとか。
しかしながら、よく読めば一つ一つの話の筋は通っているのだ。
撹乱されてはいけない。

頭の硬くなっている小生には
かえすがえすも難解なお話であった。
こういう話をさらっと読んで、
ふむふむと読後感にひたれるようになりたいものだ。

ちなみに、「これはペンです」は芥川賞候補作でもある。

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これはペンです
円城 塔
新潮社 2011年



2020年12月7日月曜日

読了メモ「上林 暁 傑作小説集 星を撒いた街」山本善行 撰





読了。

ずいぶんと前に購入し、ずっと積読になっていた本だった。

私小説というのはこういう作品をいうのだろうか。
解説にもそう書いてあったし、
帯にも 30年後も読み返したい美しい私小説 とある。

中身は七つの短編からなっていて、
庭に生えていた月見草の話、
田山花袋や島崎藤村と交流があり、目の前の通りを歩く歌人のお爺さんの話
文学全集の販売に全力をあげる若い書店員の話
長患いの妻との話
など。

それぞれの話は、淡々と書かれていて、
文章に無理がなく、すーっと頭の中に入っていく。
帯に書かれていた通り、美しい文章なのだ。
それに、登場人物の動きや所作に
無駄がないように読めるのが不思議だ。

本書のタイトルにもなっている
「星を撒いた街」はその最たるもの。
ややネタバレになってしまうが、
眼下に広がる星々の瞬きがとても綺麗に書かれている。
その星の下で営まれている貧しい人たちの生活。
帰り道のひんやりと冷めた空気が伝わってくる。


30年後には、もう自分はヨボヨボの爺さんであろうが
その頃に本棚から取り出して
静かに読み返したい一冊である。

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上林 暁 傑作小説集 星を撒いた街
上林 暁 著、山本善行 撰
夏葉社 2012年



2020年11月26日木曜日

読了メモ「新解さんの謎」 赤瀬川原平



読了。

前回に引き続き「辞書」にまつわる本で
前半は、ある辞書についての話。
後半は、「紙」についての赤瀬川さんのエッセイとなっています。

我が家には広辞苑や大辞林のような
間違えれば枕にも使えるような中判の辞書はありません。
長年、使い続けているのは、A6版で小型の
三省堂「新明解国語辞典」です。
それでも、最近はすっかり出番がなくなりました。

本書は、この新明解国語辞典の
言語の解釈や、特に用例の短文に焦点をあてて
その独特な切り口や、辞書をひくというより
辞書を読ませるような魅力について語っています。
ですから、電車の中で読むことはあまりお勧めしません。
ニヤニヤしちゃうからです。

語り合うのは、著者の赤瀬川さんと
たまたま偶然にSMというイニシャルを持つ女性。
彼女は実際に、この辞書を引くのではなく
電車の中で読んでいたそうです。

面白い事例は本書に譲りますが、
これが可笑しい。
いわゆる、ジワジワくるというやつで、
なんでそうくるのか!という奇想天外で
吹き出しそうになる用例がいろいろあるのです。

前回のメモでも書きましたが、
日本の国語辞書は、戦中までは、いろはにほへと順の見出しで
記述も文語体でした。広く国民が使えるには難しいものでした。
これを、あいうえおの五十音順にして
記述を口語体に改め、さらに小型化したのが、
この辞書の母体であった
三省堂から出た「明解国語辞典」だったのです。

それから版を重ねるたびに内容は充実していき、
第三版・第四版で、本辞書は解釈や用例に大きな飛躍を遂げ
国語辞典に新たな世界を拓いたということのようです。

印象的だったのは、
困った時、沈む夕日を見ながら、
「死んだ母親だったらどんなことを考えるだろうか」
というところを、このSM嬢は
「こんな時、新解さんはなんて言うかしら」
と結んでいるところです。

それほど、人間臭い辞書なんだと思います。


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新解さんの謎
赤瀬川原平
文藝春秋 1996年




2020年11月15日日曜日

読了メモ「辞書の政治学」安田敏朗






読了。

タイトルと中身がちょっと違う。

読む前は、辞書という言葉の定義書や使用例を用いて
国民感情・教育をコントロールするような企みが
過去にあったのかなと思っていたのだけれど、
実際にはそんなハイレベルなことができるわけがなかった。

そもそも、日本では、戦中まで、
辞書は、いろはにほへと順で、
解釈や用例も全て文語体で書かれていたという。
こんなものでは、広く国民が使える訳が無い。
むしろ、辞書とは一部の階級だけのものといえるだろう。

また、権威主義のはびこる業界でもあり、
形式的に「誰」が書いたかが注目されたりしてきた。
無遠慮に名前だけを貸した国語学者もいた。

ならば、国が編纂すれば良かったのではという話も出てくるが
それすらも成し遂げることはできなかった。
民間の出版社が編纂した辞書を
ナショナリズムがたまたま利用しかけた程度が実態だ。

つまり、辞書は作る側と使う側には
辞書に対する意識に大きな隔たりがあるということ。
編纂する側は、文明国標準として、米英に負けじと
文化の程度を測るものとしての辞書を編纂しようとするが
使用する側はそんなことはどうでもよい。

もちろん辞書編纂は大変な労力のかかる地道な作業であり
それを生業とされる方への敬意はあまりあるものではある。
しかし、使う側にとっては、正直「字引き」が主目的で、
意味・用法・語釈を熟読するのは二の次ではなかろうか。

自分の場合も、小学校入学の際に
小学生低学年用の辞書が手元にあったかは記憶にないが
最初に買ってもらったのは、
ふんだんにイラストの入った見た目も明るい辞書だった覚えがある。
でも、残念ながら、国語辞書はあまり出番がなかった。
むしろ、読めない漢字を調べる漢和辞典の方が
必要性が高くなったことを覚えている。
そして、英語を学ぶようになって英和辞書へ。
英和辞書はページの見出しの部分が真っ黒になっている。

小学校の国語の授業の時、
ある語句を用いて短文を作成しないさいという
問題がよくあったけれど、
その際に辞書をひいて
意味をきちんと確かめていた記憶もあまりない。

はて、我々にとって、辞書とはいったいなんなのだろう。

みなさんはどんな辞書を使っていますか。
広辞苑? 大辞林? それともGoogle?

私は、次回のメモで紹介しようと思いますが
アレですよ。アレw

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辞書の政治学
安田敏朗
平凡社 2006年





2020年11月4日水曜日

読了メモ「バビル2世」1巻〜8巻 横山光輝




読了。

前回、前々回と少々重いテーマだったので
今回は、超能力少年が大活躍する漫画を読了しました。

横山先生の作品は、
2017年に「仮面の忍者赤影」のメモをアップしたけれど
今度はグッと時代感が変わって、
大昔から未来も見据えた「バビル2世」です。

TVで見ていた子どもの頃から
「バビルの塔」ではなく、本当は「バベルの塔」なのではないか。
という疑問を持っていました。
原作のコミックスを読むと
見事に「バベルの塔」となっていましたよ。
TV放映でも初回の放送は、
バベルの塔の建設シーンがありましたね。

先代のバビル1世は、地球に不時着した宇宙人です。
故郷の星と連絡をとりたくて、
バベルの塔を地球人に作らせたのですが失敗に終わり、
地球人として生活することに決めました。
バベルの塔に高性能のコンピュータを密かに作り込みつつ、
自分と同じ能力の素質を持った子孫が
生まれてくるのをコンピュータの頭脳の中で
ひたすら待っていたというわけです。

そしてストーリーは、
改造人間による世界征服を目論む
宿敵の超能力者ヨミとバビル2世との
戦いに次ぐ戦いが描かれ続けていきます。
ロプロス、ポセイドン、ロデム。
「しもべ」という封建チックな言葉もこの漫画で覚えました。
真っ赤な表皮のロプロスが、
爆風を受けて金属製のロボット仕様に変わる場面なども
わくわくして読んでしまいました。

そして、自分が覚えていないだけかもしれませんが、
ヨミの能力とバビル2世との関係には驚くべき発見もありました。


文庫版で全8巻でしたが、
最後の巻はなくてもよかったかなという感じです。
ショックな場面があったせいかしれません。
それでも、長い戦いが終わって静かにヨミを見送る
バビル2世の勇姿で完。


それでは、お約束のオープニンとエンディング
Youtubeでどうぞ。


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バビル2世 1巻〜8巻
横山光輝
秋田書店 1994年




2020年10月29日木曜日

読了メモ「かないくん」 谷川俊太郎




読了。

何年か前に話題になった絵本です。
読んだことのある方も多いのではないでしょうか。


テーマは「死」なのですが
その死と向き合う、残される人々の心の動き。
死が近づいてきた時。
死を知らされた時。
そして、死後に残された人々の生活が始まる。

死は、終わりでもあるけれども始まりでもある。
と絵本の最後は結んでいます。

絵本の最初は小学校四年生の時の話。
かないくんの言葉は一つもありません。
あるのは、学校の先生からのかないくんの状況報告と
同じクラスの子どもたちの感じている様、思いの変化。
教室に残っているのは、かないくんの絵とか
かないくんと一緒に写っている写真とか。
それでも、すでに、かないくんのいない
同級生たちの学校生活が今まで通り始まっています。

後半は、金井君の死のことを
絵本にしようとしているおじいちゃんの話。
でも、おじいちゃんは次の桜をみることができない。
おじいちゃんは、死ぬことを
重々しくも、軽々しくも考えたくはないと言う。
絵本の終わらせ方がわからないと言う。


子どもたちにとって、死は遠いものであり終止符なのですが
時はとどまることなく進み続ける。
死を受け入れた生活が新しく始まる。
死は通過点なのでしょうか。


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かないくん
谷川俊太郎 作
松本大洋 絵
(株)東京糸井重里事務所 2014年








2020年10月21日水曜日

読了メモ「自殺予防学」 河西千秋




読了。

ちょっと気になったので読んでみた。
最近、あまりにもという感じなので。
日本の状態はどうなっているのか。

少々データは古いが、
2007年の交通事故死亡者数が6,000人のところ
1998年の自殺者数は32,863人にのぼる。

しかも、驚きなのは10歳から60歳までを5歳区切りで
死因統計をみると、自殺はどの世代区間でも
死亡原因の上位3位内にランキングされているという。
長寿の国と思っていた日本だが、
人口10万人に占める自殺者の数、自殺率は先進国で最悪なのだ。


自殺は単なる精神疾患ではない。と本書で何度も繰り返し述べられている。
本人を取り巻く人間関係、家族、友人、仕事関係は勿論、
住む土地の風習や因習、そもそも日本という国の国民性など
自殺にまつわる様々な危険因子が潜んでいるという。
では、自殺背景の要因の主なものは何か。
それは、本人の健康問題が圧倒的である。
自殺企図者の多くは、いきなり精神科で診療を受けるのではなくて
内科や呼吸器科など他の診療を受けていることが殆どだという。

全国の病院の救命救急センターに運び込まれる
患者のうち約10%が自殺企図者であるというが
十分な心のケアも施されることなく退院させられてしまう。

もちろん、著者をはじめとする精神科医が中心となって
自殺未遂者に対峙するロールプレイング研修などを行っているが
看護師や医師の多くは、その対処の難易度に悩まされている。
繰り返しになるが、自殺は精神医療だけで解決する問題ではないのだ。

一方で、一部の地区やコミュニティでは、
住民が医師と連携をとりあって、自殺予防の対策を図り
実際に自殺者数が減少したという実績がある。
もちろん、遺族や周囲の人々への支援やケアも考えられていた。

様々な危険因子が潜んでいると書いたが、
逆に予防因子もあるはずであり、
個人一人一人が意識して取り組まないとできないこともある。
例えば、「自殺者ゼロ宣言」と同時に実際の施策の実行に
行政の強いリーダーシップにも期待をしたい。

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自殺予防学
河西千秋
新潮社 2009年



2020年10月12日月曜日

読了メモ「犬であるとはどういうことか その鼻が教える匂いの世界」




読了。

犬の「嗅覚」について書かれた本である。
当初、犬のいろいろな所作や習性についても言及されているかなと
思っていたが、見事に100%嗅覚についてだった。

本書で扱われているのは愛玩用の犬よりは仕事犬。
災害救助犬、麻薬捜査犬、トリュフ検知犬、絶滅危惧種を探す糞検知犬などなど。
このような犬たちにとって、嗅覚の威力は、
我々の想像をはるかに超える能力を発揮する。

犬の鼻には、呼吸ルートと嗅ぐルートがあって、
しかも、嗅ぐルートに入った匂いは反芻されるらしい。
犬の嗅覚細胞を広げたら、その体表をすっかり覆い尽くすくらいあり
人間の場合は肩にあるホクロをやっと隠す程度。
数で比較すると、人間は600万に対し犬は2億〜10億。

そんな嗅覚に優れた犬でも、仕事犬としての向き不向きがあるのも面白い。
仕事犬に向いているのは、
仕事が終わった後の、おもちゃ遊びに夢中になる犬なのだそうだ。
テニスボールを投げて取ってこさせたり、
縄の引っ張り合いだったり、
これらの遊びがあるからこそ、犬は仕事をするのだという。
必ずしも餌につられて仕事をするわけではないのだ。


人間は五感のうち、まず視覚で判断しようとする。
例えば、鏡に自分を映した場合、
何か異物が顔についていれば、人間は取り除こうとする。
これは3歳児程度でも同様だ。
鏡を見て写っているのは自分だと自己認識ができている。
だが、犬は鏡を見ても自己認識はできないらしい。
犬を飼っている人は試してみてはどうだろうか。
ただ、異物の匂いに反応する場合はあるかもしれない。

では、人間の嗅覚はどうか。
訓練しだいで、ある程度の嗅ぎ分けはできるようになる
と本書では実験をしている。
もちろん、犬の能力には遠く及ばないが、
一般的に、人間は嫌いな匂いには敏感で
いつまでも覚えているという。
逆に好きな匂いは覚えていない。

貴方の鼻はいかがですか。

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犬であるとはどういうことか その鼻が教える匂いの世界
アレクサンドラ・ホロウィッツ 竹内和世 訳
白揚社 2019年




2020年9月28日月曜日

読了メモ「博士の愛した数式」「ことり」小川洋子






読了。

久しぶりに小説のダブルヘッダーをしました。
小説での一気読みは、夏目漱石の三部作以来かな。


一つは「博士の愛した数式」
これは第一回「本屋大賞」を受賞したので
読まれた方も多いのではないでしょうか。

家政婦とその子どもが記憶障害を持つ数学博士に接する姿勢や気持ちが
すごく優しくて寄り添っていて、単なる愛情とか親切さとは
またちょっと違う他者に対する温もりを感じさせてくれます。
博士は、昔のことは覚えていても、
今のことは八時間しか記憶を維持できません。
大切なことはメモにしてジャケットにピンで止めておくのです。

それほどの障害を持っているにも関わらず
数学に関してはピカイチで何でも数学や数値に置き換えて
納得し、感激してしまいます。
読んでる自分も初めて知る数学の考え方などもありました。
そのうち、家政婦や子どもも数学を一緒に考えるようになったり
子どものあだ名は、頭の形からルートにまでなってしまったり。
ルートも博士も阪神タイガースのファンですが、
博士の記憶は江夏の時代で止まっている。
そんな三人で阪神戦を観に行ったりして過ごす雰囲気が
とてもよいのです。



もう一つは「ことり」
こちらは、前作と比べるとやや寂しい孤独感に苛まれるかもしれません。

幼稚園の小鳥小屋をボランティアで世話をしている小父さん。
小父さんにはお兄さんがいるのですが、言葉が不自由です。
お兄さんはポーポー語という不思議な言葉でしか話せませんが、
同じく小鳥を愛してやみません。
薬局で売っている飴玉の小鳥模様の包み紙でブローチを作ったりします。

ストーリーの冒頭は、小父さんが孤独死で発見され、
抱えていた鳥籠にいたメジロが飛び立つシーンから始まり、
回想録のような形で話が進んでいきます。
幼稚園の子どもたちからは、小鳥の小父さんと慕われ
園長先生もよくしてくれて、鳥小屋の世話をするのが
とても楽しくて、小鳥が大好きな小父さんの
優しくて細やかな心が伝わってきます。

自分の家の庭にも餌台を作っては、
やってくる小鳥たちを、お兄さんと一緒に愛でているのですが、
台風の被害で庭にあった亡父の離れの書斎が崩れ落ちたり、
幼稚園の鳥小屋は難を免れましけれど、
新しい園長先生は、そもそも小鳥が好きではなく、
小父さんのことをよく思わなかったり、
子どもを狙った不審者の存在によって、
町の人からも陰口を言われたりと、
後半は読んでいて辛いところもありました。


この二作の登場人物たちは不思議と名前がわかりません。
せいぜい、家政婦の子どもにつけられたあだ名のルートくらいでしょうか。
あえて登場人物に固有名詞をつけないことによって、
空想世界の広がりを醸し出しているのか、なかなか面白い手法だなと思います。

また、どちらも脳神経に障害を持った人物が出てくるのも特徴です。
でも彼らは決して暗い人物の印象ではないし、
むしろしっかりと自分の世界観を持っていて
コミュニケーションに不自由はありながらも、
同居人や友人たちと心を通い合わせながら生きています。

寂しさもあるけれどやさしさと温かみのある二つの小説。
まだでしたら、貴方もいかがでしょうか。

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博士の愛した数式
小川洋子
新潮社 2006年

ことり
小川洋子
朝日新聞出版 2016年


2020年9月20日日曜日

読了メモ「絵本の時間 絵本の部屋」 今江祥智




読了。

大真面目な絵本論である。
形式的にはエッセイとご本人は仰っていらっしゃるけれど。

国内外の絵本作家、絵本画家、そして出版社をピックアップして
その作品、作家や画家の人物像なりを
浮き彫りにしていくお話。
時折、絵本の挿絵が出てくる程度で
基本的には活字ばかりである。
大人向けの絵本と思ったら大間違い。


絵本なので、子どもに迎えられることが
評価の物差しの一つであることは自明。
でも、あなたは大人でしょう?
一人の大人として絵本と向き合った時、
まず自分がどう思ったか、その判断から出発してください。
それには自分の文学的鑑賞力、美意識をはじめ
あなた自身が試されています。
というくだりが心にぐさりと刺さりました。

そして、気になるのはやはり戦争と差別の問題。
軍国主義に進む時、絵本の世界も
いつのまにか画一化されていき、
お話ばかりでなく、挿絵の色調や図柄まで
戦争を受け入れる方向に全ての絵本が向かっていったのだそうです。
大変恐ろしいと思いませんか。

また、差別の問題では、ちびくろさんぼの事案があります。
もともと、小さな子どもたちの
冒険活劇のリーダーとして、さんぼは
国内外の子どもたちに愛されていたものでした。
作者ももちろん、さんぼを卑下して書いたものではありません。
虎が木の周りを走っているうちに
バターになってしまうお話は自分も覚えています。
それがいつの間にかタブーな絵本となってしまった。
難しい問題を孕んでいますが、これこそ、小さな枠に囚われず、
ちびくろさんぼを強いらなよ、から、知らないよと
子供たちが考え、広い視野で世界を見てもらえるようになって欲しい。
と著者は訴えています。


本書は表紙の装丁から、ゴシックホラー的な印象さえ受けます。
大人の影に隠れてやや怯えるような少女。
文中にも書きましたが、子どもに受け入れられることは当たり前として
大人がその絵本に対してどういう考え方を持っているのか。
それ次第で、絵本は子どもをダークサイドに
誘ってしまうものなのかもしれないと思ったのでした。

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絵本の時間 絵本の部屋
今江祥智
すばる書房 1975年




2020年9月14日月曜日

読了メモ「小説家のメニュー」 開高健




読了。

ようやくというか、地元茅ヶ崎ゆかりの文士の書籍を手に取った。
茅ヶ崎市内には、開高さんの記念館もあって
たびたび訪れてはいたものの、
著作に接することはなかなかできていなかった。
積読には何冊か開高さんの本がまだ残っているんですけども。


本書はサブタイトルで、
美味珍味奇味怪味媚味魔味幻味幼味妖味天味
と書いてある。
ゲシュタルト崩壊しそうだが、
ベトナム戦争の前線にまで特派員として赴き
また、大好きな釣りのために世界の大河を巡ったりした中で
世界中で、そして日本で様々な味覚を楽しまれたようだ。

ネズミ、ドリアン、ピラニアなどがあると思えば
アイスクリーム、スープ、焼売、松茸などの食材もある。
だが、どれもこれも、
こんなものが焼売なのか、
ドリアンって選別によってそんなに味が変わるのか、
ネズミって祝い事の時しか食べられない高級食材なのか
ロシアの真冬で食べるアイスクリームの格別な美味しさ
など、それぞれの食材の持つ文化的背景や
調理の仕方、食べ方の風習などが実に様々で面白い。

食に対する開高さんのチャレンジ精神を垣間見るエッセイとなっている。
170頁ほどで、活字も大きく、ところどころ挿絵も入っているので
読みやすく楽しめると思う。

今度は、開高さんのハードなノンフィクションを
ガチで読んでみたいと思う。

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小説家のメニュー
開高健
TBSブリタニカ 1990年


2020年9月6日日曜日

読了メモ「ライオンのおやつ」小川 糸





読了。

前回の読了メモに続いて、
地域的には瀬戸内海界隈の小説で
ところは、レモン島という。

ここには、末期癌などで余命宣告を医師から告げられ
残り短い余生を過ごすホスピスがあり
そこに入所した33歳の女性を主人公としたお話である。

ホスピスの名前は「ライオンの家」という。
レモン島は離島であるため、日用品は調達できても
特別な嗜好品や好きな洋服などは揃えることが難しい
などが書かれた案内状から話は始まり、
主人公はステージⅣであり、
越年しても桜はみることができるかどうか....、
という状態であることがわかる。

つまり、ライオンの家に入所する人とは
なんらかの理由で家族のもとを離れ、
ライオンの家で末期を迎える人ばかりということだ。

のっけから、そういう話に遠慮なくどっぷりと入っていくので
読み進めるのが、つらく切なすぎるなと最初は思っていた。
そうであっても、飼われている犬に癒されたり
天国でデートしようと約束を交わしあったり、
入所者がリクエストする毎週日曜日のおやつと
おやつにまつわる本人のメッセージなどを読んでいくと
生きることの大切さが実感として感じられるようになってくる。

主人公の女性は、不慮の事故で両親を失い
赤ん坊の頃から、母親の弟に男手一つで育てられた。
彼女にとっては父親同然の叔父が、
ある日、見舞いにやってくるが、そこには妹が一緒だった。
その時、主人公は体は元気にならないけれど、元気な頃の心を取り戻せたという。
彼女の感謝の気持ちの高まりはなんとも表現しようがない。

「人は生きている限り変われるチャンスがある。」
「生きることは誰かの光になること。」
など、命の尊さや希望、
そして、今を生きているこの瞬間がいかに大切かを
最後まで訴えているお話です。

涙もろい人は、読みながら泣いちゃいますよ。

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ライオンのおやつ
小川 糸
ポプラ社 2019年




2020年8月31日月曜日

読了メモ「四とそれ以上の国」 いしいしんじ




読了。

最後に著者の作品を読んだのが2017年だったので
久しぶりの いしいしんじワールドだった。
もちろん、積読にはまだ何冊もあるけど。

今回は、全て香川、徳島、愛媛、高知の「四国」が舞台になっていて
「塩」、「峠」、「道」、「渦」、「藍」という
五つのタイトルのお話が詰まっている。
ところが、全編に渡って、なんと言ったらよいのか、
時空を超えたような闇の世界が一筋走っている。

四国というと、以前、邦画で「死国」という映画があったり
本書にも出てくるお遍路さんの話があったりで、
なかなか霊感の強い土地柄というイメージを持っている。
四国出身の方々には大変申し訳ないけれど。

一方で、豊かな自然と透明度の高い河川がながれていたりと
それも合わせて、本州などにはない独特な雰囲気のあるところだと思う。

主人公と離れた魂というのか
別の違う視点でみている視野、もう一つの世界観が語られていて、
よく言えば、ファンタジー、
いじわるな言い方をすれば、ダークサイドストーリーとでも言おうか。


最後まで読んで感じてきたのは、
著者が何か模索をしているのではないのかということ。
五つの短編小説の内容云々というよりも、
著者が苦しんでいる感じがしていてしょうがない。
物語を描きながら、もう一つ別の世界を探し求めている。
それが、話に暗い影のある情景を描いたり
ありえない事象を目の前で起こさせたりしている。

なので、読む人によっては、途中で嫌になってしまうかもしれない。
自分はなんとか最後まで読むことができたが、
読み切ったというさっぱりとした読後感はない。

敢えて、もやもやしたい人は、チャレンジされていはいかがだろうか。
決して、ホラーではない。
でも、著者が何か悩んで探し続けている様を感じる
そんな稀有なお話が集まっている。

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四とそれ以上の国
いしいしんじ
文藝春秋 2008年





2020年8月26日水曜日

読了メモ「文化系女子という生き方 『ポスト恋愛時代宣言』!」 湯山玲子



読了。

サブカルのあるある系の本ではあるが、
やけに理屈っぽくて、私のようなおじさんには
ふ〜ん、そうなのかねぇ〜と思うところもあれば
なるほど、そういうことなのかぁ と変に感心するところがあったり。

「とうとう、女性が恋愛から逃げ出し始めました」
と始まって、年齢を問わず女性が
あらゆる文化教養の領域に踏み込んでいくというお話。
歴史上からは、与謝野晶子や林芙美子がその筆頭にあげられ
彼女たちの二項対立ではない、相互補助的な
人間関係の深さを学ぶべきではないかと説いています。

また、日本における少女文化の最大級の成果は
少女漫画にあるとして、学園恋愛ものから
SFや果ては同性愛や今やBLに至るまで、
文学的ストーリーと洗練された絵で表現された
世界は驚嘆に値すると。。。。あっ、BLは少女漫画ではないか。
一方で、ポプラ社が出した少年探偵シリーズや
怪盗ルパンシリーズは、男の子ばかりでなく女の子も
夜の闇の世界、大人の背徳感のある世界に連れて行ってくれたと。
自分もポプラ社のこれらのシリーズはほぼ全巻読みましたよ。

この後、ユーミンの話が出てきたりもするわけですが、
ただ、気を付けなければならないのが
世の中、出世やブレイクのためのハシゴを外されることは多々あるということで
年齢を重ねるにつれて、自ら進化して、思いつきから脱却して、
キャラを利用しない本格的なものになっていかなければならない。
ただし、それをできる人はなかなか少ないらしいということだそうです。
面白い子がいるんだよという言葉には要注意。
リア充を手に入れることはなかなか難しいことのようです。


そんな話を読んだり聞いたりしていると
じゃ、リケジョはどうなのよ!とか
草食の男はどうなるんだ?という話になりそうですが
そういうお話は、宴の席でみんなで盛り上がってください。

私はお酒が飲めませんから、聞き役に回りますので。

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文化系女子という生き方  『ポスト恋愛時代宣言』!
湯山玲子
大和書房 2014年
 

2020年8月16日日曜日

読了メモ「ラッキーマン」 マイケル・J・フォックス



読了。

著者は、映画「Back to the Future」の主演俳優。
彼の自叙伝だが、華々しいハリウッドスターの
レッドカーペット上の話ではない。
ご存知の方も多いかと思うが、
彼は若くしてパーキンソン病に冒されてしまった。
今、彼は同じ病気に悩む人たちを助ける財団を立ち上げ
モハメド・アリなどと一緒になって
政府の公聴会でこの病気の証言をするなどの活動をしている。
スター俳優として、妻や子どもたち、信頼のおける医師、
セラピスト、一部の仕事仲間の支えをうけながら、
この病気に立ち向かう闘病記でもある。

一時期は自暴自棄になってアルコール依存症も併発させてしまう。
そして、なんと、彼は七年間も、病気のことは伏せて
俳優活動を続けてきたという。
もちろん、薬で症状を押さえ込んできたのだが
服用するタイミングを少しでも間違うと
体が自分の言うことを聞かなくなり、勝手に動き出す。
とても撮影どころではなくなる。

したがって、時間管理がしっかりできないと
俳優活動ができないわけだが、撮影が深夜に渡ったりと
時間が不規則になりがちな映画活動よりも
時間管理のしやすいテレビドラマにシフトしていくことになった。
これには先述した人々の理解や支援が大きな力となった。
頭にドリルで穴をあけるという脳の手術も行った。
手術そのものは成功に終わったが、病気が完治したわけではない。

本人の最大の悩みは、観客とのことだった。
お客様でありフアンでもある観客に対しては
このまま隠しおおせることでいいのか。
観客との関係をはっきりできないままへの恐れから自由になりたい。
という最後の葛藤を解き放つべく
自らの病についての公表を決意する。
公表した時は、街中の新聞・雑誌の一面、表紙は
彼の写真と病名で埋め尽くされたそうだ。

パーキンソン病は進行性の病で
彼の体は完治するすることはないであろう。
それでも、家族をはじめ周囲の関係者の理解と協力を得て
彼なりの活動を続けていられることに
自らをラッキーな男だと言って本書を締めくくっている。


マイケルが持つ人間性、周囲の人への配慮が満ちて
ぐいぐいと読み込ませられた一冊でした。
途中、パパの指の震えを押さえ込もうとする
幼い息子サムとの会話が涙を誘います。


では、最後はお約束で、映画のワンシーンをどうぞ。


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ラッキーマン
マイケル・J・フォックス  入江真佐子 訳
ソフトバンクパブリッシング 2013年


2020年8月13日木曜日

読了メモ「転がる香港に苔は生えない」 星野博美



読了。

今、まさに、渦中の香港だが、
タイトルにやや微妙な感じを覚える。
逆を言えば、苔が生えている国が他にあるということか。
本書を読めばそれはどこかわかる。そこは「さざれ石」のある国だ。

本書は香港が中国に返還された1997年7月1日を挟んで二年間、
現地で市民と一緒のレベルで生活をした
女性ノンフィクションライターによるルポである。
自分自身、返還前に仕事で香港を訪れたことがあったり、
香港返還のレポート作成をしたりと何かと関わりがあったが
やはり本当の香港の姿は見ていなかったんだなと痛感する。

本書に記されているのは、香港人の凄まじいまでの自由さと合理性であり、
自分が見聞したことは美味しいスープの上澄みの部分だけで
大陸からの移民と、人脈・友人関係からなる互助の世界、
なんとしてでも香港社会で生き延びていこうとする市民の生活力が実に逞しい。
著者が住んだ部屋の様子などみると
よく女性一人で生活ができたものだと感心を通り越して驚愕にすら値する。

本書の中で、香港人は、そもそも五十年間も不変でいられるはずはないと言い切っていた。
今の中国からの圧力のことを予知していたとも言えるし、
そもそも香港は常に変化して生き延びて発展してきたバイタリティ溢れる土地だからだ。

返還時、「一国二制度、五十年不変」が謳われたが、
すでに、97年返還時に香港の自由は奪われたと嘆く声もあった。
それは、自由にものが言えなくなるということだった。
本書にあった市民の声を拾ってみる。


  自由な社会とはたくさんの声で成り立つものであり、 
  どんな意見でも言うことができて民主的で開放されていること。 
  それこそ社会が発展する最低の条件であり、 
  違う意見を受け入れない社会は発展しない。

  国家を率いるのは民主的統治なんだ。

  なんとなく民主的ってムードが怖い。


著者はこうも言っていた。
香港のことに心配しそうな顔でもしようものなら、
「自分の心配でもしてな!」と香港人の怒鳴り声が飛んでくるだろうとのこと。
日本は、昔と比べたら外国人や異文化と接する機会は増えているが
逆に閉鎖的な方向に向かってはいないだろうかと。
単一性の方が楽だからだろうか。
多様な文化と接してこそ、自分たちの誇りは意味を持つ。
苔を生やしてじっとしている場合ではない。

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転がる香港には苔は生えない
星野博美
文藝春秋 2006年


2020年8月4日火曜日

読了メモ「ホテルローヤル」 桜木紫乃



読了。

確か、直木賞受賞作だった。
いつも読み始めた後で気づく。

装丁やタイトルからもわかるとおり
ラブホテルの話です。
ところは、北海道、釧路湿原。
七つのお話からなる短編集。

読み始めて、おや?っと思うのは、
最初のお話は、もはや現役ではなくなったホテルローヤル。
すでに廃墟となったホテルローヤルのお話。

そう、七つのお話は時間を遡って語られていきます。

ラブホテルのお話なので、
それなりな男女が出てくるお話ばかりと思いきや
売れないカメラマン、お坊さまとご遺骨、
舅と同居で生活の苦しい中高年夫婦、
ホテル掃除のパートのおばさん、
そして、最後は、ホテルのオーナーが
どういう経緯でホテルを建てるか
ネーミングはどのように決まったのか。
などがつづられていく。

どれもお話が切ないのだ。
ラブホテル自体が、もともと影のイメージがあるところへ
しょっぱなから朽ち果てた廃墟の話から
始まるものだから、余計に登場人物の思いは儚く
男と女の関係も何かやりきれない人生の隅っこを
歩いている感じがする。

ひとりひとりの人間って、必ずしも盤石で強いわけでもなく
ちょっと突っつくとポロっと崩れちゃうような
カゲロウみたいな弱いところがあるんだなと思わせます。

でも、読むと、人に対して優しい気持ちに
きっとなれる一冊だと思います。

どうやら、今年の11月に映画が公開されるみたいですね。

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ホテルローヤル
桜木紫乃
集英社 2013年
 



2020年7月24日金曜日

読了メモ「ペスト」A・カミュ




読了。

学生時代に何度か挫折した作品です。
結局、あの頃は最後まで読みきれなかった。

しかし、今、世界中が疫病禍にあって
今こそ読破する機会なのではとチャレンジする気になり
先ほど、読了いたしました。

現在の新型コロナとペストを比べて脅威がどう違うのかはわかりません。
感覚的にはペストの方が怖い気がするけど。
ペストはネズミが宿主でノミが媒介するんですよね。
でも、ヒトからヒトへの飛沫感染もあるらしいです。
鼠蹊部や脇の下、首のリンパ腺が腫れ上がり高熱を発する。
肺に転移するペストもあるそうです。
高校の世界史の授業でも、十四世期頃にヨーロッパを中心に
ペストが黒死病として猛威を奮い多くの死者を出したことを習いました。


本書も、冒頭から大量のネズミの死骸が発見されることから始まり、
いきなり暗い雰囲気に満ちてきます。
主人公のリウーという医師が記した形式になっていますが
治療のためのスペクタクルが展開されるという話ではありません。
どちらかというと、患者と医師、その近しい人たちと
ペストとの不条理で孤独な戦いが描かれています。

当然ながら、ペストが発症した街は完全に封鎖されます。
今でいうロックダウンっていうんでしょうか。
鉄道ももちろん止まります。
往来を走る車も出歩く人の姿も少なくなっていきます。

たまたま街に来ていただけで、発症していない人も
街の外には出られません。
この街は周りが高い壁で囲まれているので
街と外界の出入り口は限られており、
そこの門番と外に出たい人たちとの間で
切実ながらも冷血な応対がなされたりします。


本書の中には、今、我々がおかれている状況にとっても
大切なメッセージが出ていると思うので引用してみます。
 
 あまりにも多くの人々が無為に過していること、
 疫病はみんな一人一人の問題であり、
 一人一人が自分の義務を果たすべきであること、を言った。

 ペストの中に離れ小島はないことを、
 しっかり心に言い聞かせておかねばならぬ。
 
 人間は犠牲者たちのために戦わなきゃならんさ。
 しかし、それ以外の面でなんにも愛さなくなったら、
 戦ってることが一体なんの役に立つんだい。

などなどである。
いかがであろうか。

幸いにもペストは終息に向かう。

私たちも明るい未来を信じて、
一人一人がなすべきことをしなければならないと
読後にあらためて感じたのです。

この時期に読めてよかったと思いました。

==========================
ペスト
A・カミュ 宮崎嶺雄 訳
新潮社 2020年



 


2020年7月14日火曜日

読了メモ「靖 国」坪内祐三



読了。

自分の好きなエッセイスト、評論家さんで、
これまでいろんな作品を読んできたが、
なんと本年一月に他界された。享年61歳。若すぎる。
大変、残念でしかたがない。本当に。
サブカルチャーものから文芸評論、社会評論まで
面白い本はたくさんあるのだけれど
代表作といえば、この本かなと思い手に取りました。

ただし、ここで、自分の浅はかさに気づくのでありました。
靖国神社といえば、閣僚の誰が参拝するのしないの
近隣諸国がそれに干渉するのとそんな話が
絡んでくる一冊なのかなと思っておりましたらさにあらず。
そんな話は一切でてきません。
純粋に、かつ坪内流の切り口で日本における靖国神社の有様をとりあげています。

靖国神社といえば戦没者の合祀ですが、
一番最初は戊辰戦争で亡くなった藩士の招魂式で
それがきっかけとなり例大祭が行われるようになったとか。

一方で鹿鳴館時代と重なる時期、靖国神社にもハイカラな風は押し寄せ
なんと競馬が執り行われたそうです。
靖国神社がその本来の姿を整えていくのは明治十年の西南戦争の後からだが
神聖な場所であるがこそ、そこには娯楽が必要と考えられ、
実際に競馬が開催され、のちには本格的な
アミューズメントパーク的な構想もあったそうです。

日清・日露の戦争の祝勝記念式典は、皇居前での盛大なお祭りとなったが
靖国神社には、二万九九六〇名の戦没者が合祀され、臨時大祭が挙行される。
境内には国光発揮のページェントが建てられ、
国民の意志は徐々に統一されていくことになる。

と、ここまでは近代化と戦争スペクタクルの
象徴的な世情と靖国神社の位置づけを描きながら、
東京に住む市井の人々の生活や暮らしに視点を移していくのも
坪内さんらしい展開だ。

靖国神社は丁度、東京の山の手と下町の境にあり、
下町から見上げる位置にお社を構える。
これは、人々の住む場所によって身分の違いがあり、
違いを乗り越えようとする生活もあることを示していた。
その後、大鳥居の前には国際主義的モダニズムとして
野々宮アパートという当時としては
超高級な高層住宅兼写真スタジオが建設されたという。
写真も掲載されているが、鳥居の前にある
突出した西欧風近代建築物に大きな違和感を感じてしまう。

さらに、話は、奉納相撲や力道山による奉納プロレスに展開していく。
ここも、日本人と外国人の力士やレスラーの
靖国神社での「興行」が大変深い意味をもって語られている。
その一例が、小錦の靖国神社での奉納土俵入りだ。
詳細は本書を是非読んでいただきたい。


実をいうと、自分はものごころがついてこのかた
靖国神社を訪れたことがない。
二歳くらいの時、親が連れていってくれたらしいが
当然ながら記憶に全くない。

巨大な鳥居や桜開花の標本木、大村益次郎像など
興味本位に惹かれるものはあるが、
坪内さんの本書をせっかく読んだのだから
機会を作って行ってみたいと思っている。

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靖 国
坪内祐三
新潮社 1999年

 



2020年7月5日日曜日

読了メモ「乱読のセレンディピティ」 外山滋比古




読了。

著者は「思考の整理学」で有名な
大正12年生まれの大御所である。

まず、セレンディピティとはなんぞや。

本書によれば、
「思いがけないことを発見する能力。
 特に科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときに使われる。
 おとぎ話(The Three Princes of Serendip)の主人公が
 この能力を持っていることから。
 イギリスの作家H・ウォルポールの造語。」
とある。

本の読み方には、アルファ読みとベータ読みの二通りあり、
アルファ読みは既知の情報について読むもの。
ベータ読みは未知の情報について読むもの。
だそうで、はるかにベータ読みの方が面白そうではあるが
アルファ読みでも新たな発見があったりするので
これもセレンディピティであったりする。

本の読み方にもアドバイスがあった。
「本は風のごとく読むのがよい」そうだ。
「やみくもに速いのはいけないが、熟読玩味はよろしい。
 のろのろしていては生きた意味を汲み取るのはおぼつかない。」
ということだ。

乱読についても
「専門バカがあらわれるのも、タコツボの中に入って
 同類のものばかり摂取しているからで、
 ツボからでて大海を遊泳すれば豊かな幸に
 めぐりあうことができる」
と爽快に勧めてくださっている。
さらに、乱読は気が若返る。
乱読のストレス解消力はアンチエイジングの
もっとも有効な方法ではないかと。

ここまで書かれてしまうと、乱読せずにはいられませんね。
乱読派の自分には、追い風を背中に感じて気持ち良い一冊でした。

ただ、注意点があるんです。
本は知識を増やしてはくれるが
思考力は別の方法で養わなければならないのです。

さて、その方法とはなんだと思いますか?

=======================
乱読のセレンディピティ
外山滋比古
扶桑社 2014年


2020年6月28日日曜日

読了メモ「横浜駅SF」柞刈湯葉



読了。

本書を原作にコミックが出されているというので
ご存知の方も多いのではあるまいか。

横浜駅。
自分も毎日のように通過し
乗降するよく使う駅だが、
確かに、工事が終わった姿を見たことがない。
最近、漸くJR YOKOHAMA TOWERとかができたらしいけれど
他の工事は未だに終わっていない。
話によると100年近く工事が続いているとか。


本書は、JR統合知性体という頭脳が開発されたことで
改築工事の続く横浜駅が自己増殖の暴走をはじめてしまい
陸続きの本州全てを横浜駅が覆い尽くしエキナカが占拠してしまう。
これに対し北海道と福岡のJR支局が横浜駅による侵食を
防ごうとする奇想天外なSF小説である。

ちなみに、本州の全てを横浜駅が覆い尽くすということは
線路がない、即ち鉄道がないということを意味する。
駅が一つしかないのだから当然だ。
全てがエキナカと動く歩道やエスカレータで構成されている。

そして、エキナカに入れない人たちも存在する。
横浜駅からの下りのエスカレータの出口しかない
海に近い痩せた土地に暮らす人々だ。
では、エキナカで生活するためにはどうすればよいか。
それは高額を支払って、
頭の中にSuika(本書ではSuicaではなくSuika)を埋め込んでもらう必要がある。
さもなければ、Suika不所持を発見されて、
自律歩行する自動改札幾が現れて
駅の外に強制的に放り出されてしまうことになる。

主人公による横浜駅増殖を止めるボタンを探して
Suikaではなく青春18切符で駅構内を移動するスリルと
超未来的で日本縦断のスケールが交錯して面白い。


横浜駅をご利用の方も多いと思いますが、
工事は本当にいつ終わるのでしょうかね。

============================
横浜駅SF
柞刈湯葉
KADOKAWA 2017年



2020年6月14日日曜日

読了メモ「倚りかからず」茨木のり子 「別冊太陽 日本のこころ 茨木のり子 自分の感受性くらい」





読了。

今年2回目かな。詩集を読んだ。
茨木のり子さんの詩集としては最後のものだそうで、
タイトルとなっている「倚りかからず」の他に15篇の詩が収められている。

今回は、下の写真にあるいわゆるムック本の「別冊太陽」を
一通り読んでから、本書に臨んだ。
彼女の生い立ちや生涯、時代背景、
異国の友人との交流などを理解した上で詩を読むと
心に入ってくる勢いが違う。
もちろん、別冊太陽の方にも
たくさんの詩が載っているので
茨木のり子ワールドにどっぷりと浸ることができた。

まっさらの状態で詩を読むのがいいのか
今回のように事前情報を蓄えてから読むのがいいか
意見は分かれると思う。
今回、彼女の詩の場合については、後者の方が
より作者の気持ちに寄り添えることができるようになると思った。

彼女は昭和元年生まれなので、まさに
日本が軍国主義に邁進していく時代に
思春期・青春時代を過ごしたことになる。
学生時代は全校生徒に号令をかける役目を負って
喉を潰してしまったりもした。
医師である父親の勧めもあって薬学部に進むが
その世界はどうにもなじめず、
自らの意思で文学の門をたたき
詩の世界に入る。

彼女の詩は、背筋が伸びるようなキリッとした作品が多い。
それは男勝りとか、そういう見方ではなく
読後に瞑想をし、人生の反省と期待が入り混じったような感覚。
静かに心を落ち着けてじっくり味わいたい。

「倚りかからず」には
「自分の感受性くらい」の詩は入っていない。
その意味でも、二冊を併読してとてもよかったと思っている。

======================
倚りかからず
茨木のり子
筑摩書房 1999年

別冊太陽 日本のこころ 茨木のり子 自分の感受性くらい
平凡社 2019年



2020年6月6日土曜日

読了メモ「ぼくの植え方 日本に育てられて」エドワード・レビンソン




読了。

アメリカ人で、写真家の著者が
日本に移住し、日本人女性と結婚し永住権を取得。
海も山もあるいわゆる田舎に移り住み、
農業を通じて、自然の中に聖地を
見出すというなんとも崇高なお話。

アメリカにいた頃からバックパッカーで、
ヒッチハイクをして移動していたが、
日本にきてからはなかなかそうはうまくいかない。

最初は、庭師の仕事に就く。
彼に言わせればガーデニングなのだが、
外国人が半纏を着て、庭の松の木の剪定をしている様子なんか
なかなか稀有な光景だろう。

次に農業をするため、田舎にいく。
田舎では、なんの躊躇いもなく相乗りをさせてくれる。
手を挙げずとも、軽トラのおじいさんから
声をかけてくれる。「どこまでいくの?」と。

逆に、著者がバンを運転していると
山道を歩くお婆さんには声をかけずにはいられない。
そして、優しい笑顔を返してくれる。
お礼にといって、ジャガイモや
タバコでも買ってねと現金を置いていこうとまでする。

田植えの時には、近隣の農家の人が手伝ってくれるばかりでなく、
買い物帰りの通りがかりのおばあちゃんが
見かねて、素足で田んぼの中に入ってきて
手慣れた所作で作業を終えてしまい、
買い物のお裾分けまでいただいてしまう。

著者はチェルノブイリ原発事故地近辺の
ベラルーシ共和国から少年数名を招聘し、
一緒に田舎暮らしをするなどの交流活動も試みる。


日本にきて30年以上経つそうだ。
本業の写真家としての活動は、モノクロやデジタルの他に
ピンホールカメラでも撮影を行い、
日本の原風景の撮影を続けている。
エッセイストで本書も翻訳された
奥さんの本には彼の写真が掲載されている。


本書の原稿はさすがに英語で書かれたが
思考は日本語で行ったとか。
各パラグラフの冒頭には、著者作の俳句が載っている。
日本語の俳句も味があって素晴らしいが、
英語も読むとリズム感があって心地よい。

著者の笑顔の写真がとてもいい。
日本という国の良さを感じる本です。

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ぼくの植え方 日本に育てられて
エドワード・レビンソン 鶴田 静 訳
岩波書店 2011年



2020年5月30日土曜日

読了メモ「もっとも危険な読書」 高橋源一郎



読了。

週刊朝日に連載されていた
「退屈な読書」という高橋さんの書評を
130本近く編纂したもの。
1本がきっちり本書の3ページ分。

退屈な読書もたくさん集まると
危険な読書になるのかしら。
でも、とっても面白かったですよ。

もちろん、知らない本がたくさん出てきたけれど
読み進めるにつれて高橋さんの筆(口調)も好調に滑りだしてくるし。
自分の積読本や読了本が出てきたりした時は勝手に舞い上がれるし。


老人の主張と題した赤瀬川原平さんのポーンと忘れてしまう話や
武者小路実篤さんの人間として前進と後退を繰り返してしまう話は
思わず吹き出してしまいました。
そうそう、エンタテインメントと純文学の違いってなんだかわかります?
考えてみてください。
ヒントは、ある役柄の登場人物がでてくるかこないかだそうです。


一方で、評論家の文章は、
素人向けにこそ明晰な論理と傍証、
すぐれた表現力と構成力が必要になると
司馬遼太郎さんは話されていたそうです。
同じ分野の仲間に向かって話すには
ほとんどの言語量は不要になるとまで。
蓋し名言ですね。

また、高橋さん自身も
自分の書くものが多くの読者にとって開かれたものでありたいと思いつつ、
実はどこかにいる「たったひとりの読者」に向かって
書いているのではないか、そうあるべきなのではないか、
という自問から逃れられないでいるんだそうです。


さて、自分はこのブログをどういうスタンスで書いているんだろうか........
単なる備忘録だな。

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もっとも危険な読書
高橋源一郎
朝日新聞社 2001年



2020年5月24日日曜日

読了メモ「ユーミンの罪」酒井順子

本記事は、2015年、某キュレーションサイトに掲載したものに
加筆・修正を加えて再掲載したものです。




読了。

昔、歌をよく聴いていた女性歌手は?

という話題になる時がある。
アイドルだったら、キャンディーズ(ミキちゃん派!)とか
小泉今日子とかの名前が出てくる。
もっと遡ると南 沙織とかも好きだった。

でも、それなりに大人となって、
気づいたら、なにげに流れてたのは、
ユーミンだったことはあるよなぁと思うのです。

と、そんな話はどうでもよくて.....。


本書は「ひこうき雲(1973年)」から「DAWN PURPLE(1991年)」まで、
ユーミンの20枚のアルバムをピックアップ。
収録されている曲の歌詞を引用しながら、
聴いていた世代、著者らしく女性の視点での当時の思いや
時代背景について書かれています。

各章の扉には、アルバムの発売年に起きた事件や出来事が書いてあって、
へぇ〜あの時の曲なんだと気づいたり、
その時に自分が何歳だったかとかいろいろ連鎖的に思い浮かべたり。


なかには、ドキっとするコメントがありました。

「PEARL PIERCE(1982年)」の章で

  当時の男性はその歌の真意に気づかず、
  ただ流行のお洒落ソングとして聞き流していたかもしれない。


というところ。
実は、これと全く同じことを、実際に女性から聞いたことがあったりするんです。
怖い.....。


この本を読むのは、正直忙しいです。
なぜかというと、歌詞がたくさん出てくるのですが
活字だけだと、すぐにメロディを思い出せず、
イライラして、曲を再生して確認しながら
読みすすめることになるから。




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ユーミンの罪
酒井順子
講談社 2013年



2020年5月16日土曜日

読了メモ「人生を変えてくれたペンギン 海辺で君を見つけた日」 トム・ミッチェル



読了。

表紙はマゼランペンギン。かわいい。
舞台は、アルゼンチン。
主人公であり著者のトムがこのペンギンと出会うのは
隣国のウルグアイの海岸。
そこから越境してアルゼンチンへ行く。

そうなんです、このお話ってノンフィクションなんです。
「かもめのジョナサン」のペンギン版かなと
小説をイメージしていたのですけれど、
事実は小説より奇なりを地で行くドキュメンタリーなのです。


トムは、ウルグアイの海岸で、
海に流出した重油を浴びて真っ黒になって
海岸に打ち上げられたペンギンの死骸の山の中から、
かろうじて息のあったペンギン一羽を助けます。

ペンギンが抵抗をしたのは最初だけ。
風呂場で油を洗い落とし、丁寧に顔を拭いてやり
市場で買ってきた新鮮な魚をあげると
トムにすっかり心を開きます。
疲れると、トムの足にもたれかかって
眠ったりする姿がとてもかわいい。

トムは学校教師の仕事の都合でアルゼンチンに
いかなければならないのですが、
そのためには飛行機にのり、税関を通らないといけません。
トムの奮闘ぶりをよそに、ペンギンは奇声をあげて見つかり
はてさてどうなることか。

アルゼンチンでは、学校の屋上に
トムはペンギンと住むことになり、
ペンギンも生徒たちと友達になり、
一緒にプールで泳ぐようにもなります。
ここにもちょっとしたドラマがあるんですけどね。

しかし、別れは突然としておとずれます。

ウルグアイの海岸でペンギンを助けたことが本当によかったのか、
一緒に連れてきてよかったのか
トムは頭の中でいろいろ考えますが、ペンギンとの思い出がいっぱい。


ある日、ブエノスアイレスの水族館で、
ペンギンの飼育部屋にトムは入れてもらいます。
ペンギンたちはざわめきますが、
その中で、一羽だけ種類の違うペンギンが
ヨチヨチとトムに近づいてきてトムを見上げます。
さも、お腹を掻いてくれない? といわんばかりの顔で。
トムは飼育係から教えられました。

ペンギンは仲間がいないと生きていけない動物なんだそうです。


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人生を変えてくれたペンギン 海辺で君を見つけた日
トム・ミッチェル 矢沢聖子 訳
ハーパーコリンズ・ジャパン 2017年



2020年5月9日土曜日

読了メモ「ひのまる劇場」 江口寿史



読了。

へへへ、たまには漫画も読むんだよ〜
コミックなんて、しゃれたもんじゃないよ。
漫画です。漫画。れっきとしたギャグ漫画!

「すすめ!!パイレーツ」と
「ストップ!!ひばりくん!」の
ちょうど間の作品。
途中から、主人公が誰だかわからなくなっちゃうやつです。
白智小五郎と戸田光国が主人公なんだよ。


ここのところ、江口さんのポップなイラストに関しては、
リアルワインガイドのカレンダーや
展示会の図録に、イラストブック、
最近出たレコードジャケットイラスト集
そして、ジーパン女子のTシャツまでおよびましたが、
今回は、久しぶりの先ちゃんギャグに
一人でクッククック〜クッククック〜と笑い続けさせていただきました。
笑いはよいですね。健康の源です。

今の世代に通じるのかどうかわからないけども
国際馬鹿(うましか)事務局認定のフールマークとか
ヤンキーな子分たちのやたら長くて下品な名前とか
くどいほどのギャグの繰り返しとか
懇切丁寧な脇の説明書きとかが
もう可笑しくてしょうがない。

ひばりくんは、すでに何回か読みなおしてしまっているので、
次、読みかえすならパイレーツかな〜。

ちなみに、「白いワニの栞」なんてのも、持ってます。
ネタ切れの幻覚ではありません。

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ひのまる劇場
江口寿史
イースト・プレス 1995年

2020年5月6日水曜日

読了メモ「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」村上春樹



読了。

Stay Homeという掛け声の下、
今年のGWは、がまんのウィークという呼びかけの下、
みなさまにおかれましては、どのような連休をお過ごしでしょうか。
自分は、ご多聞にもれずひっそりと蟄居しております。
結果、運動不足のため、足が浮腫んで毎日マッサージに余念がありません。

こんなどこにも出かけられない連休の時は、
長編でも読みましょうかねということで
本書を選びました。618ページ。

村上先生お得意の(?)並行する二つのお話があって、
また導入がいきなりな設定すぎて
それでいやんなっちゃう人もいるんだろうなと思いつつも
読み進めていくと、この世界観からは
なかなか抜け出せなくなります。

しっかりと、途中で伏線もあるし、
最後はこうなるんだろうなと思わせる節を
読み取っていくのも面白いかもしれません。
単に、自分が混乱しているだけかもしれませんが。

羊に比べると一角獣は端正で美しく、
清楚なイメージがあります。
そもそも、想像上の動物ですが、
雪の中を足を折り曲げて座り込んでいる姿は
どこか高貴で尊い印象を受けます。
その一角獣の頭骨が並んでいる様を
心落ち着いて読めるのがなぜか不思議です。

暗闇がやたらに多く、蛙、怪魚、押し寄せる水、
得体の知れない「やみくろ」、悪役の記号士二人組、
地下鉄銀座線に通じる下水道など
冒険心をくすぐる要素はふんだんで飽きさせません。
一方で展開される壁の中のお話では、
切り離された影との会話が好きです。

お話のキーとなるのは図書館なんだと思います。
二つのお話に共通する唯一の事象は図書館。
自分も図書館は大好きですけれど、
今は、どこも閉館。しばらく開きそうもありません。
やれやれ、寂しいな。

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世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
村上春樹
新潮社 1986年




2020年4月25日土曜日

読了メモ「魯山人の食卓」北大路魯山人



読了。

陶芸家で画家でと様々な肩書きを持ち
そして美食家としても有名な著者の日本料理に関するエッセイ。

エッセイのメニューとしては
 寿司
 魚(鮪、初鰹、鮎、鰻、河豚)
 鍋料理と雑炊
 茶漬け
 日本料理の基礎観念
そして最後に、魯山人語録と続く。


全編を通して、自身たっぷりの言い切りっぷりが気持ちいい。
ここまで言い切られると本当に
厳選された質のよい材料で作られた料理を食べたくなる。
ただし、その世界に入るにはなかなか厳しそうだ。

貧しい者には貧しいなりの料理
富裕な者には富裕なりの料理があり
それぞれは相入れないものであるとか、
食器は料理の着物であり、相応しい器があってこそ
料理になるという。

また、鰻にしてもスッポンにしても
ただ太らせる養殖よりは、天然ものがよいのだが
養殖でも適切な餌を与えることによって
味が全く変わってくる。
しかしコストの関係でなかなかそうはいかない。

よだれが出そうになったのは雑炊のところで、
納豆雑炊なんてのも紹介されていた。
他のメニューは恐れ多いけれど、
これなら自分でも作ってみようか!なんて気にもなる。


商業料理は儲けが一義で、どうしても料理は二義になってしまうことを
憂えながら、魯山人語録の一番最後の言葉が染みる。

 家庭の料理、 〜 中略 〜、そこにはなんらの思惑がはさまれていない。
 ありのままの料理。それは素人の料理であるけれども、一家の和楽、団欒が
 それにかかわっているのだとすれば、精一杯の、まごころ料理になるのである。
 味噌汁であろうと、漬けものであろうと、なにもかもが美味い。


ところで、鰻の蒲焼ですけど、蒸す工程が途中に入る東京風と
直焼きの上方風のどちらがお好きですか。
魯山人先生は、断じて東京風だと言って譲りませんけど。

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魯山人の食卓
北大路魯山人
角川春樹事務所 2004年


 

2020年4月23日木曜日

読了メモ「昆虫記」アンリ・ファーブル




読了。

貴方も子どもの頃に読んだことがあるのではないでしょうか。
かくいう自分も読んでおりまして、「再読」です。

ただ、その時と大きく違うのは
翻訳と解説が、理学博士の方だったのに対して、
今回は、翻訳が、詩人の大岡 信さん、
解説は、歌人の俵 万智さんという布陣なのです。
そうなってくると
ある種の先入観みたいなものが働いて
なんか、理科系の本を読んでいる気がしないのでした。

やはり一番面白かったのは
フンコロガシ(オオタマオシコガネ)の話でした。
コロコロと糞の玉を後ろ向きで押し転がしたり
横取りする輩がでてきたり
卵を産みつけるために糞の玉を洋梨型に細工したりと
目の前でフンコロガシが奮闘する様子が目に浮かぶようでした。

クモの子どもが糸を出しながら高いところに登って、
空を飛んでいくところの話なども、なぜか郷愁を誘いました。


上巻に、セミ、コオロギ、カマキリ、コハナバチ(ミツバチ類の総称)、
オオタマオシコガネ、キンイロオサムシ、
下巻に、シデムシ(埋葬虫)、ツチスガリ、キゴシジガバチ(共に狩人蜂の一種)、
オニグモ、ラングドックサソリ(地中海沿岸/アフリカに生息)

が登場します。
下巻の昆虫(昆虫ではないものもいます。わかりますよね)のほうが
イメージ的にダークな感じですが、
ファーブルの根気強い観察と実験によって
昆虫たちの生きる力強さ、自然の巧みさがキラキラと光っていて
小さいけれど地球の生態系が目に飛び込んで来るようです。


全ての話に子孫を残すための昆虫たちの必死の営みが描かれています。
カマキリが交尾の後に、メスがオスを食べてしまうのは有名ですが
同じような生態をもった虫が他にもいるのですね。

次世代を残すこと、遺伝子を伝えていくことが
誰にも侵すことのできない尊いものであることを
感じることができました。

うむ、人間でよかった。

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昆虫記
アンリ・ファーブル 大岡 信 訳
河合書房新社 1992年


2020年4月12日日曜日

読了メモ「ちいさなかみさま」 石井光太

本記事は、2015年に某キュレーションサイトに掲載したものに
加筆・修正を加えて再掲載したものです。




読了。

心の中のロウソクのような灯火。
希望、夢、勇気と名付けるこれらを
「ちいさな かみさま」と呼ぶ。

で始まるショートストーリー集。


病床に伏した少女が貧しい国々の子供達の純粋な笑顔に支えられる話、
事実とは異なるのに、過去は美化されていくものなので
よい記憶のままで留めさせてあげたいというニューハーフの話
戦友の死について、遺族の気持ちを思うあまりに嘘をつく話
公園で遊ぶ赤ちゃんのために友達の行動を戒める小学生たちの話
死の床にある患者は、家族のためにどうすればいいかを常に考えているという話
などなど。。。。

装丁にもある今日マチ子さんの
やわらかくてやさしいイラストも添えられていて
どの話も心に安らぎをおぼえ、穏やかな気持ちになれます。
 
いろいろなかみさまが出てくる本書を読んでいて
もしやと思ったのですが、全てノンフィクションなのです。
ノンフィクションって、いつも著者や出てくる人たちの実体験に驚き、
どうしたらこんな経験や感動を抱くことができるのだろう、
きっととてつもない行動派な人たちなんだろうなどど
時には羨望にも近い思いを持ってしまうこともあるのですが、
もしかしたら、冒頭にあったように
一つ一つの出来事は、灯火のように小さなことで
自分の身の回りにも実は起きていて
鈍感な自分は気がつかないだけなのかと思ってしまいました。

小さなことでも、地味なことでもそれをきっかけにして、
人を思うことの大切さ、暖かさということを
感じていくことができればいいなと思うばかりです。

そんなことを読後にしみじみと思った本なのでした。

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ちいさなかみさま
石井光太  今日マチ子 絵
小学館 2014年



2020年4月6日月曜日

読了メモ「40°C超えの日本列島でヒトは生きていけるのか」 永島 計




読了。

地球温暖化などと言われて久しい。
毎夏、熱中症で救急搬送され亡くなられたというニュースが毎日のように流れる。

本書にも書いてあったが、自分が子どもの頃には
熱中症という言葉はなかった。
日射病とか熱射病とかは聞いたことがあったけれど。
それでも、夏になると毎日のように
ニュースが流れるようなことはなかったように思う。

確実に真夏の気温は上がっているらしい。
特に都市部はヒートアイランド現象もあって著しいようだ。
話はずれるが、こんな猛暑の中で
オリンピックを本当に開催するのだろうか。


本書では人間の体温調節機能について
大変詳しく述べられている。
実は熱中症という病気はなく
暑さによる様々な機能障害によって
体温調節機能を失った状態を括っている呼称だそうだ。
著者はドクターなのでもちろんなのだが
専門用語が多く、簡単なキーワード解説がついているとよかったかな。


人間の体温には、
体の内臓の温度であるコア体温と
体の周辺の温度であるシェル体温の二種類があり、
体温を調節する際に、部位によって優先順位が決まっている。
プライオリティNo1は、もちろん脳だ。
どんなに暑くても、脳は最優先に
血液が送られ熱がたまらないようになっている。

サウナなどで、大きな水玉のような汗を
腕にかくことがあるが、あれは体温を下げている汗ではなく
単なる体の水分が出てきている無効発汗というそうだ。
この状態が長引けば脱水状態に陥る。


また、マグロやサメが泳ぎ続けなければ死んでしまうとよく聞くが、
これは泳ぐことで血液の還流を活発にし体温を上げているからだという。
変温動物とはいえ見事な適応ぶりだと思う。
ちなみに、マグロは体の中心部と外側では10度も体温が違う。

人間は体毛が少ない。他の動物と比べてみて一目瞭然だ。
人間は裸一貫では、体温調節が苦手な動物であり適応できる体温幅も狭い。
そこを、衣服や住居、工業製品などで補っている。

著者は気温40度でも人間は生きていけるというが、
地球温暖化はもちろん、都市環境が気温40度を
超えるような過ちを犯さないようにしないといけない。
と結んでいる。

我々にできることは一体なんだろうか。

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40°C超えの日本列島でヒトは生きていけるのか
永島 計
化学同人 2019年




2020年3月28日土曜日

読了メモ「傲慢と善良」 辻村深月



読了。

久しぶりの長編小説。
400ページくらいだったかな。
持ち歩くのが重くて大変だった。

さて、本書は「架(かける)」という40歳近い男性と
「真実(まみ)」という35歳くらいの女性が
婚活で出会い、見事に結婚式の日取りも式場も決まり
いい流れだと思ったところ。。。。。

突然の真実へのストーカー事件。
そして、真実が忽然と姿を消してしまう。
架はいろいな手を尽くし、あらゆるツテを使って
真実の失踪の手がかりを探る。

ここまで読んでくると、おっ、サスペンスなのか!
ストーカーは意外にもあの人なのか。。。
と思いきや。


いろいろな小説があるけれど、
本書ほど、タイトルと内容がマッチしている
小説はないなぁと感じた。
人間は一人一人異なり、考え方、心情のベクトルがバラバラ。
それでも、対面する相手にとって良かれと思って
とった言動が、あまりに一人よがりで
相手を傷つけ悩ませてしまう。結局は自分。
傲慢なのだ。

一方で、真面目に相手のことを思い
周囲のことに配慮しながら気を使う。
ただ、具体的な行動に移るとは限らないし
そこに必ずしも自分の意思はない。
善良さに満足する自分。
この善良さも一歩いや半歩ずれると
傲慢と取られるかもしれないだろう。


女性主人公の名前は真実(まみ)なのだが
何度も何度も真実(しんじつ)と読み間違えてしまった。
これも作者の意図なのだろうか。

小説は2部構成で、第一部は男性の架の視点から
第二部は女性の真実の視点から描かれています。

人間の心の奥底の澱を抉ってすくうようなストーリー。
人間ってそんなことまで思うのだろうか、考えているのだろうか
そこまで他者の目を配慮しなければならないのか。
と思わせるお話でした。

========================
傲慢と善良
辻村深月
朝日新聞出版 2019年

 


2020年3月21日土曜日

読了メモ「うまい酒が飲みたい」 橋本憲一

本記事は、2015年にキュレーションサイト「iftaf」に掲載したものに
加筆・修正を加えて当ブログに再掲載したものです。




読了。

石川県の「菊姫」という酒をご存知だろうか?
自分は残念ながらまだ飲んだことがないし、
患った持病のため、もう一生、酒を飲むこともないだろう.....(涙)


この本は、京都の料理屋「梁山泊」の主人が
菊姫の地を回って、蔵元やそこにいる杜氏、蔵男たちから
話を聞き、寝食を共にしながら
うまい酒とは何かを追い求める話。

酒の作り方すら知らない自分にとって
本書は、山廃や速醸、蒸米や麹、モト(酒母)といった
専門用語も簡単に解説してくれたので理解も進んでありがたかった。


もちろん、酒の作り方とか、どんな米がいいとか
そういう話だけにとどまらない。
長い酒の歴史の中で、課されてきた税金(酒税)が
酒の業界を駄目にしてきたとか、
味を大きく左右する水に対する執拗なこだわりや、
杜氏や蔵男の後継者問題などに渡る。
いずれも深刻な問題なのだ。

ただ、不思議だったのが
ここの蔵元も杜氏も酒を嗜むことをしない人たちだということ。
そんな人たちが、うまい酒を作っている。
作り手側として、酒の味や香りを熟知し共有し、
微妙な工程の目盛りを掌握しきっているということなのだろうか。


酒を、甘口、辛口という基準で評価する時代は過ぎ、
穏やかな酒、厳しい酒と区分けする時代になるとあった。
また、酒を飲むことは、その酒の生まれた谷の水に会いに行くことだそうだ。
そして、よく言われる「キレ」「喉越し」「コク」とは。。。。
いやはや奥が深くて、なかなか酒の姿に追いつかない。

つまるところ、うまい酒とは一体どういう酒なのか。
それは「酒のうしろに人の見える酒」なのだそうです。


.......う〜む、まだまだまだまだですね。
もう酒は飲めなくなってしまいましたが、
プロローグにあった吉祥寺のお店に行ってみたかったなぁ。


本の半ばあたりに、酒蔵や杜氏、蔵男たちの写真が
モノクロで挟まっています。この雰囲気もまたよいです。
杜氏の顔の皺が全てを物語っているようで
まるで酒を見ているようで最高です。

===================
うまい酒が飲みたい
橋本憲一
晶文社 1988年


2020年3月15日日曜日

読了メモ「貧乏入門」 小池龍之介



読了。

著者はお坊さまである。
だからと言って、質素な生活を送れて当たり前だ
と思ってしまうのはやや早計。

本書のサブタイトルには

 あるいは
 幸福になるお金の
 使い方

とある。

お金のない貧乏人になりましょうなんて誰も思わないので
本のタイトルを副題と入れ替えた方がいいのではないだろうか。

物が豊に溢れる現代、
我々は余計な物を持ちすぎているという。
使っていない物は捨てるべし。
粗悪なものに安いからと飛びつくのではなく
本当に必要なものにお金を惜しまず出して
大切に使っていくべきだと問う。
それが貧乏臭くならないコツ。充実した貧乏の練習。

物がありすぎると心にノイズが発生して
幸福感を得られないとのこと。
精神的余裕があると心はお金から自由になれる。
お金があってもなくても幸せで分相応に行きていく。
そういう心持ちを持つことが大切だと。
つまり、欲望をコントロールしていくことがテーマ。

では、どうすればいいか。
そこは、お坊さまらしく、仏道的集中力を高めるということ。
集中により、五感を研ぎ澄まし心の幸福感をつかむこと。
快感を求めるあまりに、ドーパミンが出っ放しの
興奮状態ばかりでは疲労と錯覚だけが残り
邪悪な集中で幸福感は得られないという。

裏を返して、一言で言うと、
ケチることじゃないんですよ。

===========================
貧乏入門
小池龍之介
ディスカヴァートゥエンティワン 2009年


2020年3月7日土曜日

読了メモ「イカ干しは日向の匂い」 武田 花



読了。

著者は、写真家であり、
「富士日記」で有名な武田百合子さんのお嬢さん。
もちろん、私よりずっと年上の方です。

お母さまの百合子さんの作品は何冊か読みました。
好きな文章家のお一人です。
さすがにそのお嬢さんだけあって、
本書を読むと情景や漂う空気が脳裏に染み込んできて
なんというのか、とても心が落ち着きます。

主に日本の小さな田舎やちょっとひなびた市街地を訪れ
そこでの一両編成のローカル線に乗ったり、
名産品なのかわからないけど街の人にすすめられて食べ歩きをしたり、
お爺ちゃん、お婆ちゃんたちとの会話、
有名な観光地でも一本内側の裏通りを散策したりと
そんなゆっくりとした時間が流れるエッセイです。

一方、都会の話もあります。
代々木公園で酔い潰れた青年を助けて、
警察や救急車まで呼ぶのですけど
その青年は、懲りずに公園の別の宴会に
潜り込んでお酒を飲んでいたりする。
明日はバイトで朝が早いのにと叫んでいたくせに。


そして、ふんだんに使われている
花さんが撮られたモノクロ写真がとてもいい。
街の片隅にたたずむ猫たちの写真が多くあり、
古い街並みや、廃れた商店街のアーケード
廃墟の前に停まっているシボレー、
空き瓶、提灯、看板の落ちかけたお店、
いや〜、なんとも言葉では言い表せない
その街々の雰囲気が確かにあるのです。

タイトルにある「イカ干し」はスルメイカのことだそうです。
本書のどこかに、くるくる回るイカ干しの写真があるので
手に取られた方は探してみてください。
きっと、日向の匂いがしますよ。

=======================
イカ干しは日向の匂い
武田 花
角川春樹事務所 2008年


2020年3月5日木曜日

読了メモ「お伽草紙」 太宰 治




読了。

太宰さんの本ですけれど
もともとの内容は、古典や民話。
それを、太宰 治流に現代語訳してくれて
オリジナルな解釈をつけて
話を盛り上げてくれています。

井原西鶴の作品からの新釈諸国噺などは
単なる現代語への直訳というものではなく
どことなく人間とは何か
生きることはどういうことなのかなんて
テーマが浮き出てくるようです。

また、読んでいると五七調の語呂がよく、
黙読しているのに、口の中で
文章がコロコロと転がっていくようで
これもまた古典をベースにしながらも
読みやすくさせている要素です。


後半は、タイトルにもなっている
お伽草紙で、みなさんよくご存知の
瘤とり爺さん、浦島太郎、カチカチ山、舌切り雀
が連なります。

どれも面白い。
太宰さん特有の見解・解説が盛り込まれていて
子どもの頃に読み聞かされた話や
メッセージとはまた違う面を見せてくれます。
自分としては、浦島太郎が秀逸だったかな。

今まで思っていた太宰 治像を
またまた変えてくれた一冊です。

古典や民話がベースなので、
ちょっとクセのあるところはあるけれど
まぁそれはやむを得ません。
その分とても面白かったですよ。

お時間のある方は是非。

=========================
お伽草紙
太宰 治
新潮社 2019年



2020年2月24日月曜日

読了メモ「後ろ向きで前へ進む」 坪内祐三



読了。

70年代のサブカルチャーを
題材にしたエッセイが多い坪内さん。
まったくもって残念ながら、
先月亡くなられた。享年61歳。

代表作ともいえる「靖国」は
積ん読にあるので、折りを見て読む。

本書も他聞に漏れず、
植草甚一さんの話に始まり
福田恒存氏を軸に保守派文芸評論を展開し
私小説を論じていく。
ここまでは割と硬めではあるが
坪内さんらしい文体で大変読みやすく理解しやすい。

植草甚一さんに関する講義が
本書には掲載されているようで、
末尾には会場からの質疑応答が載せられている。
自分は植草甚一さんのことは
全くと言っていいほど知らないが、
大岡昇平や松本清張、太宰治らと同世代であることや
植草甚一さんが世間に残した足跡を追うことができた。

保守派文芸評論や、1979年はどういう年であったか
私小説の是非論などは、読書欲を掻き立てられる内容で、
やはり、小林秀雄氏は難しいけれど外せないなと思う。

中盤にはプロレスとジャイアント馬場の話になる。
懐かしい外人レスラーの名前もたくさんでてきます。
自分は小さい頃、
サンタクロースのような髭を生やしていた祖父と
祖父の友人が自宅に上り込んできては
プロレス中継を三人でよく見ていたことを思い出した。
坪内さんにとっては、猪木は確かにカッコいいけれど
やはり馬場の存在が大きいのだそうです。
実際でかいし。

一番最後は神保町の古本屋街の話で締め括られます。
紹介されているのは新刊本屋さんなのですが
ググってみたら、すぐ見つかったので
今度、行ってみようと思います。
坪内さんが心惹かれたというお店のセンスに
少しでも触れることができたら嬉しい。


では、おまけをどうぞ。





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坪内祐三
晶文社 2002年




2020年2月18日火曜日

読了メモ 「イワンの馬鹿」 レフ・トルストイ


本記事は、2015年にキュレーションサイト「iftaf」に掲載したものに
加筆・修正を加えて当ブログに再掲載したものです。




読了。

「戦争と平和」のトルストイである。

一日で読み終えそうだなとお気楽に考えて
積ん読の中から手に取った。
案の定、すぐに読み終えたものの、
人間の持つ卑しい姿が垣間見えて
読み終えた時に、奥の深い教えのようなものが
じんわりと心にしみわたってきた。


児童向けの文学に心を洗われることが多い。
今回は民話調なので、少々趣きが違うものの
例にもれず、尊いことが描かれている。

権力、武力、財力、物欲....
人間は、いつもこれらに翻弄されている。
そんなことはないさ。と言い切れない。
そそのかす小悪魔や老悪魔もしっかりいるし。

「欲」は、あの手この手で惑わそうとしてくるが
イワンとその領民には効かない。
自分たちにとって必要な物が
必要な量あればそれで十分なのだ。
余計に欲しがることをしない。
そのためには額に汗して、
手にタコができるまで働く。
働かざるもの食うべからず。

でも、そこへ乞い求める人がくれば、
お互いに分かち合う精神をもっている。
人間として生活し、生きることの喜びを共にする。
決して排除をしない。


ところどころ、現代とそぐわない表現などはあるけれど
表面的なところに目を奪われず、
大切なところを心に留めておきたいお話。

あっ、そして、表紙や挿絵は、和田 誠さんです。

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イワンの馬鹿
レフ・トルストイ
あすなろ書房 2008年